東方飯机録 ~ tada meshi kuu dake ~   作:地軸

1 / 8
第一章 夏
一日目~七日目


一日目

 

 今日は残業で帰りが遅くなった。

 スーパーの惣菜は売り切れていて、結局、冷蔵庫にあったもので適当に作る。

 

 味噌汁。

 焼いた魚。

 白飯。

 

 ……量を間違えた。

 

 皿を並べてから気づく。

 一人分のつもりだったのに、どう見ても二人分だ。

 

「まぁ、いいか」

 

 ラップして明日に回すのも面倒で、そのまま机に置いた。

 

 箸を取ろうとして、向かいの席に誰かが座っていることに気づいた。

 

 ――赤と白。

 

 巫女服。

 

 見覚えがありすぎる顔。

 

「……え?」

 

 女は当然のように茶碗を手に取る。

 

「いただきます」

 

 心臓が一拍、遅れて跳ねた。

 

「とうとう俺も病んだか」

 

 そう口に出したら、少し落ち着いた。

 疲れてるし、寂しいし、こういう幻覚の一つや二つ見ても不思議じゃない。

 

「ねぇ、おかわり」

 

「はいはい、よく喋る幻影だな」

 

 味噌汁をよそってやる。

 幻影のくせに、よく食う。

 

 その日は、それだけだった。

 

二日目

 

 昨日のことは、夢だと思うことにした。

 

 それでもなぜか、今日も二人分作っていた。

 理由は考えない。

 

 机に並べた瞬間、もう座っていた。

 

「……続編かよ」

 

「何それ」

 

「いや、こっちの話」

 

 女は昨日と同じように、雑に食べる。

 文句も言うし、おかわりも要求する。

 

 妙に具体的だ。

 昨日の味付けの話までしてくる。

 

「記憶ある幻影とか、設定盛りすぎだろ」

 

「失礼ね」

 

 そう言って魚の骨をきれいに外す。

 

 食べ終わると、何事もなかったように帰っていった。

 

 後片付けをしながら、ふと思う。

 

 ――もし、これが夢じゃなかったら?

 

 考えた瞬間、胸の奥がひやりとした。

 

三日目

 

 今日は、聞こうと思えば聞けた。

 

 名前も。

 どこから来たのかも。

 本物かどうかも。

 

 でも、箸を持つ手が止まらなかった。

 

 味噌汁の湯気が立つ。

 向かいで、女がご飯を頬張っている。

 

 この光景が、やけにちゃんとしている。

 

 聞いたら、壊れる気がした。

 

 夢から覚める、というより、

 この時間が終わる気がした。

 

「……」

 

「なによ、黙って」

 

「いや、なんでもない」

 

 女は不満そうに眉をひそめてから、また食べ始めた。

 

 それでいい。

 

 夢でも、幻でも、勘違いでもいい。

 

 今はただ、

 

 ――一人じゃない。

 

 それだけで、十分だった。

 

 聞かない、という選択をしたのは、

 その夜が初めてだった。

 

四日目

 

 今日は、最初から二人分作った。

 

 もう量を間違えたとは思わない。

 考えないようにしているだけだ。

 

 机に皿を並べ、箸を置く。

 向かいの席を見ないまま、息をつく。

 

 ――座っている。

 

 でも、赤白じゃない。

 

 紫。

 

 八雲紫が、そこにいた。

 

 思考が一瞬、止まった。

 

 幻影、という言葉が出てこない。

 代わりに、背中が冷たくなる。

 

「……」

 

 紫は、こちらを見ない。

 机の上の味噌汁を、ゆっくりと一口すする。

 

「へぇ」

 

 それだけ。

 

 音も立てずに、箸を置く。

 

「随分、落ち着いた食卓ね」

 

 喉が鳴った。

 

「……霊夢じゃ、ないですね」

 

 声が、自分でも分かるくらい低かった。

 

「ええ」

 

 否定も肯定もない返事。

 

 紫は、何かを探るような目をしない。

 見ているのに、測っていない。

 

 それが一番、怖かった。

 

「ここ、居心地は悪くないわ」

 

 また味噌汁をすする。

 

 理由を言わない。

 説明もしない。

 評価も下さない。

 

 ただ、“座っている”。

 

 聞けた。

 

 今なら、聞けた。

 

 ――これは夢ですか。

 ――霊夢は本物ですか。

 ――あなたは、何を知っているんですか。

 

 全部、喉の奥まで来ていた。

 

 でも。

 

 紫が、こちらを見て微笑った。

 

「聞かないのね」

 

 心臓が一拍、遅れた。

 

「……」

 

「それでいいわ」

 

 それ以上、何も言わない。

 

 食事は続いた。

 味は、昨日と同じだった。

 

 紫は最後に、静かに手を合わせる。

 

「ごちそうさま」

 

 立ち上がる気配がして、

 次の瞬間、席は空だった。

 

 皿も、湯気も、そのまま。

 

 後片付けをしながら、ようやく気づく。

 

 ――あれは、夢じゃない。

 

 でも、

 夢だと思っている方が、

 たぶん正しい。

 

 四日目にして、

 聞かない理由が、はっきりした。

 

 知らない方が、

 この食卓は続く。

 

五日目

 

 今日は、いつもの飯だ。

 

 特別なことはしていない。

 安い肉を焼いて、野菜を切って、味噌汁を作っただけ。

 

 二人分。

 

 もう、そこは迷わない。

 

 机に並べて、椅子を引く。

 

「……」

 

 向かいの席に、赤白が座っていた。

 

博麗霊夢。

 

「遅い」

 

 開口一番、それか。

 

「はいはい」

 

 霊夢は当然のように箸を取って、肉に手を伸ばす。

 

「昨日さ」

 

 口に入れながら、もぐもぐと言う。

 

「変なの来てたでしょ」

 

 心臓が一瞬だけ跳ねた。

 

「……さあ?」

 

「ま、いいけど」

 

 それ以上、追及しない。

 

 肉をもう一枚、勝手に取る。

 

 その仕草を見て、胸の奥がふっと緩んだ。

 

 ああ、これだ。

 

 紫がどうとか、

 夢か現実かとか、

 正直、もうどうでもいい。

 

 目の前で――

 

 霊夢が、俺の作った飯を食っている。

 

 それだけで、十分だった。

 

 推しが、だ。

 

 幻想郷最強だとか、

 巫女の責務だとか、

 そんなの関係なく。

 

 ただ、俺の台所で作った飯を、

 文句言いながら、遠慮なく食っている。

 

 それだけで。

 

 ――ああ、俺、今すごく幸せだな。

 

「なによ、じろじろ見て」

 

「いや」

 

 笑いそうになるのを堪えた。

 

「ちゃんと食ってるなって思って」

 

「当たり前でしょ。足りなかったら言うわよ」

 

 霊夢はそう言って、味噌汁を啜る。

 

「……うん、悪くない」

 

 その一言で、全部報われた気がした。

 

 何も壊れていない。

 誰も困っていない。

 俺も、霊夢も、ちゃんとここにいる。

 

 だったら。

 

 この食卓を、

 良いと思わない理由が、どこにある。

 

「おかわり」

 

「はいはい」

 

 立ち上がって、鍋に手を伸ばす。

 

 背中越しに、霊夢の気配がある。

 

 昨日、紫が座っていた場所に。

 今日は、霊夢がいる。

 

 それでいい。

 

 聞かなくていい。

 確かめなくていい。

 

 俺はただ――

 

 推しに飯を食わせている人間で、

 それ以上でも以下でもない。

 

 五日目にして、ようやく思えた。

 

 この時間が続くなら、

 俺は、ちゃんと喜んでいい。

 

 

六日目

 

 今日は、いつもより少し多めに作った。

 

 理由は特にない。

 最近は、それで十分だった。

 

 机に並べて、椅子に座る。

 

「……」

 

 向かいの席に、赤い羽根。

 

フランドール・スカーレットが、もう箸を持っていた。

 

「ねぇ」

 

 一口食べて、即座に言う。

 

「咲夜のごはんの方が美味しい」

 

「だろうな」

 

 間髪入れずに返すと、フランは少しだけ目を丸くした。

 

「否定しないんだ」

 

「俺もそう思うよ」

 

 味噌汁を啜りながら続ける。

 

「俺も咲夜さんのごはん食べたいし、

 フランちゃんがうらやましい」

 

「……」

 

 一瞬、文句の続きを考えた顔をして、

そのまま黙って食べ始める。

 

「でもさ」

 

 二口目。

 

「これはこれで、悪くないよ」

 

 三口目。

 

「でもやっぱり咲夜の方が美味しい」

 

「はいはい」

 

 文句を言いながら、

おかわりをして、

結局三杯。

 

 皿はきれいになっていた。

 

「ごちそうさま」

 

 満足そうに言って、

何事もなかったように帰っていった。

 

七日目

 

 翌日。

 

 今日は特別なことはしていない。

 いつも通りの飯、いつも通りの二人分。

 

 机に置いた瞬間、

空気が少しだけ引き締まった。

 

「失礼します」

 

 落ち着いた声。

 

十六夜咲夜が、

小さな包みを持って立っていた。

 

「妹様がお世話になりました」

 

 そう言って、包みを机に置く。

 

「……どうも」

 

「ほんの一品ですが」

 

 中身は、見た目だけで分かる。

ちゃんとした料理だ。

 

 咲夜は余計な説明をしない。

 

 席に座り、箸を取る。

 

「いただきます」

 

 まず、こちらの煮物を一口。

 

「……美味しいですね」

 

 短く、正確な評価。

 

「昨日、妹様が失礼なことを言ったようで」

 

「いえ、事実ですし」

 

 そう言うと、咲夜は小さく笑った。

 

「そう言っていただけると助かります」

 

 持ってきた料理も並べて、

二人で静かに食べる。

 

 会話は少ない。

でも、空気は悪くない。

 

「ごちそうさまでした」

 

 食後、咲夜はきちんと頭を下げる。

 

「また何かありましたら」

 

「余り物が出たら」

 

 そう返すと、

一瞬だけ微笑って帰っていった。

 

 皿を片付けながら思う。

 

 昨日は文句を言われて、

今日は礼を言われた。

 

 でも、やったことは同じだ。

 

 作って、出して、一緒に食べただけ。

 

 それで、ちゃんと回っている。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。