消毒液の匂いと、一定のリズムで鳴る心電図の音。
中央病院の特別室。包帯で全身を固めた早川アキは、窓の外を眺めていた。
「……目覚めはどうだ、お兄さん」
部屋の隅、パイプ椅子に無理やり巨体を押し込んでいたダンテが、読みかけの雑誌を放り出して声をかけた。その手には、どこから持ってきたのか、少し溶けかかったストロベリーサンデーのカップがある。
「……ダンテ。……何故お前がここにいる」
「マキマのお姉さんに頼まれてな。……あんたがナイーブになって、窓から飛び降りたりしないように見張っててくれってさ」
「……そんな柄じゃないことは、お前が一番知っているはずだ」
アキは力なく笑おうとしたが、胸の傷が痛んで顔をしかめた。
今回の襲撃で、バディだった姫野を含め、多くの仲間を失った。アキの右手に宿る『呪いの悪魔(カース)』との契約により、彼の余命はあと僅かだ。
「……ダンテ。お前は、自分の死を考えたことはあるか」
「死、か。……生憎だが、俺の家系は死神に嫌われててね。……向こうから迎えに来ても、玄関で追い返すのが常なんだ」
ダンテはサンデーの最後の一口を飲み込み、椅子をガタつかせて立ち上がった。
背中のリベリオンが、朝日を反射して鈍く光る。
「だが、一つだけ言えることがある。……復讐ってのは、食い合わせが悪い。……一度飲み込んじまえば、死ぬまで腹の中に鉛を抱えて歩くことになるぜ」
「……それでも、俺にはそれしかないんだ。……銃の悪魔を殺す。……それだけが、俺が生きている意味だ」
アキの瞳には、かつてダンテがデビルメイクライの事務所で見てきた、多くの「復讐者」たちと同じ色があった。そして、それはかつての自分自身とも重なる色だった。
ダンテは窓際まで歩き、アキの肩を軽く叩いた。
その手のひらの熱は、悪魔でも人間でもない、力強い「生」の重みを持っていた。
「……勝手にしな。……だが、その鉛が重すぎて歩けなくなったら、いつでも言え。……俺のダンスのステップを、少しは分けてやれるかもしれないぜ」
ダンテはそのまま、一度も振り返らずに病室を後にした。
廊下を歩く彼の足音だけが、静かに病院に響いていた。
⭐︎
深夜、公安対魔特異4課の事務所。
退院したばかりのアキは、誰もいない暗がりのなかで、一人煙草に火をつけた。
肺を満たす苦い煙だけが、自分がまだ生きていることを実感させてくれる。姫野が残した「Easy revenge!」と書かれた最後の一本を吸う勇気は、まだ彼にはなかった。
「……煙草か。お兄さんも案外、不健康なことが好きらしいな」
背後の闇から、気配もなく声がした。
振り返れば、ソファに深く腰掛けたダンテが、リベリオンの柄を枕にしてうたた寝をしていた。
「……ダンテ。まだ帰っていなかったのか」
「帰る場所がありゃ苦労しねえよ。この街のピザ屋は、どこも夜通し営業してないんだ」
ダンテは欠伸をしながら起き上がり、リベリオンを背負い直した。アキの隣まで歩み寄ると、窓の外に広がる東京の夜景を見つめる。
「……。なあ、ダンテ。お前は、悪魔を狩る理由を聞かれたらどう答える?」
「理由? そんなもん、とっくに忘れたぜ。……まあ、強いて言えば、『稼業』だからな。親父の代から続く、腐れ縁みたいなもんさ」
「……お前の父親も、デビルハンターだったのか」
「ああ、とびきり偏屈で、最高に強い奴だった。……悪魔のくせに、人間に味方しやがったんだ。そのせいで俺たちの人生はメチャクチャになったが……。ハッ、今となっては感謝してるぜ。おかげで退屈せずに済んでる」
ダンテの口調は軽いが、その横顔には、気の遠くなるような時間の重みが刻まれていた。
アキは自嘲気味に息を吐き、燃え尽きかけた煙草を見つめた。
「俺は……お前のような強さは持っていない。今回、俺を救うために姫野先輩が死んだ。……俺は、自分の命を切り売りしてでも、奴らを殺さなきゃいけないんだ」
「……命の切り売り、か。いいぜ、それも一つの生き方だ。……だが、お兄さん」
ダンテはアキの顔を覗き込み、ニヤリと笑った。
「その『代償』ってやつに、自分の魂まで売り飛ばすなよ。……地獄の門番は、つまらねえ魂は通してくれないんだぜ。……せいぜい、死ぬまで『自分』でい続けろ。そいつが一番の反逆だ」
アキは答えなかったが、その言葉は彼の中にある「復讐の鉛」を、ほんの少しだけ軽くしたようだった。
その時、廊下の向こうから静かな足音が近づいてきた。
コツ、コツ、とリズムを刻むその音だけで、ダンテは隣にいるアキの体が強張るのを感じ取った。
「……。こんな時間に、二人で密談かしら? 仲が良いのね」
扉が開く。
そこには、完璧な微笑を浮かべたマキマが立っていた。