頑なに装蹄を拒むケンタウロスの少女に装蹄師見習いの青年がお節介を焼き、後戻りできなくなります。

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新年、あけましておめでとうございます。
午年といえばケンタウロスだろうということで一ネタ握りました。試しにご賞味いただければ幸いです。


蹄音【つまおと】

 

 

 まず、その歪な足音に気付いた。

 

「……?」

 

 いや、それは馬の蹄の音。つまおと、とでも呼ぶのが本来なのだろう。

 歩道のタイルを叩く金属の音。馬が歩み進む四足、そこに嵌まった蹄鉄が地面を叩くリズミカルな快音……その筈だ。

 だが、自分の耳は決してそれを快いものとは感じ取れなかった。

 本職の装蹄師の後ろを金魚の糞よろしくついて回り、様々な現場で幾度か、それを耳にしたことがある。微かな違和、それを聞き逃さないよういつもいつも気を尖らせ、耳を欹(そばだ)ててきたのだ。

 

「……!」

 

 音の方に目をやって……少し驚く。

 

「……っ、く」

 

 自分は当然そこに馬がいるものと勝手に想像していた訳だが、そこにいたのは馬ではなかった。

 馬の胴体、馬の四足、長く豊かな毛並みの馬尾を備えてはいる。

 しかし馬の首と頭がある筈の位置には、人型の上半身が据わっているのだ。

 女性。体格と顔立ちを見るに少女と言っていい。

 ケンタウロス種だ。

 

 異界と繋がった現代人間世界で、異種族の存在は何も異質なものではない。見渡せば街の其処此処で只人ならぬ彼ら彼女らは生活を営んでいる。

 そのケンタウロス種の彼女とは顔見知りだった。といって友人という訳でもない。同じ学校に通う者同士。会話したことも一度か二度か。その程度の間柄。決して親しくはない。

 異界においても稀少な部族の出で、なんでも一族郎党必ず美しい青毛、つまり漆黒の毛色を持つとか。自分はただいつもいつも、その美しい毛並みを目で追っていたに過ぎない。

 けれど、であろうとも、話し掛けることに躊躇はなかった。

 右前足だ。歩様がおかしい。

 

「足が痛いのか」

「は? なに……っ!?」

 

 その滑らかな青毛……いや、長い黒髪が宙を泳いで舞う。

 こちらを見下ろす白い顔には驚きと戸惑いと、僅かな怯えが垣間見えた。

 突然見知らぬ男に声を掛けられて気分良くしろという方が無理な話だろう。

 白いチュニックの前裾が前胸の辺りまで垂れて、まるでワンピーススカートのようだ。逆に丈の短い厚手の黒いファーコートが彼女の立ち姿をクールに見せる。

 実際、そのリアクションは冷ややかだった。

 

「え、ぁ、貴方、B組の……なんですかいきなり。馴れ馴れしく話かけないで」

「それは謝る。でも聞いてくれ。歩様がおかしい。たぶん蹄鉄が合ってないんだ」

「だからなに? 関係ないでしょ」

「そのまま放置してたら遠からず足を傷める。異界人種向けの病院か、専門の装蹄師に診てもらった方がいい。あぁなんなら俺が世話になってる装蹄所が近くにあるから、一緒に」

「うるさいッ!」

 

 透き通った声が刃のように辺り一帯の空気を裂いた。

 次いで、強烈な地団太がコンクリートで補強された歩道を揺らす。上乗せされた怒気が、おそらくはその馬体重以上の威力を前足に与えて。

 背中に衆目が集まるのがわかった。だが気にもならない。

 何故ならその時自分の目は、見上げた先の光景に奪われていたから。

 彼女の、羞恥を堪えて赤く染まりながら、ひどく傷付いたような、罅割れたガラス細工のような、儚い顔に。繊細に過ぎる表情に。

 

「何も、知らない人間が……くっ」

 

 馬体が踵を返す。

 軽快な、けれどやはり僅かな違和を抱えた蹄音で、彼女は駈足に走り去っていく。

 追う。

 迷いはなかった。

 馬場や平野であったらなら、最大時速六〇から八〇キロメートルにも及ぶという馬の走力に人間が追い付ける道理はない。

 しかし幸いにもここは街中。なにより現代日本の法律的にも彼女は駈足以上の速度を出せない。出してはいけない。自動車や飛行機に匹敵する運動性能を有した異界人種の移住や帰化が増加するに際して、道交法や航空法もまた内容の多くが追加されたり改められたりした。

 ケンタウロス種および馬系人種が一般道路を走行する際に許された速度はいわゆる駈足まで。競走馬の全力疾走であるところの襲歩は一般道では禁止されている。理由は至極単純、危険だからだ。

 人混みが割れて、その合間を馬体が駆け抜ける。

 彼女が開いた道を追走する。

 やはりどうして奇異の目など今は些事だった。気掛かりなのは彼女の足だ。半端に障害物の多い道を衝突に気を遣いながらの走り。負荷が掛かれば状態は一層悪化する。

 

「待ってくれ!」

「もうっ、しつこい!」

 

 馬尾がしなやかな軌跡を描いて道を折れて路地に消える。

 雑居ビルとマンションの間にできた細道は、若いとはいえ立派な彼女の馬体にはやはり狭い。そして幸か不幸か、この先は袋小路だった。

 行き止まりを前に四つの蹄が行きつ戻りつその場で惑う。

 その背後に立ち塞がった。これではまるっきり不審者だ。実際、やっていることは紛れもなくそうなのだ。

 

「はぁ、はぁ、頼む、よ。はぁっ、装蹄を、受けてくれ……」

「関係ない……」

「俺は、耳だけはいいんだ。本職の人にも、呆れられるくらい。はぁ、は、君の蹄、もう、持たないかもしれないんだ」

「イヤ……」

「人間が信用ならないのは、わかるけど。でも、足を傷めてからじゃ遅いんだ!」

「イヤっ!!」

 

 一歩、その後ろ姿に近寄った。

 

 ────その刹那、世界が止まった。

 

 我ながら迂闊だ。馬に纏わる仕事をするのが将来の夢だと言っている人間が、不用意に馬の背後に立つなど、失格の烙印を押されても文句は言えない。

 いや、確かに馬と同等の身体的特徴を持つとはいえ人類相当の思考力を持つケンタウロス種を産業動物と同列に語るのは、現代トレンドの異界ハラスメントに当たるような気もする。

 脇腹に突き刺さった彼女の後ろ足を見下ろしながら、愚昧な反省を胸中で弄んだ。

 さらに一刹那後、動き出した世界、宙を高速で背泳ぎしながら、やはり自分の最大の落ち度は女の子に対する配慮を欠いたことなのだと気付きを得た。

 幸い路地の隅に積み上げられたゴミ袋の山が良いクッションになり、落下の衝撃は然程のものではない。

 

「あっ、ご、ごめ……」

「大丈夫。大丈夫だ。全然、平気だ」

 

 ゴミ山から手を上げて健在を示す。懸命に声を発していたつもりだが、あるいは耳障りな喘鳴を聞かせただけだったような気もする。

 ゴミの中から抜け出して、ふらつく足を叱咤してようやく彼女の前に立った。

 戸惑い、怯え、そこに少し心配そうな色の混じった顔。自分を追い回していた不審者に、そんな顔ができる人なのだ。

 だからこそ。

 

「事情が、あるんだな……?」

「……」

「無思慮なことを言って悪かった。申し訳ない。でも、今言ったことは本当なんだ。跛行を誤魔化して歩いてる。酷なこと言うが、そのまま放置しても良くはならない。悪くなる一方だろう」

「……わかってるよ。でも……装蹄は……」

「っ、ぁ、お、俺が!」

「へ」

 

 気付けば口走っていた。

 放ってなど置けない。彼女の事情、苦悩、葛藤、それら全て何一つ知らぬくせに。

 身の程知らずに、けれど、この口は止まれなかった。

 

「手入れさせてくれ! 蹄鉄を外して……外すのが嫌なら、削蹄、表面にヤスリをかけるだけでもいい! せめて、少しだけでも……君の負担が減るように」

「…………」

「頼む」

 

 腰を折って頭を下げる。

 懇願する。

 親しくもない、知人とすら呼べない、嫌がる少女に無理を頼み込む得体の知れない男。

 これと相対した彼女の感じる戸惑いは果たしてどれほどのものか計り知れぬ。

 旋毛に視線が刺さっている。息を詰めたような沈黙が、路地の暗がりに滞留する。街で今なお鳴り響く喧騒が、それこそまるで別世界の出来事のように思えた。

 

「……どうして」

「……」

「どうして、そこまで……蹴られてまで、そんな、真剣に……」

「……綺麗だと、思ったから」

「?」

「君の、走る姿。ちゃんとした蹄鉄を嵌めて、思い切り走る姿は、きっと……とても綺麗なんだろうなと、思った。君を、学校で見かける度……」

「……なにそれ。想像ってこと」

「そう、なる」

 

 語気に滲むのは呆れか、嫌悪か。我ながら気色の悪い告白だと思う。

 よく知りもしない人間に自身の勝手自儘な妄想を語られるなど、女の子なら身の毛が弥立つだろう。

 失敗した。即座、脳内は後悔で埋め尽くされた。

 

「……私の、一族のこと、知ってるの」

「え、あぁ、稀少な血統で生まれてくるのは全員が青毛、だって、話は……?」

「……そう」

 

 それきり少女は押し黙る。無言に含まれる成分が逡巡なのか猜疑なのか自分にはわからなかった。

 返答を待つ一分間が一時間にも感じる。

 体感で三時間が経過した時、彼女は口を開いた。

 

「貴方が」

「え」

「貴方が全部、やってくれるなら」

 

 思わず見上げた彼女の顔に、二の句を上げかけた喉はあえなく塞がる。

 羞恥を堪えて赤く染まり……そして、まるで縋るような、切なげに揺らぐその瞳に。

 心臓が早鐘を打つ。今更年相応に、俺はこの少女の美しさに当惑していた。

 

「……装蹄師、目指してるって聞いたけど」

「俺は、装蹄所で手伝いをさせてもらってる、だけだ。講習も終えてない。見習いですらない。実際の装蹄の時も補助を任されるくらいで……何度か、馬主さんの許しを得て、鎌を握らせてもらったことはある……けど、俺は素人だ」

「さっきの言葉は嘘なの?」

「嘘じゃない! 君は綺麗だ!」

「そ、そっちじゃなくて」

「あ、あぁ……削蹄の方」

 

 逸って絵に描いたような失言を吐いた。湧き上がる羞恥心を奥歯を噛んで耐える。

 

「……貴方が、蹄の手入れも、装蹄も、全部やってくれるっていうなら、従う。言う通りにする。けどそうじゃないなら、やらない。貴方の頼みも聞けない」

「やる」

「……そう」

「ああ、やらせてくれ。道具は師匠に頼み込んで借りる。場所は、装蹄所の方がいい……俺が失敗した時、リカバリーしてもらわないと」

「やる前から失敗すること考えるわけ」

「取り返しがつかないかもしれないんだ」

「大口叩くわりにヘタレじゃん」

「そうだな……その時は俺も右手を潰す。それでフェアだ」

「っ、口だけなら、なんとでも約束できるよね」

 

 まったくその通りだ。彼女の不安がこんな悲壮ぶった口約束で拭える筈もない。

 

「……やっぱりわかんない。なんでそんなに、必死に……私、ほとんど話しかけたこともなかったのに」

「それは、自分でも上手く言えない。まあ一目惚れみたいなもんかな」

「────」

 

 失言その二。もう、俺は彼女の顔を見上げることができなくなった。

 

「行こう」

 

 逃げるように先導し、装蹄所へ向かう。

 少女の奏でる微かに不揃いな蹄音が、先刻にも増してバランスを乱しているような気がした。

 やはり街中の追走劇が負重に拍車を掛けてしまったのだろうか。

 

 

 

 

 

「本当は貴方のこと、前から知ってた」

 

 両腿を前掛けで覆う。真新しいナイロン製の作業用手袋を嵌め、並べた道具一式を一つ一つ検めていく。

 装蹄所の作業スペースの一画を借りて彼女と向き合った。

 無資格での装蹄は違法ではない。しかし馬の健康を維持・管理する上で、技術のない人間がそれを行うメリットは皆無だ。動物愛護の観点を持ち出すならそれこそ論外の所業とも言える。

 とはいえ異界人種ケンタウロスに対して畜獣である馬の取り扱い方を適応するのが困難であるように、彼ら彼女らの装蹄をどのように行うかは個々人の判断に委ねられる。自身の爪の手入れをするのに資格が必要なのか、といったような話で。

 彼女は何故か俺を選んでくれた。

 

「装蹄師になるのが夢だって、装蹄所でバイトしながらいっぱい勉強して……すごく輝いて見えた。同い年の筈なのに、すごく大人びてて」

「別に、そんな大したことは。毎日師匠には怒られるし、毎日馬のご機嫌取りに失敗して噛まれてる。ただ毎日、必死なだけで」

「……すごいよ、貴方は」

 

 事情を話すと、師匠は俺と彼女を見比べて思案した後、割合あっさりと許可をくれた。

 それが上述したような理由からの判断であったのかどうかは定かではない。ただ。

 

『やるなら命懸けでやれ』

 

 にこりともせず師匠は俺にそう言い含めた。

 なるほど、俺の右手一本程度では到底足りないのだ。

 一生を捧げる覚悟が、必要なのだ。

 金槌、釘節刀、そして剪鉗を敷き布の上に揃え、彼女の右前足を持ち上げる。前足の腕節を曲げ、さらに下がって球節、人間で言う中指の付け根に当たる部位を折り曲げて蹄の裏側を上に向ける。それを両腿に挟み込み、削蹄の為の基本姿勢を取る。

 手始めに古い蹄鉄の除去、つまり除鉄をする訳だが、その為には蹄鉄を固定している釘を起こさなくてはならない。

 釘節刀と装蹄鎚を手に構え、努めて深く息を吸って吐く。緊張が肉と骨と神経を強張らせていた。少しでも脱力したかった。凝り固まった体で装蹄などできない。

 彼女の足を良くしてやるのだ。

 彼女の走る姿をこの目で見るのだ。

 そう偉そうに、恥知らずに、息巻いたのだから。

 

「……失敗したっていいよ。恨んだり、しないからさ」

「失敗なんてしない。絶対に」

「……そっか」

 

 互い違うようにして向かい合う人と人馬。

 不意に、彼女の前足を抱えた俺の背中に触れるものがあった。

 彼女の手、細い指が、労わるように俺の強張った背中を撫でてくれる。

 

「あの……あのね、私の一族の掟なんだ」

「?」

「時代遅れなやつでさ。私は子供の頃にそれを聞かされて、嫌で嫌でしょうがなかった。だから蹄の手入れはずっとお母さんにやってもらってた。これからもそれでいいって思ってたのに、この頃になって族長や年寄り連中が急にそれじゃあダメだって……」

「すまん。それは、なんの話だ?」

「……」

 

 彼女の一人語りが途切れる。話が見えず尋ねてしまったが、要らぬ茶々を入れてしまったか。

 話が再開される様子はなく、仕方なく釘節刀を折り曲げられた釘と蹄の間に差し込み────

 

「私の一族は、装蹄師と結婚するのが掟なの」

 

 金槌を取り落とした。

 甲高く耳障りな金属音がコンクリート製の床から辺り一帯へ響き渡る。

 振り返ることも、かといって彼女の足を解放することもできず、ただ硬直した。

 時間も止まり、音も止み、日は暮れて空に星が瞬き出している。

 静かな世界。心臓ばかりがやたらとうるさい。

 背中に触れる柔手にはきっと、このうるさい鼓動が伝わっているに違いない。そんな確信が余計に俺の動揺を加速させた。

 

「お、俺なんかが」

「貴方がいい」

「えっ」

「私も、たぶん……一目惚れ、だから」

 

 命懸け、師匠の言葉の意味を今ようやく理解した。

 問われているのは覚悟。差し出されているのは、彼女そのものだ。

 

「……俺は」

「……」

「君の装蹄師だ。きっと、なる。なってみせる」

「……うんっ」

 

 彼女の涙声を背に受けて、俺は装蹄鎚を手に取った。

 

 

 


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