次から次へと酒を渡され、流石に頭に響き始めた所で地平線が明るんできた。
俺達の周辺は伊吹、星熊、射命丸を中心にかなり盛り上がっているが、流石の酒豪達と言えどもそろそろお開きらしい。
これ以上酒を飲んでいれば、俺もどうなるか分からないので丁度良いタイミングではある。いざとなれば酔いは回復魔法の応用で治せるが……
わざわざ悪酔いする危険を冒さなくても良いだろう。知った顔には声をかけて、そろそろ此処を離れると伝える。
「またどっか行っちゃうの?」
「旅人なんでね。ゆっくり過ごせる永住の地を見つけるまでは一つ所に留まらないのさ」
「この辺りには妖怪退治屋が集まり始めている人里もあるんだけど、そこはどうだい?」
「妖怪退治屋の集まる里って、少なくとも君達へ気軽に会いに行ける環境では無いと思うんだが」
そもそも俺は妖怪退治屋としては異端だ。退治する事に懸命になっている訳でもなく、人間に警戒されない為に名乗っているだけのような物だ。
自分の裁量で退治したりしなかったりだし、恐らくだが歓迎されないだろう。俺としても常に戦いを強いられるような環境は好ましくない。
一応は妹紅をサポートする形になっている以上、まずは都に行く必要もある。
「田澤さん……貴方の造るわいんが無いと、また鬼の方々や一部の天狗がうるさくなる可能性が」
「どれだけ酒が好きな面々なんだ。今ある酒で我慢できないのか」
「まあ、暫くは普通に保つでしょうけど。
思い出したようにわいんが飲みたいと誰かが言い出すに決まってます。何しろ伊吹さんと星熊さんがそうでしたから」
射命丸がチラっと視線を向けると、『鬼の方々』は下手な口笛を吹いて誤魔化し始めた。あー、うん。何かその情景が浮かんできた。でもなあ……
「まだやりたい事やら何やらがあるから留まる訳にはいかないんだ。どうにかして方法を考えておくから、今はそれで手を打ってくれ」
「お願いしますよ……また鬼の方に無茶振りされるのは御免です」
その時の事を思い出したのか、疲れた表情の射命丸。
これは何とかしてワインを届けてやらなければなるまいと心に誓いつつ、未だに寝息を立てている妹紅を背負う。鬼や天狗にまた酒を造ってくれと手を振られながら、山を離れた。
「うう……頭がぐわんぐわんする。一体、何だ?」
「やっと起きたか。多分それは二日酔いだと思うぞ、水を飲んだ方が良いな」
張ったままにしていたテントに戻ってきて妹紅を寝かせ、時間を潰す事数時間。日差しが強くなってくる頃になって妹紅が目を覚ました。
「二日酔いとは言っても、今日になってもまだ飲んでいたとは思うが」
「二日酔い? 今日? ……ああ、鬼とか天狗とかと酒を飲んでたなあ。久しぶりの酒で羽目を外したせいか、途中から記憶が無いんだけど」
「やはりアレは記憶に残っていないか」
「な、なんか迷惑かけたか?」
「いや別に。大した事じゃないし、特に気にする必要は無いさ」
「なら、良いんだけど」
それでも気になるのか、微妙に不安そうな顔をしている。正直に何があったか教えてやっても良いのだが、それはそれで恥ずかしいのかもしれない。
聞いてきたら教えてやる事にして、俺の方から言うのは止めておいた。自分が垂れ流した愚痴の内容を心構えも無しに聞かされるのは拷問だろうし。
……それにしても、少なくとも妹紅の肉体年齢は外見通り。一応大人の人間の肉体を持っている俺でもヤバかった妖怪の酒をあれだけ呑んで後遺症とか出ないのだろうか。
「さて、起きたなら身支度を整えてくれ。俺は自分のテントに戻ってるから」
「あれ、そう言えば確かにここ私のてんとだよね……」
「勝手に入ったのは謝るから、怒らないでくれよ。まさかとは思うが、急性アルコール中毒にでもなったら洒落に成らないからな」
「あ、あるこ? 天狗と会話してた時もそうだけど、時々難しい言葉を使うよな田澤。まあ、別にそれは怒ってないさ。要するに心配してくれたんだろ?」
「平たく言えば、そういう事だが」
「なら私が怒る理由なんて無いよ」
「それなら良かった。いや、軽蔑の目で見られたりしたら困るからな」
近くの川から汲んできていた水を妹紅に渡し、俺は自分のテントに戻る。荷物は『扉』を開いて城に放り込んでおき、テントも解体して片付ける。
妹紅の身支度が終わるまでは時間が空いたので、愛用の刀を取り出し風見の戦闘時の動きを思い出しながら軽く振って体を動かしておく。
あの戦闘では結果的にダメージを殆ど負わなかったとは言え、危ない状況は何回か有った。途中まで刀を持たないでいた事も多分に影響していると考えられる。
これからは相手に警戒されるデメリットよりも、すぐさま戦闘に使用出来るメリットを優先しよう。威圧感を与えるのも、悪い事ばかりでは無いのだし。
「準備が終わったよ。……何で刀振ってるんだ?」
「魔法を使えば対処出来るとは言え、魔力の消費を減らせるのに越したことは無いからな」
「ああ、何かと思えば練習していたって事ね。でも、そんな素早く動いて疲れない? 今日も多分1日中歩くんだよ」
「そんな本気でやってる訳でも無いからな。軽い運動みたいな物だ」
そのまま十数分刀を振り続けていると、妹紅が髪や服装を整えテントから出て来た。
2、3言葉を交わした後、妹紅のテントも片付け『扉』に放り込む。俺の刀は先程の判断から、『扉』に入れず腰に帯びておく。
出発の準備を終えた俺達は、都への行路を再び歩き始める。
後どれほどの道のりを往けば良いのかは分からないが、先の見えない路を自分で切り開いていく感覚が旅の醍醐味である。
「それにしても、暑いなあ。日差しが強くて嫌になるよ」
「そうか? 俺はあまり暑さを感じないんだが」
「それは異常だよ……そんな上から下まで真っ黒な長衣なんか着てるのに。見てるこっちが暑苦しくなってくるよ」
「妹紅はしょっちゅう火を使ってるじゃないか。熱には慣れてるんじゃないのか? まあ、この黒コートは俺の特別製でな。
打撃や切傷を防ぎ、高熱や低温を緩和する魔法装備だ。魔力を流せば更に強化もされる。手前味噌だが素晴らしい物だと気に入っているのだ、妹紅にも作ってやろうか」
「火を使うとは言っても自分に害を出さないように調節してるよ。そもそも慣れるとかの問題じゃなく少し熱いぐらいで済むしね、私の体。
それと田澤が興奮して話す黒衣に興味は有るけど、いらない。……いや、やっぱり欲しい。出来れば早めに作ってくれると助かる」
「ん? まあ、そのつもりだが。今の間は何だ?」
「ど、どうでもいいだろ! 無理を言ってるのは分かるけど出来る限り早くやってくれ!」
「『今みたいな暑い時に汗を沢山かくのは嫌だ。臭うのは困る』だ、そうです」
ん、今のは不味かった。妹紅との会話に意識を割き過ぎたせいで、声が普通に届く範囲まで妖怪の接近に気付けなかった。
殺気が無いとは言え、流石に気を抜き過ぎたか。これで相手が言葉をかけて来たから良かった物の、奇襲でもされたら少し危ない。
……どこか、感じる妖怪の気配に違和感を覚える。気のせいか?
「『一体誰だ』ですか? 申し遅れました、私は古明地さとりと申します、妹紅さん」
「!?」
「『何で考えている事が分かる』? そう言う能力を持っているからです」
なんか凄い光景だ……どうやらこの少女は相手の心を読めるようだが、妹紅は口を開いていないので傍から見ると独り言を呟いているようにしか見えん。
「『田澤なら対処法が分かる筈』ですか。中々彼に信頼を置いていますね」
「う……」
「『気持ち悪い』、そう思われるのには慣れています」
古明地さとりと名乗った少女は、俺に眠そうな半目を向ける。そのまま俺をしげしげと眺めていたが……唐突に、不審そうな表情に変わる。
「田澤とは貴方の事ですね。……?」
「予測通りだ。俺の心が読めないんだろう?」
「確かに、貴方からは心の声が何も聞こえませんね。貴方も、心を閉ざしているのですか」
「いや、閉ざしている訳では無いな。魔力で心理防壁を張り、思考や精神へ干渉される事を防いでいるだけだ」
貴方も、と言う部分に少し疑問を持ったが聞き流しておく。
しかし、俺の精神を読もうとは何と危険な事を。俺の心の声で止まるならともかく、その先の精神を読もうとしたなら発狂確定だと言うのに。
本来は魔導書の狂気を遮断する為の心理防壁、その名残だったが今回は俺の思考を遮断すると言う形で働いたのか。偶然とは言え助かった。
「で? 君は俺達に何か用事でもあるのか」
「用事と言う程の物では無いのです。人が居たから声をかけた、それくらいです」
どうやら悪気が有って心を読んだ訳では無いようだが。
気持ち悪いと思われるのには慣れてるって、読んでも口に出さなければ良い話なのではないか?
それとも、妖怪としての本能でどうしても口に出さずにはいられない等と言った事情が有るのだろうか。どちらにせよ難儀な話だ。
「それにしても、いくら心を読まれないとは言え少しくらい不気味には思いそうですが。
貴方はそのような素振りは見せませんね。私がそう感じているだけかもしれませんが」
「似たような力なら俺だって使えるし、今更その程度で気味悪くなる程繊細では無いな」
「『相変わらずとんでもない能力を』ええ、確かにそのようですね。『私にも普通に喋らせろ』すいません、これは性分のような物でして」
「ううむ……」
言葉を口に出す手間が無いと思えば、多少は気が楽になるのかなあ。
妹紅はそれどころでは無いようだが。これ以上はストレスになるかもしれない。
「そこまでにしてやってくれ、古明地。妖怪の君としては自尊心に関わる事なのだろうが、人間には精神的にキツい物があるんだ。
それにしても常に他人の思考が流れ込んでくるのか、古明地には? 余程の精神力が無いと耐えられない物だが、凄まじい物だ」
「まあ、何事も慣れです。……妹は耐えられなかったのですが」
「妹? 同じ力を持っているのか」
「持っていた、が正しいですね。心の瞳を閉じてからは別の能力になったので」
別の能力か。心を閉ざして得る力とは一体どのような物なんだろうか。
興味はあるが深入りしてはいけない話題だろうし、ここまでにしておこう。妹紅はストレスが溜まってきているようだし、長々と立ち話するのもアレだ。
「特に用事が無いらしいし、俺達はもう行かせてもらうぞ。一応妖怪退治屋をやってるし、万が一でも人に見られたら立場が無い。
……と言うか、妹紅の心を読めるなら妖怪退治屋だって分かるだろう? 何故俺達に近付いたのだ、危険だとは思わなかったのか」
「何故、特に気にせず私が平然としているかについての疑問ですか?
妹紅さんの心を読む分には、危害を加えなければ退治もしないようなので」
「だからと言って、人間の前に出てきて世間話だけしていくってのも」
「妖怪だって拒絶されれば悲しいし、ほぼ一人旅と言うのも寂しい物ですよ」
「それは、確かにそうだろうが」
ほぼ一人旅と言うのは、所々で誰かが一緒になって旅をしてくれるような事もあるのか? 少なくともこの辺りには、俺達の他には人間の気配も妖怪の気配もしない。
「さて、行くぞ妹紅。黒コートは明日にでも作ってやる」
「作るの速すぎないか、明日って。後さ、やけに黒色にこだわってるけど出来れば違う色に……」
そこで言葉を止め、俺の手元を見てくる妹紅。いったい何だ?
「何時の間に刀を仕舞ったんだ、田澤?
妖怪が出てもすぐ対処出来るように常に携帯する、みたいな事を言ってたじゃないか。まあ、この妖怪は直接襲ってくる気は無いみたいだけどさ」
「何を言っているんだ? 今だってこの通りしっかり持って……無い」
言われて視線を腰に向けると、愛用の刀が影も形も無くなっている。
あ、あれ? まさかどこかに落としてきたとか、そんな間抜けな話は無いよな? 流石にアレを落としたらすぐに気付く筈なんだが……
「ああ、丁度飽きたところだし返すね。はい」
「お、これは丁寧にありがとう。助かる。……誰だ君?」
惚けた素振りで突然現れた少女から刀を受け取りながらも、内心穏やかではない。
確かに気配探知には引っ掛からなかった。それはつまり、極近接距離まで俺の感覚を誤魔化す程の力を持っていると言う事。
先程の古明地のように、『意識していなかったから声の届く範囲まで接近を許した』のではなく本当に『全く気付けなかった』のだ。命にすら関わる失敗である。
「おー、こんなに意識を向けられるなんて久しぶりね」
「こいし、人の物を勝手に取ったらダメって教えたでしょ」
「最後は返したから別に良いじゃん」
「……君の妹なのか、古明地」
「ええ、さっき話した妹です。ほら、挨拶しなさい」
「はーい。私は古明地こいし。趣味は、恋焦がれるような殺戮!」
「……」
「……」
「……」
「あれ、外しちゃった? おかしいなあ」
「……随分猟奇的な妹をもっているな、古明地」
「それだとお姉ちゃんと私のどっちか分かりにくいから、下の名前で呼んで」
「今のはどっちに向けた言葉かハッキリしているから、区別を付けなくとも良いと思ったんだが」
妹紅がいよいよもって居心地悪そうになってきてるな……俺もその気持ちは良く分かるが、もう少しだけ耐えてくれ。
「田澤さん、こいしにも悪気は無いので許してあげてください」
「一応、俺達は妖怪退治屋なんだからな。滅多な事は言わせないようにしろよ」
いきなり趣味が殺戮とか言われると物凄く反応に困る。冗談で言っているのか本気で言っているのか判断が付きづらいし。……冗談だと思う事にしよう。
「今度こそ本当に先へ行かせてもらう。このままだと会話してる内に夜になりかねん」
「えー、せっかくお姉ちゃん以外とお話出来ると思ったのに」
「こいし、わがまま言わないの。……それと、私とお話するの嫌い?」
「そういう意味で言った訳じゃないから安心してよ、お姉ちゃん。そうだ、こうなったらずっと着いていこうかな」
「止めてくれよ、そんな事になったら私の気が休まる暇が無い」
「大丈夫よ、無意識を操作すれば誰も私に気付けないもの。気になる筈無いわ」
無意識を操作? それが気配探知を逃れたトリックなのだろうか。
言葉から判断すると、認識阻害魔法を応用したような物と思われる。かなり凄まじい事を平気でやっているが。
着いてこられると気が休まる暇が無いと言うのは、悪いが俺も妹紅に同意だ。
かなり長い時間熱心に説得をして、ようやく折れてくれた。何となくフラフラとこっちに着いてきそうな気もしたが、とりあえず古明地姉妹、特にこいしと離れる事に成功。
「ああ、疲れた。簡単にやり込めるかと思ったら意外に口達者だし」
「ま、まだ昼過ぎじゃないか。頑張ろう。そうだ、歌でも歌ってやるよ」
気分を盛り上げようとする妹紅の優しさに心の中で涙しつつ、気を引き締め都に歩を進める。
覚り妖怪の姉妹と別れて半年程。
妖怪退治屋稼業を続けながら妹紅と旅をしていたが、漸く……。
「おお、懐かしい物だ」
「今となってはあまり良い思い出は無いけど、懐かしいって言うのには同意するよ」
四神相応の概念から選定された、霊脈の集う地。無数に分けられた、碁盤の目にも例えられる区画。そこに建つ様々な皇居・住居。住まう人々の気配。
俺と妹紅は辿り着いた近くの山から都を見下ろし、思い思いに感想を漏らす。……実際の所、都に来るのはこれが初めてなので懐かしいと言うのは嘘だ。
しかし妹紅に昔は都に居た事もあると言ってしまったし、怪しまれる訳にもいかない。俺の自惚れでなければ信用はされている筈だしバレても問題無いのかもしれないが。
「さてと、まだ距離がある今の内に終わらせておくか」
「何を?」
そう答える妹紅の白髪にはリボンのように御札が結ばれている。
覚りの姉妹に会った翌日に妹紅にあわせたサイズの紅いコートを作ったのだが、どうも気に入ってもらえなかったらしく顔が引きつっていた。
コートのデザイン自体が妹紅の感性には合わなかったらしく、色もベタ塗の真紅と悪い意味で目立つ物。俺は服のデザインを気にする方では無いが、妹紅は女の子だし嫌だったのだろう。変な物を渡しても申し訳無いので、では何が良いかと聞けば新しい髪飾りが欲しいとの事。
そこで御札をアレンジしたような髪飾りを作る俺もどうかと思うが、此方は喜んでくれたし結果オーライだろう。
暑さや妖怪に対する抵抗能力も付加してあり、そちらも好評だった。
「鬼や天狗の時間感覚、ワインを飲みたくなる頻度は分からんが。あれから半年近く経ったし、そろそろ贈ってやろうかと思ってな」
「律儀だな、田澤も。そりゃあ、約束を無視する訳にもいかないだろうけどさ」
何百年と生きる種族だろうから、流石に半年で我慢出来なくなる事は無い筈。
そう思ってこれまで気にしないできたが此処で反応を見る意味合いも込め、目一杯のワインを伊吹達の所へ贈っておこう。
これまでにも伊吹達の方から何かしらの妖術で伝えたい事があったようだが、最初の内は誰かに呪いでもかけられてるのかと勘違いして無力化していたのだ。
何度もしつこく来るので仕返ししてやろうと思い、魔術の悪魔『ヴィネー』の力を借りて相手を逆探知してようやく伊吹達である事に気付いたが。
それでも妹紅が身に付けている妖怪避けの御札があるから、会話する程には繋がらない。一応向こうには俺達の姿は映るようなので許容出来る範囲で好きにさせている。
「田澤……立ち止まって物を考えるよりさ、早くやったら?」
「あ、ああ、すまない」
思考に没頭していたのを見咎められ、呆れた表情を向けられる。
出会ってからはほぼ2年、共に旅を始めてからもそろそろ1年だ。互いに勝手知ったる仲と言うか、妹紅の態度や言動も遠慮が無くなってきた。
勿論妹紅の注意は真っ当な物。旅の最中に倉庫に溜め込んできたワインを取り出し、並べていく。
「いつの間にこんな大量に用意したんだ? 人間の宴会なら一月は持ちそうだけど」
「俺は基本寝る必要が無いからな。地道に川から水を汲み、ワインに変えていた」
「水汲みくらいなら言ってくれれば手伝ったのに」
「眠いだろうに起こして運動させるのも忍びなくてな。昼は歩き詰め、妖怪退治、あげく夜まで働くなんて大変だろ?」
「……田澤はその大変な事を毎日やってたんじゃないか」
「基礎体力が違うんだ、これくらいなら疲れないさ」
あれこれ喋っている内に全てのワインを取り出した。……改めて並べてみると、かなり壮観である。
「これさ、人間だったら二月は保つよ」
「まあ、あの連中なら二日で飲むだろうから丁度良い筈だ」
ワインは開封すると風味が落ちるのが速いとは言え、伊吹達に限ってそんな心配は無用だろう。
むしろ、酒が足りないと文句を言われるのを心配した方が良いかもしれん。物理的な限界を超えて呑んでいる節すら有る彼等彼女等なのだ。
「それにしても、どうやってワインを贈るのとか、そう言う質問しなくなったよな」
「田澤が出来るって言った事で、その通りにならなかった事無いからね。どんな突拍子も無い事だってやると言ったらやるんだから、信頼しているんだよ」
「一応、誉め言葉として受け取っておこう」
「ははっ、一応じゃなく誉めてるよ。もしかして、照れてる?」
「あまりからかうな、妹紅。君からそんな言葉が出た事に驚いただけだ」
魔を使う者にとって、感情制御は基本の基本。真正面から向けられた信頼の感情に内心ドキリとしたが、普通に言葉を返す。
「それ、どういう意味だよ?」
「さあ、どういう意味だろうな?」
胡散臭げな表情を浮かべ、話題を逸らす。
ワインを贈る準備をしなくてはならないと言う理由もあるが、この話題を続けるのは少し気恥ずかしい。
「ソロモン72柱が内の序列70番、東方王子セエレ! 我が友の元へ友誼の証を送り届けよ!」
俺の内界に宿る記述を励起、運びの悪魔『セエレ』を召喚する。
俺の魔力を媒体として呼び出されるは、翼の生えた馬に跨る長髪の美少年。主である俺の命令に従い『セエレ』がワインに手を翳すと、魔力により生み出された赤黒い風が吹き荒れる。
妹紅は突然の事に驚き、顔を庇うように腕で覆う。やがて赤黒い風が収まり、妹紅が顔を上げた頃には『セエレ』もワインも俺達の前から消えていた。
「今のは、妖怪? ともかく、これでわいんが鬼や天狗の所に行ったんだね?」
「ああ、手紙も付けておいたが」
「手紙? どんな事書いたんだ」
「他人に送られた手紙の内容を聞く物では無いと思うんだが……別に良いか。
量はあれで足りてるかとか、そっちはどうだとか。書き終えたら鳥の形状をとって俺の所に戻ってくる返却用の手紙も付けた」
「へえ、思ったより常識的な内容なんだね」
「どういう意味だ」
「さあ、どういう意味でしょう?」
してやったりと言う表情で返してくる妹紅。最近は妙に口達者になってきたが、一体誰に似たのだこの性格。
もう少し真面目に接するべきだったかと今更ながらに思いながら、このような軽口を叩きあえる関係にもなっている事に僅かな喜びも覚える。
そんな複雑な心境と共に、俺は妹紅を連れて都に足を踏み入れた。
「……何でこんな静かなんだろうね?」
「都なら夜でも多少人通りは有るくらいだと思っていたが、予想が外れたな」
日が傾き、空が紅く染まり始めたくらいに都の門を潜る。後一時間程で日が暮れると言った所だろう。
そんなまだ明るい時間帯なのに人通りが途絶えているとは一体どう言う事か。人の気配は普通に感じられるから、単に引きこもっているだけなのだろうが。
「事情が分からなければどうにも動きづらい。とりあえずここで待っていてくれ、話を聞いてくる」
「分かった、頼むよ」
妹紅を置いていくのは、初対面の相手が不気味がるからだ。
黒コートを着ている俺もこの時代では普通と言えない格好だが、白髪で若いと言うのはそのくらいでは比べ物にならないらしい。
都の人間がどのような反応をするかは知らないが、これまでの村で酷い時には妖怪扱いも有った程なのである。
適当に周囲を探り、気配から在宅が確認出来た近くの家の戸を叩く。
これだけでは警戒される可能性もあるので都の者だと言う旨を伝えると、暫くして此方を窺いつつ家の人が扉を開けた。
「すいません、先程申した通り私はたった今都に帰って来た者なのですが…… 何故こうも人通りが無いのでしょうか?」
「……夜が訪れる前に家に戻って、念仏でも唱えているんだな。暗くなると、恐ろしい妖怪が出るよ」
「恐ろしい? どんな妖怪なのでしょうか」
「それは知らんが、貴族様方の屋敷がある方は大変な騒ぎなんだ。見ただけで呪われるような大層とんでもない妖怪に違いねえさ」
「はあ……大変な事になっていますね」
家の人は言うだけ言うと、また戸を閉めて閉じ籠ってしまった。ううむ、まさか俺と妹紅が都に到着したその日に都に妖怪が跋扈しているとは。
人通りが殆ど無い理由は分かったので、妹紅の所へ戻る事にする。恐ろしい妖怪が出るらしいと言う事を伝え、これからどうするかを訊ねる。
「別に妖怪が出たってどうと言う事は無いじゃないか。私と田澤だったら襲われたって返り討ちに出来るよ」
「実力的にはそうかもしれんが、あまり慢心するのは良くないぞ」
これまでの旅の最中様々な妖怪と戦って、妹紅一人でも高位妖怪で無ければ負けはしないくらいになってきた。
命を全て燃やして引き出した呪力を使い、捨て身で特攻をかければ妹紅一人でも大抵の妖怪はどうにかなるのだ。……俺は絶対に許可しないが。
「……私が過ごしていた辺りをどうしても見ていきたいんだ。あの日から、都に戻ってきた事無かった。心残りなんだ。駄目、かな?」
「駄目ではないさ。そう言う事なら全力で手伝おう。たとえどんなに時間が経っていても、戻れる家があるのは嬉しい事だろうし」
上目使いの妹紅の言葉が俺の琴線に触れる。故郷を捨て去り、旅をして。漸く家の寸前まで辿りついた妹紅を導かない訳にはいかない。妹紅の先導で複雑な都の通りを歩いていく。
妹紅の記憶も曖昧になっているようで中々目的とする場所を見付けられなかったが、日没直前の薄暗がりの中、古ぼけた屋敷に辿り着いた。
「仕方無いか……色々、あったんだもんな」
屋敷の体裁は保たれている物の、お世辞にも人が住めるとは思えない有り様の屋敷。
庭の草花は好き放題に伸び、屋敷自体も外見はともかく中はボロボロだろう。導かれるように屋敷に入る妹紅を追い、俺も土足のままで着いていく。
建物の中にまで根を張っている植物や蜘蛛の巣を払い除けつつ先へ進む。妹紅は所々で立ち止まり、僅かにかつての面影を残す物を懐かしげに眺める。
「ごめん、田澤。暫く後ろを向いていてくれないか?」
「分かった。いつも通り思考に没頭しているから、気がすんだら揺すってくれ」
妹紅は不老不死になった理由を出来心としか言わなかったが。過去の選択や、それを選ばざるを得なかった運命を後悔しているのだろうか。
いや、今の妹紅は俺が立ち入る事を望んでいないだろうし何を考えても徒労か。安い同情で気休めの言葉をかける訳にもいかない。
例え気休めでも慰めなければならない必要がある程切羽詰まった状況でも無いのだし。今は、妹紅の好きにさせてやろう。
溜め込んできた気持ちを吐き出せば、多少は楽になる筈だ。
数十分後、妹紅が俺のコートの袖を掴んで揺さぶってきた。目が赤く、涙を拭ったらしく妹紅の服の袖が若干湿っているが口には出さない。
「私はもう、大丈夫だから。そろそろ都を出よう」
「良いのか? 外は真っ暗だし、数日なら留まっても問題は無いぞ」
「長く居ると、多分未練が出来るから。これで改めて、過去とは決別するんだ」
「これから、何か辛い事やら嫌な事で胸が苦しくなったら、遠慮せず俺に打ち明けてくれ。妹紅が一人で抱え込むよりは、楽にしてやれる」
「……うん。ありがとう」
妹紅と共に屋敷を出て、大きな通りを抜け、都の出口を目指す。先程から妹紅はコートの袖を掴んだままだ。
正直この体勢は動きづらいのだが、野暮な事は言わない。これくらいの空気は読めるつもりだし、年長者である俺の役割だろう。
「……あれ、妖怪!?」
「何?」
屋敷を出た辺りで都を飛び交う妖怪の気配に気付いてはいたが、夜に妖怪の気配がするのは当たり前と言えば当たり前だし。
俺達の周辺へ接近してくる気配は無かったから気を抜いていたのたが…… 妹紅の指す方向を見ると、何やらのっぺりとした黒い影。
「ほら、あそこ! 頭が猿で、体が狸、手足が虎でしっぽが蛇!」
「何処に居るんだそのキメラは……? 妹紅、アレを指差しているのか」
「うん、そうだけど」
「俺には黒い影にしか見えない」
「へ? ほら、今こっちに猿顔で気味の悪い笑みを浮かべたじゃないか! 退治しよう田澤、あれが噂の妖怪なんだよ!」
妹紅はそう言うが、俺には本当に黒い影が此方を向いたようにしか見えない。そして、アレからは妖怪の気配がしない。
判別し難い別の何かの気配はするが……もしかして、幻覚の一種だろうか? もしそうならば俺と妹紅で見える姿が違い、妖怪の気配がしない事にも納得が行く。
「妹紅、止まれ。……『マルバス』! 我に真実を見据える曇りなき瞳を与えよ!」
直接悪魔を召喚するのではなく、その記述の断片のみを使い『マルバス』の力の一部を俺の魔法として発動する。
俺が引き出した『マルバス』の力は物事の秘密を暴き、隠された真実を見抜く魔眼。勿論この状況、この場合での真実とはすなわち。
「……やはり幻覚か。ただの石灯籠とはな」
「え?」
「妹紅、安心しろ。君に見えている得体の知れない獣の姿は幻だ。時間が勿体無いし、気にせず行くぞ」
「え、ああ、うん」
事情が分かっていない様子の妹紅を連れて、石灯籠の隣を通り抜ける。
通り抜ける際、襲いかかられる幻覚でも見たのか妹紅の表情が強張り、体も硬直したが……何事もなく通り抜け安心したようだ。
「この蛇っぽいのが幻覚の原因か? 偶には人知れずタダ働きでもするかね」
石灯籠にくっついていた蛇のような何かを掴み、握り潰す。妹紅の驚きを見るに、幻覚も消えたようだ。
「……田澤、今度はあっちの方から光の珠が」
「俺には正体が完全に見えているんだがな」
「便利だよね、田澤の魔法って」
七十二も悪魔が居たら一柱くらいは欲している力を持っている。この汎用性の高さがソロモンの悪魔達を纏めて使役している理由でもある。
下手な鉄砲数撃ちゃ当たる、と言った所か。彼等は下手な鉄砲どころか自動照準付きライフルだが。
「どんな姿なの?」
「黒い服に黒い髪、赤と青の表現しにくい形の翼を持った妖怪だ」
「この状況で向かってくるなら敵意も有りそうだけど、戦闘準備はしておいた方が良いかな」
「向こうの出方次第だが、恐らく交渉は期待出来無さそうだ。御札を取り出すくらいはしておいて欲しい」
自然な素振りで腰に帯びていた刀を外し、鞘に入れたまま左手で持ち何時でも使えるようにしておく。
さて、幻覚を操るらしいこの妖怪は一体どんな性格なのだろうか。一番楽なのは話し合いで大人しくカタが付く場合なのだが……
急接近してくる妖怪の嗜虐的な表情を見て、面倒な事になったと溜め息をつくのだった。
このss内のソロモン72柱の悪魔は多分に自己解釈が含まれます。今更ですが、ご注意を。