東方飯机録 ~ tada meshi kuu dake ~   作:地軸

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第二章 秋
一日目~七日目


一日目

 

 朝、カーテンを開けた瞬間に分かった。

 

 空気が、軽い。

 

 夏の終わり特有の、まとわりつく湿気がない。

 代わりに、少し乾いた風が部屋を抜けていく。

 

「……もう十月か」

 

 カレンダーを見るまでもなかった。

 

 夜は少し冷える。

 味噌汁の湯気が、前より長く残る。

 それだけで、季節が変わったと実感できる。

 

 仕事帰り、スーパーで足が止まる。

 

 秋刀魚。

 きのこ。

 さつまいも。

 

 気づいたら、カゴには二人分。

 

「……まあ、来るよな」

 

 独り言としては、もう慣れた言葉だった。

 

 家に戻り、魚を焼く。

 味噌汁を温め直す。

 ご飯をよそう。

 

 一人分と二人分の境目は、もう数えていない。

 

 机に並べて、椅子を引く。

 

「……」

 

 向かいの席は、最初から空けてある。

 

 数秒後。

 

 そこに、赤と白が座っていた。

 

「相変わらず、早いわね」

 

 博麗霊夢は、当然のように言った。

 

「そっちこそ」

 

 そう返す声も、自然だった。

 

 霊夢は机の上を一度見て、鼻を鳴らす。

 

「秋刀魚か」

「ちゃんと季節もの作るようになったじゃない」

 

「気づいたら、そうなってただけだよ」

 

 箸を取る。

 一口。

 

「……うん」

 

 それだけ。

 

 でも、八月の終わり頃と違って、

 その一言に、変な緊張はなかった。

 

「最近さ」

 

 霊夢は味噌汁を啜りながら言う。

 

「私が来ない日も、誰か来てるでしょ」

 

 一瞬、箸が止まる。

 

「……さあ」

 

「隠す気ないでしょ、それ」

 

 肩をすくめる。

 

「別にいいけど」

 

 そう言って、秋刀魚をほぐす。

 骨の外し方が、少しだけ丁寧になっている。

 

「もう、この机、落ち着いたんだと思うわ」

 

「机が?」

 

「そう。

 変な力があるとかじゃなくて」

 

 ご飯を一口。

 

「来る方も、作る方も、

 変に構えなくなったってだけ」

 

 否定できなかった。

 

 夏は、少し特別だった。

 毎日が、確認みたいな時間だった。

 

 でも今は。

 

 焼き魚があって、

 味噌汁があって、

 霊夢が座っている。

 

 それだけ。

 

「寒くなったらさ」

 

 霊夢は、何気なく言う。

 

「鍋とか、増えるわよね」

 

「……だろうな」

 

「期待しとくわ」

 

 そう言って、また一口。

 

 食事は、静かに続く。

 

 窓の外では、風が木を揺らしている。

 夏とは違う音。

 

「ごちそうさま」

 

 霊夢は手を合わせて、立ち上がる。

 

 去り際に、振り返って一言。

 

「十月も、続きそうね」

 

「たぶん」

 

「ふーん」

 

 それだけ言って、姿は消えた。

 

 机の上には、

 秋刀魚の骨と、

 少し冷めた味噌汁。

 

 一日目にして、もう分かっていた。

 

 これは、始まり直しじゃない。

 終わりの続きだ。

 

 季節が変わっても、

 この食卓だけは、

 何事もなかったみたいに、そこにある。

 

 

 二日目

 

 朝から、少し曇っていた。

 

 晴れているとも、雨が降るとも言えない空。

 十月らしい、判断に困る天気だ。

 

 昨夜の皿を片付けながら、

 ふと考える。

 

 ――今日も、来るんだろうか。

 

 期待でも不安でもない。

 もう、それが前提になっている。

 

 仕事帰り、スーパーで足が止まる。

 

 鶏肉。

 根菜。

 油揚げ。

 

 派手さはない。

 でも、温かくて腹に残るもの。

 

 煮物にしよう。

 

 鍋に火をかけ、材料を入れる。

 落とし蓋をして、コトコト煮る。

 

 匂いが部屋に広がる頃には、

 心も少し落ち着いていた。

 

 机に並べて、椅子を引く。

 

「……」

 

 向かいの席。

 

 そこに座っていたのは――

 

 四季映姫・ヤマザナドゥだった。

 

 黒。

 白。

 そして、あまりにも真っ直ぐな視線。

 

 背筋が、反射的に伸びる。

 

 ――やばい。

 

 頭に浮かんだのは、それだった。

 

 説教。

 裁き。

 善悪。

 因果。

 

 ここに来るまでの行いを、

 一つ一つ並べられる気がした。

 

「……あの」

 

 声が、少し硬くなる。

 

 映姫は、こちらを見たまま、静かに言った。

 

「安心なさい」

 

 それだけで、

 余計に緊張する。

 

「私は、あなたを裁きに来たわけではありません」

 

「……本当ですか」

 

「ええ」

 

 断言だった。

 

 映姫は、机の上の煮物に目を落とす。

 

「裁きとは、本来、死後に行うものです」

 

 箸を取る。

 一口。

 

 咀嚼。

 間。

 

「……」

 

 もう一口。

 

 評価も、否定もない。

 

 ただ、ちゃんと食べている。

 

「あなたは、生きています」

 

 映姫は、淡々と続ける。

 

「生きている者に対して、

 私は軽々しく“裁き”など行いません」

 

 胸の奥が、少しだけ緩む。

 

「では……」

 

 何をしに来たのか。

 聞こうとして、やめた。

 

 映姫は、こちらの煮物を指差す。

 

「あなたは、今」

 

 一拍置いて。

 

「美味しく食事をとること」

 

 言葉を選ぶように、続ける。

 

「それが、あなたが今できる善行です」

 

 意外すぎて、

 一瞬、理解が追いつかなかった。

 

「……善行、ですか」

 

「ええ」

 

 映姫は頷く。

 

「食事を疎かにしないこと」

「命を雑に扱わないこと」

「誰かと同じ卓につくこと」

 

 一つずつ、静かに。

 

「それらはすべて、

 生きている者が行うべき“正しい行い”です」

 

 説教ではない。

 断罪でもない。

 

 確認に近い。

 

「あなたは、逃げていません」

「壊していません」

「乱してもいません」

 

 箸が、もう一度動く。

 

「だから」

 

 映姫は、こちらを見る。

 

「今日は、裁きません」

 

 その言葉は、

 驚くほど軽かった。

 

 煮物は、ゆっくり減っていく。

 

「……味は、どうですか」

 

 思わず、そう聞いていた。

 

 映姫は、少しだけ考えてから答える。

 

「派手ではありませんが」

「続けるのに、向いています」

 

「それで、十分です」

 

 食事が終わり、

 映姫は箸を置き、手を合わせた。

 

「ごちそうさまでした」

 

 立ち上がり、去り際に一言。

 

「裁きは、必要な時に行われます」

 

 視線が、柔らかくなる。

 

「あなたは、まだその時ではありません」

 

 次の瞬間、席は空だった。

 

 鍋は、ちょうど空。

 皿も、きれいだ。

 

 洗い物をしながら、思う。

 

 裁かれなかった。

 許されたわけでもない。

 

 ただ――

 

「……ちゃんと食えってことか」

 

 二日目は、

 

 地獄の裁判官に、

 晩ご飯を肯定された夜だった。

 

 

 三日目

 

 今日は、完全に手を抜いた。

 

 理由ははっきりしている。

 仕事が長引いた。

 帰りが遅い。

 考える余裕がない。

 

「……牛丼でいいか」

 

 “いいか”と言いながら、

 少し多めに米を炊く。

 

 具は、玉ねぎと牛肉だけ。

 味付けも、いつものやつ。

 

 火にかけて、

 煮て、

 そのまま。

 

 机に置く。

 

 二杯分。

 

 ここまで来ると、

 もう意識する方が不自然だった。

 

 椅子に座る。

 

「……」

 

 向かいの席に、

 いつの間にか人がいる。

 

 紫。

 

 八雲紫が、

 肘をついて、こちらを見ていた。

 

「今日は、ずいぶん分かりやすいわね」

 

「見ての通りです」

 

 声は、落ち着いていた。

 

 以前みたいに、

 背中が冷える感じはない。

 

「牛丼?」

 

「はい」

 

「ふふ」

 

 紫は楽しそうに笑って、

 何の前置きもなく箸を取る。

 

「いただきます」

 

 一口。

 

 もぐもぐ。

 

「……あら」

 

 二口目。

 

「いいじゃない」

 

 それだけ。

 

 探るような視線も、

 試すような沈黙もない。

 

 ただ、食べている。

 

「今日は、聞かないの?」

 

 紫が、何気なく言う。

 

「聞くこと、あります?」

 

「ないわね」

 

 即答だった。

 

 紫は肩をすくめる。

 

「今日は純粋に、食べに来ただけよ」

 

「そうですか」

 

「ええ」

 

 牛丼をもう一口。

 

「こういうのも、悪くないわ」

「難しい顔しなくていい味」

 

「褒めてます?」

 

「ちゃんと」

 

 それで終わり。

 

 会話は、それ以上広がらない。

 

 静かに食べる。

 器が、少しずつ軽くなる。

 

 紫の食べ方は、相変わらず綺麗だ。

 でも、気取らない。

 

「……最近さ」

 

 紫が、ぽつりと言う。

 

「あなた、前より落ち着いたわね」

 

「そうですか」

 

「ええ」

 

 牛丼をかき込んで、続ける。

 

「びくびくしてない」

「構えてもいない」

 

「慣れました」

 

「いいことよ」

 

 それ以上、意味を足さない。

 

 それが、逆にありがたかった。

 

 完食。

 

 紫は箸を置き、軽く手を合わせる。

 

「ごちそうさま」

 

 立ち上がる前に、ちらりとこちらを見る。

 

「今日は、ほんとにそれだけ」

「考え事は、また今度」

 

「はい」

 

 次の瞬間、

 席は空になっていた。

 

 器は、きれい。

 鍋も、ほぼ空。

 

 洗い物をしながら、思う。

 

 八雲紫が来たのに、

 何も起きなかった。

 

 でも、それが一番、

 “起きている”感じがした。

 

 三日目は、

 

 牛丼を作って、

 八雲紫と一緒に食べて、

 それだけで終わった夜だった。

 

 

 四日目

 

 今日は、ちゃんと作った。

 

 手を抜くほど忙しくはない。

 凝るほど元気でもない。

 

 炊いた白飯。

 焼いた魚。

 小鉢に煮浸し。

 味噌汁。

 

 いつもの、普通の食事。

 

 机に並べてから、ふと視線を上げる。

 

 棚。

 

 前からそこにあった。

 引っ越しの時に実家から持ってきた、小さな毘沙門天像。

 

 金属製で、手のひらに乗るくらい。

 信仰というほどでもない。

 捨てる理由がなかったから、置いてあるだけ。

 

「……そういえば、あったな」

 

 特に意味はない。

 そのまま椅子を引く。

 

「……」

 

 向かいの席に、人影。

 

 金と黒。

 凛とした気配。

 

 寅丸星が、静かに座っていた。

 

「こんばんは」

 

 深くも、軽くもない声。

 

「こんばんは」

 

 こちらも、普通に返す。

 

 星は机の上を一度見て、

 それから、棚に目を向けた。

 

 毘沙門天像。

 

 視線が、ほんの一瞬だけ止まる。

 

「……」

 

 何か言われるかと思ったが、

 星は何も言わず、箸を取った。

 

「いただきます」

 

 一口。

 二口。

 

 黙って、食べる。

 

 作法は整っているが、

 堅苦しさはない。

 

「……」

 

 星は味噌汁を啜り、頷いた。

 

「過不足のない食事ですね」

 

「そうですか」

 

「ええ」

 

 それ以上、評価を足さない。

 

 魚を一切れ。

 ご飯を一口。

 

 沈黙が続く。

 でも、重くはない。

 

 星は、もう一度棚を見る。

 

「それは」

 

 毘沙門天像を、顎で示す。

 

「昔から、置いてあるだけです」

 

 正直に言う。

 

 信仰してます、とは言えない。

 かといって、否定するほどの理由もない。

 

 星は小さく微笑った。

 

「それで十分です」

 

 箸を止めて、こちらを見る。

 

「日々の食事を整え」

「無理をせず」

「欲張らず」

 

 一拍。

 

「その上で、そこに置いてある」

 

 毘沙門天像に、もう一度視線。

 

「良いことです」

 

 断言だった。

 祝福でも、説教でもない。

 

 ただの評価。

 

「……そうですか」

 

「ええ」

 

 星はそれ以上、何も言わない。

 

 食事は、静かに終わる。

 

「ごちそうさまでした」

 

 きちんと手を合わせて、立ち上がる。

 

 去り際、もう一度だけ棚を見る。

 

「特別なことをしなくても」

「積み重なっているものは、あります」

 

 そう言って、姿が消えた。

 

 机の上には、

 空になった皿と、

 いつも通りの空気。

 

 棚の上の毘沙門天像も、

 何も変わらず、そこにある。

 

「……良いこと、か」

 

 そう呟いて、洗い物を始める。

 

 四日目は、

 

 普通の食事と、

 特別じゃない置物が、

 肯定されて終わる夜だった。

 

 

 五日目

 

 今日は、秋刀魚にした。

 

 塩を振って焼くだけ。

 白飯。

 味噌汁。

 漬物。

 

 考えなくていい献立。

 

 机に並べて、椅子を引く。

 その時、ふと視界の端に違和感が引っかかった。

 

「……あれ」

 

 棚。

 

 毘沙門天像の横。

 

 昨日まで、何か置いてあった。

 

 ――金色で、細長くて、

 やたら存在感のあるやつ。

 

「……宝塔?」

 

 声に出してから、ようやく思い出す。

 

 昨日。

 寅丸星が来た日。

 

 棚を見て、

 何も言わず、

 普通に食べて、

 「良いことです」と言って帰った。

 

「……忘れてったのか」

 

 気づくのが、遅すぎる。

 

 触ってない。

 動かしてない。

 存在を認識してなかった。

 

「……今さら気づくのもどうなんだ」

 

 どうするべきか考えようとして――

 その前に、向かいの席に影が落ちた。

 

「やあ」

 

 軽い声。

 

 ナズーリンが、もう座っていた。

 

 そして、開口一番。

 

「今、気づいた?」

 

「……はい」

 

 即答だった。

 

 ナズーリンは棚を一瞥して、頷く。

 

「やっぱりね」

 

 立ち上がって、

 何もない空間に手を伸ばす。

 

 次の瞬間、

 宝塔がそこに“ある”。

 

 最初からそうだったみたいに。

 

「昨日、星が置いていったんだ」

「本人、気づいてなかったみたいだけど」

 

「……悪用しなかったんだね」

 

 宝塔を持ちながら、ナズーリンが言う。

 

「気づいたの、さっきですし」

 

「うん」

 

 ナズーリンは笑う。

 

「気づかなくてもいい事に、

 気づかないのも才能だよ」

 

「才能なんですか、それ」

 

「少なくとも」

「事故は起きにくい」

 

 そう言って、椅子に戻る。

 

「いただきます」

 

 秋刀魚を一口。

 

「……ちゃんと焼けてる」

 

「ありがとうございます」

 

 味噌汁を啜る。

 

「宝塔ってね」

「欲を持つ人のところで、

 やっと問題を起こすんだ」

 

 漬物を一つ。

 

「君は、まずご飯を作る」

「それで頭がいっぱい」

 

「……否定できません」

 

「だから安全」

 

 それだけ言って、

 もう一口。

 

 食事は静かに進む。

 

 ナズーリンはよく食べるけど、

 取りすぎない。

 

「ごちそうさま」

 

 箸を置いて、宝塔を抱える。

 

「じゃ、これは返しておくよ」

 

「お願いします」

 

 立ち上がり際、振り返って一言。

 

「次に忘れたら、今度は気づいてあげなよ」

 

「……努力します」

 

「たぶん、また気づかないけどね」

 

 笑って、消えた。

 

 棚には、

 毘沙門天像だけが残る。

 

「……昨日のうちに気づかなくてよかったな」

 

 そう呟いて、洗い物を始める。

 

 五日目は、

 

 置き忘れに今さら気づいて、

 でも何も起こらず、

 秋刀魚だけがちゃんと美味かった夜だった。

 

 

 六日目

 

 朝から、仕込んでいた。

 

 理由は特にない。

 ただ、涼しくなってきたからだ。

 

 牛肉を切って、

 焼いて、

 鍋に入れる。

 

 玉ねぎ。

 人参。

 赤ワイン。

 

 火を落として、

 ゆっくり。

 

 仕事に出る前に、

 鍋の蓋を閉めた。

 

「……あとは、帰ってからだな」

 

 帰宅した頃には、

 部屋に甘い匂いが残っている。

 

 もう一度温め直して、

 味を整える。

 

 白い湯気。

 深い色。

 

 ビーフシチュー。

 

 机に並べる。

 パンも添えた。

 

 二人分。

 

 もう、理由は考えない。

 

 椅子に座る。

 

「……」

 

 向かいの席に、

 静かな気配。

 

 紫の僧衣。

 

 聖白蓮が、穏やかに座っていた。

 

「こんばんは」

 

「こんばんは」

 

 声は、落ち着いている。

 

 白蓮は鍋を一度見て、

 少しだけ首を傾げた。

 

「今日は、肉料理なのですね」

 

「……はい」

 

 一瞬、間が空く。

 

 白蓮は微笑んで、箸――ではなく、

 スプーンを取った。

 

「いただきます」

 

 一口。

 

 ゆっくり、噛む。

 

 表情は変わらない。

 

「……美味しいですよ?」

 

 すぐに言われて、

 逆に言葉に詰まる。

 

「あの」

 

「はい」

 

「……肉料理、まずかったですかね?」

 

 白蓮はきょとんとした顔をしてから、

 首を横に振る。

 

「いいえ。とても」

 

「そういう意味じゃなくて」

 

 言葉を探す。

 

「その……」

 

 肉。

 僧。

 戒律。

 

 白蓮は、少し考えてから、

 ああ、と小さく頷いた。

 

「三種浄肉、ですね」

 

 こちらを見る。

 

「私のために用意された肉ではない」

「私が食べると知って用意されたものでもない」

「私が来ると分かっていたわけでもない」

 

 一つずつ、穏やかに。

 

「ただ、あなたが作り」

「偶然、私がここに来ただけ」

 

「……まぁ、はい」

 

 正直に答える。

 

 白蓮は微笑んだ。

 

「そういうことです」

 

 それで、話は終わった。

 

 また一口。

 

「温かいですね」

 

 それだけ。

 

 説法も、確認も、

 咎める言葉もない。

 

 ただ、食べている。

 

 シチューは、ゆっくり減っていく。

 

「……朝から仕込んだんです」

 

 なんとなく、言った。

 

「そうでしたか」

 

 白蓮は頷く。

 

「時間をかけた料理は、

 心も落ち着きます」

 

 パンをちぎって、

 皿の底をきれいに拭う。

 

「ごちそうさまでした」

 

 手を合わせて、静かに立ち上がる。

 

 去り際、振り返って一言。

 

「迷いながら作ったものほど、

 人を害しません」

 

 そう言って、姿は消えた。

 

 鍋は、ほとんど空。

 匂いだけが残っている。

 

「……偶然、か」

 

 洗い物をしながら、思う。

 

 朝から仕込んだシチューも、

 食べた人も、

 意味づけは後から来る。

 

 六日目は、

 

 肉料理が裁かれず、

 ただ温かいまま終わった夜だった。

 

 七日目

 

 今日は、秋ナスにした。

 

 揚げて、

 出汁に浸すだけ。

 

 手間は少ない。

 でも、油の温度だけは気をつける。

 

 じゅわっと音がして、

 紫が深くなる。

 

 火を止めて、

 粗熱を取って、

 冷蔵庫へ。

 

「……よし」

 

 机に並べる。

 

 揚げびたし。

 白飯。

 味噌汁。

 

 季節が、ちゃんと来ている。

 

 椅子に座る。

 

「……」

 

 次の瞬間。

 

「ばぁっ」

 

「うわっ」

 

 思わず声が出た。

 

 向かいの席で、

 小傘がにんまり笑っている。

 

「やった!」

 

 両手を上げて、

 小さく跳ねる。

 

「ちゃんと驚いたね!」

 

「……心臓に悪い」

 

「えー、でも成功でしょ?」

 

 そう言って、椅子に座る。

 

 机の上を見て、首を傾げる。

 

「なにそれ?」

 

「秋ナスの揚げびたし」

 

 小傘は皿を覗き込んで、

 じっと見る。

 

「……」

 

 一拍。

 

「私みたいだね」

 

「は?」

 

 指差す。

 

「ほら、色」

 

 確かに、

 紫が濃い。

 

「傘の時の私と、同じ色」

 

「……言われてみれば」

 

「でしょ?」

 

 得意げ。

 

「じゃあ、いただきまーす」

 

 一口。

 

 もぐもぐ。

 

「……おいしい」

 

 素直な声。

 

 もう一口。

 

「びっくりはさせたけど」

「味は、ちゃんとしてるね」

 

「評価、そこなんだ」

 

「大事だよ?」

 

 味噌汁を啜る。

 

「でもさ」

 

「ん?」

 

「今日は、驚かせる前に」

「ご飯があったから、安心した」

 

「……それ、褒めてる?」

 

「うん!」

 

 即答。

 

 揚げびたしが、

 少しずつ減っていく。

 

 小傘は、箸を止めない。

 

「ごちそうさま!」

 

 きっちり言って、立ち上がる。

 

 去り際、振り返って。

 

「また驚かせに来るね!」

 

「ほどほどにしてくれ」

 

「考えとく!」

 

 そう言って、消えた。

 

 机の上には、

 空の皿と、

 紫の余韻。

 

 七日目は、

 

 驚かされて、

 驚いた分だけ笑って、

 秋ナスがちゃんと美味しかった夜だった。

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