叛逆の悪魔   作:あめんぼユカイ

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1-1:In Tokyo

その男の目覚めは、最悪だった。

 鼻を突くのは、雨に濡れたアスファルトの匂いと、腐りかけたゴミの異臭。そして、何より彼を不快にさせたのは、愛用しているはずの事務所のソファの感触ではなく、硬く冷たいコンクリートの感触だった。

 

「……おいおい。モーニングコールにしちゃ、随分とセンスがねえな」

 

 低く、どこか楽しげな響きを帯びた声。

 男――ダンテは、ゆっくりと上体を起こした。深紅のコートが翻り、背中に背負った巨大な剣『リベリオン』が、鈍い銀光を放つ。

 周囲を見渡せば、そこは都内のどこかにありそうな、何の変哲もない路地裏だった。だが、漂う「空気」が違う。魔界の門が開いているわけでもないのに、街全体が薄暗い不安に包まれ、人々の心の奥底にある『恐怖』が、物理的な重みを持って皮膚を刺すような、そんな奇妙な感覚。

 ダンテは愛用の二丁拳銃、エボニー&アイボリーがホルスターにあることを確認し、ポケットを探った。出てきたのは、クシャクシャになったピザの箱の切れ端と、数ドルの端金だけだ。

 

「電気もガスも止められたと思ったら、次は異世界(こっち)へ強制退去か? レディの奴、取り立てが厳しすぎるだろ……」

 

 やれやれと首を振ったその時、路地裏の奥から「それ」は現れた。

 複数の人間の腕が絡み合い、巨大なナマコのような形を成した異形の怪物。粘着質な粘液を撒き散らしながら、複数の口で「コワイ、タスケテ」と支離滅裂な言葉を吐き出している。

 この世界の住人が見れば、悲鳴を上げて逃げ出すであろう『悪魔』。

 だが、最強のデビルハンターにとって、それはただの「不細工な置物」に過ぎなかった。

 

「……。なあ、一つ聞いていいか? この辺りに、美味いピザ屋はあるか?」

 

 ナマコの悪魔は、返答の代わりに、粘液にまみれた腕を触手のように伸ばして襲いかかった。

 ダンテは一歩も動かない。いや、動く必要がなかった。

 

 ――ガギィィィン!

 

 金属音が響く。

 ダンテは瞬きすら許さず抜いたリベリオンの腹で、触手を軽く払いのけたのだ。その一撃だけで、悪魔の腕はボロ雑巾のように千切れ飛んだ。

 

「質問に答えない奴は嫌いじゃないが……おしゃべりなだけのクズは、もっと嫌いでね」

 

 ダンテはリベリオンの柄に手をかけた。その瞬間、路地裏の空気が一変した。

 悪魔が、凍りついたように動きを止める。

 この世界の悪魔は、相手の「名前」を恐れることで力を測る。だが、このナマコの悪魔が感じたのは、未知の名前への恐怖ではなかった。

 目の前の男の背後に揺らめく、巨大な影。

 かつて地獄を統べた魔王を退け、魔界を封印したという伝説の魔剣士。その『反逆』の血が放つ、抗いようのない圧倒的な「捕食者」としてのプレッシャー。

 悪魔が本能的な恐怖で身を震わせ、逃げようとしたその時――。

 

「動くな。公安だ」

 

 路地裏の入り口から、数人の男女が踏み込んできた。

 揃いの黒いスーツ。一人は日本刀を背負い、一人は眼帯をしている。彼らが手にした銃口は、ナマコの悪魔……ではなく、その前に立つ「赤いコートの男」に向けられていた。

 

「民間人か? それとも……」

 

 刀を背負った青年――早川アキは、鋭い眼光でダンテを射抜く。

 アキの鼻を突いたのは、これまでに嗅いだことのない、奇妙な匂いだった。

 悪魔のそれよりも深く、禍々しい。だが、人間のように温かく、高潔。

 

「……デビルハンターだ。これでもな」

 

 ダンテは銃口を向けられながらも、全く動じることなく、むしろ楽しげに口角を上げた。

 

「おい、そこのスーツのお兄さん。このナマコを片付けたら、報酬(チップ)は出るのか? ちょうど今、文無しでね。ストロベリーサンデー一杯分でもあれば、最高なんだが」

 

 アキは困惑した。目の前の男からは、悪魔と契約している気配がない。指を噛む跡も、体の一部を差し出した痕跡も見当たらない。

 だが、その背負っている剣が、男の言葉に呼応するように赤く脈動したのを、彼は見逃さなかった。

 

「……質問に答えろ。お前、どこの所属だ。契約している悪魔の名は?」

「契約? ハッ、勘弁してくれ。俺は誰の指図も受けない主義でね。……ああ、それから」

 

 ダンテは、背後から再び襲いかかろうとしたナマコの悪魔を見もせずに、リベリオンを抜き放った。

 一閃。

 銀の閃光が路地裏を走り、次の瞬間には悪魔の巨体は縦に真っ二つに裂けていた。

 

「名前なら、とっくに捨てちまったよ。……親父の名前以外はな」

 

 剣を振るい、血を払う。その一連の動作の美しさに、公安のメンバーたちは一瞬、息を呑んだ。

 そして、路地裏のさらに奥。影の中から、一人の女がゆっくりと姿を現した。

 淡いピンク色の髪。ミステリアスな、同心円状の瞳。

 内閣官房直属のデビルハンター、マキマ。

 彼女はダンテを見つめ、まるですべてを見透かしたような、艶然とした微笑を浮かべた。

 

「……面白い。この世界の『理』が通用しないお客様ね」

 

 ダンテとマキマ。

 二つの異質な「強者」の視線が、雨の降る路地裏で交差した。

 

 

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