東方飯机録 ~ tada meshi kuu dake ~ 作:地軸
八日目
今日は、少し遅くなった。
冷蔵庫を開けて、残っているもので適当に作る。
凝ったものじゃない。
それでも、量は二人分。
机に並べて、椅子に座る。
「……」
向かいの席に、人影。
霧雨魔理沙が、腕を組んで座っていた。
「よっ」
軽い。
「なんか霊夢が忙しいみたいだから、私が来たぜ」
「そうなんだ」
それ以上、聞かなかった。
魔理沙は勝手に箸を取って、飯を口に運ぶ。
「お、これいいな」
「そりゃどうも」
音を立てずに食べるのが、少し意外だった。
箸の持ち方も、魚の骨の外し方も、妙にきれい。
気づいたけど、言わない。
「霊夢んとこだとさ」
味噌汁を啜りながら言う。
「霊夢が来ない日ってさ、
だいたい私が顔出すこと多いんだよな」
「へぇ」
「まぁ、たまたまだけど」
それで終わり。
文句も、詮索もない。
魔理沙は二杯目をよそって、何気ない顔で続ける。
「それにさ」
「?」
「一人で食うより、誰かいた方がうまいだろ」
その言い方が、あまりに自然で、少し笑いそうになる。
「そうだな」
それだけ返した。
食後、魔理沙は皿をまとめて、自然に流し台の横に置いた。
「じゃ、先に帰るぜ」
「おう」
玄関の方で振り返って、軽く手を上げる。
「霊夢には、特に言わなくていいからな」
「了解」
それだけ言って、いなくなった。
静かになった部屋で、椅子に座り直す。
昨日はフラン。
今日は魔理沙。
明日は、誰か分からない。
でも。
飯を作って、誰かと食って、片付ける。
それだけは、もう変わらない。
八日目にして、
この机が“特別じゃない”ことが、ようやく分かった。
それが、なんだか一番、安心だった。
九日目
今日は、帰りが少し早かった。
冷蔵庫を開けて、思い出す。
――あ、そういえば。
昨日の夜、つまみにしようと思って買った
マグロの漬けが残っている。
「……一人で食うには、贅沢だな」
そのまま皿に盛って、机に置いた。
向かいの席に、なんか絶世の美女がいる。
――いや、いる、というより、もう座ってる。
蓬莱山輝夜。
「ねぇねぇ」
距離感が近い。
「海の魚、食べれるでしょ。
お刺身とか、何年も食べてないのよね」
心臓が一瞬、嫌な跳ね方をした。
月の姫。
不老不死。
絶世の美女。
――こわい。
「……たまたま、冷蔵庫に
マグロの漬けがあるんですけど」
言いながら、
なんで俺は敬語になってるんだ、と内心で思う。
「これ……で、いいですか?」
輝夜は一瞬きょとんとして、
それからにやっと笑った。
「此処の家主でしょ」
箸を取りながら言う。
「敬語なんていいわよ。
それより、早く頂戴」
間髪入れずに続く。
「あとお酒も出してねー」
断る選択肢は、最初からなかった。
漬けを小皿に分け、
冷蔵庫から缶を出す。
「いただきます」
輝夜はそう言って、
一口で、空気が変わった。
「……あー、これ」
目を細める。
「ちゃんと海の味がする」
酒を一口。
「ふふ、やっぱりいいわね。
幻想郷じゃ、こうはいかないもの」
威張らない。
感謝もしない。
ただ、満足そう。
それが一番、扱いに困る。
「……口に合って、よかったです」
また敬語が出た。
「だから、それ」
輝夜は笑いながら、
もう一切れ取る。
「やめなさいって言ってるでしょ」
でも、嫌そうじゃない。
むしろ楽しそうだ。
食事は、あっという間に終わった。
「ごちそうさま」
そう言って、立ち上がる。
「また海の魚がある日に来るわ」
「……その時は、考えます」
輝夜はくすっと笑って、
何も言わずに消えた。
皿を洗いながら、ようやく息をつく。
神でも、姫でも、
結局やったことは同じだ。
出して、食わせて、帰ってもらった。
「……敬語、やめないとな」
でも、次に来たら、
たぶんまた使う。
九日目は、
そんな夜だった。
十日目
インターホンは鳴らなかった。
代わりに、気配だけが先に来た。
「だいたい姫様ってば酷いんですよ」
声がした次の瞬間、
鈴仙・優曇華院・イナバが座っていた。
ジョッキを持って。
――いや、持っていたのは俺だ。
気づいたら、冷蔵庫から出していた。
次の瞬間。
バンッ。
机に叩きつけられるジョッキ。
「聞いてくださいよ! ほんとに!
昨日も今日も、無茶振りばっかりで!」
泡が揺れる。
ああ、ビール出したのは失敗だったかもしれない。
「まぁ……」
煮物の鍋を火から下ろしながら言う。
「……あの姫様の世話となれば、
一筋縄ではいかないのは、わかりますよ」
鈴仙が、ぴたりと止まった。
「……ですよね?」
こちらを見る。
「わかってくれますよね?」
「はい」
短く答える。
それで十分だったらしい。
鈴仙は大きく息を吐いて、
ようやくジョッキを口に運ぶ。
「……あー……」
一口。
もう一口。
「はいはい」
煮物を小鉢によそって差し出す。
「お酒ばっかりじゃなくて、
ごはんも食べて」
「……」
一瞬だけ迷って、箸を取る。
「……あ」
一口。
もう一口。
「……この煮物、美味しい」
声のトーンが、すとんと落ちた。
「よかったです」
「なんか……」
鈴仙は、箸を止めずに言う。
「こういうの、久しぶりかも」
それ以上は言わない。
ビールは半分残っている。
煮物は、どんどん減っていく。
愚痴は、自然に消えた。
「ごちそうさまでした」
帰り際、鈴仙は少しだけ頭を下げた。
「……また、煮物の時に」
「余ってたら」
そう言うと、
小さく笑って消えた。
空になった小鉢を洗いながら思う。
姫様が来て、
月の姫が来て、
次の日は、部下が愚痴りに来る。
順番が、ちゃんとしている。
「……次は、誰だ」
そう言いながら、
もう一度、煮物の味を確かめた。
十日目は、
ちゃんと“日常”だった。
十一日目
今日は、少なめに作った。
昨日は煮物がよく減ったから、
今日は控えめでいいだろう、と思っただけだ。
机に並べる。
一人分。
……いや、気づけば、
ほんの少し多い。
癖だな、と思う。
箸を置いて、向かいの席を見る。
誰もいない。
少し待つ。
味噌汁の湯気が、ゆっくり消えるまで。
――来ない。
今日は、誰も来ないらしい。
不思議と、がっかりはしなかった。
紫が来ないのも、
霊夢が来ないのも、
誰も来ないのも。
どれも、同じ“普通”だ。
箸を取って、一口食べる。
「……うん」
ちゃんと美味しい。
誰かと食べるのもいいけど、
一人で食べるのも、悪くない。
机は、静かだ。
でも、冷たくはない。
昨日まで誰かが座っていた場所に、
今日は何もない。
それだけ。
食べ終わって、皿を洗う。
向かいの椅子を押し戻しながら、
ふと思う。
――この机、
誰かを呼ぶためのものじゃないな。
誰も来なくても、
ちゃんと使える机だ。
それが、少しだけ嬉しかった。
電気を消して、部屋を出る。
十一日目は、
何も起きなかった。
だから、きれいだった。
十二日目
昨日は、誰も来なかった。
だから今日は、少しだけ気が緩んでいた。
鍋を火にかけて、
野菜を切って、
机に並べる。
二人分――ではない。
今日は、ちゃんと一人分だ。
椅子を引いた、その時。
「いんやー」
背中が、ぞわっとした。
振り返ると、
洩矢諏訪子が、
もう座っていた。
――順番、無視かよ。
神。
それも、祟り神。
昨日は誰も来なくて、
今日はいきなりこれ。
落差が、こわい。
「……どうぞ」
声が、少しだけ裏返った。
「ありがとー」
軽い返事。
箸を取って、普通に食べ始める。
「へー、人間の味噌汁って
こういう感じなんだねー」
評価はする。
でも、上下はつけない。
怖いのは、そこだった。
威張らない。
要求もしない。
祝福もしない。
ただ、いる。
黙って、
もぐもぐと食べる。
食べ方は雑。
でも、残さない。
「……」
何を言えばいいか分からず、
こちらも黙って食べる。
言葉が、要らない。
「ごちそうさま」
食べ終わると、
諏訪子は立ち上がる。
「いやー、悪くなかったよ」
それだけ。
次の瞬間、
気配が消えた。
椅子だけが、残っている。
しばらく、動けなかった。
祟りは起きていない。
祝福もない。
ただ、
順番が、壊れた。
「……神って、
ほんと勝手だな」
誰に言うでもなく、そう呟く。
皿を洗いながら、
ようやく息を吐いた。
この机は、
呼ぶものでも、
選ぶものでもない。
来る時は、来る。
十二日目は、
そう思い知らされただけの夜だった。
十三日目
今日は、何も考えずに作った。
箱を開けて、
鍋に入れて、
ぐつぐつ煮るだけ。
バーモント〇レー。
匂いが部屋に広がった時点で、
今日はもう勝ちだと思った。
二人分――いや、
多分、三人分。
「……」
机に鍋を置いた瞬間、
今度はちゃんと分かる気配がした。
「いやー」
元気な声。
東風谷早苗が、
もうスプーンを持っている。
「幻想郷じゃ、
カレールーなんて手に入らないんですよ!」
一口目で、目を輝かせる。
「うわ、味が濃い!」
「この感じ、すごい懐かしいです!」
神だとか、
巫女だとか、
そういう空気が、最初からない。
ただの、女子高生だ。
「いっぱいあるから、
遠慮しないで食べて」
「いいんですか?」
「いいよ」
「じゃあ!」
二杯目。
三杯目。
勢いがいい。
「いやー、
諏訪子様と神奈子様にも
食べさせたいなぁ」
言い方が、完全に家族。
昨日の“祟り神”の顔が、
一瞬だけ頭をよぎる。
……でも。
この子は、怖くない。
むしろ、
いっぱい食べてくれた方が、
こっちが嬉しい。
「おかわり、いいですか?」
「どうぞ」
四杯目。
「やっぱりカレーは正義ですね!」
その言い切りが、
なんだか救いだった。
食べ終わる頃には、
鍋はほぼ空。
「ごちそうさまでした!」
きっちり手を合わせて、
深く頭を下げる。
「また、
こういうの作る日、呼んでください!」
「余ったらな」
「余らせてください!」
そう言って、笑って帰っていった。
空っぽの鍋を見下ろして、
ふと思う。
神にも、
祟り神にも、
現人神にも会った。
でも今日一番残った感情は――
「……いっぱい食べるって、
いいことだな」
十三日目は、
それだけで十分な夜だった。
十四日目
今日は、なんとなく作りすぎた。
理由はない。
冷蔵庫の奥にしまってあった、
「今日は使わないだろう」と思ってたおかずまで出している。
「……やりすぎたな」
そう呟いた瞬間、向かいの席に人影があった。
依神紫苑。
「ここなら、お腹いっぱい食べれるって聞いて」
声は小さい。
目線も合わない。
――とうとう貧乏神まできたか。
一瞬だけそう思って、
すぐにどうでもよくなった。
「いっぱい食え」
箸を置いて言う。
「おじさん、今日は秘蔵のおかずも出しちゃうぞー」
紫苑は目を丸くして、
それから、ほんの少しだけ笑った。
最初は遠慮がちに。
次は普通に。
最後は、ちゃんと。
ゆっくり、でも確実に食べる。
痩せた体が、
少しずつ前に傾いていく。
涙したとか、しなかったとか。
どっちでもいい。
皿が空になった事実だけで、十分だった。
「……ごちそうさま」
それだけ言って、紫苑は帰っていった。
机の上は、きれいだった。
「……作りすぎてて、よかったな」
十四日目は、そんな夜だった。