プリズムリバー伯爵の屋敷を出た俺達は、当然の事ながら西欧諸国が活動の中心になっていた。
当初の目的であった魔導書探しについては青娥が現状で満足した事から完全に建前の物となり、彼女に魔法の教授を行いつつ周辺の国々を観光しながら気まぐれに巡っていく。
伯爵の娘達に言われた言葉に触発された訳ではないが、大っぴらな介入こそしない物の人々が困っている場面に遭遇したらさり気なく力を貸していくと言う何とも自己満足的な旅をしながら過ごしている内に、いつの間にか10年近くの年月が経過。そして俺の旅は、一つの転換点を迎えた。
「ふむ、成功だな。俺が君に教えられる事は無くなったと言って良いだろう」
「あらあら、終わりは呆気ない物ねえ。でも、落ち着いて考えれば20年近くも田澤さんの下で学んでいた事になるのだから……感慨深いわ」
人里から少し離れた森の中にある、少し開けた自然の広場。木漏れ日が差し込むその場所で魔法の修行に励んでいた青娥に、俺は免許皆伝を告げた。
免許皆伝とは言っても実際には俺が教えたくなかったり、そもそも俺以外に扱えない物は最初から度外視しているのだが……少なくとも、俺が教える意図の有った魔法を青娥は全て自分の物とした。もはや仙人としてではなく魔法使いとしてもやっていけるレベルだろう。
「本当にな。まさかここまで長く行動を共にし、あげく魔法の修行までつける事になるとは……初対面の時には思いもよらなかったよ」
「あげくとは酷い言い草ね、何だかんだで魔法を教える時の田澤さんは活き活きしていたじゃない。あれで乗り気ではなかった、なんて言わせないわよ」
「……人に道を示す、それは俺の趣味でもあり得意分野だからな。正直に言えば、君に魔法を教えるのは楽しかったさ。自分の力を高める事については、君はとても真面目だしな」
邪仙ではあるが真理を追究する仙人であるのは流石と言った所で、修行などには普段の飽きっぽい性格から想像もつかないほどの真摯さを持って取り組む青娥。
その努力と天性の頭の速さは、教える立場である俺としては非常に心躍る物。正に水を吸うように知識を得て、自らが扱いやすいように自分なりのアレンジまで加える青娥を見るのは中々楽しかった。
「これで当初予定していた旅の目的は全て達成された訳だが、君はこれからどうする?」
「私は故郷の方へ戻ろうと思っています。この付近の国々を巡るのはとても楽しかったけど、いい加減に飽きてきたしねえ。言葉も殆ど通じるようになってきたけど、修行も終わったし戻るのには良い頃合だわ」
「ふうむ、俺としては君に会う前からの目的が有るからな。ここまで来ているのだから、そのまま探索を続行して元々目指していた地域を訪れたい」
青娥にこれからの目的を聞いてみると、どうやら彼女と俺の目指す場所は異なっているようだ。
ここに来て遂に互いの道が分かれる時が来たと言う事になるのだろう。これまで青娥は俺を観察しつつ魔法を教わる為に、惚れ込んだなどと嘯いて行動を共にしていたが……その理由が消えた以上は俺に目的地を合わせる気は有るまい。
「それでは、そろそろお別れと言う事になるのかしら? 寂しくなるわあ」
「その割には平然としているじゃないか」
「顔で笑って心で泣いて。好きな殿方の前で弱さを見せたくないと言う健気な乙女心ですの」
「……健気な乙女はキョンシーに想い人を襲わせたりしないと思うがね」
純情ぶったわざとらしい言葉に軽口を返しつつ、音もなく背後から忍び寄ってきたキョンシーを躱して青娥の方に押し返してやる。
青娥が芳香と呼んでいるそのキョンシーは前に躓くような危ない姿勢のまま進んでいき、最終的に青娥に抱え込まれる形で立ち止まった。
「もう、女の子に乱暴するなんて田澤さんは酷い人だわ。……大丈夫だった、芳香? どこかちぎれたりした所は無い?」
「酷いのはどっちだよ……」
どうせこの程度の事は別れの挨拶代わりにやってくるだろうと予測していたので、大した驚きも無い。
初対面の時から虎視眈々と俺を出し抜くタイミングを計っていたような相手が、俺と行動する理由が消えた後にも大人しくしている等と楽観的に考える程間抜けではないつもりだ。
まあ、それこそこれは単なる挨拶のような物で、俺を害する目的で放った訳でも無いのだろうが……かと言って隙が有るならば俺をキョンシーにする事へ躊躇はしないだろう。今更ながら、何とも危ない間柄である。
「当然と言えば当然だけど、まだまだ田澤さんの底は見えてこないわねえ。田澤さんは教えられる事が無くなったと言うけど、それは貴方の知っている全てを教えたと言う意味ではないのでしょう?」
「一応弟子である君に正面から言うのは心苦しいが、他人に教えられない部分は少なからず有るからな」
「20年近くも一緒に居て他人呼ばわり? 何だか悲しいわね、私の方はこんなにも田澤さんの事を想っておりますのに」
「抜け抜けと、良く言う」
泣き真似をして涙声を出す青娥へ、冷ややかな視線と共に返す。何と言うか、この流れはもはや定番化してきた感が有る。この茶番を飽きもしないで続けられる青娥には感心さえ覚える程だ。
「それで、君は故郷の方へ戻るとの事だが……帰る手段にアテは有るか? 無いのであれば、俺が送るぞ」
「あら、親切な心遣い感謝します。ですが、今回は気持ちだけ受け取っておきますわ。隊商に紛れ込めばどうとでもなるでしょうし、最悪適当に飛んでいきます」
「俺に負けず劣らず行き当たりばったりだな、君がそう言うなら構わんが……」
いい加減話を進めようと多少強引に話題を戻す。転移魔法や『扉』を使うくらいなら手間でも無いので協力しようと考えていたが、青娥は一人で帰れるとの事。
俺が無理に勧めるのもおかしな話なので、そう言われると俺としてはやれる事がない。せいぜい無事を祈るくらいか。……道中で倒れるようなか弱い女性でない事は重々承知しているので、祈る必要も無いとは思うのだが。
「一人旅を楽しみながら気ままに移動する事にしますわ、田澤さんの力だと感慨も何も有った物じゃないですし」
「……転移魔法での移動は、旅と言うにはあまりにも風情が無いからな」
過程を楽しんでこその旅なのに目的地へ直接移動しては意味がない、と青娥は言いたいらしい。
その点に関しては俺も最近よく考えていて、旅への使用を控えている理由でもある。まあ、便利な事には変わりないので全く使わなくなったと言う程でも無いのだが。
「と言う事で、そろそろ行かせてもらいますわね。今は別れる事になりますけど、いつかまたどこかで出会える事を楽しみにしていますわ」
「その時は頼むから厄介事を持ってこないでくれよ、君の行動に振り回されるのはもう御免被る」
「つれない事を言うわねえ、そこは幾らでも受け止めると答えるのが殿方の甲斐性ですわよ」
「生憎と俺はそこまで器の大きい男ではないと言う事だ。……とりあえず、達者でな」
青娥は芳香を抱えたまま薄い羽衣を翻し、ふわりと宙に浮かぶ。幾らこの周辺が人気のない場所とは言え目立つから止めた方が良いと思うのだが、青娥は特に気にしていないらしい。
互いに軽口を交えつつ別れを告げ、それ以上は俺達の間に言葉は無い。最後に思わせぶりな流し目を向けてきた後、青娥は背を向け何ともあっさりと去って行った。
共に行動してきた期間と、青娥の口ぶりからは想像もつかない程に唐突な別れ。何ともドライな物だが、俺はその独特な余韻を心地よい物だと感じていた。些か突拍子も無い展開だとは思わなくないが、油断ならない相手との刺激的な旅、その終わりとしてはこれもまた相応しいだろう。
「……ふむ、どうした物か」
青娥が去った後、俺は今後の予定を考えるべく近場に有った倒木に腰をかけた。
最終的にはアラビア辺りを訪れて魔導書の源流から『我等』が同胞の痕跡を探るのが大きな目標だが、その前にこの地域でやっていける事は済ませておきたい。
俺個人として再度巡りたい場所も幾つか有るので、そのまま目的地へ直行するのは何とも味気ないと思う。あまり悠長に構えているのもどうかとは思うが、ある程度の余裕を持って行動した所で問題はないだろう。今の所、切羽詰っている訳でもないし。
「そう言えば、あれから一回もプリズムリバー伯爵の屋敷に顔を出してはいないな」
口約束のような物とは言えレイラには再会を願われたし、伯爵も社交辞令かもしれないがいつでも歓迎すると言ってくれた。
それを鵜呑みにして今更俺が顔を見せるのも迷惑な話だろうが、せめてもう一度くらいは伯爵や四姉妹と語らいたい。もう10年前の、それも一日しか会う事のなかった旅人など覚えていない可能性だって有る。だが、最低限でも今現在の彼等がどうなっているのかは知りたい。
「よし、まずは伯爵の屋敷を目指そうか」
俺は最初の目的地をプリズムリバー伯爵の屋敷とする事にした。歩いて移動するか、『扉』を開いて転移するかで一瞬迷い、結局徒歩で向う事にする。
幸いにも今現在の位置から伯爵の屋敷までは遠すぎると言う訳でもないし、転移してはそれこそ旅の醍醐味を否定する事になる。これが数か月以上もかかりそうなら話は別になったのだが、今回は久しぶりの落ち着いた一人旅を堪能する事にしよう。
旅の道中で様々な景色や人との交流を楽しみながらゆっくりと移動し、俺は3週間程で伯爵の屋敷近くまで辿りついた。
所々に記憶とは異なる部分が有る物の、概ね見覚えのある地域。懐かしさを覚えながら、屋敷を訪ねるべく歩を進めていく。……しかし、何故かそれらしき建物が見えてこない。
「おかしいな、この付近の筈なんだが」
思わず独り言を漏らしてしまう。周囲の景色を見るに、場所を間違えているという訳でもない。
貴族の屋敷としては中堅程度の規模であったが、この近くでは最も目立つ建物の筈。それが全く目に入らないと言うのはおかしい。
訝しみながらも記憶を頼りに屋敷の有った地点を目指す。数分ほどしてその場所に辿り着くと、思いもよらない光景が広がっていた。
「さ、更地って……流石にこれはおかしいどころの話ではないぞ」
そう、かつて伯爵の屋敷が有った土地は全くの更地になっていた。瓦礫やガラクタすらも転がっていない、だだっ広い平原。まるで最初から何も無かったかのような有様である。
もし万が一伯爵が何らかの理由でこの地を追われるような事になったのだとしても、屋敷すら消失すると言うのは変だ。接収されて、放置されるか違う誰かの物になるだけだろう。少なくとも、跡形もなく取り壊すと言うのは妙である。
想像もしていなかった事態に内心混乱しつつ、詳しい事を調べる為に平原へ踏み込んでみる。
地面がどのような状態かを見る事が出来れば、何が起こったのかの判断材料を得られると考えたからだが……屋敷が無くなってから数年は経っているだろうと言う当然の事しか分からなかった。
「……っ!? 馬鹿な、俺の魔力が使用された形跡だと!?」
途方に暮れつつ魔法を使用して探査を行った所、信じられない結果が返ってくる。
この地で俺の魔力を動力源に、一度目は攻性魔力の暴走、二度目はごく小規模な転移魔法が発動されたと言うのだ。
当然ながら、俺はその場に居ない。だと言うのに、何故俺の魔力によってそんな事が起こったと言うのか。詳しい事情は未だに分からないが、先程までとは違い俺の背筋に冷たい物が走る。
「そうだ、近くの住人から事情を聞く事が出来れば……」
まずは何が起こったのかを知らなければどうする事も出来ない。伯爵やその娘達の安否も気がかりだ。
この付近の住人ならそれらについて知っているだろうと考え、込み上げてくる焦燥感を抑え込みつつ平原を抜け出し、近隣の住人を探して声をかける。しかし、俺が伯爵や屋敷についての話題を出すと何故か口を堅く閉じてしまい事情を知る事が出来ない。
ようやく渋りながらも話をしてくれる老人を見つけた時、既に空は赤く染まっていた。
「良いか、これはあんたが熱心に頼み込むから仕方なく話すんじゃ。もしあんたが誰かにこの事を聞かれても他言無用だぞ」
「分かった。誰にも言わない事を約束する」
「……端的に言うと、災いの道具に触れてしまったのじゃよ。この付近の者達は漠然と、良くない物に呪われたと考えているようじゃがな」
「災いの道具? そして、貴方は何故それを知っているのです」
「私はかつて、プリズムリバー伯爵の使用人だったからのう。あの忌まわしい道具が災いを振るった時も、その場に居合わせた」
「直接見ていたと!?」
どうやら話を聞くには最適の人物だったようだ。この老人の情報と俺が現在持っている情報を照らし合わせれば、おおよその事情を推察する事が出来るだろう。
「うむ、もう5、6年は前の話になってしまうが。何か驚くような事であったかな?」
「いや、話を途中で止めてしまって済まない。続きをお願いしたい」
「……伯爵は曰くのある物品を収集するのが趣味で、あの日も遠く離れた島国から来たと言う珍妙な道具を手に取って眺めておられた。
それをお嬢様達にも楽しんでほしいと手渡し、最後にレイラお嬢様が触れた時に惨劇が起きたのじゃよ。突然それは禍々しい光を放ち、近くに居た者達を襲った。幸いにもお嬢様方は全員無事であったが……伯爵を筆頭に、多くの者が命を落とした」
「……!」
「一家は離散する事となり、お嬢様方はそれぞれ別々の家に引き取られる事が決まった。しかしレイラお嬢様だけは屋敷に残ると言って聞かなくてのう。
とは言え、思い入れの有る住み慣れた屋敷を離れたくないとの気持ちは私達にも分かる。心の整理も必要だろうとの事で、数人の手助けを受けながら暫くレイラお嬢様は屋敷で暮らしておられた」
伯爵は命を落とし娘達は離れ離れになったという衝撃的な事実を聞いて、頭の中が真っ白になる。
先程まで抑え込んでいた焦燥感は名状しがたい感情の動きに変わり、俺の体を震わせる。俺は罪状を読み上げられる死刑囚のような心持ちになりながら、老人の話へ何とか意識を向ける。
「御可哀想にレイラお嬢様は心を病んでしまったらしく、居る筈のない姉達の名前を呼び楽し気にしておられた。
最初は気遣っていた使用人達も薄気味悪くなったようで、徐々に屋敷へ姿を見せなくなってのう。最後には私一人しかレイラお嬢様の世話をしていないと言う、酷い有様であったな……」
「……そして、どうなったのだ」
「或る日、あの災いの道具をレイラお嬢様が隠し持っておられる事を私は知った。それは危険な物であるから今すぐ手放してくださいと私は申したのじゃが、レイラお嬢様は頑なに嫌だと仰られる。
ふとした事で口論となり、私はレイラお嬢様を置いて屋敷を飛び出した。そのまま夜が明けたのじゃが、一日も間が空くと私は何と大人げない事をしたのかと恥ずかしさが込み上げてきてのう。急いで屋敷へ向かったのじゃが……」
「屋敷ごと、全てが消えていたと」
「その通りじゃ。今でも私はあの時の事を悔やむ、何故無理にでも災いの道具を取り上げなかったのか、それが出来なくとも一緒に居てやるべきだったではないか、とな」
「気に病むな、と言っても無理かも知れないが、その責任は貴方に有る訳ではない。どうか、その罪を自らの物として抱えないで欲しい」
「……自らの罪を許されるにしろ裁かれるにしろ、私は誰かにこの話を聞いてほしかったのかもしれぬな。ここ数年抱えていた暗い霧が晴れた気分じゃ。ありがとう、旅の青年よ」
「礼を言われる筋合いではない。こちらこそ、貴重な話を聞けて感謝する。……それでは、失礼するよ」
老人から事情を聞いた後、俺は悪夢に魘されているような心地で屋敷跡地に立っていた。
かつての賑わいが永遠に無くなってしまった平原。その中に伯爵の最期と、離れ離れになってしまったルナサ、メルラン、リリカの嘆く姿、そして何処とも知れぬ場所へと消えたレイラの姿を幻視した時、これまで堪えていた感情が爆発した。
「……何が、『罪を自らの物として抱えないで欲しい』だ! よくもそんな口が叩けた物だな、下手人の分際で!」
あまりにも強く握りしめていたせいか爪が肌を切り、血が滴っている拳を全力で眼前に叩き付ける。
昂り過ぎた感情の下に放たれたその拳は意識しないままに空間干渉能力を発揮、目の前の空間へ『扉』の出来損ないのような亀裂を作った。
「どう考えても、俺が原因じゃないか! 災いの道具とやらは伯爵でも他の三姉妹でもなく、レイラが触れた時に発動したと言う! 感知した俺の魔力は、聖者の真似事をした時にレイラへ流し込んだ時の物と考えれば辻褄は合う!」
再び眼前の空間へ拳を振るう。醜い叫びと共に放たれたそれは先程の亀裂をより大きく広げ、砕かれた空間の欠片がガラスのように飛び散る。
「『俺』の魔力が注ぎ込まれていなければ、その道具はそんな歪んだ形での発動はしなかった筈だ!
『田澤昴』の介入によって破滅が訪れる事など在ってはならない、それでは、それでは『俺』は何のために彼の仮面を被ったと言うのだ!
『田澤昴』は賢人でなければならない、英雄でなければならない、救世主でなければならない! 彼がその身を『我等』が主に捧げてまで滅した70億人殺しの罪を、どんなに小さい形であろうとも再現してはならない!」
自信に溢れた賢人としての仮面が外れる。制御出来ない感情の波に、癇癪を起した子供のように喚き散らし意味もなく拳を振るう。
感情の捌け口を求めて振るい続けた拳は、やがて空間に完全な穴を穿つ。普段の『扉』と遜色の無い大きさまで開かれた空間の裂け目を視界に捉えた瞬間、伯爵達に責め立てられるような妄念に囚われた。思わず逃げるようにその中へ飛び込む。
『扉』から繋がる異空間、墓標のような瓦礫が連なる崩れ落ちた城。『田澤昴』の罪の象徴とも言えるその場所で、髪を掻き毟りながら地面に蹲る。
自らの存在意義を根底から覆しかねない、今回の失態。俺は『田澤昴』を彷彿とさせる者を殺し、罪の無い少女達を始めとする多くの人間を破滅させた。ごく小規模な上に立場が逆転しているが、まるで『田澤昴』の罪の焼き増しである。
そう、罪の無い少女達が……彼が好意を抱いていた、幻想を追い求める少女達が、彼の目の前で灰となって崩れ落ちた時のように……
「ぐ……!?」
頭痛と共に、意識が薄れる程の強烈な不快感を伴ってフラッシュバックが襲い来る。
声は分からないし、顔は見えない。しかし『田澤昴』の大切な人だったと確信できる少女二人が、無機的な灰色に呑み込まれていく光景。
確かに、大勢の人間が生きたまま灰となってその命を失っていく光景自体は『俺』の記録にも残っている。だが、その二人の姿などこれまで見た事は無い。
彼の人格はともかく記憶は完全に引き継いでいる筈の『俺』なのに、それはおかしい。
「く、ううっ」
前にも何度か、こんな頭痛やフラッシュバックが無かったか? その度に不自然な意識の欠落が生じていたが、この世界に来てから何度かこの感覚を経験していた筈だ。
只でさえ伯爵の悲劇で尋常ではない精神状態になっている俺だが、何とか頭痛に耐えて更なる情報を探ろうと試みる。しかしそんな悪あがきも虚しく意識は空白に呑み込まれていき、俺は眠るように意識を失った。
「……大丈夫だ。忘れてはいない」
果たして意識を失ってからどれ程の時間が経ったのか。それすら判別出来ない程酷く唐突に目覚めた俺は、現状を把握した瞬間に自分へ言い聞かせるように呟く。
意識が沸騰するような感情の波は既に薄れているが、伯爵の悲劇も、少女達のフラッシュバックも、全て覚えているままだ。決して無かった事になどなっていない。
横になっていた体を起こし、手頃な大きさの瓦礫に背を乗せながらこれからの事について考える。
正直、同胞の痕跡探しの旅など重要ではなくなってきた感が有る。同胞の存在自体は尸条書が証明しているような物だし、それ以上に探らなければならない事が増えてきた。自分の事で手一杯になった、とも言えるが。
「やはり、あの少女達の事を探る必要が有るか」
これに関してはどこへ向かうべきなのか見当もつかない。ただ幸いにも、今までの旅の中でそれらを想起させられる何かが有った、と言う事だけは覚えている。
この世界に転移してからこれまで旅してきた道筋を逆に辿れば、多少なりともヒントは得られる筈だ。……彼女達の記憶が『田澤昴』にとって大きな影響を持つ物だとしたら、それこそ『俺』が人間として、田澤昴として行動する上で重要な要素だろう。
しかし、新たな旅を始める前にやらなければならない事がまだ一つ有る。
「……まさか、ここに新たな墓標が突き立つ事になるとはな」
コートに付着していた細かい砂や灰を払いながら立ち上がり、瓦礫の広がる周囲を見回す。その中で目についた、手頃な大きさの瓦礫を手に取りその形を魔法で整える。
丁度小さい角柱のような形になったそれにプリズムリバー伯爵の名前と……少し迷った後にレイラの名前を刻み込む。それを丁寧に地面へ埋め込み、この空間に墓標として残した。
ある程度の冷静さを取り戻した今となっても、やはり伯爵達の破滅を引き起こした原因は俺に有るとしか考えられない。
レイラより多くの魔力を取り込んだとも言える藍との違いは、怪異の力に耐性が有ったかどうか。本人が妖怪であり、妖術を自在に操る藍には制御が出来たであろう俺の魔力も、レイラにとっては破滅の運命を導き得る。
本来『俺』は世界を狂わせる害毒なのだ。いくら『田澤昴』の仮面で取り繕おうと、怪異などに穢されていなかった純粋な少女には十分過ぎる毒。そんな自らの性質を知っていながら、治療の名目で平然と魔力を流し込んだ俺は。
「ごめんな、俺は聖者でも救世主なんかでもないよ。ただの、不吉な放浪者さ……」
言葉を尽くした所で何も変わらない。ここで呟いた所で届く筈もない。しかし、言わずには居られない。
どこまでも瓦礫が続く灰色の世界で、込み上げる自責の念と涙を堪えながら、俺の軽々しい行いで破滅させてしまった人々へ醜い謝罪の言葉を吐き出し続けた。
これにて間章『不吉な放浪者』は完結です。
次は第二章、時代は一気に進み田澤の正体が明かされつつ幻想郷の人妖達と交友を深める話となる予定ですので、楽しみにして頂けると幸いです。