幻想郷は冬を迎え、各地は雪に包まれた。一面の銀世界、しんしんと降りしきる雪は正に幻想的としか例えようのない光景。
勿論気温も氷点下まで下がっており、決して快適に出歩ける環境でも無いのだが……その点は、俺にとって無用の心配。愛用の黒コートが外気の影響を和らげるし、いざとなれば魔法で周囲の温度を弄る事も出来る。
頻度こそ少なくなったが、俺は未だに幻想郷全域をぶらつく機会を作っている。
友人に会いに行く、外の世界に行く、『田澤昴』の情報を書き進める、など意外に予定も多いので、意識して時間を作らないと中々成果が出ないのだ。
「今日は……魔法の森探索の続きかな」
以前にも魔法の森を訪れた時は有り、その時に二つほど家も発見したのだが……片方は全く知らない人が住んでいるようだったので、声をかけるのは遠慮した。
そしてもう片方は何と魔理沙の家だったらしく、ばったり遭遇した時は互いに驚いてしまった。家の中には上がらせてもらえなかったが、まあ俺達の交友関係的には当然だろう。顔と名前くらいは知っている、と言う程度でしかないし。
前回の事を思い出しつつ、俺は飛行して魔法の森を目指す。
瘴気に満ちた場所との事だったが、実際に行ってみると見どころの有る名所である。茸の胞子、幻覚を無効化出来るのであれば、その独特の環境が中々興味深い。
「む、あれは……?」
森に到着する直前で、俺は奇妙な建物を発見した。そこそこの大きさを持った家らしきそれは、森の入り口付近に接するような形で建てられている。
家と断言出来ず、奇妙と評したのは、家と呼ぶには大き過ぎ屋敷と呼ぶには形状が適さないと言う中途半端な外見が理由だ。
一般的な家の後ろに更に大きな家を並べた感じと言うか……全体としては何となく、権現造の神社にも似ている。
不思議に思ったので、降りて確認する事にする。降り積もる雪に足を取られないよう着地、道を塞ぐ雪を魔法で適度に溶かしながら近づく。
「香霖堂、か。ふむ……骨董品店か何かだろうな」
粉雪に包まれ微妙に視認し難くなっていたが、建物に掛けられた看板に店名と思しき物が刻まれている。
名前の響きと言い、この建物の形状と言い、骨董品等の物品を扱う店と考えれば納得がいく。人里の外でこのような場所に出会ったのは初めてなので、興味を持って入店してみる。
玄関扉を軽くノックしてから、ゆっくりと開ける。……建物の古臭さに比して、何故か扉の開閉がスムーズだ。つい最近修繕したのだろうか。
「……まあ、立地も悪いからなあ」
入店して早々、思わず失礼な事を呟いてしまった。店内は静けさに包まれ、人の気配はごく僅か。恐らく、店主一人と言う状況ではないだろうか。
人里から歩けば普通の人なら難儀する道のりだし、妖怪が来るとしても魔法の森付近と言うのがネックだろう。耐性が無ければ妖怪でも森に入るのを躊躇するらしいし。
何故店主はこんな土地に店を開いたのかと微妙に悩みつつ、店内を歩き回る。すると、予想に反して驚くべき物で溢れかえっている事に気付いた。
「『この時代』における旧式の携帯電話……こっちはショルダーフォン? うお、真空管テレビとは」
趣こそ僅かに違うが、確かに骨董品では有る。探せばこのような品揃えの店も珍しくは無いだろう。
しかしそれは『外の世界』においての話である。幻想郷においてはそもそも電化製品と言う時点で珍しいと言うレベルを超えている。……河童など一部の妖怪には、謎の技術が満載された道具を扱っている者も居るが。
「おや、それらの名前が分かるのかい」
「え、ええ。済みません、声が大きかったでしょうか」
それら『骨董品』を眺めていると、いつの間にか眼鏡をかけた銀髪の青年が近づいていた。青と黒のツートンカラー、洋服とも和服ともつかない独特の服で装っている。
まあ、普通に考えて店主だろう。静けさに満ちたこの店で声を出したと言う負い目が有るので、慌てて頭を下げる。
「いや、別に迷惑はしていないよ。他のお客様達はいきなり煩く話しかけてくるのが普通だからね。おまけに物を買わない」
「は、はあ……」
一体どういう人達なんだ、それ。話したい事だけ話して、そのまま帰ると言うのだろうか。余計な心配だろうが、果たして儲かっているのか気になる。
「その点、君は店に入ってきても暫く落ち着いて物を見てくれているようだったからね。
何か買ってくれるのではないかと、少し様子を見に来た。しかしさっきの反応を見ると、君は中々詳しそうだ」
「一応は、詳しいでしょうか。名前と使い方が分かる、と言う程度ですが」
「使い方が分かる? それは本当かい」
青年は俺の言葉に驚いたようで、眼鏡の奥の瞳が僅かに揺らいだ。……え、使い方が分からいのに売っていたの?
「今見ていた物なら、概ね分かります。……差し出がましいようですが、お教え致しましょうか」
「差し出がましいだなんてとんでもない、僕から頼みたいくらいだ。
そう言えば紹介が遅れた、僕はここ香霖堂の店主、森近霖之助だ。よければ君の名前を教えてくれないか」
「これはご丁寧にありがとうございます。私は田澤昴、旅人を名乗らせて頂いている人間です」
青年は森近と言う名前らしい。まさか、名前になぞらえて森の近くに店を開いたのだろうか。流石に逆は無いだろうし。
森近さんの自己紹介に返して俺も名乗ると、彼は思案気な表情になって首を傾げた。そのまま暫く悩んでいたようだが、思い出せないと判断したらしく話題を戻す。
「田澤昴……どこかで聞いたような気もしたな。まあ、今は置いておくとしよう。早速で悪いが、これらの使い方を」
「ええ、ではまずこの小型の棒からでしょうか」
「僕にはそれが『携帯電話』であり『遠くの人と会話する』と言う用途であると思える。しかしどこを触っても、それらしき使い道は思いつかないんだ」
おお、名前と用途は完全に把握しているのか。直感で判断したと言うには自信と結果が伴いすぎているので、おそらくこれが彼の能力なのだろう。
この二つに関しては余計な気遣いは無用であると判断し、説明の仕方を変える。
「確かにその通りの名前と用途です。
しかしこれは使用する為の動力が失われているので、たとえ正しい使い方が分かっても動かせないですね。それでも良ければ、一応使い方を教えましょうか?」
「ふうむ。発条が巻かれていないような物、と言う事か…… とりあえず、出来る範囲で教えてくれると有りがたい」
「分かりました。それでは……」
電波や電子的な制御方法と言った細かい部分は除いて、電話番号の概念やボタンプッシュの方法、数字以外のマークの意味を教える。
森近さんは俺の説明に真剣に耳を傾け、質問し、慣れない手つきながらも実際に弄ってみるなどし、数十分程で『電話をする』と言う事の意味と方法についてマスターした。
「成程、便利な物だ。いや、電気とやらが無ければ使えないと言う事を考えると、不便でもあるな」
「発条仕掛けとは違い、基本的に個人では補充出来ませんからね。そういう能力を持っているならば別ですが、外の世界でそれが出来るのは非常に稀です」
正直な話、未だに外の世界でそんな異能を持つ存在に出会った事は無いが……現人神の少女が居たくらいだし、探せば電気を操る能力者も少しは居そうだ。
とは言えそれは例外中の例外、どんな方法を使うにしろ基本的に科学の力で生成した電気が必要だ。そして、それを公共のサービスによらず自分で作り出し扱う人は超少数派だろう。
「外の世界では、道具を使いこなすわりにその理屈や作り方を知らない人間が多いと聞いた事も有るが……それが影響しているのかな」
「ええ、そうでしょうね。携帯電話の原理や作り方を全く知らずとも、何も支障は無い訳ですから」
「……しかし、君は知っているように見えるな。よく考えれば幻想郷に住む人間でここまで外の世界に詳しいと言うのも、妙だ」
遂にと言うか漸くと言うか、森近さんは俺がここまで外の世界について語れる事の異常性に気付いたようだ。
しかしそこに警戒の調子は無く、純粋に興味を持った故の高揚が感じられる。話すべきか迷ったが、悪意は無い瞳なので素直に説明する事にした。少しの野心も見えるが、むしろその方が普通だろう。
「私は、外の世界と幻想郷の往来を可能とする力を持っています。外の世界に出て、そこで見知った知識を賢しらに語っているだけ、と言う事です」
「……田澤くん、それを聞いて思い出したよ。
何処かで君の名前を聞いた事が有ると思っていたが、幻想郷縁起の草案に載っていたんだった」
「阿求ちゃ……稗田様の?」
「天狗の新聞でも読んだが、君の方が年上かつ目上だろう。僕に敬語を使われても少し困るな」
幻想郷縁起に、天狗の新聞か。いつぞやの取材の際に阿求ちゃんと射命丸が書いた物だろう。
人里の外に住む森近さんにまでその情報が届いている事に驚きを感じる。そもそも幻想郷縁起はともかく、新聞が個別に届くと言う事は射命丸と最低限度の交流を持っていると言う事でもあるし。
とりあえず、森近さんは俺の素性に気付いたようだ。店主に横柄な口調を使うのも気が進まないが、困るとまで言われたので普段の口調に近付ける。
「そう言う事なら、敬語は止めるが……」
「新聞を読む限りではそれが普段の口調なのだろうし、僕に気を遣わなくても良い。
千年以上生きている魔法使いに敬意を示されても、僕の方が末恐ろしくなってくる」
言われてみれば、それも分からなくはない。幸か不幸か、未だに『我等』以上の時を生きた生命種に出会った事は無いが……
例えば俺が平穏な時代に生きる『田澤昴』のような青年だったとして、齢七十を超えた科学界の大権威に敬語かつ丁寧な態度で接されたらパニックになるだろう。
「それでは……この口調で話させてもらう。とは言え、客としての分は弁えるよ」
「まあ、それだけで十分だな。……次の物も教えてくれないかい?」
け、結構森近も恐れ知らずだな。これまで中々周囲に居なかったタイプの人間だ。
しかし、それが不快かと言えばそんな事は無い。やはり、対等な立場で接してくれると言うのは嬉しい物だ。
俺は数時間かけて、ショルダーフォンと真空管テレビの概念と使い方を教えた。
やはりこれらも電気が無ければ動かず、その上電波の送受信が無ければ意味が無いので、殆ど実感は湧かないだろうが……森近は喜んでくれた。
「電話、と言う言葉自体が興味深いね。『電気で言葉を作り、会話する』と言う工程を端的に示している訳だ」
「携帯電話と言うのも正に字義通りだ、『携帯出来る電話アイテム』だからな」
「字義通りと言えば、『テレビジョン』もそうだ。テレとは遠隔の意味で、ビジョンとは映像。用途も『遠くの景色の霊を映し出す』。
仕組みや使い方も教えてもらった今となっては、正に名前がこの道具の全てを物語っていると分かる。本当に興味深いな、外の世界では道具に役割その物の名前を与えるのだろうか」
「概ね、その傾向は有ると思う。乾いた空気を湿らせる『加湿器』と言う物があるが、これも正に読んで字のごとくだ。
どの言語で呼ばれるかにもよるが、電化製品と呼ばれる道具は大体が名前で機能を示している。使い方は、似ているようで違う物も多いが」
「確かに、外の世界の道具は見た目からでも使い方が分からない物が多すぎる。
幻想郷の人間によって作られた道具は名前と用途が分かれば使い方もおのずと分かるが……外の世界の写真機にはフィルムを入れる場所もない物が有って、あれには困った」
森近はそう言うと、近くの棚をごそごそと漁り片手に収まるくらいの小型カメラを引っ張り出した。
そのまま差し出してきたので、これも解説してほしいと言う事なのだろう。受け取り、どういう物か確認する。
「これはデジタルカメラだな、大まかに言えばフィルムは使わないタイプのカメラだ」
「デジタルカメラ、と言う名前は僕も分かっていたんだが……フィルムを使わないのであれば、どうやって写真を現像するんだい?」
「俺も専門では無いから詳しい事までは言えないが、デジタルカメラでは現像と言う工程がそもそも無い。
被写体に向けてシャッターを切る、そこまではフィルムカメラと一緒だ。しかしその写真をフィルムに焼き付けるのではなく、『情報そのもの』として内部に保管する」
概ね間違ってはいない筈である。この辺りは専門家である射命丸に聞いた方が……って、そう言えば彼女は意外とカメラの仕組み自体を深く理解しているようには見えなかったな。
「『情報そのもの』……つまり、手に取って見れる写真とは違い、実体は存在しないと言う事かな」
「電気信号の上に在ると言えなくもないが、それを意識しない限りは無いに等しい。実体は何か、と考えた時にのみ生ずる幻想と言えるだろう」
記録媒体こそが実体と考える事も出来るが、余程の異能を持った人間でもない限りメモリを手にもって画像データを脳内に出力するなんて不可能だ。
電気信号のパターンが重要なのであって、収めている器自体に意味は無い。そこを勘違いすると、それこそ本質を見誤る。まあ、芸術のような物と捉えれば器を飾りたてる意味も出てくるが……今の所、カメラ本体はともかくメモリ自体を美麗に加工する者は居ないようだ。
斬新で面白いとは思うが、斬新で面白いだけと言うのが唯一にして最大の問題だろうか。意味を求めないのが真の趣味だとは思うが、それにしてもマイナに過ぎる趣味だからこそ表に出てこないのだろう。
……ここまで考えた所で、自分の世界に入り込み過ぎている事に気付いた。
解説の途中でいきなり黙り込み、これでは森近も迷惑だろうと申し訳なく視線を向けたが……彼も腕を組んで目を瞑り、思考に没頭していた。どうやら、似た者同士だったようである。
「外の世界では、写真さえも神のような存在になっているのか」
「む? 写真が神……ああ、厳密な一個体として存在せず、その意思が有れば無限に広まっていく姿は、八百万の神にも見えるか」
森近が物憂げに呟いた言葉の意味を理解した時、純粋な感心に包まれた。
森近は俺が『情報そのもの』と表現した画像データの在り方を八百万の神に例えたのだ。確かに、データはコピーされても同じ姿が複製されるだけであり、元々の情報も複製された情報も変化しない。これは神が分霊を作り出す姿にも通じる物がある。
……しかし、俺は『情報そのもの』とこそ言ったが、データコピーの概念、インターネットと言う情報交換の土壌については全く触れていない。自分一人でそこまで辿り着いたとすれば、中々に自由な思考の飛躍をしている。
「そうだとすれば、それは僕の手に負えない物かもしれないな。意図して神を生み出すなど、驕りでしかないだろう。
神は存在する為に必ず宿る場所や物質を必要とする。デジタルカメラがそれら『情報の神』とでも呼ぶべき存在の依代となるのなら、外の世界の人間は賢くも愚かに『神を生み出し、記録する』と言う神器を作り出した事になり……」
「ほ、本当に自由だな」
途中から自らの思考を纏める為の呟きとなった森近の言葉。俺も周囲からこう見られているのかと思い至り、苦笑が漏れる。
一対一の会話で一方が思考に没頭すると、話が進まない。俺がそれを体験する立場になるのは珍しく、この状況が逆に面白く思えてきた。漏れ聞こえる森近の考察は興味深くも有るし。
……個人的に、『神を生み出し記録する神器』と言う言葉に注意が向いてしまった事も大いに影響している。
デジタルカメラを手慰みに弄りつつ暫く待っていると、数分後に森近は復帰してきた。
「……これはまた夜にでも考える事にしよう。今は君に聞きたい事が多いし」
「ん、次は何だ?」
「使い方が分かっても使えなければ、売り物にも非売品にもならない。と言う事で、すぐに使えるような物についてだ。悪いけど、着いて来てくれ」
森近はそう言うと、店の奥の方へ歩いて行った。俺も元有った棚にデジタルカメラを戻しつつ、森近を追いかける。
何処かで見たような物ばかりが雑多に並ぶ店内が楽しく、童心に帰ったような心持で歩いている内に、いつの間にかカウンター近くに到着していた。
「これだ。僕も名前と用途から大まかに使い方を推察する事は出来たのだが、どうしても納得がいかない部分がある。僕の推察に間違いが有れば、遠慮なく教えてくれないだろうか」
「壺……いや、水煙草か」
森近が示したのは、俺の膝上まである豪華な水煙草。成程、電化製品とは違って使い方が分かればすぐにでも使用可能だ。名前が分かるのであれば、煙草の用意は既にしてあるのだろうし。
「これに関しては俺も実際に扱った事は無いが……一応、知識としては持っている」
「知識が有るなら十分だ。僕が試しにやってみるから、間違いのある部分で指摘してくれ」
森近はそう言うと、椅子を動かして水煙草の前に座った。そして上部を取り外し、傍らの棚から取り出した煙草を壺の部分に直接……
「あ、それは違う。そこには水だけを入れるんだ」
「何だって、それでは煙草は何処に入れるんだい」
「さっき外した部分に燭台のような所が有るだろう? そこに入れるらしい」
「そうだったのか……折角水の中でも火が消えない煙草を作ったのに、残念だ」
そ、それって酸化剤を添加したって事か? おそらく落ち着いて喫煙する時間は無くなると思うんだが……幾ら『水』煙草とは言え、水中に煙草を投入しようとは中々凄い発想だな。
「まあ、気を取り直して……まずは、水を入れてみてくれ。上部から伸びている管が少し浸かるくらいにな」
「分かった、やってみよう」
森近は水瓶から水を汲んで来て、壺の形状をしたガラス部に注いだ。水量を調節した後上部を取り付け、その後に改めて取り出した煙草を燭台に乗せた。
「これで、煙草に着火すれば良いのかい」
「む、何かが違ったような…… ああ、そうだ。煙草自体も専用の物を使う必要が有った筈だ。そして直接の着火ではなく、炭で間接的に加熱するのだ」
「専用の? 困ったな、今まで『水煙草専用の葉』と言うのはお目にかかった事が無いぞ」
「要するに煙草の煙を水に潜らせてから吸う訳だから、水を通しても薄くならない、キツイ葉を使えば良いのではないか? ……多分だけど」
「多分と言うのは気になるが、理屈には納得がいく。煙管の葉なら有った、それを使ってみよう」
森近はそう言うとカウンターの棚を引き出し、あれこれ探ってから小箱を取り出してきた。その中から刻み煙草を掬い、軽く丸めてから燭台状の皿に乗せる。
そして一旦店の奥へ引っ込み、少しして小さい木炭を手に戻ってきた。おそらくそちらが彼の居住スペースなのだろう。
「……あれ、そう言えば何で炭を使うんだっけ」
今更その疑問が浮かんできた。炭を使うのは水煙草専用の葉には直接火を着けにくいからで、代用品を使っているのであればむしろ時間がかかるだけのような気も……
「わ、悪いが炭は要らないかもしれん。水煙草専用の葉は水気を持っているから炭を使う、だった気がする」
「なんだか試行錯誤感に溢れているな。でも、これも面白い」
せっかく持ってきてもらった木炭は使わない事にして、丸めた刻み煙草に直接着火した。
途端に広がる、煙草独特の香りと煙。十分に煙が出ている事を確認してから、俺は森近を促した。
流石にこれだけ条件が揃えば、森近も使い方は完全に理解したらしい。元々自分で考えていたようだし、吸い方自体は正に見ての通りだ。
森近はホースに口を付け、空気を吸い込む。気泡の音と共に煙は水を通り、そのままホースを伝って森近に吸引される。
「……確かに煙の濃さが程良くなっているな。水を通った事で冷やされていると言うのも中々爽快だ、何より腰を落ち着けて吸えると言うのが嬉しい」
「うむ、試行錯誤では有ったが成果は出たと言う訳か。ただ、これはあくまでも代用品だからな。
余裕が有れば、水煙草専用の葉を探してみても良いと思う。本物は糖蜜やら香料やらを加えて匂い付けをしているらしい」
「糖蜜か、直接火を着けるのが憚られる訳だ。……お礼と言うには見返りが少ない気もするけど、君も吸うかい? ホースを繋げる場所はまだ何個も残っているよ」
「いや、遠慮しておくよ。ここまで説明してきてアレだが、俺は煙草を吸わないのだ」
水煙草も、あくまで知識として吸い方を知っているだけ。だからこそ実際に使い方を解説する際に、あたふたする事となっている。
そして何もこれは水煙草に限った話ではなく、葉巻、煙管、パイプ、嗅ぎ煙草、噛み煙草、あらゆる煙草を俺は吸わない。別に主義主張が有る訳ではないが、何となく遠ざけてしまうのだ。
「そうか……嫌煙家、と言うものかな? 吸わず嫌いと言うなら、一度は試しても良いと思うが」
「いや、大昔に自作の煙草を吸っていた事は有るんだ。
魔法使いに成りたての頃、トランスする事によって魔力を高められないかと考えた末の結果だったんだが」
これに関しては、半分は事実である。『俺』は未だに吸った事が無いが、『田澤昴』は今述べた通りの理由で吸っていた期間が有る。
しかし、それにしても半ばマジックアイテムのような扱いで吸っていた訳で、嗜好品として捉えていたかと言うとそうではなく。……そもそも、その頃の『田澤昴』には既に嗜好品を楽しめるような精神の安定は残されていなかったのだが。
「ふむ、巫女が神憑りする時に酒を使うように、魔法を扱う為に煙草の力を借りたと言う訳か」
「それこそ酒の力も借りた時が有るぞ、蜂蜜酒を自作した事が有る。こっちは相性が良かったのか、今でもちびちびと嗜んでいるがね」
まあ、流石に『田澤昴』が当時作っていたレシピの物を飲み続けている訳ではないが。
『俺』がかの蜂蜜酒を愛飲していれば、遠回しなギャグだろう。何せ、『俺』自身が『
「まあ、嗜好品だからこそ好みは分かれる物だね。無理には勧めない」
森近はそう言うと、再び煙を吸い込んだ。自身で言った通り味は中々の物のようで、至福の表情をしている森近。
何だか置いてきぼりにされた感も有るが、俺のアドバイスで導けたのならそれはとても嬉しい事だ。何となく笑みを浮かべ、森近の様子を眺める。
「ふーっ。……ああ、済まない。すっかり田澤くんを蔑ろにしてしまったよ。
流石にここまで良くしてくれた相手を手ぶらで帰すと言うのは気が引ける。裏の倉庫を見て行ってくれ。非売品なので出来れば見逃してもらいたいが、外の世界の知識と水煙草の使い方を教えてくれた礼だ」
「ふむ……それなら、見繕わせてもらうかな」
「でも、一応は僕に見せてからにしてくれ。さっきの言葉と矛盾するようだが、どうしてもあげられない物は有るからね」
一応は店主と客と言う立場なので、交換条件を成立させないと森近も変に遠慮してしまうかもしれない。
そう考えた俺は、言われた通り倉庫に入ってみる。倉庫の中は店内以上に物品が雑然と並んでいて、単なる移動にアスレチックのような挙動を強要される。
しかしそこにある物品は森近が非売品扱いにした理由も分かるくらい、色々な意味で他人に渡してはいけない物ばかりだった。
ガソリン臭のするジェリ缶、ラジエーションマークのプリントされた容器など外の世界でも物騒な物が置いてあるかと思えば、整備されているストーブ等の実用品が複数ストックされていたり、縁起物らしき物体やマジックアイテム、果てには神器と思しき道具が転がっていたりと実に混沌としている。
危険物の保管方法を教えてからでないと帰れないな、と思いつつ探し回ってみていると……ふと、目についた物が有った。
「……これは」
床に置かれた小箱に複数個並べてあったのは、華美な装飾の無い無骨なジッポライター。
その中の一つ、年季の入った銀色のそれを手に取り、込み上げる懐かしさのような感慨に浸る。……これを頂いておこう。
俺がジッポライターを手に店内へと戻ると、森近は不思議そうな表情を浮かべてホースから口を離した。
「おや、それひとつで良いのかい? あげられない物も有るとは確かに言ったが、幾ら何でも遠慮のし過ぎではないかな」
「まあ、何やら色々と凄い物が転がっていたが……その中で、最も心惹かれた物はこれだったんだ」
「それは外の世界の道具としては珍しく、用途が分かった時点で使い方も分かったし便利でも有るから非売品にはしていたんだが……まあ、気に入ったのなら僕が引き留める理由はないな」
「ありがとう、俺としては十分良い取引が出来たと思っているよ」
心から、そう思う。正直な所、電化製品の使い方や水煙草の使用方法を教える程度なら幾らでも出来る事だ。
そんな、言ってしまえば『当然の事』で森近と交友を持つ事が出来て、その上でこの感慨に浸れるとは……思わぬ幸運だ。
「煙草の話の後に携行の着火具とは、何だか面白い。久しぶりに煙草を吸う事にでもしたのかね」
「いや……これはキャンプ用具として使っていく事にしようと思う。大昔に、似たような物で旅をしていた事を思い出してね」
それこそ、煙草を吸うようになる前の……『田澤昴』が平穏な世界で生きる普通の青年だった頃の話だ。
その時の感慨が意識せず呼び起こされたと言う事は、『俺』の中にも確実に『田澤昴』の生きた経験が、『記録』ではない感情も受け継がれていると言える筈だ。
俺は僅かな嬉しさに包まれながら、外が暗くなるまで森近と語り合った。
何だか区切りと言う感じのない話ですが、一応これにて紅魔郷後の日常話は終わります。
次は閑話等を入れた後、時系列的には妖々夢に突入していくので、改めて宜しくお願いします。