「っ、う……」
不快な倦怠感と共に、頭痛に苛まれながらも意識が覚醒していく。
一瞬自分の状況が分からず呻き声を上げるが、意識を失う直前の記憶が甦り、体の動きを止め気絶しているフリを続ける。
薄目を開けて周囲を確認すると、俺が転がされているのは座敷牢のような場所に見える。防御装備でもある黒コートは奪われており、腕は後ろ手に縛られている。
当然の事ながら、愛用の刀も見える範囲には無い。
「……っ」
続けて俺自身の状態を探った所で、思わず苦悶の声が漏れる。魔力の回復ペースが極端に遅い事もそうだが、魔法、そして何より『扉』を開く事が出来ない。
現在の魔力量でなら少なくとも武器を取り出すくらいの『扉』は開ける筈なのだが、それすら行う事が出来ない。俺の行動はかなり制限されているようだ。
これが座敷牢による結界のような形での制限ならば、まだ良いのだが……俺自身に何かしらの封印をかけられたのであれば、対処が困難だ。封印を解除するには、魔法が必要なのだ。
気配を察知するなどの、俺個人の経験則的な技能は妨害されていないようなので、それが不幸中の幸いと言った所だろうか。身体能力を魔力で強化する事も、一応は可能のようだ。
まあ、精々低級妖怪と互角に戦える程度の強化だし、そもそも腕が縛られている上に武器も無いので結果的に戦闘力は皆無だが。……改めて考えると、最悪な状況だな。
「……」
さて、どうしようか。はっきり言って、このまま此処に閉じ込められ続けるのであれば脱出手段は無いに等しい。
『我等』を解放するのは本当に最終手段だし、嫌だ。俺の主観的には殺されるくらいだったら切腹しよう、と言うような物である。
結局出来る事は、僅かにしか回復しない魔力を温存しながら、情報収集の機会が得られる事を信じて待つくらいだろう。流石にこのまま誰も来ないと言う事は無いだろうし。
目覚めてから数時間は経ったのだろうか。その間も色々と悪戦苦闘しつつ状況を確認してみたが、改めて俺を取り巻く環境が最悪だと言う事が分かるだけ。
俺の腕を縛っているのは錠が付いた紐糸のような物、と非常に微妙な新発見が有るには有ったのだが、それが分かった所で特に状況が好転する訳ではない。
……どうせ俺は食事も睡眠も必要としない。このまま集中し続けても行動に支障は出ないし、長期戦を覚悟しようと考え始めた矢先。
「田澤、さん。起きてらっしゃいますよね……?」
戸の開く音と共に聞こえてきた綿月の声に、思わず舌打ちしそうになる感情を抑える。
俺が起きていると半ば確信を持たれている事、そして座敷牢が開いたと言うのに現状の俺では絶対に出し抜けない相手が来た事に焦りを覚える。
……寝たフリで油断を誘いつつチャンスが有れば座敷牢を抜け出そうと言う、起きた瞬間から実行していた策は破綻してしまった。
こうなった以上、素直に起きて綿月から情報収集出来る可能性にかけた方が良さそうだ。どうせ、やれる事はそれくらいしか無い。
「……起きている。何か用かい」
「お話が出来れば、と」
腕を縛られているので腰を使い体を捻るように体勢を変え、声をかけてきた綿月に胡座で向き直る。
綿月は感情を殺したような無表情で俺を見下ろしているが……どこか無理をしているようにも見える。気のせいかも知れないが。
「田澤さん。貴方は現在、月の都に侵略を仕掛けた主犯と言う罪で捕らえられています。空間を自在に移動出来る能力と穢れを纏う未知の神を召喚出来る能力を危険視され、超危険人物扱いです」
「侵略に関しては君達の受け取り方だからともかく、主犯だったつもりは無いんだがね」
「……私は承知しています」
まあ、月の面子の問題なのだろう。誰も捕まらなかったのなら捏造のしようも無いが、丁度良く空間転移の可能な俺が居るので主犯を捕らえたとするに越した事は無い。
……それにしても、超危険人物扱いか。そこまで警戒されているのであれば、並大抵の事では脱出できまい。本当に、どうしようか。
「俺の方から君に、質問は許可されているか?」
「質問の内容によります」
「俺を捕らえてから、何日経った?」
「3日です。その間の栄養補給は簡易点滴によって……あ、これでは伝わりませんね。ともかく、体調は保たれている筈です」
3日か、魔力切れによる意識喪失からの復帰にしても時間が掛かりすぎている。……何としても戻り、妹紅を安心させてやらなければ。
それにしても、月では点滴を行える器具とその知識は既に有るのか。何万年も前の時点で光線銃を持っていたのだから、ある意味当然かも知れないが。
「そう言われても、体は妙に重いんだがね」
「貴方には、フェムトファイバーと呼ばれる繊維で作られた紐糸による封印処置が施されています。
私達が危険視する空間転移能力、未知の神を召喚する能力を妨害するため、貴方の魔法が発動しないように鍵をかけているのです」
「フェムトファイバーね……個人的に便宜を図ると言うのであれば、この錠を開けてほしい物だな」
「……私に、鍵は与えられていませんが。その錠を壊す事は出来ます。私は、貴方を大罪人にしたかった訳ではない。法を犯したくはないですが、間違いを正す為には……」
「お、おいおい。滅多な事を言うんじゃないぞ。今のは皮肉だ、本気にされても困る。……俺が言うのも変な話だな」
俺としては封印を解除してくれると本当に有りがたいんだが、だからと言って綿月に重罪を犯して欲しい訳ではない。
俺が侵略の主犯扱いされているのは非常に納得いかないが、まあ月の都の立場から考えて全くの無罪と言う訳でない事は確かなのだ。
「……結局貴方を捕らえた私が言っても説得力は無いかもしれません。ですが、出来る限りの協力をさせてもらいたいのです」
「協力をしたいと言うのであれば、俺の扱いに関しての情報を流してくれると助かる」
綿月は信じてくれと言うが……流石に囚われの身でそれは難しい。個人的に信用のおける相手だとは思うが、それと話は別だ。
この座敷牢が監視されている可能性は高いし、綿月は俺と僅かながらも関わりが有ると言う事で選ばれた尋問官なのかもしれないのだ。
彼女に情報収集や脱出手段に関しての事柄を依存していると、知らぬ間に情報操作されてしまう事も考えられる。適当に合わせておくくらいが良いだろう。
「分かりました。何か動きが有ればお教えします。
それでは、ご飯でもお持ちしましょうか? ここ3日、何も口にしていないですよね」
「……そうだな、そう言われると空腹感が襲ってきた。何か、軽めの物をくれると有りがたい」
実の所、俺は飲まず食わずでも全く支障が無いのだが、これは現時点で明かすべき事ではない。
向こうが俺を弱らせようと兵糧攻めでもしてきた時に、油断を誘える事も考えられる。切札を軒並み奪われた今、どんな弱い手札も確保しておかなければ。
「軽めの物、ですね。それでは月兎達に用意させます」
「月兎……あの、彼女達か」
「月兎達に色々と思う事も有るとは分かるのですが……食事を届ける事まで私がやると、体面として宜しくないのです。
私は警備隊の隊長と言う立場ですので、色々としがらみが有りまして……すいません」
「まあ、俺はケチを付けられる立場でも無いからな。君の判断に従うさ。……ああ、そうだ。食事の際、腕はこのままなのかな?」
現在の俺は後ろ手に縛られている状態なので、食器類を扱えない。
そこの所はどうすれば良いのか……と言うのは建前で、本心は勿論この封印が緩む事を期待しての質問である。
どうなろうと対策は当然有るのだろうし、はっきり言って無駄な事だとは思うが。
「あ、その点に付いてはご心配なく。手を使わずとも食べられますから」
「うん?」
手を使わずとも食べられるとはどう言う意味か、まさか犬か何かのエサをやるように床にでも置かれるのだろうか、と考えている内に綿月は行ってしまった。
そのまま数分間、もし屈辱的な食べ方を強要されたら大人しく従うべきか反抗すべきか等と考えを巡らせていると。
「ああ、何で私がこんな事を…… はいどうぞ、地上人」
「……その差し出した団子は何だ?」
「何って、食べ物に決まってるじゃないですか」
テンションの低い声と共に座敷牢に入ってきた月兎は、ずかずかと俺の前までやって来て箸で掴んだ団子を押し付けてきた。
端的に言い表すと、あーんと言う奴である。片方は縛られ、もう片方は視線を合わせようとしない、非常に色気の無い光景だが。
「これ、綿月の指示か?」
「団子を作って直接食べさせてやれ、との事でした」
何とも突っ慳貪な少女である。基本的に俺を地上人として見下しているからこその態度かも知れない。
光の加減で淡い水色に見える銀の長髪と言い、輝く紅い瞳と言い、風貌はどこか妹紅を彷彿とさせる少女だ。まあ、ウサ耳ブレザーの妹紅は想像しにくいが……
「それでは、頂こう」
この状況でこの団子を食べると言うのも心情的にキツい物が有るが、せっかくの綿月と月兎の好意だ。無下にするのも悪い。
親鳥からエサを食べさせてもらう雛のように頭を動かして、箸先の団子を口に含む。……うん、旨いな。出来れば落ち着いた所でゆっくり食べたかった。
「美味しかった、ありがとう」
「……どうも」
そのまま数個の団子を食べ終わり、礼を言うと月兎はそそくさと立ち去った。
最後まで視線を合わせなかったが、彼女は人付き合いが苦手なのかもしれない。俺に対しての接し方は見下していると言うより、距離を図りかねているように感じられたからだ。
極端に言えば、怯えている。虜囚と言う立場が下の者にコレなのだから、相当なレベルで人見知りなのだろう。
「……さて」
する事が無くなった。現時点でこれ以上の進展は望めないだろう。今は気長にチャンスを待つべきか。
『我等』を解き放つ気は無いし、チャンスが巡ってくるのは何時になるか分からないが、無駄に動くよりは大人しくして魔力回復にでも専念していよう。
少なくとも、損にはならない。
起きた時を基準として、数日が経った。
その間に綿月や身の回りの世話を嫌々そうにしていく月兎達以外にも、様々な月人が姿を見せた。
彼ら彼女らは俺の処遇を決める立場の者らしく、何事かを話しながら俺の様子を見ていく。必要最低限は彼らの会話に耳を傾けつつ、瞑想を続けていたある日の事。
「はじめまして、こんにちは。お腹が空いてるかと思って差し入れに来たわ」
「……すいません、どなたでしょう。そして、どうやって此処へ?」
誰も居なかった筈の部屋で前触れなく声をかけられ、内心驚きつつ顔を向ける。
俺の視線の先に居たのは、ゆったりとした衣服と吊りベルトで装った柔和そうな女性。手に持った革袋からは、桃の姿が覗いている。
しかし、自己の内面に集中していたとは言え、誰かが入室する気配には気付く。そうなると、この女性は普通の手段で座敷牢に入ったとは考えにくいのだ。
「あら、ごめんなさい。私は綿月豊姫、貴方が会った依姫の姉よ。私が此処に来れた理由だけど……お師匠様、八意××の理論と言えば、分かるかしら」
豊姫と名乗った女性は俺の2つの質問に対して、1つには答え、もう片方には更なる質問で返してきた。
疑問を謎かけで誤魔化されたようにも感じたが、本人に悪気は無さそうなので素直にヒントを受け入れ考えてみる。
僅かな時間しか会話しなかったが、八意の理論で一番印象に残っているのは量子力学についての話題だろうか。実在の不確定性、波動と粒子、どう考えても時代を先取りし過ぎだ。
『在る』と『無い』が重なりあっているなど、哲学ならまだしも科学的理論とするには前提条件からしてブレイクスルーが必要で……まさか。
「……『居る』と『居ない』の確率を操作した?」
「わあ、やっぱりお師匠様の言っていた通りの人ね! 月の人でも中々理解してくれないのに、これだけで分かってくれるなんて!」
まさかそんな筈は無い、と思いながら口に出したのだが。この反応を見るに、どうやら当たりらしい。
この女性は何でもない事のように言うが、どれだけ突拍子の無い事なのか分かっているのだろうか? 理論を理解するのも凄い事だが確率操作なんてやれと言われてやれる物ではない。
それにしても、空間操作か……何とも因縁の深い。しかも移動の原理は、八雲の隙間よりも俺の『扉』に近いぞ。
「あ、お嫌いでなかったら桃をどうぞお食べになってくださいな。もっと、お話がしたいわ」
「……嫌いですので、桃は結構。それに、許可なく牢に入っては不味いのでは?」
桃は好きでも嫌いでも無いのだが、食べたいと言うと恐らく団子の二の舞になるので断っておく。
……そもそも縛られているのは普通に見えている筈なんだが、その状態の俺にどうぞと言われても。見た目の雰囲気に違わず、天然な方なのだろうか。
ともかく今は月人の相手をするのに疲れていた上に魔力回復に専念したいので、遠回しに帰った方が良いのではと言葉を続けてみたのだが。
「桃が嫌いなの? 残念、こんなに美味しいのに……」
「いや、牢に居ては問題が有ると……」
「大丈夫よ、一応私も警備隊の隊長ですから。いざとなれば隊長権限で何とかします。依姫に見付かると、ちょっと困るけど」
どうやら姉妹揃ってリーダーの立場らしい。堂々と職権濫用を宣言する辺り、俺が何を言っても聞かなそうだ。
もう諦めて話に付き合った方が良いだろう。妹の方の綿月……依姫とは違った情報を得られるかもしれないし。
「……八意との間にどんな関係が有ったんだ? 依姫も彼女を様付けで呼んでいたが」
「お師匠様は私達姉妹を手塩にかけて教育して下さった方よ。知識や礼法、能力に至るまであらゆる事を教えてくれたわ。
そして、私達はそのお師匠様から貴方の事を聞いていたの。あれほど頭の良くて思慮深い方が、賢いと褒める人なんて他に居ないもの。一度会ってみたいと、ずっと思っていたわ」
「その会いたかった人が大罪人で、幻滅したかい」
「ふふっ、そんな事は有りません。だって、最初に月へ来た時も唐突に現れて不法侵入したんでしょう?
流石に時効で不成立だと思いますけど、ある意味で貴方は既に前科持ち。幻滅するなら、最初に聞かされた時にしています」
「だが、君達月人はわりと地上の生物を見下しているように思えるからな。地上人と言うだけで、興味からは外れそうだが」
「確かに私は、地上人は愚かしいと考える事も有ります。
でも、賢い者や尊ばれるべき者が居るとも思うのです。他の方は、中々そう考えてはくれないみたいですけど」
「……ほう」
正直に言えば一部の地上人のみ認める姿勢にも思う所は有るのだが、それでも歩み寄ろうとする姿勢は他の月人と比べて好意的と言えるだろう。
牢の中で見てきた月人は、態度に出して地上人を見下しているかナチュラルに地上人を見下しているか、どちらかだった。
その少ない偏った情報で全ての月人を傲慢だと判断する訳ではないが、出会った全員がそれでは個人的な感情として閉口したくはなる。
依姫も地上には割りと辛辣な部分を垣間見せるし、結構珍しいタイプではないだろうか。……俺の場合、八意に一目置かれたと言う事が多分に影響しているとは思う。
「ところで、本当に桃は要らないのかしら? 私が全部食べちゃうわよ」
「実を言うと、桃は嫌いな訳でも無いんだが…… この通りな物でね、君の手を煩わせるのも悪い」
「そう言えば、手を縛られているのでしたね…… 別に遠慮なさらずとも、食べさせてあげる事くらい手間では有りませんけど」
「……手が使えないからと、他人に食べさせてもらうのは正直苦痛なんだ。毎回の食事はもう作業として割り切ったが、楽しい話の最中には遠慮したい」
「恥ずかしくなる気持ちは分かるけど、桃を食べられない方が私にとっては苦痛ね。
……って、今私とのお話を『楽しい』って言ってくれた!? 嬉しいわ、ありがとう! つまらないって言われたらどうしようと本当は怖かったの!」
俺もあまり意識して言った訳ではない言葉に反応して、無邪気にはしゃぐ豊姫。中々可愛らしい。
これが狙ってやっているとしたら、それはそれで興味深いが……周囲の雰囲気を和ませる天性の才能を持っているのだろう。
高い戦闘能力を持つ依姫とは別の意味で、警備隊のリーダーとして必要な素質を備えている。
「君と会話していると、ここ最近の陰鬱な気分が晴れる。楽しいよ」
「う、うーん。ありがたいけど、複雑ね。それって今までが悪かったから、私との会話が楽しく感じるって事じゃないかしら」
「そうでもないさ、楽しくなければ楽しいとは感じないよ」
依姫は忙しいのか初日以降はまともに会話していないし、月兎や他の月人は言うまでもない。
そんな中、普通に会話してくれるだけで嬉しいのは確かだが、楽しいと言う感情はそれとは別物だ。
情報収集を念頭に置き、脱出手段の発見に全力をかけるスタンスは変える気が無い。しかし、今この時は雑談に花を咲かせても良いだろう。
そんな事を考えながら、俺は豊姫と親交を深めていった。