第一章・『古き地を往く旅人』
旅人、裏の月の地を踏む
旅人。この言葉から連想されるイメージとは何だろうか?
自由と肯定的に答える者が居るかも知れないし、不安定と否定的に答える者もいるだろう。そして、俺の経験上はどちらも間違ってはいない。
……間違ってはいないが、正しくもない。あくまでも俺の意見だが。何しろ、少なくとも俺は望んで旅を始めた訳ではないのだから。
普通の平穏な世界で、普通の平穏な生活をしていた俺は、人ごときの抗えない理不尽によって。
あの日から、世界を渡る旅人と成った。
「これはまた、随分と綺麗な世界だ」
世界と世界を隔てる絶対の理を捻じ曲げ、有り得ざる力を以て世界を繋ぐ。深い青色の空間の裂け目、『扉』から新たな世界に足を踏み入れた俺は、誰に聞かせるでも無く呟く。
清澄な空気を持った、一見荒涼としているようにも見えるが確りと管理されている大地。底を見透かせる程に澄んだ湖も湛えたこの地は、思わず嘆息する程に美しい。
遠くに見える集落も景観を損なう事なく、高い次元で調和した雅さを持っている。……だが、些か綺麗過ぎるように思えなくも無い。穢れをとことん排除した結果の美しさと言うか。
一通り周囲を見回して景色を楽しんだ後、集落に向かって歩を進める。現時点での目的は、人に類する知的生命体と遭遇して友好関係を持つ事。
これは俺が旅をする上での至上命題でもある。実は最近までは違う目的が有って、そちらに集中していたのだが……この問題が片付いた事で、漸く気楽な旅を再開出来る。
尤も今回の世界で気楽に過ごせるかと言えば、それは俺の行動と運次第だろう。
集落に近付くにつれて、この地に住まう人達の大体の雰囲気も察せられるようになる。と言うのも、遠くから眺めるだけでも建築物が特徴的なのだ。
最先端技術を用いて情緒に溢れた趣深い家を建てる、和洋折衷ならぬ新旧折衷。単に物質的な豊かさではなく精神的な豊かさを求めたと言った所か。
穢れを徹底的に排除しているように見える景観も、そこから来ているのかも知れない。……ううむ、住人が排他的な可能性も考慮しなくてはいけないようだな。
まあ、とりあえず友好的に接しさえすれば悪いようにはされないだろう。
「……っ!? 貴方、どうやって此処へ」
……そのように考えて、湖の畔に佇んでいた利発そうな少女に近付いたのだが。この警戒心に満ち溢れた対応を見るに、迂闊だったかもしれん。
綺麗な銀の長髪と赤青の色使いの奇抜な服が特徴的な、少女と女性の中間と言った年頃に見える可愛らしい女の子なのだが、俺へ向ける視線には敵意。
肩に掛けるように保持していた弓へと流れるような動作で矢をつがえ、そのまま俺に向けて構える。……排他的かもしれないとは思ったが、これ程とは。
「貴方は誰? どうやって此処へ」
「済まない、俺は最近この地へ辿り着いた旅人なんだ。もし、此処の作法を破る真似をしていたのなら謝る」
「旅人、ね。遠路遥々ご苦労様、私は八意××と申します。貴方を都へと案内する前に二、三質問させてもらっても?」
「丁寧に名乗ってくれて有り難う、俺は田澤昴と言う。それで君が警戒を解いてくれるのなら、幾らでも質問に答えるよ」
少しでも怪しげな素振りを見せれば容赦なく射つと言わんばかりの視線を向けながら、少女は慇懃に名乗ってくる。
最初に弓を向けられた時点でこの対応は予想していたので、俺も自然体のまま名乗り返す。これくらいで一々過剰反応する程平和な旅はしていない。
彼女が俺への警戒と不審を解かなくとも、俺の方から危害を加えるつもりは全く無いのだと言う事を理解してもらえればそれで良い。
勿論、出来る限りの言葉を尽くして俺を受け入れてもらえるよう努力はするが。
「まず、此処へはどうやって来たのかしら? そしてそもそも、此処が何処か分かってる?」
黒い髪に黒い瞳、おまけに着ている物まで黒の長衣と全身黒ずくめの地上人への尋問を開始する。
これと言って脅威は感じられない、はっきり言ってしまえば今すぐにでも始末は可能だろう。だが、全く情報を引き出さないまま殺す訳にもいかない。
どのようにして月を訪れたのか、他に侵入者は居るのか。最低限この辺りは知らなければならないし、事情によっては情状酌量の余地も有るだろう。
地上人が月に来れば、追い出されるか殺されるかの二つの末路。此処が月だと分かっているのならば速やかに始末すべきだが、そうでないなら手を下す必要も無い。
穢れた地上人には本来の居場所へとお帰りになってもらおう。
「移動手段は徒歩だ。そして此処に辿り着いたのは偶然、地名も何も知らんよ」
この言葉を文字通りに信じるのなら、この地上人は意識せずに月に来た事になる。『偶然』月に迷い込むのも、私の理論では有り得ないことではない。
しかしそれは確率と言うのも烏滸がましい、単なる人間に起こるとは到底思えない奇跡。何かしらの力を使って此処に来たのは間違いないだろう。
まだ今の段階では月と分かって移動してきたのかまでは分からないけど。
「どうやら君は、俺が此処に来れた事自体を問題視しているようだね」
「……それが理解出来るなら、私がこうして貴方に質問している意図も分かるのではないかしら?」
惚けたような台詞に思わず威圧を交えながら返す。本当に何も知らないのか、或いは知っていてこのように振る舞っているのか判断が付きかねる。
思った以上に厄介な相手だ、普通は丸腰の所に武器を向けられれば何かしら余計な事を口走る物だと言うのに。この地上人は少なくとも表面上は冷静さを崩していない。
「いや、本当に見当が付かないんだ。……この地は君達の隠れ里、と言う事かい?」
「……まあ、そう考えてもらって構わないわ」
「ふむ、君が俺をそこまで警戒する理由はそれか。悪かった、引き返す事にするよ。迷惑をかけたな、八意××」
「っ!? 貴方、私の名前を」
月の事情を察したのか、それとも退き時だと判断したのか。地上人は都に向かうつもりは無くなったらしく、私に背を向けて歩き出そうとしたが。
その間際に地上人には発音不可能な私の名前を完全に発声し、驚愕のあまり思わず声を漏らしてしまう。これ以上無い不意打ちだ。
「……待ちなさい、田澤昴。貴方を見逃す訳にはいかなくなったわ。私と一緒に来てもらうわよ」
この男が単なる地上人では無い事が判明した以上、私一人の問題ではなく月の都その物の問題にしなくてはならない。
侵入方法や動機の有無より、この男の素性を知る方を優先するべきだ。私の名前を発音出来た以上、月人の地上に残された親戚縁者と言う可能性も僅かながら存在する。
流石にそれは無いと思うが、他にもあらゆる可能性を考慮して詳しい取り調べをする必要が有るだろう。
「今の会話に、警戒すべき要素が有ったと言う事か」
「貴方が何も疑問を抱いていない事が、ね」
「……とりあえず、要求に逆らう気は無い」
「私の横に並びなさい、案内するわ。命が惜しければ、妙な動きはしない事ね」
そうして到着するまでの間に出来る限り情報を引き出そうと、何気ない会話の合間にそれとなく質問を投げかけてみたが……
この男、思った以上に頭が良い。と言うよりは、明らかに知識のレベルが地上の常識を超えている。それは、戯れに語った私の理論に対応する程に。
私の理論を理解するのは月人にとってすら困難な事なのに、この男は最初から知っていたかのように振る舞い、そして私ですら感心させられる理論の補足を行う。
……面白い。地上人がこれ程の知識と理解力を持っている事もそうだが、それを驕る事の無いこの男の人格。何より、私がレベルを落とさなくとも普通に会話が成立すると言う事が。
生まれてから今に至るまでの長きに渡り、尊敬出来る者は居ても私に並ぶ頭脳の持ち主は見付からなかった。自分に並ぶ、若しくは上回るかもしれない相手との遭遇。
そんな得難い機会に柄にも無く興奮し、とにかく会話がしたい、もっと色々と理論をぶつけ合わせてみたい、そんな思いでいっぱいになった。
だからだろうか、私は忘れてしまっていた。今私達が向かっているのは何処なのか、彼が警備部隊に見つかればどうなるのか、を。
八意に案内されて歩き始めてから結構な時間がたった。理知的な第一印象に違わず、相当に頭の良い人らしい。
日常会話のような流れで量子力学の話題を振られた時はかなり焦った。理解していて当然と言わんばかりの表情に驚愕しつつ、対応する事には何とか成功。
一応その手の知識は豊富だし会話の流れを止めて機嫌を悪くされても困るので、話が盛り上がるようにも気を遣った。
その結果、思った以上に八意は喜んでくれたようなのだが……さて。
「俺は逃げも隠れもしない。大人しく監視は受けるから、いい加減出てきてくれないか?」
返答は光線銃による狙撃だった。相手の気配は分かっていたので、予め発動待機していた魔力防壁を展開して防ぐ。
個人的に今までの喜びようが芝居だったのかと気になり横目で八意を覗き見たが、表情を見る分には彼女にとっても予測していなかった事態のようだ。
……いきなり弓を向ける程に敵意が有ったのだから、自分達の拠点に連れて来ればこうなるとは容易に予想出来そうなんだが。意外にうっかりなんだろうか。
「随分手荒な歓迎だな」
「認識に間違いが有りますね、地上人。私達は歓迎などしていない」
「……そうかい」
魔法によるものか、はたまた科学技術によるものか。攻撃の寸前まで姿を消していたウサ耳少女が、ライフルのような物を構えて睨んでくる。
どのくらい話が通じる相手なのか確認する意味も込め格好つけた冗談を返すが、どうやら会話は成立しない相手のようだ。俺が何を言っても警戒は解いてくれないだろう。
……まあ、大体の事情は見当がついた。彼女達が侵入を警戒している相手は件の地上人とやらで、それらは基本的に排除の対象なのだろう。これくらいの対応には慣れているが。
「君達に危害を加えるつもりは全く無いし、要求にも従うつもりだ。だから、警戒を解いてくれないか?」
「地上人を信用出来る筈が無い。そもそも地上人が居るだけで、月が穢れる」
「月?」
「あ!? え、えーと、それを知られたからには尚更生きて帰す訳には行かなくなりました!」
「理不尽な……」
戦闘体勢に入っているし、無駄だろうとは思いながら一応最後の説得を試みるも。良く分からない内に更なる言いがかりを付けられてしまった。
八方塞がりってヤツだな、これは。ここで応戦するのも正当防衛と言えない事は無いだろうが、先に此処のルールを破ったのは俺なのだ。
しかし、大人しく殺される気は流石に無い。こうなってはもう何をやっても意味が無いので、退散する事にする。
『扉』も含めた逃走手段を数パターン考慮しつつ、相手の隙を窺っていると思わぬ所から援護が来た。
「待ちなさい、玉兎。この方は普通の地上人とは違う賢き者。月に迷い込んでいたこの方を私が見付け、保護をする事に決めたの」
「や、八意様…… そう言われましても月を守るための規則ですし、これ以上仕事をサボったら教官に何を言われるか……」
俺の側にいた八意が前に出てきて、やや威圧的に説得を開始。彼女は此処でかなりの地位に立っているのか、途端にウサ耳少女の態度が変わる。
だが、かなり戦意を失ったように見えるとは言っても俺を排除する気まで無くなった訳では無いらしい。動機は結構不純なようだが。
「……庇ってくれて有り難うな、八意。嬉しかったよ」
「でも、田澤さん!」
八意が此処でどのくらい偉いのかは知らないが、この若さだ。侵入者の処遇をどうこう出来る程の権力者では流石に無いだろう。
これ以上擁護してもらっても八意の立場が悪くなるだけだ、そう判断してこの場からの離脱を図る。魔力で身体能力を強化しつつ後方に飛び退く。
そのまま反転し、彼女達の視界から離れるべく一目散に来た道を走る。途中光線銃による攻撃にさらされるも、このくらいなら問題は無い。振り返る事なく気配を頼りに回避する。
俺が最後に見たのは微妙に名残惜しそうな表情の八意と、彼女に足蹴にされているウサミミ少女だった。……あれ、警備兵を足蹴に出来るって相当立場が高いんじゃ?
結局、あんな大立ち回りをした後で『やっぱり君を頼る事にするよ』なんて戻れる訳も無く。転移してきた辺りまで走ってきた後で『扉』を開き、その中に体を潜らせる。
「ふう、いきなり失敗か。前途多難だな」
『扉』の繋がる先は、名状し難い色彩に輝く空間。そして、俺が転移する際の中継所にしている崩れ落ちた廃墟のような城。
暗黒の異空に聳える正体不明の建造物……とは、流石に気取り過ぎか。『扉』を閉じ、あの場所との関係を完全に遮断しつつ溜息を吐く。
「まあ、この程度で諦めてはいられん。時代と場所を変えて、もう少しこの世界で粘ってみよう」
武器・本・機械等の雑多な物品が散らばり、無数の石碑状オブジェクトが乱立する城の中。瓦礫を積み上げて作った簡易な椅子に腰掛け、これからの事を考える。
とりあえず、この世界に人に類する知的生命体が存在している事は確認された。先ほどの場所、月では歓迎されなかったが地上とやらではどうか。
月と同じように人が生活しているとすれば、其処でも同じように排斥されるのか、それとも受け入れられるのか。今の時点では分からない。
しかし少なくとも、この城で燻っていては何も進展は無いのだ。行動を起こすべきだろう。
「少し休憩を取ったら、早速地上とやらに『扉』を開いてみるか……」
当面の目標を定めた俺は、一時の休息を取るべく目を閉じた。