特異4課のオフィスに続く廊下は、コンクリートの冷気が澱んでいた。
デンジとパワーが「どっちが先に自販機のアイスを食うか」で騒ぎながら先へ走っていくのを横目に、ダンテはポケットに手を突っ込み、気だるげに歩を進めていた。
ふと、その歩みが止まる。
オフィスの入り口の影。そこに、一人の男が立っていた。
深い皺が刻まれた顔に、無造作に整えられた無精髭。使い込まれたトレンチコートを纏い、片手には銀色のフラスコを握っている。岸辺だ。
彼はただそこに立っているだけで、周囲の空気を重く沈ませるような、圧倒的な「死」の気配を漂わせていた。
「……。よお、オッサン。朝から一杯か? 肝臓が泣いてるぜ」
ダンテが軽口を叩きながら隣を通り過ぎようとすると、岸辺はフラスコを口から離し、濁っているようでいて全てを射抜くような瞳をダンテに向けた。
「その風貌、噂の優男はお前だな…ダンテ、今朝は何を飲んできた」
「気の利いた質問だな……最高に苦くて、最高に不味いコーヒーだよ。それと、安物のコーラだ」
「……。そうか。……まともな味覚が残っているうちは、まだ人間側に居られるということだ」
岸辺はゆっくりと壁から背を離し、ダンテと正対した。
二人の間に、目に見えない火花が散る。ダンテの背後のリベリオンが、岸辺の放つ凄まじい「殺気の密度」に反応し、鞘のない刀身がわずかに鳴った。
「マキマがお前を『早川家』に置いた理由。……分かっているのか」
「支配が効かない俺を、絆(きずな)っていう名の鎖で繋ぎ止めておきたいんだろ? ……お姉さんの考えることは、地獄の連中よりよっぽど分かりやすいぜ」
「ならいい。だが、忠告だ。あのガキ共や早川に深入りしすぎるな。……情は刃を鈍らせる。……俺のような老いさらばえた男が生き残っているのは、捨ててきた死体の数が多いからだ」
岸辺の言葉は、氷のように冷たく、重い。
ダンテは少しだけ目を細め、ニヤリと笑った。その笑みには、岸辺の「覚悟」に対する敬意と、それを上回る圧倒的な「自信」が混在していた。
「忠告痛み入るよ、師匠(マスター)。だが、俺の剣は、守るものが多いほどキレが増す性質(タチ)でね。あんたが捨ててきたもん、俺なら両手いっぱいに抱えたまま、悪魔共を皆殺しにできるぜ」
「……狂ってるな。……いい答えだ」
岸辺はフラスコをポケットにねじ込み、ダンテの肩を叩いて通り過ぎようとした。その瞬間、二人の視線が交差する。
岸辺は確信した。目の前の男は、マキマですら飼い慣らすことのできない「嵐の目」であると。
「ダンテ。……早川を……あいつを、あまり焦らせるな。……あいつは死に急いでいる」
「……。わかってるさ。……だから今日、少しだけ『止まり方』を教えてやるつもりだ」
ダンテは振り返らず、オフィスのドアを開けた。
中からは、デンジとパワーの騒がしい声が響いてくる。
岸辺は廊下の影で一人、再びフラスコを取り出した。
「まったく……化け物には化け物ぶつけるのが一番だが。あの赤いの……マキマの胃袋には少しデカすぎるんじゃないか?」
冬の朝の冷たい静寂の中、ウイスキーの強い香りが、廊下の奥へと消えていった。