第59話:人が教えたもの
探協の地下資料室は、いつ来ても空気が悪い。
湿気のせいじゃない。
ここに並んでいるのが「過去の失敗」と「回収された残骸」ばかりだからだ。
探索を休みにした日、神代からの呼び出しを受けた。
嫌な予感がしたが、それを理由に断れる相手でもなかった。
そうしてたどり着いた部屋の中には、神代ともう一人がいた。
「コイツの言うもう一人ってのはお前か……」
黒瀬が俺をみて呟いた。
「ええ、彼の視点には価値がありますからね」
神代は怪しげな笑みを浮かべる。
「まぁ、なんでもいい、揃ったならさっさと話せ」
壁に背を預けながら黒瀬は言葉を吐き捨てた。
無機質な照明の下、神代は一枚の写真を机に広げた。
半生体。
骨格、筋肉、皮膚の断面図まで揃った、気分の悪い資料だ。
「さて……率直に言いますよ」
神代は、眼鏡の奥で目を細めた。
「この成長速度、異常です」
「しかも、方向性が一貫している」
黒瀬が腕を組んだまま、ぶっきらぼうに言う。
「強くなってる。それだけの話だろ」
「奈落なんてそんなもんじゃねえのか」
「“強い”だけなら、ここまで揃いません」
神代は写真を指でなぞった。
「探索者が、深く潜るほど」
一拍。
「装備は洗練される」
矢尻や銃痕の残る写真。
最新式の槍やナイフの写真。
「銃に対応した肉厚」
「貫通しにくい筋繊維」
「刃物を弾きやすい骨格」
「当てつけたかのような半生体の体の成長……」
「偶然だと思います?」
黒瀬が舌打ちする。
「……いや、思えねえな」
神代は次の資料を出した。
複数体の半生体が映っている。
「探索者の戦術は、合理化される」
「役割分担」
「連携」
「挟撃」
「逃げ道の封鎖」
写真の中の敵は、まるで“訓練を受けた部隊”だった。
「人間が効率的な戦い方を持ち込めば」
「奈落も、効率的な殺し方を学ぶ」
淡々とした声が、余計に怖い。
「そして――」
神代は、最後の資料を置いた。
帯の境目。
階段付近。
撤退失敗地点。
「探索者は、撤退判断が早くなる」
俺は、無意識に息を止めていた。
「危険を察知したら即引く」
「戻れる線を知っている」
「帯の切り替わりを読む」
神代は、ゆっくり言う。
「だから、逃がさない」
「待ち伏せる」
「戻るための帯をずらす」
「“戻れない環境”を先に作る」
黒瀬が、低く笑った。
「入ってきた異物を、排除するってか」
「……白血球みたいだな」
「ええ、近いですね」
神代は否定しない。
「奈落は、外部から養分を効率よく吸収するために」
「我々異物に対して“攻撃に出る段階”に入ったと考えられます」
俺は、写真の一枚に目を留めた。
角。
異様に発達した上半身。
“分かりやすい”威圧感。
「……これは」
俺が言うと、神代は頷いた。
「“人が怖いと思う形”です」
一拍置いて、続ける。
「悪魔や魔物、色々呼び方はありますが……」
「これに関してはまるでミノタウルスですね」
「そういう想像の生き物は、外で人間が長い時間をかけて育てて来た」
「ある意味では、地上から持ち込まれた恐怖です」
黒瀬が顔をしかめる。
「じゃあ何か」
「奈落が勝手に化け物作ってるんじゃなくて……」
「人間が、奈落に教えたんです」
神代は、はっきり言い切った。
「装備も」
「戦術も」
「撤退の判断も」
「そして、“恐れている姿”も」
「全部、外から奈落に持ち込んだ」
資料室が、やけに静かに感じられた。
俺は、喉の奥が冷えるのを感じながら言った。
「……じゃあ、進化は止められない?」
神代は、薄く笑った。
「ええ」
「探索者が今後深く潜るほど」
「半生体は……いや、奈落は“探索者向け”に進化する」
「人が進む限り」
「奈落は、それに合わせて変わる」
黒瀬が、ぽつりと呟く。
「最悪だな」
「最悪ですね」
神代は同意する。
「反対にこうも言えます」
「人の希望や願いを叶える可能性が、奈落にはある」
「だからこそ――」
「あなたが線を引くほど」
「誰かの命を賭ける理由が、増えていく」
神代が続けて、静かに。
「希望は、守るためのものだと思われがちですが」
「実際には――」
「人を前に押し出す力の方が、ずっと強い」
「もっとも」
「私は“価値があるかどうか”しか見ていませんが」
研究者らしからぬセリフを笑みを浮かべて言う神代に俺は鳥肌がたった。
「……それは」
あなたは“殺していない”だけで
誰かの“死ぬ理由”を整備している
そう言われたようだった。
俺の歯切れの悪い反応を見て神代は話を続ける。
「おかしな話でしょうか?」
「現に難病の特効薬になる可能性、今までの資源より有用な素材」
「外の人が欲しがるものが奈落では手に入る」
「さて――」
視線が、俺に向く。
「二つの可能性が提示された今」
「貴方はそれでも前に進みますか?」
答えは、もう分かっていた。
「……進む」
短く答える。
「ただし」
「“何を奈落に教えているか”を意識しながらだ」
神代は、満足そうに頷いた。
「それが分かっただけでも」
「今日は大きな前進です」
「私にとっては、ですが」
資料室を出る時、背中に嫌な感覚が残った。
奈落は、無差別じゃない。
でも、意思があるとも言い切れない。
ただ――
人間を、よく見ている。
そして今日も、
俺たちはまた一つ、
“教えてはいけないもの”を持ち込んでしまったのかもしれなかった。