『外界における、とある日の旅人と隙間』
アスファルトで舗装された道路を忙しなく行き交う車の群れ。その中の一台、やや古めかしい黒のセダンを運転するスーツ姿の青年。
それ自体は何のことも無い実に在り来たりの光景だが、ハンドルを握る青年こそが異端。運転席に座るのは、外界においての仕事着で装う旅人。『風変わりな賢人』、田澤である。
「時刻は7時……始業時間には十分間に合うな」
田澤は備え付けられた時計に目を向け、呟く。
彼は占い師としての仕事場、とある商店街に向かう為に車を走らせているらしい。遥かな過去から生き、『神』としての本質を隠し持つ彼が車に乗って通勤する姿はどこか滑稽でさえあった。
しかし、田澤本人はその事に疑問を持っていない。自身は人間であると考える田澤は、外界に適応する事に何の苦も無いようだ。
『幻想』と『現実』、その垣根は田澤にとって高い物では無い。『扉』によって結界を容易に乗り越える事が出来るという要因もあるが、一番の理由は田澤の精神性だろう。
「今月分のテナント料は既に払ったし、今日の収入もあると考えれば資金に余裕は有る。
大部分は富士山への旅行に回すとして。前回の件も有るし、伊吹にビール……いや、奮発して大吟醸でも……」
まだ仕事前だと言うのに気の早い事を考えている田澤。その姿も、独り言の内容も、見た目通りの若者としか見れない現実的極まりない物である。
危なげなく運転しつつ収入の使い道を呟き続ける田澤だったが、その独り言は唐突に止まった。車内に違和感を覚えた田澤は、ふとバックミラーを見上げる。
「む、何だこの黒いの……って、うわぁ!?」
バックミラーの下部に色が覗き、疑問と共にミラーの角度を変えた田澤は驚愕の叫びを上げる。
鏡が映した後部座席、誰も居ない筈のそこには、濃紺のレザーキャップを被った金髪の女性。『神隠しの主犯』、八雲紫が満面の笑みを浮かべていた。
思わず取り乱した田澤は、ハンドル操作が危うくなる。咄嗟に切り返し大事には至らなかった物の、対向車線の車からクラクションを鳴らされてしまう。
「ち、畜生。危ないじゃないか、もし衝突したらどうしてくれる!?」
「田澤さんの技術を信用していたのですわ。月の飛行船も操縦したらしい貴方が、これくらいで事故を起こす訳は無いでしょう?」
「それとこれとは別問題だ!」
本当に焦ったようで、田澤の口調には普段の余裕が無い。
対する紫は田澤の大声もどこ吹く風と言った様子で、微妙に焦点のずれた答えで返す。それを受けた田澤は更に激情しかけるが、相手が相手なのでと自分を落ち着かせる。
「……こんなホラーまがいの演出までして、何の用だ?」
「ちょっとしたお話があったのです。まあ後部座席では色々落ち着かないでしょうし、そちらに行きますわ」
気持ちを切り替えた田澤が努めて冷静に問うと、紫は曖昧な返答をしつつ立ち上がる素振りを見せる。次の瞬間、紫の姿は助手席に在った。ご丁寧にもシートベルトを着用した状態である。
「……君も、中々ファッショナブルだな」
「服装を整えるのは嗜みの一つ。田澤さんも、もう少し服装に気を使ったら?
一張羅しか無いのかと思えるくらい、幻想郷では例の黒コート一筋じゃない。まあ、ここでもスーツ姿しか見ていませんけど」
「幻想郷では少し物騒な事に巻き込まれればすぐにボロボロになるし、勿体無い。……まあ、自分のファッションセンスにあまり自信が無いのも有るが」
外界への適応度合いを言えば、紫のセンスは相当な物があった。
普段のナイトキャップに変わる濃紺のレザーキャップを始めとして、薄紫色のシャツと赤いプリーツスカート、更には空色のデニムコート。本人の美貌も全く見劣りせず、『誰もが振り向く』と言う形容が過言ではない姿。
田澤は更に何かを言いたげに口を開きかけて、それを溜め息で消した。僅かに落ち着かなくなり、対応に迷っている風な印象である。
紫はそんな田澤の反応を見て、面白そうに笑みを深めた。悪戯気に身をよじり、わざとらしく肉感を強調するような体勢を取る。だが、これに関しては紫の思ったような反応とはならなかった。
「……はしたないから止めておけ。安売りするような物でもないだろ」
「あら、露骨なのはお嫌いと。そう言えば以前幽々子とからかった時も、割と冷静でしたね」
田澤は一転して無表情になり、冷静に返す。まるで、彼を焦らせていた誰かの幻が消えたように。
紫は笑いを堪えるように下を向き、小さく体を震わせていたが。暫くして顔を田澤の方へ向けた時には……彼女もまた、無表情であった。
「さて、そろそろ本題に入りましょうか。
……田澤さん、最近は随分と『こちら』での生活基盤を整えているようですけど。果たしてどういう意図によるものかしら?」
「君の質問の意図も、よく分からんな。外界でしか手に入れられない交友や物がある。それを得る為に動いているだけだが」
「それだけにしては、随分と気合の入った工作をしているわよねぇ。
目を付けられた時に魔法を使えば良いだけなのに……わざわざ戸籍を偽造して、更にはこんな物を作って」
紫は口元だけに笑みを作り、どこからともなくカードを取り出した。そのカードには運転免許証の文字が有り、田澤の顔写真がプリントされている。
「それひとつが有れば、大体の身分は魔法要らずで誤魔化せるからな」
「そう言う問題ではない。分かっていて、はぐらかしているわよね?」
「……外界に存在の形跡を残した事が、そんなにお気に召さないか」
「偽造とは言え、明らかになるまでは真実。そして、『こちら』にその名を刻み付けた事実は消えない」
紫は田澤が『現実』にその存在を知らしめた事に反感を抱いている様子で、不穏な雰囲気を漂わせる。運転免許証を弄ぶように握りながら、有無を言わさぬ口調で続けた。
「貴方が元々外界に住まう現実側の存在だったならば、私も見逃していた。
ですが貴方は遥かな過去より生き、その身に太陽神をも宿す歴とした幻想側の存在。博麗の巫女ほど重要ではないにせよ、幻想郷に居てもらわなければ困る存在。
外出や物品の取得までは認めましょう。その上で発生する最低限度の交友にも目を瞑りましょう。しかし、戸籍を作り記録を残した事は頂けない。……その情報を疾く消し果てよ、田澤昴!」
静かな激情を宿らせた紫の声に、田澤は一瞬目を細める。
物憂げな表情のまま沈黙した田澤は、少しの間を置いて自負とも自嘲とも、尊敬とも侮蔑ともつかない複雑な声色で答えた。
「八雲、君は本当に幻想郷を……『幻想』を愛しているのだな。
だからこそ『現実』に流出していく『幻想』を、俺を許す事が出来ない。そうだな?」
「『雄弁は銀、沈黙は金』と言う諺を御存じ? 今すぐに私が手を加える事も出来るのよ」
「安心したまえ。君が外界での身の振り方を熟知しているように、俺もまた『現実』と『幻想』、双方の領分を侵さない。何故なら、それこそが俺の……」
「貴方の、何かしら?」
言葉を不自然に切った田澤に紫は苛立った様子で問いかけるが、その苛立ちは次の瞬間純粋な困惑に取って代わった。
「……俺の、何だ? 次に続く言葉は一体……? まさか、『田澤昴』の……この状況が、彼の感情を……記録を?」
「……ハンドルから手が離れてますわよ」
田澤は目を見開いて、譫言のように理解不能な呟きを漏らす。傍から見ても尋常な精神状態ではなく、おまけに運転の義務まで放棄している田澤へ、紫は呆れたように指摘する。
「っ!? あ、ああ、済まない」
「……はぁ」
田澤は意識を取り戻し、咄嗟にハンドル操作を再開。幸いにも周囲に車はなく、事故に繋がるような事は無かった。
紫は気勢を削がれた様子で溜め息を吐きつつ、先程よりはやや弱めた語調で追及を再開。流石に有耶無耶なままでは終わらせないようだ。
「それで? 他に何か、申し開きは有るのかしら」
「……そうだな。お互い様だろう、と言っておこうか」
「あら、どんな意味?」
「俺達は両方の世界を俯瞰できる。君は妖怪として、俺は人間として行動している。立場が違うだけで、やっている事はほぼ同じさ」
「それは屁理屈ね。少なくとも、私はこちらに『八雲紫』としての痕跡を残しておりませんもの」
着地点を見せず、平行線を辿る二人の議論。
その最中に紫が発した言葉に対し、田澤は我が意を得たとばかりに笑う。彼としては珍しい、相手に威圧感を与えるような笑み。
「そこは問題ではない。やっている事が同じと言うのは、自分の信条に従って行動している部分さ。
敢えて悪く言えば、押し通したい我儘とでもなるか。俺は幻想に属する存在でありながら現実側でも過ごしてみたいと言う我儘を主張しているし……君は、幻想を自らの目の届く範囲に囲っておきたいと主張している」
「何を言って……!」
「君が俺に命じたのは、そう言う事だろう。俺という幻想が幻想郷から離れる事を良しとしない。
……君自身が妥協案を出した事から、実際にはそこまで苛烈な考えではないのだろうとは俺も思うがね」
田澤の冷笑交じりな指摘に、紫は怒りを見せる。それに対して田澤はフォローのような言葉を加えつつも、更に反撃を続ける。
「ともかく、先の命令は正論のように見せかけた君の感情論では無いか?
勿論一定以上に正当性のある意見である事は認めるが、俺の行動を強制するほどの物とは思えないな。君も、俺に感情論で指図されるのは嫌だろう」
「私が何か、貴方にケチを付けられる事でもしたと言うのかしら?」
「一応人間の側に立つ存在としては、人間を監視するような真似に良い印象は持てないな。人里に居る座敷童は、要するにスパイだろう?」
田澤が感情論として示した一例は、人里に住まう妖怪である座敷童の立場。
座敷童とは本来、住まう屋敷と住人に対して幸運をもたらすとされる存在であり、こぞって人に招かれる特殊な妖怪だが……田澤は、その彼ら彼女らの『役割』を紫に突きつける。
紫は一瞬だけ虚を突かれたように体を震わせるも、それを押し隠すかのように堂々たる態度を以て返した。
「幻想郷に対する良からぬ考えへ、最も効率的な防護策を取っているだけの事です」
「ああ、そうだな。人間が徒党を組み、勝手な事を考えると言う点は否定できない。
妖怪の排除を掲げる怪しげな集団ならば俺も見かけたし、秩序を保つ為にはやむを得ない事かもしれない。ただ、感情的には気に入らないというだけさ。
……どうだ? 自分の信条に沿った行動も、立場が違う者から気に入らないと見られる事もある。この辺りは、互いに妥協して折り合いを付けるべき物だろうな」
紫の答えに、田澤は同意しつつ自らの意見を付け加える。それを受けた紫は、田澤を見据えつつ静かな口調で。
「そこまで言うのならば、貴方にもそれなりの義務を果たしてもらわなければならない。
……くれぐれも度を越して外界と接する事の無いように。貴方と言う存在が現実の物となれば、常識と非常識を分ける博麗大結界に悪影響を及ぼす可能性は否定できない」
「それは弁えているよ。絶対に、そんな事は起こさないと誓う」
田澤は自負に満ちた様子で、力強く断言する。
すると、紫は張り詰めていた雰囲気をあっさりと解消させつつ、気疲れしたような表情で頭を下げた。
「……まあ、私より遥かに永くを生きている貴方ですからね。正直な話、元々あまり心配はしていませんでした。
とは言え、私にもそれこそ立場がある。出来れば外界との接触は控えて欲しいと言うのも本心でしたので、敢えて強制するような言い方をさせて頂きました。この場で謝罪しますわ」
先程までとは打って変わった紫の態度。これに驚いたのは田澤である。
「え、何だ、もしかして今までの高圧的な態度は演技だったのか!?」
「本心が三割ほど、と言った所でしょうか。ですが貴方も言った通り私に田澤さんの行動を縛る権利なんて有りませんもの。我ながら無茶を言っているとは思いましたわ」
「……それに対して俺は偉そうに説教したのか。関係ない事まで持ち出して、俺の方がよっぽど感情的じゃないか」
「ふふっ、ご高説には感動いたしましたわ」
「されると恥ずかしい……」
紫のネタばらしに、田澤は顔を引きつらせる。無意味に偉ぶり、的外れな演説をしていたも同然なので、羞恥心が込み上げて堪らないようだ。
「まあまあ、元気を出して。ほら、ここが貴方の仕事場じゃないかしら?」
「む……いつの間にか商店街に着いていたな」
そんなこんなでじゃれ合う内に、田澤の運転するセダンは仕事場である商店街に到着していた。
田澤はセダンを商店街付近の専用駐車場に入れ、一息を吐く。そのままミラーを使ってスーツの首元を整える田澤に、紫が声をかける。
「ここの方々、中々気さくで面白い人達よね。田澤さんに倣って、私も大根を買っていこうかしら」
「……頼むから俺の車に乗ってきたとは言わないでくれよ、話が変に広まると困る」
再び顔を引きつらせて頼み込む田澤。商店街の人達にハリウッドの女優とまで言われた紫と個人的な親交が有ると知られるのは恥ずかしいらしい。
二人はセダンから降り、それぞれ気配を外界で活動するに相応しい物へと変える。
田澤は物腰穏やかで知的な好青年に、紫は活力と明るさに満ちた美女に。両者とも、外見通りの若者としか見えない雰囲気である。
仕事場へ向かうべく田澤が歩を進めた矢先、紫が半ば笑いながら問いかけた。
「この車のメーカー、もしかして貴方なりのギャグ?」
「……まあ、一方的な親近感を覚えたという理由は確かに有るかな」
『幻想における、とある店主の考察』
数々の物品が用途不明なまま陳列され、店主は商売をする気がないとまで評されてしまう道具屋、香霖堂。
日があまり差し込まず薄暗い店内、そして店主もあまり愛想が良くないとなればそれだけで客足が遠のくのも仕方のない事だろう。
しかし、中にはその独特な雰囲気と、良くも悪くも個性的な店主の人柄を好ましく思う人間や妖怪も存在する。今日も、店主である森近霖之助の下へ、二人の少女が訪れていた。
「よう、冷やかしに来てやったぜ香霖」
「……魔理沙、店主である僕の前で物を買う気がないと宣言するのは止めてくれ」
「なんだ、今までは買ってくれると思って私を招いていたのか?」
「いや、思っていない。そもそも、僕の方から君を招いた事も無かったけどね」
一人は白黒のエプロンドレスと大きな黒帽子が特徴的な金髪少女、霧雨魔理沙。
魔理沙は客の立場としては勝手に過ぎる事を言っているが……それも当然の事だろう、何しろ彼女自身も霖之助も客として認識していないのだ。
「相変わらず魔理沙は傍若無人ねえ。あ、霖之助さん、このお茶もらうわよ」
「傍若無人という言葉の意味を正しく理解しているかい? もしよければ教えてあげようか、霊夢」
「分かってるから要らないわ」
「とても理解しているようには思えない行動だが」
もう一人は鮮やかな紅白と開いた脇が特徴的な巫女装束に身を包んだ黒髪の少女、博麗霊夢。
霊夢もまた、口では魔理沙の言動を窘めるような事を言いつつ勝手に戸棚を開けて茶の準備を始める。一つしか湯呑を用意しない辺り、残り二人に振る舞うという気遣いもしないらしい。
不平不満を並べつつ、霖之助もそれ以上強くは彼女達を注意しない。
二人には彼も甘いと言う事なのか、それとも惰性で一応は口出ししただけなのか。今にも溜め息を吐きそうな彼の表情からは、後者と判断するのが正しいかもしれない。
「ん、なんだその壺。無駄な装飾が付いている上に内容量が少ないぜ、ガラクタだな」
「勝手に判断しないでくれ。これはそもそも壺では無く水煙草と言う代物だ、ちゃんとした非売品だよ」
「水……煙草? 幻想郷では聞いたことないわ。ここに有るって事は、もしかしなくても外の世界の物ね」
魔理沙はカウンター奥に鎮座する水煙草に目を向け、からかうように適当な事を言う。
魔理沙の認識の誤りを霖之助が正すと、それを聞いた霊夢は不思議そうに呟き、そして笑う。
「道具屋のくせに非売品なんて言ってるから客が来ないのよ。ここ最近、『ちゃんとした』客が来た事って有る?」
「あまり馬鹿にするなよ。両者ともに納得のいく取引をしたお客様が一人居たさ」
霖之助は『お客様』の部分を強調する。霊夢と魔理沙は客ではないと言わんばかりの口調である。
しかし、それを真面目に受け取っているのかいないのか。二人は霖之助の意図する所とは別の部分で驚き、囃し立てた。
「おお、凄いじゃないか香霖。まさか一人でもこんな所に客が来るとは。そいつは物好きな道楽者か、道楽者な物好きだな」
「自分で聞いておいてだけど、まさか本当にお客様が居たなんてね。拾う神あり、ってのは正にこの事かしら」
「それは暗に僕の店が捨てられていると言いたいのかい? まあ、拾う『神』あり、と言うのは核心を突いた表現かもしれない」
霖之助は額を抑えつつ首を振り、疲れたように息を吐く。
しかし霊夢の発言には思う所も有ったようで、眼鏡の位置を整えながら気を取り直すように呟いた。
「神様が哀れんで買い物に来てくれる程、儲かってないって事? ……そこまで困窮しているなら、少しくらい力は貸せるけど」
「いや、そこでしおらしくなられても困るのだが…… 客の情報は守秘義務が有るから詳しく言えないけど、外の世界に明るい魔法使いが来てくれてね」
呟きに反応した霊夢は少し勘違いしたようで、心配そうな表情を浮かべつつ上目づかいに霖之助の様子を窺う。
霊夢が考えるような深刻な事情は無い霖之助は苦笑して、誰が来たのかをややぼかして説明する。しかし、魔理沙はそれだけで見当が付いたようだ。
「外の世界に? もしかしてそいつ、田澤昴じゃないか?」
「……まあ、そうなんだけど。なんだ魔理沙、彼の事を知っているのか?」
「初めて会ったのはもう何か月も前だぜ。外の世界に移動できるって事を知ったのは、割と最近だが」
「本人から聞いたのかい?」
「いや、そこまで親しくは無い。あいつの弟子をからかったら、自慢げに伝えてきたんだ。その時は半信半疑だったが……どうやら、本当みたいだな」
魔理沙は田澤が外界と接触できる存在である事を既に知っていた。
尤もそれを完全に信じていた訳ではないようだが、霖之助の評価も有るならば信用に足る情報と判断したらしい。
「田澤昴、ねえ。話は時々聞くけど、実際に会った事はないのよ。どんな奴?」
「え、会った事ないのか? あの男は自分を旅人だとか嘯いて、あちこち徘徊してるぞ。
それこそ魔法の森の中、私の家近くを観光してた時も有ったし……博麗神社なんて有名所には真っ先に行ってるもんだと思ってたぜ」
「魔理沙、それは彼の説明になっていない……
僕の印象で言うとだね、中々思慮深く機知にも富んだ方だ。顔を合わせた段階では気配も振る舞いも人外には見えなかったが、能ある鷹は爪隠すという事だろう」
この場の三人の中、田澤と会った事が無いのは霊夢だけだった。魔理沙はその事実に驚き、霖之助は彼にしてはかなり好意的な評価を下す。
「ふーん。それで、なんでその魔法使いが神なの?」
「お、いきなり話が戻ってきたな。神となれば霊夢にも無関係ではないし、少し説明してやろう」
「あー? 別にあの男の話はどうでもいいぜ、それにどうせ香霖だから見当違いな事を言い始めるに決まってる」
霊夢の疑問に対し、霖之助は待っていたとばかりに解説を始める体勢に入る。
魔理沙はそれを見て退屈そうに唸りながら憎まれ口を叩くが、言葉の割に強い反感は見られない。少なくとも、霖之助の話を止める気は無いのだろう。
「これは少し想像力を働かせればすぐに分かる事だが、君達はまだ前提となる知識が少ない。特別に一から十まで聞かせてやる」
「喧嘩売ってるの?」
「その前置きこそ本当にどうでもいいぜ」
「……まあ、彼の名前について考えていこう。『田澤昴』、これらの字に隠された意味に気付かないかい」
「なんだ、結局考えさせるんじゃないか。うーん、苗字の方は水っぽいな」
「田んぼと澤だしね」
何だかんだで霖之助に付き合って、言われた通り考え始める魔理沙と霊夢。意外に素直である。
「もう少し踏み込んでもらいたかったが、水っぽいと言うのは確かに重要だ。まずはそこから説明するか。
田も澤も、共に水に深い繋がりのある文字だ。しかし元々、田という漢字には穀物農地という意味が有る。大陸では、今でもその意味で使っている筈だね」
「それがどうしたんだ?」
「穀物農地、要するに大地。そして澤とは言うまでも無く湿地を現す。田澤とは、土と水を示している」
「まあ、ここまでは分からなくもない話ね」
「そして、続くのは『昴』だ。輝く星々、空の象徴。『田澤昴』とは、それぞれの文字で土と水、空を意味する名前なんだよ。この時点で既に、彼の凄まじい自負が溢れているね」
「いや、意味が分からん」
「……空、水、土か。成程ねえ」
霖之助の説明に魔理沙はいよいよ理解が及ばなくなってきたようで、目を細めて首を振る。逆に霊夢は納得したらしく、確信を得たように頷いた。
「その順番に並び替えたという事は、霊夢はよく分かったようだね」
「空、つまりは天。天から土への水と言えば雨。『アマ』を下り『ツチ』に降りる象徴ね」
「そう、その通り。もっと単純に天地と読む事も出来るし、それでも十分意味は通るが、水を雨に読みかえる事で隠された意味が見えてくる」
「おい、二人だけで分かり合うなよ。私にも分かるように説明しろ」
「つまりね、『天から地に降りてくる』存在を隠した名前なのよ。もう、そのままでしょ?」
「……そう言う事か。だから『神』で、人間を名乗るって訳だ」
霖之助の解説は論理の飛躍が凄まじい言葉遊びなのだが、何故か霊夢も魔理沙も納得してしまう。霖之助自身がその理屈を堅く信じている事も有り、謎の説得力に満ち溢れているのだ。
「これを念頭に置いて考えていくと、天を示す字の中から『昴』を選んだ理由も興味深い事が分かる。昴とは『統ばる』、すなわち統率や支配を意味する言葉に語源を持つからね」
「天から地に降りてきて、統率する……中々思い上がった事を言うわね」
「字の形自体も彼にとっては適切な物だったのだろう。何しろ『日』と『卯』を重ねた文字、それが『昴』だ」
「卯……ウサギか。日と並べるって事は、このウサギは暗に月の事を言ってるのか?」
「そう言う事になるだろうね。日と月、どちらも人間にも妖怪にも大きな意味を持つ天体だ。
そして、彼ほどの『魔法使い』なら、自分の名字と名前にこれだけの要素を無意味に取り入れたとは考えにくい。『太陽も月も統べた自分が、天から地に降りてきた』こうも読み取れるのではないかな」
「……そう解釈すれば。神としての凄まじい傲慢を見せつつも、今の自分は人間である事を暗に知らしめる名前なのかもね。
『天から地に降りた』というのも晴れ晴れしいものでなく、神逐にあって無理矢理落とされたって意味が有るのかもしれないわ」
「僕もそう判断している。今の彼の立ち振る舞いを見る限り、少なくとも『自分は天から光臨した太陽も月も統べる神であり、これからは地も統べる』という意味ではないのだろう」
「まあ、そんな奴なら魔法の森を呑気に散策してないだろうしな」
田澤がこの場に居れば何とも形容しがたい表情になるであろう結論を導き出した三人。
過程も答えもほぼ的外れなのだが、部分ごとには間違いと言い切れない物が混ざっており、そのせいで微妙に真実味を帯びている。
「他にも、細々とした部分で彼なりの自己主張を感じる事が出来るよ。
昴という星々は実に様々な神話で語られる存在だからね、もしかしたら更に隠された意味が有るのかもしれない。呼び名についても、この国だけで複数個存在する」
「そう言えば、むつらぼしとか聞いたこと有るわね」
「ああ、丁度良い。最後にそれについても話しておくか。田澤昴と言う名前のそれぞれの字に数字が隠されているけど、これも意味深だ」
「数字……? それがどうしたんだ、そもそも本当に数字が入ってるか?」
「よく考えてみたまえ。田には十、澤には四、昴には『六連星』すなわち六が隠されている」
「それは何だかこじつけっぽいぜ……」
ここにきてようやく真偽を疑うような声を漏らした魔理沙。しかし霖之助は軽く溜め息を吐きつつ、解説を続ける。
「本当によく考えたかい? 彼の持つ力から、おのずと分かる事が有るじゃないか」
「どういうこと? 私もよく理解できないけど……」
「まず魔理沙の為にこの数字がこじつけで無い事を説明しておこう。
四季、四方と言う言葉が有るように、四は時間や空間を区切る数だ。事象や概念を安定させる数、という意味合いもあるな」
「まあ、確かに空間に妙な穴を開けて瞬間移動をしてるな」
「咲夜も言ってたわね、時間を止めたのに一人だけ動く奴が居て驚いたって」
「次に六だが、これはとても興味深い意味合いが込められている。何せ一から数え始めて、最初に現れる完全数だ」
霖之助の語る数字とそこに隠された意味の解説に、いよいよ二人は自分で考える余力がなくなってきたらしい。口を開かず、ひたすら聞き入る。
「完全数とは、自身を除く約数の和が元の数と等しい数だ。六の場合、自身を抜いた約数は一と二と三だから、言うまでもないね。この性質から、六は調和を体現する」
「それがその田澤って人にどう関係有るの?」
「調和とは、矛盾や衝突を引き起こさず全体をつりあわせると言う事だ。
人間にも妖怪にも分け隔てなく接し、幻想郷と外の世界を自在に移動する彼は正しく調和の象徴だとは思わないかね」
「そうかぁ? 確かに、長く生きた妖怪に有りがちな胡散臭さとか上から目線は無いけど、何となくわざとらしく見える時が有るんだぜ。……作ったキャラって言うかさ」
「神様って言うならそれも当然なんじゃない、一応はフレンドリーにしてるって事で」
かなり好意的に評価する霖之助と異なり、魔理沙は田澤の人格に懐疑的だ。直接会ったことのない霊夢はこれまで聞いた印象から判断し、そこまで不思議な事でもないだろうと言う。
「そして、最後の十……これこそ象徴的だな。
直前の九は久に繋がり、無限を意味する。その無限を超えた、森羅万象の外側にある存在と言うのならば」
「神様って事? ……うーん、魔理沙じゃないけど、こじつけみたいな気がするわ」
「まあ、信じ難いと言うなら無理に信じる必要は無い。少なくとも僕は僕なりの考察で、正しいと思える結論を出したつもりだ」
霖之助はそう締めくくり、霊夢と魔理沙を眺めた。どこか誇らしげにさえ見える霖之助の様子に、二人は訝しげに声を漏らす。
「なんだ、えらくあっさり引いたな」
「喋りたい事を喋って満足したんじゃない?」
「ああ、成程。その蘊蓄に付き合ってやったんだから感謝してほしい物だぜ」
霊夢と魔理沙はやれやれとでも言わんばかりの態度で苦笑し、霖之助を生暖かい視線で見返す。
「それに、言われている間は何となく納得してたけど。
太陽も月も統べるって、そんな神様がお姿を見せるなんて事は幾ら幻想郷でも考えられないでしょ。龍神様を超えるような存在が人間に身をやつして観光なんて、ねえ」
「そうだぜ、生憎私は霊夢ほど神様連中に詳しくないが、それでも天照やら月夜見とかの名前くらいは聞いた事がある。あの男がその上なんて思えないが」
ここに来て二人は冷静になったらしく、霖之助の語った理論の中核をなす『田澤が神である』と言う部分に有り得ないと反論。
考察と言葉を尽くした理論ではなく、半ば自身の価値観に頼った拙い反論だが、シンプルで常識的だからこその説得力を持っている。霖之助は言葉に詰まったようだが、自信満々に語った以上後に引けないのか更なる理論武装を試みる。
「見たまま、感じたままでしか物事を捉えられないとは嘆かわしい。もっと想像力を働かせ、自由な発想で思考しないと表側しか見れない人間になってしまうよ」
「裏を考えるのは表を見てからで十分だぜ」
「自由な発想は結構だけど……火の無いところに煙を立ててるように見えるわよ、霖之助さん」
「秘の無いところに、ってな。お、いま私上手い事言ったんじゃないか」
そのまま不毛で泥沼な言い争いを続ける三人。これは霊夢と魔理沙にとっての平和な日常であり、香霖堂においてはお馴染みの光景でもあった。
田澤が居なくとも、日々は変わらず過ぎていく。しかし彼の存在は、少しずつ、そして確実に幻想郷へ影響を及ぼし始めていた。
霖之助が語っている理屈はかなりトンデモなので、そこの所はご了承ください……