「む……」
緩やかに意識が覚醒する。ゆっくり瞼を開けると、眼に飛び込んでくるのは瓦礫の山と乱立する墓標のような石碑。
分かっていた事とは言え、この風景を見るのは気が滅入る。出来る事なら今すぐにでも内装を変えたいのだが、俺の力ではこの城を弄れない。
精々が外から持ち込んだ物品で飾り付けするくらいなのだが……それもあまり見映えを変える事は出来ない。やはり、精神衛生上この城に留まりたくはない。
「十分休息は取ったし、そろそろ動こう」
この城の存在する空間を介すると、魔力を限界まで使用する事で一方通行の時間移動すら可能になる。
ただ、移動した分の時間を無駄にしているようで何となく嫌なんだが……此処で時間を潰していても、無駄になるのは同じか。
気分的には行動を伴っている方が有効な時間の使い方な気もするし、善は急げだ。だらだらせずに動こう。
瓦礫の椅子に腰掛けたまま右腕を伸ばすと、俺の意思に操作され辺りに散らばっていた雑多な物品の中から一振りの刀が飛び込んでくる。
時間移動も含めた『扉』を開くと自由に使える魔力が殆ど底を付き、暫くの間行動が制限されるので最低限の武装は必要だろう。
魔力量に十分余裕が有るなら『扉』を必要に応じて開く事で、武器のみを取り出すと言った芸当も可能なのだが。無駄遣い出来ない状況では少し心許ない。
慎重を通り越して臆病かもしれないが、丸腰では何かあった時困る。不老不死に近くはある身だが、痛いものは痛い。やられっぱなしになるのも嫌いだし。
最低限の武装と身支度を整えた後、椅子から立ち上がり魔力を集中する。
移動が可能な範囲で俺の目的に最適な場所と時間を探り、そこに向かって『扉』を開く。予想通り大半の魔力を持っていかれるが、気にせずに作業を続行。
俺が通れるだけの大きさまで広げ、軽く向こう側を確認する。確認を怠ると海中や上空に出たりする事も有るので地味に必須な行為だ。
一応の安全を確認した後、『扉』に体を潜らせる。月では散々な結果に終わったが、今度は友好的な人と会えるだろうか? 希望と不安を両方感じつつも、新天地へ転移する。
「よっと」
『扉』の繋がった先は、何やら荘厳な佇まいの木造建築の前。これは……神社だろうか。
神主か巫女に対して礼儀正しく接すれば、泊めるとまではいかずとも休める場所くらいは教えてくれる筈。少なくとも周辺の地理は教えてもらえるだろう。
そう考えて建物に近付くが……途端、凄まじい殺気と人に在らざる猛々しい力の顕現を感じた。馬鹿な、この力は単なる人外に出せる物ではない。これではまるで……
「神、だと!?」
「うん? それが分かっていてここに来たんじゃないのかい?
突然変な気配が現れたと不思議に思って来てみれば、見かけない男だね。洩矢の回し者か」
神社らしき建物の戸を開けて出てきたのは、明るい紫色の服を着た少女……いや。
俺の言葉に対する反応から、見かけ通りの少女ではない事は確実だ。これ程の威圧感と神通力を持つ存在が、単なる少女と言う事は無いだろう。
「誤解だ。少なくとも、そのモリヤとやらの関係者ではない」
「洩矢の回し者だって、この状況ではそう言うだろう。もし違うとしても、何の目的で来たと言うんだい?
私の国にアンタのような風貌の人間はいないし、そもそも此処は私の神域。軽々しく踏み越える事は叶わない結界があるんだ。
妖刀を持って突然結界の中に現れておいて、単なる旅人だとでも名乗る気かい? それは通らないと思うけどね」
誤解を解こうと自己弁護するが、どうやら武器を持っていた事で余計に警戒させてしまったらしい。
しかし前回のウサ耳少女とは違って、まだ俺の弁解を聞くつもりでは有るようだ。取っ掛かりが有るのは有り難い、誠実な態度で害意が無い事を分かってもらおう。
「まず、貴女の住居に突然現れた事の非礼を詫びます。先程否定されましたが、私は旅の者です。
何分此処の知識を持っていないもので、貴女が居住しておられるとは思わなかったのです。この刀は自衛のために持っている物で、貴方を害する意思はありません」
「いきなり口調を変えられても戸惑うんだけどね……
なら、どうやって此処に来たと言うんだ? 私の結界を踏み越える所か、空間を裂いて現れるなんて普通の旅人じゃないだろう?」
「此処には私の魔法で訪れました。穏やかに過ごせる場所を求め、遠き地より転移してきたのです」
「……ふーん。嘘は言っていないようだね。これでも人を見る目には自信がある、嘘を吐く者に特有の気配が感じられない。
それにしても穏やかに過ごせる場所を探している身で、此処に転移してしまうとはお前も運が良いのか悪いのか」
「仰られている意味が分かりかねますが……」
「……その口調は止めてくれないか? 一度お前の素の口調を聞いたせいか、今更畏まられるのもこそばゆい。
この周辺の国々は今、国取り合戦の真っ最中さ。とてもじゃないが穏やかではないよ、少し場所が違えば戦場の最前線に出たかもねえ」
「なら、さっきまでの口調に戻すけど。此方を認識していて敬語使われるのを嫌がる神って珍しいな。
君も大変では無いのか? 君が直接戦場に赴くのかは知らんが、少なくとも何も戦闘に関わりが無い訳では無いのだろう?」
「大変と言えば大変だね。何しろ攻めてるのこっちだし、私主導だし」
「……話の流れから、君が攻められている側かと思っていたよ」
その後も何だかんだと世間話をして、それなりに打ち解けた。
此処に着いた時はまだ明るかったが今では日が落ち始めている。彼女は八坂神奈子という名前らしい。久し振りの他者との穏やかな交流に少し感動した。
八意の時は途中から監視されてたからな……あれから彼女は幸せに生きられたのだろうか。俺に関わった事で立場が悪くなったりしてないといいが。
確実に百年以上は時間を移動したし、俺の能力では同一世界の過去へ移動する事が出来ない。主観的には一日も経っていないと言うのに、二度と会えないと言うのは辛い。
「何しんみりしてるんだい?」
「え、ああ。故郷の事を思い出してね」
内心の微妙な感情が表情に出ていたのか、気遣うように聞いてきた神奈子へ誤魔化して答える。
俺の真の素性は伝えていない。神奈子は俺の事を高度な魔法が使える人間ぐらいにしか思っていないだろう。
そんな客観的に考えて怪しい男をこの短時間で受け入れるとは。呼び捨てを要求してもきたし、つくづく珍しい神だ。器が大きいと言えばそれまでだが。
「ま、旅してるんなら郷愁の念は心に留めておく必要が有るんじゃないのかい。
でも何時かは顔を見せに戻ったらどうだ? いろいろ良くしてくれた人も居るだろう、故郷は何時まで経っても田澤の起源だ」
「そうだな。いつか、そうするよ」
恐らく、と言うか確実に無理だけどな。俺の故郷であった世界は、もう俺という存在を受け入れてはくれない。この話題になると、気分が暗くなる。
「まあ、酒でも飲んで元気を出そうや」
「……随分年寄りくさいセリフだなあ」
「私も一応女だし、年寄りくさいって言われるのは非常に気に入らないんだけどね。まあ人間とは比べ物にならない時間を生きてるのは事実だな」
励ますつもりで言ってくれたらしい。気に入らないと言いつつ俺の軽口に笑顔で返してきた。
本当に飲む気でもあるのか、酒樽を持ってきてるけど…… 一体この酒樽の出所は何処なのだ、神社から出てくる酒って飲む方としてはかなり気を遣うんだが。
「その酒はどこから持ってきたんだ?」
「神事の時に国の民から供えられた神酒さ。一人寂しく飲むのはつまらなかったからね」
「神奈子が飲むのは良いとして、俺が飲むのはマズイんじゃないのか?」
「何、所有権は私に有る。その私が良いと言っているんだから問題はないさ」
「……それなら頂こう」
俺としても、他人と一緒に酒を飲むなんて滅多にない経験だ。
嗜好品を楽しんでいる暇が無かったというのもあるし、今まで旅してきた世界に友人と言えない事も無い人は多少居たが……酒を酌み交わす程親しい人と言うのは皆無だ。
そんな軽く自虐めいた思考をしつつ、二人でささやかな酒盛りのための準備をする。
準備を終えた頃には外はすっかり暗くなり、空には見事な三日月が架かっていた。満月でないのが少しだけ残念だが、そこまで贅沢は言えないだろう。
酒の肴は生憎見つからなかったようだが、雰囲気は十分に出ている。月だけを肴に飲む酒というのも風情があって良いだろう。……何となく憂鬱になる気もするが。
神奈子は月見酒に非常に満足しているのか、とても楽しげな顔をしている。一緒に飲む方としては楽しんでもらっているのは有り難い。
神社の前の広場で月を眺めながら色々と思いを馳せる。静かに酒を飲んでいると、神奈子が俺へと向き直り問を投げ掛けてきた。
「なあ田澤。アンタは私が国を攻めてる事を聞いても態度を変えなかったが、どうしてだい?
人並みの正義感はあるようだし、神に恐れをなして卑屈になっているようにも見えないけど」
神奈子は自分のやってる事が侵略だと言う自覚が一応あるのか、不思議なようだ。
まあここで俺が、『侵略なんていけない事だから止めろ』なんて言っても素直に聞き入れる気は無いんだろうけど。
「神奈子が自分の私利私欲のためだけに攻めてるなら、止めろと言ったかもしれないけどな。
君なりの信念に基づいて行動しているようだし、部外者の俺が偉そうに言える事ではないよ。攻められる洩矢はたまったもんじゃないとは思うけど」
「へえ、そういう考え方もあるのか。うん、やっぱりアンタはおもしろい人間だ」
「そこまで革新的な考え方でもないと思うんだけどな」
この世界の一般的な思想は知らないから詳しい所は分からないけど。それに、部外者云々の話はある意味逃げと取られても仕方ないような考え方だし。
「酒の席に無粋な話を持ち込んですまなかったね。さあ、どんどん飲むよ!」
「あまり飲んで酔いつぶれないでくれよ」
「くくっ。人の子よ、私を誰と心得る? 神が酒に酔い潰れるなど有るものか」
その言い方は何となく不安になるんだが……
それからは神奈子が落ち着いた雰囲気が吹き飛ばし、どんちゃん騒ぎになった。二人しかいない酒盛りで、まさかこれ程盛り上がるとは。流石に予想外だった。
「男がそんなチビチビと飲むんじゃない、もっと豪快に、杯を一気に空にするぐらいの勢いで!」
「お、おう」
最もそれは決して不快でなく、むしろ楽しかった。
これまで人とまともに交流する事なんて出来なかったが、今はそれが現実の物になっている。それがたまらなく嬉しかった。
此処に留まるのは色々迷惑だろうけど、暫くはこの辺りで生活してみるか。
言われた通り杯を一息に飲み干しつつ、俺はそう思った。……それにしても神奈子、本当に中々酔い潰れないな。
呂律が回らなくなったり、やたらフラフラしていたり、やけに絡んでくるとか、これはこれで余計に質が悪い気もするが……
酔わない酒に意味は無いとは思うんだが、神様が一応人間の俺の前でこの姿は良いのだろうか? 信仰が減ったりしないんだろうか。
「うへぇ、頭が重いね」
「そりゃあ、あんなに飲めば当たり前だろう。……むしろ、そのくらいで済んでる事が凄いと思うけど」
結局酒盛りの後はこの神社に泊めてもらえる事になった。神奈子の神社は住居スペースが広く、人を泊める事自体は特に問題無いらしい。
最初は断ろうと思ったが、話に付き合えと引き止めてきたり酔いがキツイのもあって了承した。ギリギリ外面には出していない筈だが、かなり頭が重い。音も響いて聞こえる。
「そう言うアンタも人間にしては中々飲める方じゃないか。まあ、流石に限界みたいだが」
「水でも飲んでゆっくり休めば治るだろうさ」
飲む機会が今まで余り無かったから自分が酒に強いのか弱いのか知らなかったが、少なくとも悪酔いする体質ではないようで安心した。失礼をかける訳にはいかない。
「暫くは此処を貸してやるよ、田澤は面白いしね。……変な気は起こすなよ、痛い目を見たくないならね」
「身の程は弁えているさ」
外見は女性でも、神なのだ。魔力の大半を消費した今の俺では相手にならないだろう。いや、万全の状態に回復しても変な気を起こすつもりは無いが。
何処の部屋を使うのか等を教えてもらい、床についた。他人と落ち着いて会話するのもそうだが、こうして床について寝るのも久し振りだ。
あの城で寝るのは孤立感が有るし、そもそも寝た気がしない。今日は良い日だったと思いながら、目を瞑った。
「さて、そろそろかな」
「ん?」
神奈子の神社に滞在させてもらってから数日。
居候の身で働かないのはどうかと思い、本殿や居住スペースも含めて掃除をしていた俺を興味深げに眺めていた神奈子が唐突に呟く。
「そろそろ洩矢の王国を攻め落とす」
「……ああ、国取り合戦をしているって言ってたな。その割りに今まで随分とのんびりしていたけど」
「向こうの祟り神に対してどう戦えばいいか、考えていたのさ。こっちから仕掛けておいてボロ負けでもしたら、笑い話にもならない」
「祟り神、か。神奈子も苦戦する程の力を持っているのか?」
「正面切って戦えば苦戦するだろうね。だからこそ策を弄するのさ」
神奈子にここまで言わせる存在か、少し興味がある。まあ、万全では無い今の状態で下手な事をする訳にもいかない。
祟り神はその地域に根差した凄まじい力を持って畏怖と言う信仰を集める。その『凄まじい力』を向けられ、呪われたりしても困る。文字通りに、触らぬ神に祟りなしって事だ。
「……潮時かもな」
「何がだ神奈子?」
「そろそろここらも危険になるなと思ってね。離れた国に逃げた方が良いと思うんだよ。追い出すような感じで悪いんだけどさ」
「ああ、そういう事か」
まあ、普通はそう考えるよな。実際、今の俺では神の争いに介入するなんて事はできないし。
「追い出されるなんて思わないさ。俺が居ても邪魔にしかならないだろうしな」
「……すまないね。この山の裏側からは中央の方に行ける。そっちに行けば、多少なりとも平和な筈さ」
中央? この言い方だと政権が集まっている場所と言う事みたいだが。聞き直して詳しく確認したい所だが、常識的な事だとすると怪しまれる可能性もある。
旅人とは言え、この地についてある程度は知っていないとおかしいだろう。しかし、神奈子は中央とやらに属す神なのか? そして権力の届く範囲を広げるため国を攻める。
……何処かで聞いた事あるような話だ。日本神話だったか。だとしたらこの世界は、俺がいた世界の遥か昔の姿に近い平行世界なのだろうか?
どちらにしろ、今は関係無い事だな。出来る限り遠くに離れる事を考えなければ。
「おそらく、もう二度と会う事は無いだろうし言っておくよ。田澤、アンタは気持ちの良い人間だった。久しぶりに楽しく酒を飲めた」
「……縁があれば、また何処かで会うかもしれない。そのときはまた酒でも何でも付き合うよ」
「それもそうだね。私が言うのもおかしいが、その時が来る事を祈るよ」
互いに手を差し出しあい、握手をする。神奈子は叶わないだろうと思っているようだが、俺はいつかは再会出来るのではないかと思っている。
何と言っても、俺は基本的に寿命と言う概念が存在していない。殺されない限りは死なないし、今は魔力的に難しいが致命傷を回復させる術もある。
俺は愛用の刀を持ち、餞別にと渡された食料を袋に詰め、神社を後にした。
「こうして歩いて旅をするなんて久し振りだな」
木々の生い茂る奥深い山の、道なき道を歩きながら呟く。
神奈子のくれた食料は少し前に食べ尽くしてしまった。まあ、これは俺の責任だが。申し訳程度に整備された道はあり、そこを通っていれば今頃は人のいる所に出ただろう。
しかし、それでは詰まらないと敢えて深い森の方に足を踏み入れたのだ。別に食事をする必要は無いし、遭難してもそれはそれで面白い経験かもなんて思っていたが……
ここまで迷うとは思っていなかった。自分の見通しの甘さに、つい独り言も吐きたくなると言うものだ。
魔力が回復して『扉』を開けるようになれば簡単に移動できるので、危機感はあまり無いが。
「うーん? こんな辺鄙なとこに人間が……お前、もしかしなくても遭難者だな? 素直に道を行けば迷わないのに」
辺りの景色を眺めながら歩いていると、やけに前後にフラフラしている小さい女の子に遭遇した。
それだけなら、危険だから人里になんとか連れていってあげようと考えたのだが……
「鬼?」
「うん、鬼さ。悪いけど攫わせてもらうよ? 恨むんならこんな所に迷い込んだ自分にしてね。
ちゃんとした道があるのに、わざわざこんな山の奥に入ってくるなんて駄目じゃないか」
そう。この少女、鬼なのである。やや赤みがかった茶色の長髪に側頭部から大きな角を二本生やし、分銅とも鉄球ともつかない重そうな物体を体に鎖でくくりつけている。
前後にフラフラ動く度にジャラジャラと音をたてる鎖がシュールだ。
「攫うって、何するんだ?」
「攫うのさ。その後どうなるかは、わざわざ言わなくてもいいよね?」
「ああ、今俺は鬼に襲われているんだな」
「物分りの悪い奴だなあ……初めて人を攫うけど、こんな暢気な人間珍しいんじゃないかな?」
「どうしても襲われてるって実感が持てなくてな」
「お! それはあまりの恐怖に呆然としてるって事か!? よし、もっと怖がられる鬼になってどんどん力をつけるぞ!」
そして勇儀よりも大きくなる! なんて叫ぶこの鬼っ子はもう人攫い成功した気でいるらしい。
種族として絶対のアドバンテージがあると確信しているからだろうが、そう上手く行くかな?
……『初めて人を』という言葉から、実戦経験が少ない事は予測できる。俺の魔力は完全には程遠いし、人間を遥かに超えた怪力を持っているだろう相手だが。
「ん、なんだい刀なんて構えちゃって。鬼と戦うつもりかい? 随分な力を感じる刀だけど、人間が鬼に勝てる訳じゃないか」
この刀から、それしか感じられないなら十分に未熟だ。
神である神奈子は、俺が刀を抜いてもいないのに妖刀として真っ先に警戒したと言うのに。
「俺と君が戦って、俺が勝てば見逃してもらえるな?」
「攫う前に勝負をするのが決まりだから、まあそうだね。
鬼と戦うなんて気概のある人間にはなかなか会えないって言うし、私は運がいいな。私は伊吹 萃香! お前も名乗れ、人間!」
「田澤昴だ」
「田澤、ね。覚えておくよ!」
そう言うなり、伊吹は握り拳を作って突進してきた。確かに瞬発力は凄まじいが……
「真っ直ぐ過ぎるな」
「っ!? ……ふふ、まあこれで終わっちゃっても詰まらないしね」
やはり戦闘経験がない分、駆け引きが上手くない。瞬発力が凄まじいとは言っても所詮は単なる突進、ぎりぎりまで引き付けてから紙一重で回避する。
「いくら身体能力が高くても、それを活かせなければ意味は無いぞ」
「言ってくれるね…… 鬼を挑発するなんて、命知らずな奴だ」
一回攻撃を回避しただけなのに、ここまで挑発にのられても……
鬼ってのはプライドが高いのか? 自分の強さに随分と自信が有るのだろう。
今ので闘争心に火が点いたのか、細いながらも凄まじい力を持つ腕で何度も殴りかかってくる。
伊吹が腕を振るう度に空気を切る鋭い音がする。当ればただではすまない。
「ほらほらほら! いつまで避けれるかな、人間の体力はすぐ尽きちゃうからね!」
「……人間の体力なら、とっくに力尽きているだろうに」
小刻みに体を動かし、攻撃を回避しつつ小声で呟いた言葉は聞こえなかったらしい。
かなりヒートアップしてるな。冷静さを無くしている今の内に勝負を決めてしまおう。
わざと動きを止め、伊吹の攻撃を誘う。おそらく正面から殴りかかってくる筈だ。
「諦めたのかい? まあ、良く頑張ったと思うよ!」
よし、狙い通りだ。
左足を後ろに下げ半身になりつつ、頭に向かって殴りかかってきた伊吹の右腕を左手で掴む。
体を伊吹に背を向けるように反転、突っ込んできた勢いはそのままにして腋の下に右肘を添える。
空中で伊吹の動きを完全に掌握し、両腕を使って地面に引き落とす。変則的な一本背負い投げだ。
自分の勢いと俺の腕力で地面に叩きつけられ、一瞬動きを止めた伊吹に右手に持っていた刀を突きつける。
「勝負あったな」
「く…… 何故、殺さない?」
「殺せば夢見が悪くなるだろ。鬼の誇りがどうとか言われてもコレばっかりは譲れないぞ」
まあ、刀に限らず武器とは何かを傷つけるための物なんだけど。
出来る限り傷つけるために使いたくは無い。かなりの妖力を持った刀だし十分脅しにはなるだろう。これでも負けを認めないなら多少手荒な手段で気絶してもらうが。
「……負けたよ。まさか、戦って負けるなんて思わなかった。でも、なんだか清々しいね」
「陳腐な言葉かもしれないが、真正面からぶつかり合ったからだと思うぞ」
「陳腐だなんてとんでもない、良い言葉じゃないか」
俺が刀を離して鞘に入れると、埃を払って立ち上がりつつ伊吹は言った。
「よし、昴の事が気に入った。皆で酒を飲もう! 歓迎するよ」
「は? いや、皆って…… もしかしてこの近くには鬼が大勢いるのか?」
「大勢って程多くも無いけど…… そんな事より、酒だ酒!」
両腕を上げて、軽くジャンプしながら言う伊吹。この情景だけなら、玩具をねだる幼女にも見えるんだけど。
酒だ酒って、俺の遭遇する人達は随分と飲兵衛が多いな。ん、もしかして伊吹が前後にフラフラしてるのって……
「伊吹、お前今も酔っ払ってるのか?」
「もちろん。酔いが覚めそうになったらまた酒を飲むのさ」
どーだ、と言いつつ腰に吊るしていた瓢箪を見せてくる。でも、この大きさではそこまで大量に持ち運べないと思うんだが。
疑問に思ったので尋ねると、少量の水を大量の酒に変える神秘の瓢箪らしい。何でも、酒虫だか言う虫の体液が塗って有るのだと言う。
……そう言えば、俺も似たような事が出来たな。錬金術の悪魔の力を借りれば、水をワインに変える能力が使える。
「わいんって、何だ?」
「一言で説明するなら、異国の酒だ」
これは正確な説明では無いが、今この地には存在しないだろうし間違ってもいない筈だ。
「異国の酒!? 凄い能力を持ってるんだな、私もそんな能力が欲しいね!」
「あー、色々ここの酒とは違うからな、もし期待が外れても恨まないでくれよ」
結局、伊吹に腕を引っ張られて鬼が数名集まっていると言う洞窟に連れて行かれた。
俺を異国の酒を作る能力を持った旅人と判断したらしく、やたらとワインについて質問してきた。
そこまでワインに詳しい訳でも無いのだが、答えられる範囲の質問だけだったので特に問題は起こらなかった。
しかし、鬼かあ……
鬼と言う種族を差別する訳では無いが、ゆっくりした生活からは確実に遠ざかっている気がする。
まあ、思い通りに進まないのが人生か。少しくらい道から外れるのも一興だろう。そんな事を考えながら、凄まじい勢いで腕を引っ張ってくる伊吹に着いていった。
……傍から見たら変な光景だろうな。見た目幼女が長身の黒コート男を引っ張ってるなんて。いや、逆ならそれもそれで問題な光景だろうけど。
展開が早足になった気も……