「どう、何か面白そうな物は有る?」
「……俺達が探している物は無いな」
大勢の人で賑わう街中、その雑踏から離れた位置にある陰気な商店。
そこで異国から来たと言う触れ込みの書物を片っ端から漁っていた俺は、同じく店で異国の物品を眺めていた青娥に声を掛けられる。
面白い物、とは言っても青娥の関心が向いているのは禁忌の叡智を記した書物。個人的には幾つか興味深い本を見付けたが、青娥の言わんとする事は違うだろう。
「それならここもハズレと言う事ね。探す店の特徴、変えてみても良いんじゃないかしら?」
「そうは言っても本を取り扱っているような店は大体巡り終えたからな。この辺りで粘るよりも、旅を再開した方が効率的な気もするぞ」
そのまま会話を続けつつ店を出て、人通りの少ない路地に戻ってくる俺達。
現在地は日本から海を超えた大陸、その中でも青娥の故郷にも近いらしい地域。交易によって順調な発展を遂げているこの付近の、更に中心地と言える場所に俺達は居た。
日本から大陸に渡ろうと船を探していた頃から既に十年近くは経過しているが、相変わらずに青娥との旅は続いている。俺もこれほど長く行動を共にするとは思っても居なかったのだが、青娥自身も現状に驚いているらしい。
「確かに成果が挙がらなくて飽きて来たし、この街に入ってからは田澤さんに修行を付けてもらってないしねえ」
「そんな飽きっぽい性格なのに、よくこの旅を続けられるな」
「正直に言うと魔導書の捜索は既に飽きが来ているわ。むしろ最近は田澤さんにつけてもらう修行の方が楽しみね、こっちは目に見える成果が感じられるし」
「……そうかい」
ここに来ていきなり旅の目的を否定されたようで複雑だが、俺にとっては有り難くもある。
『我等』が同胞に関わる魔導書に深入りして欲しくは無いので、自然に飽きてもらえるのであればそれに越した事はない。……とは言え、少なからず肩すかしで力が抜けてしまうのだが。
「一応、旅の目的地は変えないでおこう。ここまで長い時間をかけて旅をしてきて、何もせずに帰るなんて徒労は御免被る」
「別に構いませんわ、旅をする過程で労せず魔導書が手に入るのであれば私としても一石二鳥です」
流石に青娥も完全に執着を無くした訳ではないらしく、どうやら探すのに手間を掛ける必要が有る事を嫌っているようだ。
これまでの旅で青娥は基本的に飽きっぽい性格だという事は嫌という程経験してきたので、それほど意外ではない。まあ、俺としても先の見えない作業を遠慮したいのは同意だ。
移動の手間に関しては魔法による転移や『扉』を使えば幾らでも軽減できるのだが、それにしてもここまで地道に積み重ねてきた努力を水の泡にしたくは無い。青娥の指摘を受け、極力それらの力を使わないようにしている旅でもあるし。
「とりあえず最後に表通りの店も見て回ろう。一般の商店でも興味深い物は有るさ」
「そうね、冷やかすくらいには見ていきたいわ。表通りの方はまだ落ち着いて覗いていないから」
互いに言葉を交わしながら、奥まった路地を出て人の往来の激しい通りに戻ってくる。
日本に居た頃はあえて発展した地域を避けて旅していたという事も有るが、この街の活気と言ったらこれまで通りすがった村とは比べ物にならない程凄まじい。
俺の知る『大都市』に比べれば人の数自体は目に見えて少ない物の、行き交う人々が例外なくエネルギッシュだ。何というか、混沌としている。悪く言えば、とても煩い。
そんな喧噪から逃れるように、野暮ったい造りな物のどこか堂々たる佇まいをした商店に入る。
しかしどうやら財力のある層を対象とした店だったらしく、裏通りの商店とは違った意味で物々しい雰囲気を感じる。……適当に入ったのは間違いだったかな。
「あらあら。一見様お断り、みたいな雰囲気ね」
「おい、青娥、声が大きい」
居た堪れない空気を感じそそくさと退店しようとする俺だったが、青娥が決して小さくはない声を発してしまい店内の人々の視線が集中する。
一挙に集まった訝しむような視線を心地良さそうに受け止めた青娥は、そのまま高級そうな物品が陳列されたコーナーに歩いて行ってしまう。内心で焦りつつも、せめて雰囲気を合わせるべく俺も可能な限り堂々とした素振りで追う。
「……青娥、いつも言っているがそういう突拍子も無い言動と行動は止めてくれ。心臓に悪い」
「こうでもしないと田澤さんが逃げてしまいそうだったんですもの。それに、表通りの店を見て回ろうと最初に提案したのは貴方ですわよ」
「確かにそうだが……」
俺が見て回りたかったのはもう少し庶民的な所と言うか、手頃な工芸品を扱っているような店だったのだ。
この商店のようにいかにも高そうな壺やら陶器やらが整然と並んでいると、どうにも気後れする。……まあ、こうなってしまった以上はこれも縁と言う事で諦めよう。
想定とは大きく異なった場所に突然踏み込んだ事で動揺したが、せっかく入ったのだから品揃えくらいは落ち着いて眺めたい。
……ん? そう言えば俺達、細々とした書物や工芸品はともかく此処に置いてあるような商品を買えるような余裕って有っただろうか? そこはかとなく嫌な予感がするぞ。
「……肝心な事を聞きたいんだが、君はこの店の物を何か一つでも買えるアテは有るのか?」
「随分と今更な事を聞くのね、有る訳ないじゃない。私と田澤さんがここまで旅してきて、金策に励んだ事が一回でも有ったかしら?」
「分かってはいたが、改めて聞きたくは無かった」
青娥もこの内容を大声で話す気は無かったらしく、返答は小声だった。
しかしそうなるとかなり気まずい。ただでさえ青娥の最初の発言で悪目立ちしている中、内心はどうあれ俺も結果的には注目を浴びながら悠々と入店したのだ。
そんな二人組が冷やかしで帰るとなると、一体どんな視線を向けられる事か。別に入店したからと言って何かを買わなければならないという決まりは無いが、個人的には非常に気を遣う。
「そこまで気にする事でも無いでしょ、分不相応な田舎者と見られるのが嫌なら『安物しか無いわね』とか言って帰れば良いのよ」
「……時々、君の根性には心底から感心させられるよ」
良くも悪くもそこまで図太い神経の発想が出来ると言うのは最早尊敬にすら値するレベルだ。俺にはとても真似出来ん。
「……まあ、今更悩んでも仕方無いな。やや神経質に過ぎる考えでもあるか」
「そうよ、田澤さんは妙な所で卑屈と言うか人の顔を窺うクセを解消した方が良いわ」
確かに青娥の言い分は間違ってはいない。大した金も持たず大口を叩いた事に賛成はしないが、俺の考え過ぎな面が有る事も否定できない。
体よく俺の抗議を受け流された気はするが、あれこれと思い悩むよりも楽しむ事を考えよう。妹紅との旅でもそうだったが、一人で悩んで袋小路に陥るのは俺の悪いクセだ。
我ながら現金な物で、一旦思考が転換すると途端に平静を取り戻し自信も湧いてくる。
いかにも高級そうな青白磁を眺めどこか油断ならない笑みを浮かべる青娥を横目に見つつ、俺も梅の花が描かれた扇子を矯めつ眇めつ眺める。中々見事な物だ。
そうして暫く幾つかの扇子を何とはなしに見比べていると、同じように飾られた美術品を眺めていた男に声をかけられた。
「やはり東の国々は我々の国とは違う目線で美を捉えているね。日常で使う物をも美しく誂え、独特の画法や彩色で美術品に昇華させる」
突然の事だったので俺に言っているのだと気付かず、一瞬反応が遅れた。誰かと思って顔を向けると、その男の風貌はこの付近の国には有り得ない物。
西欧風の服装で装い顔は彫りが深く、ややくすんだ金髪と切れ長の碧眼を持った偉丈夫。話の内容と言い、この男は異国の出身なのだろう。この場に居ると言う事はそれなり以上に立場のある人間だと推測出来る。
何か目的があって声を掛けて来たのか、それとも単に独り言の延長のような物なのか分からないが、とりあえず俺も言葉を返す。
「身も蓋も無いですが、そこは文化の違いと言う事なのでしょう。とは言え美術品に対する感動は地域も時間も超える物だと思います。作られた国で優劣が生まれると言う事はない」
「中々深い事を言うじゃないか、私もそう考えているよ。私の国で生まれた工芸品や絵画だって、この国に負けてはいないと言う誇りは有る」
「……不躾ですが、貴方はどのような経緯で此処へ?」
「おお、すまない。君も突然私のような異邦人に話しかけられて困っただろう。
私は此方の国の美術品や工芸品に並々ならぬ興味を持っていてね、趣味と実益を兼ねて出向いてきているのさ」
趣味はともかく実益か。そもそも西欧からこの辺りまで移動するのも気楽に行える物ではないし、先程の予測と含めて隊商を組織する貴族と言った所なのだろうか。
しかし貴族が隊商と共に長距離移動をしてまで、わざわざ此方の国までやってくる物なのか? それとも貴族だからこそ行動力に満ち溢れていたとか。ううむ、分からん。この辺りの事情に詳しい訳でもないのに答えを出せる訳も無いな。
「あらあら? 田澤さん、そちらの男性はお知り合い?」
「いや、初対面だ。……こちらは私の知人で霍青娥、私は田澤昴。差し支えなければ貴方の名前を窺っても?」
「ああ、重ね重ね失礼。私はプリズムリバー、祖国では伯爵の位を授かっている」
会話を続けていると、興味の対象が移ったのか青娥が近づいてきた。妙な事を言われて話がこじれる前に当たり障りのない自己紹介を済ませる。
「やはり異国の貴族の方でしたか。通りで気品ある御姿だと思いました」
「お世辞は要らないよ、初対面の男を理由もなく敬う気にはならないだろう? それにここでは互いに客と言う立場で一致しているのだしね」
「ですが……」
「この方自身がそう仰っているのだから遠慮は不要でしょう? 普段通りに対応してあげたら良いじゃない」
「君はむしろ遠慮を覚えた方が……まあいい。そう言う事なら気を抜かせてもらう、プリズムリバー伯爵」
とりあえず下手に出て様子を窺って見ると、わりとフランクな部類に入る貴族では有るらしい。
まあ、ふんぞり返って威張り散らすような輩だったらわざわざ自国から遠く離れた地に足を延ばす事はしないだろう。
「……差し出がましい事を聞くようだが、君達はどのような関係かね? 夫婦にしては家名が異なるようだが、長年連れ添った間柄のようにも見える」
「うふふ、御明察ね。もう十年以上にも及ぶ愛人関係と言った所よ」
「伯爵、彼女はこの通りの性格だから話の半分以上は聞き流して良い。せいぜい気疲れする旅の同行人と言った所だ」
俺達の会話を聞いていれば疑問に思っても当然な事を質問してきたプリズムリバー伯爵。
青娥の相変わらずな言動は軽く流し、端的に自分達の関係を説明する。無いとは思うが、青娥の言葉を信じられても困る。
「どちらが正しい言い分なのかは敢えて判断を保留しておくが、やはり気の合う間柄のようじゃないか。明朗快活で美しいご婦人と行動を共にしているとは羨ましい」
「……」
何とも言えない反応をしてくれる。何だかんだで十年近く旅を続けてこられたのだから決定的に相性が合わないと言う程でも無いのだろうが、気が合っているかと言われると首を傾げる。
俺としては青娥の本質的な部分に賛同できない事は多いし、青娥の方も果たして本当に俺個人を気に入っているのかどうか。重要視しているのは俺の知識や能力その物のような気もするが。
「所で、君のその外套は祖国でも此方の国でも見た事が無い作りだが。何処で手に入れた物だい?」
「いや、俺の手作りだ。これでも細かい手作業は得意でね、旅をする上で都合の良い物を自作したのさ」
プリズムリバー伯爵はまたも答えにくい所を突いてきた。しかし黙れば怪しい質問でも有るので、適当にお茶を濁す。
一から作ったと言うと語弊も有るが、自作と言うのは強ち嘘では無い。元々は俺の手など加わっていなかった物とは言え、現在のこのコートは形以外は別物と言えるくらいに原型を留めていない。
「ふうむ、それは凄い。白状するとね、君に声を掛けたのはその外套の出所を知りたかったからでもあるのだよ。
私は貿易商を営んでいてね、先程言った実益とは此方の国の美術品や工芸品を仕入れる事なのだ。もし良ければ、一口乗ってみないかい」
「む、それは俺にこの外套を作れと言っているのか?」
「そう言う事になるな。恥ずかしながらまだ私の立ち上げた組織はごく小規模で、その場その場での買付に頼っている。
しかし職人から直接品物を買い付ける事が出来れば私は安定した販路を確保でき、君は一定の収入を見込める。互いに損はないと思わないかね」
何やら思っても居なかった展開になってきたが、落ち着いて考えてみれば予想しておくべき事柄では有ったのか。
俺のコートはこの時代には先進的過ぎるデザインだし、周囲と見比べれば目立つ。今までは妖怪退治屋として振る舞う事で誤魔化してきたが、普通に見れば好事家の興味を引く物だろう。
「面白そうじゃない、まずは話だけでも聞いてみたら良いんじゃないかしら? どうせ此処に居ても目的は果たせそうに無いのだし」
「自分への頼み事では無いからと気軽な事を言ってくれるな……」
やはりと言うか、青娥は乗り気のようだ。魔導書探しの旅に飽き気味だった所へ新しい話が持ち込まれたので、普段以上に好奇心が旺盛になっているらしい。
しかし金銭に直接的な興味が無い俺にとっては損では無いが得でも無い。確かに青娥の言う通り此処で魔導書を見つけられる可能性は薄いが、だからと言って何故いきなり貿易商付きの外套職人に転向しなければならないのか。
旅の目的から外れるどころか、まるで別の方向へ進む事になる。プリズムリバー伯爵には悪いが、この話は断らせてもらおう。
「伯爵、悪いが俺達の旅には目的が有ってね。一つ処に長く留まる事は出来ないし、作業に手間をかける訳にはいかないのだ。済まないが、縁が無かったと諦めてくれ」
「あらあら、田澤さんは酷い人ねえ。頼み事をしてきた人をにべもなく切り捨てるなんて。
……うーん、プリズムリバー伯爵様? 貴方は貿易商と仰いましたけど、曰くつきの品物を取り扱ったりはしているのかしら。例えば、呪術を記しているとされる書物とか」
「曰くつきの品物? おお、それなら個人的な興味から多数を収集している。私が貿易商を始めたのはそれらの物品への興味が発端でも有るのだから」
「な、何だって?」
「なんだ田澤君、君もこれらの物に興味が有るのかね? 今この場で所持している訳ではないが、私の屋敷には先祖伝来の自慢のコレクションが有る。君の言葉次第では開帳しても良いのだがね」
「ふふっ、との事ですよ。どうします、田澤さん? 私は貴方の決断に従いますわ」
思わぬ所で俺の目的に合致する要素が出てきてしまった。まさか見せるだけでお終いと言う事は無いだろうし、それを受ければ外套職人の仕事も引き受けなければならない筈だ。
金銭の効果は薄いと悟ってすぐさま交換条件を変えてきたプリズムリバー伯爵もそうだが、僅かな言葉で自分にとって都合の良い展開を引き寄せた青娥も頭の回転が速いと言うか勘が良いと言うか。
さて、どうしたものか。先祖伝来のコレクションともなれば、無作為に書店等を見回るよりも効率的なのは確かだろう。そしてまあ、西欧に向かうのならば一応旅の目的地に近づいてはいる。
「……年単位での短期契約なら、受けても良い。俺はあくまで旅人なのだ、職人の真似事をして半生を過ごす気は無いぞ」
「私としてはその腕前を大いに活かしてもらいたいのだが、それは追々詰めていくとしよう。まずは二年と言う所でどうだね」
「二年なら、な。それ以上長くなるなら勝手にさせてもらう」
「うむ、とりあえず交渉成立だな。いずれは君の方から契約を延長したいと言わせてみせるよ」
「自信に満ち溢れていると言うのか何なのか……随分と強気でくるな」
「はははっ、仮にも貿易商を名乗る身だ。こういう場面で遠慮していては何も掴めんよ。
例えば今回も、大人しく引いていれば機会を逃してしまっていただろう? とは言え霍婦人の取り成しがなければ意味のない努力になっていたかもしれんがね」
それもそうか、多少強引にでも取り掛かる気概がなければ商人なんて務まらないな。
しかし本来なら組織の長、それも貴族がこのような営業まがいの事をする立場ではないとも思うのだが……ごく小規模な組織と言っていたし、人手が著しく不足しているのだろうか。
「それでは私に着いてきてくれたまえ。我が部下達もそろそろ集合場所に戻っている頃合だろう」
プリズムリバー伯爵に連れられて、俺達は複数の商人グループが集まっていると言う場所に向かう。
とりあえず契約に関わる細かい条件の取決めは落ち着いてからと言う事になり、俺は歩きながら軽い世間話で伯爵の人となりを探ってみた。
青娥も交えた三人での会話は機知やユーモアに富んだ物となり、それは伯爵の教養の高さと人格の高潔さを窺わせる。四人居ると言う娘への子煩悩な一面も分かり、俺は結果的に好感が持てる人物だと判断を下した。
未知の物に対する興味、旅への考え方、意外に子供っぽい所。そのどれもが在りし日の『田澤昴』を彷彿とさせた事も、俺の警戒を解いた要因の一つだろう。何はともあれ、話は弾み。俺とプリズムリバー伯爵は意気投合した。
「うむ、見えてきたぞ。一応説明しておくとだな、私達は同業者どうしで寄り集まって相互扶助の組合を形成している。
あれらはその一団で、安全に貿易を行えるように協力しあっているのさ。尤も協力するのは道なき道を越え賊を追い払う時のみで、商売に関しては基本的に出し抜きあう関係なのだが」
成程、此処は所謂商人ギルド、その出張所のような物か。俺達のような存在でもないのだから幾ら何でもごく少人数で超長距離の旅はしないだろうし、この類の集団行動は半ば必須だろう。
そのような事を考えながらこの時代の旅の常識をすり合わせて、怪しまれないような経歴を今の内に用意しておこうと思案していると、何やら慌てながら伯爵に男が駆け寄ってきた。
「さて、まずは部下に君達の紹介をしなくてはな……ん?」
「伯爵、火急の要件を知らせる便が届いております! 御息女のレイラ様が医者も匙を投げる悪病に侵され、床に伏せっているとの事です!」
「何、レイラが!? その便は誰がどのように届けた物で、いつ送られた物だ!」
「この内容は今日の正午近くに到着した一行が手紙にて伝えた物で、移動時間と内容を照らし合わせますと……レイラ様が悪病に侵されたのはもう一年以上も前と言う事になります」
「一年前だと…… 荷を捨て馬を潰す勢いで駆けても戻るのに半年以上かかる、それでは今から戻っても私が見るのは!」
……どうやら経歴の準備なんて呑気な事をしている場合ではなくなったようだ。
先程の会話でも話題になっていた娘の四姉妹、その四女が重病で寝込んでいるとの知らせに伯爵は顔面蒼白になって言葉を漏らす。
医者が匙を投げたと言う程の病だ、それを一年前から患っていたとなると今現在の安否は非常に危うい。ましてや、更に半年後となると生存は絶望的だろう。
伯爵は突然聞かされた事実上の死亡宣告に打ちひしがれたように膝を付く。周囲の商人達や貴族風の男達も気の毒そうに声をかけるが、まるで耳に入らないようだ。
……その、大切な人を失った絶望に暮れる姿が。かつての『田澤昴』を彷彿とさせる姿が、『俺』の感情を突き動かした。俺は思わず、本来なら明かすべきではない事を口走る。
「……伯爵、今すぐにでも娘の元へ戻りたいのならば方法は有る」
「貴様っ、傷心の伯爵に何を言いだすのだ! 妙な口車で金を巻き上げようとでもしているのか!?」
「戻るだけではない、死んでさえいないのなら娘を治癒する事も出来る。力を貸せる、と言う事だ」
「伯爵、この詐欺師は捨て置きましょう。良からぬ事を考える輩は口ばかり達者な……」
「……田澤君、何をすればそれが可能なのかね。私は、何を君に払えば良いのだね」
「伯爵っ!?」
詐欺師と謗られ、内心で他人事のように納得する。悲しみに暮れる人の弱みに付け込むように怪しげな事を言い始めた男など、それは信用できないだろう。
しかし伯爵はもはや藁をも掴む心境なのか、側近と思われる男の諫言を無視して俺に向き直る。……自分で誘っておいて何だが、冷静な判断ではないな。それこそ親心なのかもしれないが。
「直接的に金は要求しない。伯爵が収集しているという物品の中から、俺が気に入った物を数点受け渡してくれるだけで良い。
そして移動に関してだが、別段伯爵が苦労する事はない。やってもらいたいのは、精々娘の元に居る自分を強く念じてもらうだけ。治癒については言うまでもない」
「そんな条件で良いと言うなら、私は喜んでコレクションを差し出すよ。娘の命には、代えられない」
「了解した。共に連れていきたい者を先に教えてもらっても?」
「此処にいる我が部下達、数人だ。諸君、前に出てきてくれ……私からの頼みだ」
伯爵は俺の言葉を聞き入れ、それを信じてくれたらしい。
伯爵の頼みを受けた部下達は困惑した様子ながらも一応指示に従って近くに寄って来る。これだけなら詐欺にも繋がりようがないので抵抗も薄いのだろう。
「青娥、君も近くに。此処に置いていきたくはない」
「はぁい」
自分の中の冷静な部分が今からでも止めろと警告してくるが、努めて無視する。確かに不特定多数の前で、それも神秘に対して耐性が無いような相手達に俺の魔法を見せるなど『正しい』判断ではない。
今から俺が行おうとしている事は魔法を使う人外だと知らしめる行為であり、俺の旅において最も自制しなければならない事だ。妖怪退治屋と言う身分で振るう分かりやすい正義の力ならともかく、怪しげな放浪者と言う立場で引き起こす不可解な超常現象は、人々に不吉な予感を与えるだろう。
これは人間としての倫理観か、もしくは『田澤昴』の面影に対する身勝手な同情なのか。どちらにせよ、ここで彼とその娘を見捨てて立ち去ると言う選択肢はなかった。
「それでは伯爵、自らの屋敷で眠る娘の姿を強く念じてくれ。そして、そこに居る自分の姿も。……準備は良いか?」
「私は大丈夫だ。どうか、頼む」
「……我が内界に宿る記述を励起」
内界に宿る『叡智の王国』の記述よりソロモン72柱が内の序列70番、東方王子『セエレ』を参照。その断片を用い悪魔の力を俺の魔法として発動する。
『セエレ』の能力は対象を問わない物質転移の力。そして移動先の設定は『扉』とは異なり、俺自身が明確なイメージを持っていなくとも第三者による指定が出来る。この場合は俺が訪れた事もない異国の屋敷へ転移が可能となるのだ。
俺の魔力から生まれた赤黒い風が、周囲に集まっていた者達を包み込む。視界全てが覆い尽くされたすぐ後、意識に生まれた一瞬の空白感と共に俺達はその場から掻き消えた。
東方において名前とごく僅かな設定は有るものの、一言のセリフもない、更にゲームに直接は出てこないキャラは数人居ます。
自分が知っている中ではレイラ・プリズムリバーや魂魄妖忌(実は微妙に喋ってますが)、後はゲームデータの中に埋もれていると言われる冴月燐など。命蓮はその中では結構影が薄い方ですね。しかし、これらのキャラはまだ恵まれている方ではないでしょうか。
『プリズムリバー伯爵』。この人の二次設定は他にも増してあやふやです。上に挙げたキャラ達は立ち絵や性格などが微妙に共有されていますが、この人に至ってはそれすら有りません。……可愛い女の子でもなく格好いい御老体でもなく、人間の貿易商というキャラをどう東方的に肉付けすれば良いのか、そもそも誰得なのかという感じなんですけどね。