「おはよう、田澤。今日は何処に行くの?」
「……む、もうこんな時間か」
テントの幕が開かれ、爽やかな風と妹紅の声が届く。
たった今まで物書きに集中していた俺はそこで初めて時計を確認し、現在時刻が早朝と言うには遅い頃合である事に気付く。
「……もしかして、何か邪魔しちゃった?」
「いや、そんな事は無い。俺こそ悪かった、今すぐ準備にかかる」
妹紅は俺の様子を見て委縮してしまったが、声をかけられなければ後数時間はこのままだっただろう。
むしろ悪いとすれば俺の方で、妹紅には何も非はない。ある程度集中出来る状況は必要だが、この続きは何時でも出来ると言えば出来る。すぐに片付けて、これからの事を始めよう。
「朝……はまだ食べていないよな。すまない、急いで準備するからもう少しだけ待っていてくれ」
「空腹でどうしようもないって訳じゃ全然ないし、急がなくても大丈夫だよ」
妹紅はそう言ってくれるが、俺の勝手な都合で遅らせてしまっているので申し訳ない。
用紙や筆記用具を専用に誂えた箱にしまった後、『扉』の中に放り込む。……これに関しては扱いに細心の注意が必要だから、魔法の必要も致し方ないと考えている。
朝の食事なので、昨日の晩ほどの用意は必要としない。
俺は食事関係で一纏めにしておいたバッグから飯盒セットを取り出し、水を注いで蓋を閉じ火を着ける。続いて乾麺と調味料を用意しておき、沸騰するのを待つ。
「たくさん食べたいか?」
「そこまで多くなくて良いかな、昨日の夜に結構食べたし」
「了解、ならこれで十分過ぎるくらいだな」
妹紅と軽く言葉を交わしている内に、飯盒から独特の音が聞こえ始めた。蓋を開けて二人前の乾麺を投入、少しの時間を待つ。
「……その麺も半分調理済みって事か、本当に便利だなあ」
「これに関しては、幻想郷でも麺屋が多少試行錯誤すれば製品化出来るとは思うがな。ただおそらく、需要があまり無いだろう」
妹紅の呟きに俺なりの考察で答える。語弊を恐れず言ってしまえば、麺屋が自分達で作った麺を直接売ればその時点でほぼ近い物が出来上がる。
だがしかし、それを人里の者達が必要とするかは別問題だ。外界と幻想郷では、文化の土壌が大きく異なるのである。手間を省けるのであれば省きたいと言う者は幻想郷でも多数を占めるとは思うが、それは外界で生活する人間ほど差し迫った事柄では無いのだ。
「この類の製品は、何らかの理由で調理の手間を惜しむ者の需要で成り立っている。金と時間はかけたくない、しかしある程度美味しい物は食べたい、とな」
「……うーん、それを両立させる発想はそもそも無いなあ。と言うか、麺屋が作る麺を買ってきて自分で調理って、それなら最初から麺屋で食べた方が早いじゃない」
「人里の規模なら、当然そうなる。外界では経済や流通の範囲が大きいからそうもいかないが、幻想郷では逆に無駄になるだろう。……おっと、そろそろ引き上げなければ」
妹紅との会話が思わず長引き、危うく加熱時間を大幅に過ぎてしまう所だった。
飯盒を火から上げ、蓋を開けて粉末スープをかける。そのまま菜箸でスープを馴染ませ、大雑把に二人分に分けて食器に移す。最後に卵を割り入れ、完成だ。
「月見ラーメンだ、胡椒はお好みで入れてくれ」
「へえ……ラーメンって聞いたことは有るけど食べた時は無かったんだよ。美味しそうだね、頂きます」
妹紅は何処となく輝いた目でラーメンを見下ろし、すぐさま箸を通した。
少しの時間も惜しいと言うようなその行動を微笑ましく思いつつ、俺も同じように麺をすする。……うん、この味なら不味くは無いだろう。
「うどんとか、そばともまた違ったコシがある麺なんだね。スープも独特の塩味があるし……とても美味しいよ、田澤」
「はは、俺が手をかけたのは熱湯につけて粉をまいたくらいさ」
インスタントの麺だと言うのに味わって食べてくれる妹紅。これは本当に料理したとは言えない代物なので、感謝されると何とも落ち着かない。
それにインスタントだと言う事を差し引いても、普段妹紅が料理しているような食事と比べて味が勝るとは考えにくいのだが……まあ、旅先で自作した料理を特別に美味く感じる事は有るな。
穏やかに過ぎる時間を楽しみながら二人で麺を食べ、少しの休憩を挟んだ後にキャンプの撤去に入る。
とは言え一番時間がかかるであろうバーベキューセットの洗浄と片付けは昨日の段階で終わらせてあるし、やる事と言えばたった今出した飯盒を片付けてテントを畳むくらい。
動き始めてからは何とも呆気無く、あっという間に帰る準備が整ってしまった。何とも言えない名残惜しさは有るが、此処に居る理由も無くなってしまったので車に戻る事にする。
「うん、何だか凄い満足した。たまになら、こうして野宿するのも楽しいかも。田澤が一緒だと、昔も思い出すしねえ」
「俺も心から楽しめたぞ。妹紅の都合が合うなら、幻想郷でも……」
「い、いや、流石に幻想郷でやるのは、ちょっと。今回は外界に出て来たから楽しめたのであって……それに家が有るじゃないか」
まあ、半分は冗談だ。そもそも家を建てた理由の一つに浮浪者呼ばわりが嫌だったと言うのも有るので、その話題が再浮上してくるのも困る。
適当に冗談を交わしつつ荷物を運び終え、遂に出発の用意が終わる。最後に利用終了の旨を管理人に伝え、車を出す。
「これからの予定を明確には決めていなかったな。よくよく考えれば何時幻想郷に帰りたいかも聞いていなかったが……妹紅はどうしたい?」
「ん、あんまり長居はするなって八雲に釘を刺されたからなあ……具体的に期日は指定されなかったけど、明日の朝までには帰った方が良いかな」
「ならば今からあちこち見て回るのは現実的では無いか……」
何とも今更な事を妹紅に聞くと、概ね予想はしていた答えが返ってきた。八雲は本来『幻想』が外界に出ていく事について決して肯定的では無いのだ。
しかし、そうなると日程を組むのに困るのも事実。転移魔法を無節操に使えば、今日一日で日本の代表的な観光地を片手の指で収まるくらいには楽しめるが……それは無粋である。
「……田澤が普段外界に出てる時、何処で何をしてるかを見てみたいな。そこには、行けない?」
「可能だ。場所としては最初に転移してきた地点の周辺地域だから、今からだったら遅くとも正午過ぎには到着する。しかし、そこで良いのか」
「良いのか、って言われても他にどんな所が有るのか私は分からないし」
「ま、まあそうだよな。時間的に丁度良い塩梅になりそうだし、幻想郷に帰る時も都合が良い」
絶対的な必要性は無いが、『扉』を開く際に非常に便利なのがあの場所なのだ。
車で行き来してもギリギリ不自然ではなく、更に人目の届かぬ奥地と言う条件を満たしているので、あまり無理をせず自動車ごと幻想郷に帰還出来る。
妹紅の言葉が大変にご尤もだった事も有り、俺は昨日通ったルートを遡る形で移動を開始した。
「あ、何かこの風景は見覚えが有るかも。そろそろ近いんじゃない?」
「うむ、最初に山から降りてきた場所はこの辺りだな。普段金策に励んでいる場所は、まだもう少しだけ先だ」
例の山中から繋がる市街地まで戻ってきたのは、予定通りに正午直前だった。
妹紅は途中で睡眠を取っていたが、どうやらこの辺りまでは記憶が有るらしい。身動ぎして降りる準備を整え始めた妹紅に軽く笑いかけ、落ち着かせる。
「金策……そう言えば、ト術をしてるって言ってたね。前は詳しく聞かなかったけど、店はどんな形式でやってるの?」
「商店街の一部に場所を借りて、そこで店舗を出すと言う形だな。今日は営業日でないから実際の商売は見せられないが……雰囲気なら教えられる」
平日も土日も関係なく入り混じる勝手極まりないスケジュールだが、一応営業予定その物は月初めに掲示している。
別に俺の準備と言えばタロットカードが有れば十分で、後は仕事着としてスーツが望ましいくらい。なのでやろうと思って出来ない事は無いが……商店街の皆さんも俺が店を開けない前提で予定を組んでいる筈なので、迷惑になるだろう。
と言うか、あの東屋自体は本来の用途が共用スペースなので、何か別のイベントで使っている可能性も高い。……冷静に考えると、それを俺の都合で自由に使わせてもらっているのだから申し訳ないな。
「叶うならその場所で田澤に占ってもらいたかったけど、無理そうなら仕方ないね。後でどんな占いなのかだけでも見せてほしいな」
「それくらいならお安い御用だ」
まあ、一応は商売として金をもらってやっている事である。俺は妹紅から金を取る気はないが、表立ってそんな特別扱いをする訳にもいかない。なので今日店を開けなかったのは、ある意味丁度良かったとも言える。
……結局はお客さん達の目につかない所でタダ占いする事には変わりないので、どちらにしても後ろめたくは有るのだが。
商店街で注意してほしい事を改めて教えながら運転している内に、最終目的地に到着した。
普段ならこのまま商店街の店員用駐車場に入れるのだが、今の俺は単なる観光客だ。素知らぬ顔で紛れられる程面の皮が厚くは無いので、すぐ近くのコインパーキングに駐車。妹紅を伴い、商店街のアーケードまでを歩く。
「……ああ、なんかこの雰囲気良いね。何だか凄く規模が大きくなってるけど、市みたいな物でしょ?」
「みたいな、と言うよりその物だな。外界で発展した『市』の一形態だ。……幻想郷の人里でも、殆ど似たような形だと思うが」
「言われてみれば、そうかもしれない気がするけど。ここみたいに一か所に店がずらっと並んでるって訳じゃないからさ」
妹紅はどこか嬉しそうに言葉を弾ませる。確かに人里、もっと言えば幻想郷にはこのようなアーケード街は無い。
……需要が無いんだよな、ある程度以上に大きい市場は。幻想郷において、ほぼ全ての人間の生活圏は人里の中のみで完結している。妖怪が物を買いに訪れる事は少なくないが、基本的にコミュニティの外との交易は存在しないので、そもそも市場と言う概念を取り入れるべきかも怪しい。
「……妖怪が全く訪れなければ、貨幣経済の必要さえ薄いな」
「あ、今回は割と意味の通じる独り言だね。でもまあ、娯楽と食べ物とかになると交換にも困るからさ」
俺が呟いた内容に、妹紅は苦笑しながら意見を挟む。確かにこれは早計過ぎたか、独特ではあるが幻想郷は文化的にかなり成熟している方である。
「そう言えば、娯楽と言っても俺はよく分からんな。
子供達が竹とんぼやら鬼ごっこやらで遊んでいるのは見たが、まさか大人もそれをしている訳ではあるまい」
「ああ、田澤は人里の中をぶらぶら歩くって事はあまりしないもんね。大人の楽しむ娯楽も色々あるよ、ちんちろりんとかおいちょかぶとか、後はね」
「全部賭け事じゃないか……妹紅、もしかして、君」
「……運否天賦の何が悪いんだよぉ」
どうやら妹紅は俺の見知らぬ所でギャンブラーだったようだ。
穏やかに笑って可愛く怒る、と言うような印象を持っている俺としては密かに衝撃的だが、妖怪相手にたまに見せる迫力を考えると、何故かすんなり受け入れられるような気も……
「田澤の気に入るような、『健全な』娯楽だってありますけどねえ」
「拗ねるな、別に責めた訳じゃないさ」
それらの勝負事は本来悪い事でも何でもない、ただの遊びだ。
まあ、妹紅の様子だとどうやら金をやり取りする賭博のようだが……限界を見極められずに破滅するような性質でない事はよく知っているつもりだし、妹紅の趣味にケチを付けられる筋合いはない。
寺子屋で人気のお姉さんがはまる趣味には少し、と言うような偏見はどうしても出てしまうが……
「おっと、危うく通り過ぎる所だった。ほら、ここが俺の仕事場だ」
「ん? ああ、私はてっきり道端に椅子とか用意してやってるのかと。思った以上に立派な所を貸してもらえてるんだね」
何とも言えない会話の流れで東屋を見過ごしかけ、慌てて歩を止める。手で東屋を指し示すと、妹紅は目を丸くして感心したように言う。
「ここなら本当に『店』って感じの占いが出来そうだね、見れなかったのが悔しいなあ」
「悪いな、流石に勝手に店を開く事は出来ん」
「分かってるって、この店が休みだからこそこうして旅行が出来てるんだし、文句も何も言えないよ」
どうやら今現在この東屋は使われていないようだが、俺が店を開けて良いかは全くの別問題だ。
とは言え元々が共用の休憩スペースなのだから、座って他の人の迷惑にならないくらいに話をする程度なら特に悪い事でも無いだろう。
俺達は東屋に入り、テーブルを挟んで体面に腰かけた。どのような反応を見せてくれるかが少し知りたくなり、ここで普段振る舞っている『単なる占い師』としての仮面で話しかける事にする。
「それでは、妹紅さん。次は何をお望みでしょうか?」
「う、わっ…… や、やめてよ田澤ぁ、何だか今すっごく背筋がぞわってしたよぉ」
「え」
……妹紅の反応は冷たいとかを通り越して酷い物だった。幾ら何でもこのような避けられ方をするとは考えていなかったので、思わず間抜けな声が漏れる。
「何なの今の笑顔……八雲みたいに胡散臭くて嫌だよお」
「え、ええと……店では、大体こんな感じで接客しているんだが」
「人寄り付かないでしょ、それ」
笑顔の出所を正直に伝えると、妹紅はげんなりした表情で言葉少なに断定する。
よほど薄気味悪いと感じたようだが、事実としてこれでそこそこの評判を得ているのだ。流石にあんまりな意見ではないかとも思ったので、もう少し語る事にした。
「寄り付かないなんて事は無いぞ、良い評価は得ていると自負している。
妹紅は普段の俺の姿を見ているから違和感を覚えるのだろうが、最初からこう言う口調で接していれば『そのような性格』として見られる。言葉遣いや振る舞う態度を客観的に見れば、胡散臭いなんて事は無くむしろ誠実だろう」
「全く、田澤さんの仰る通りですわ。その八雲と言う方も、実に心外でしょうね」
「それはそうかもしれないけど……って、うん?」
……俺の言葉に続けて、実に遺憾だと言わんばかりの口調で誰かの援護が入る。いや、誰かなど分かりきっているのだが。
「……メアリーさん、盗み聞きは感心しませんよ」
「あら失礼、占い師さんが可愛らしいお嬢さんを連れておられましたから少し悪戯心が湧いてしまいましたの」
「な、なんで八雲が居るんだよっ!?」
八雲の言葉に乗る形で一応皮肉を言っておくが、彼女は何ら堪えた様子も無くいけしゃあしゃあと笑ってのける。
妹紅はあまりの出来事に冷静さを失ったらしく、俺と八雲を理解不能だと言わんばかりの様子で見比べつつ大声で叫んだ。
「可愛らしいお嬢さん、さっきから言っている『八雲』ってどなた? 私はメアリー・バイオレット、貴女のお名前を聞かせてくださるかしら」
「あんただよ、あんた! 何すっとぼけた顔で三文芝居してるんだ!」
八雲はやはり外界に馴染んだファッションで、いかにも微笑ましそうな笑顔を浮かべて妹紅と視線を合わせる。
……ああ、何だか面倒な事になりそうな予感が。ともかく妹紅が何を言っても八雲はこの設定を崩さない筈なので、俺は額を抑えつつアドバイスをする。
「……妹紅、納得出来なくてもそう言う物だと諦めてくれ。彼女も彼女で何かしらの意地が有るんだろう」
俺は仕事中であった事や、真面目に応対していると疲れるので早々に『メアリーさん』として流したが……まあ、これも妥当な反応だろう。
「う…… 私は藤原妹紅と申します華やかな異人さん、はいこれで良いでしょ?」
「ふふっ、真っ直ぐな娘ね。妹紅さん、これから仲良くしましょう」
「やっぱり田澤より八雲の方が胡散臭いや……」
妹紅が投げやりに『メアリーさん』の質問に答えると、『メアリーさん』は何とも言えない綺麗な笑みを見せる。……妹紅の呟きの、後者には同意である。
「……自己紹介の儀式も済ませたのだし、もうこの茶番は良いだろう。何故わざわざ俺達の所に来た?」
「何故、ねえ。特に深い理由は無いわ、強いて言えば貴方達の監視かしら」
「あ、下手に言葉を重ねられるより凄い信用出来る答えだ」
「本当に真っ直ぐな娘。親切で忠告しておいてあげるけど、その判断基準は他者に結論を誘導されやすいわよ」
妹紅の反応に、八雲は苦笑しながらその危うさを説く。もしもこれが囮だったら、まんまと騙される事にはなるからな。
俺も目的を聞いてはみたが、これこそ特に深い意味は無い問いかけだった。八雲が本当に誤魔化しにかかれば激しい舌戦の末にしか真意に辿り着けないし、どちらにしても先ずは監視と言う答えが出る事には最初から予測が付いていた。あくまで、挨拶がわりのような物である。
「とは言え何から何まで企てて動いている訳ではありません、今回は本当に言った以上の理由は無いわ。尤も、そうやって警戒された方が凡そ都合が良いのですけど」
「……勝手に深読みして自滅したり、今の私みたいに真意を誤魔化すのが簡単だったりするって事だね」
「貴女は喧嘩っ早いくせに優等生よね、その柔軟性はうちの藍にも見習ってほしい所だわ」
いやはや、実に気の抜けない会話である。八雲は喋りたがりかつ驚かせたがりだから、一々裏が有りそうな事を言う。
例え面白そうだったから見に来たとかの理由でも、相手が誤解すれば興味本位で深謀遠慮の壮大なる計画をでっちあげたりするのである。……時々本当に恐ろしい企てをしていたりもするので、余計に始末が悪い。
「で、君はこれからどうするのだ。俺達は明日には帰る予定だから、別にこれ以上釘をさす必要は無いぞ」
「あら、そうなの? まあせっかくだからこの辺りで何かお土産でも買って行こうかしらねえ」
「……以前は八百屋の方が大変な盛り上がりだったからな、大根買うだけで妙な悪目立ちはしないでくれ」
「特に言われる程妙な事はしていないのだけど……」
「あ、あーっ!? 例の外人さんと田澤さんの密会!?」
……面倒な事になりそうな予感は、これについての物だったか。畜生、こっちはどうしよう。
「こ、今度は誰だ!?」
「きゃっ! って、女の子? あわわ、もしかして私って何かイケナイ所に来てしまったのでは……」
「……いや、ほんとに誰だ?」
さっきの妹紅に負けず劣らずの大声で如何わしい事を言ってくださったのは、神気を纏う緑髪の少女。
私服らしい服装で、買い物帰りらしく幾つかの紙袋をぶら下げた彼女……外界において幻想を保持する現人神、東風谷である。
「別に後ろめたい事など何もなく、ましてや密会などでも無いから、人聞きの悪い事を叫ばないでくれ」
「あ、すいません…… えっと、今日は休日モードなんですか? 口調も服もいつもと違って、珍しいですね」
「今日は仕事ではなく、ちょっとした小旅行と言う感じでな。こっちの子は俺の従兄妹、ほら挨拶」
「あ、あー……ふ、藤原妹紅です」
「ふじわらの……何だか由緒在りそうな苗字ですね、カッコいいです! あ、私は東風谷早苗、こっちのお兄さんには色々相談に乗ってもらってます」
内心気が気でないのだが、努めて平静を維持。変な早とちりを早急に解くべく、『設定』を元に一つ一つ事情を説明していく。
「この子が田澤さんの従兄妹で、仕事を休んで旅行ってのは、まあ分かりましたけど……こちらの方、時々噂になってるハリウッド女優の方ですよね?」
「つ、遂に比喩ではなく本物呼ばわり……いや、彼女は芸能には全く関わりの無い女性だよ」
「初めまして、早苗さん。私はメアリー、メアリー・バイオレットよ。嬉しいのだけれど、映画は見るだけね」
「す、すごい、日本語ペラペラ……よ、よろしくお願いします。た、田澤さんとはどんな御関係で?」
……八雲の容貌、外面を見る限りでは文句の付けようがない才色兼備っぷりに圧倒されたらしい物の、ちゃっかり質問はする東風谷。割と良い度胸をしている少女だ。
「私は離れた所で、ちょっとしたペンションをやっているのだけど……田澤さんはそこで、結構長く付き合いのある方なの。
前から勉強していた占いでお店を出すまでになったみたいだから、買い物をしながら応援していこうと思って時々顔を出すようにしているのよ」
よくもまあ、こうも口が回る物である。自分の素性に関してはともかく、『設定』は俺達と示し合わせて練っている訳ではないのだ。
それを一瞬で俺達の物と破綻を見せないレベルで取り繕ってくるのだから、素直に凄いと言うしかないだろう。何というか、堂に入っている。
「ペンションって、ええっと……観光地のマンションみたいな物でしたっけ」
「マンションって言う程大きくは無いのだけど、大体間違っていないわ。
私の所は観光地に有るって訳でも無いし、厳密にはペンションって括りに入らないかもしれないけど……言葉の響きが素敵でしょう?」
「わあ、と言う事は管理人さん兼オーナーって感じなんですね! 凄いです、尊敬します! ……めぞん、的な関係?」
……おそらく八雲も東風谷の最後の呟きを理解したと見えて、実に名状しがたい困惑した笑みを見せてくれる。妹紅の理解の埒外にある例えを出してくれて、助かったと言うべきなのだろうか。
八雲も俺も否定の言葉を出したいのだが、下手に突っ込んでしまうと妹紅にも意味が伝わってしまうので動くに動けない。結局、否定も同意もする事なく、聞こえなかった振りで誤魔化した。……東風谷はまあ分かるが、八雲も知っているのだな。俺も人の事を言えないが。
「それで、東風谷。君は今時間が有るのか? 買い物の途中みたいな様子じゃないか」
無理矢理では有るが、東風谷の様子を話題にして流れを変える。彼女には悪いが、この場でこうも集まっていると色々不味い事になりそうなのだ。
「あー、そうなんですよね。今買い出しの途中で……まだお野菜とか、買う物が残っているんです」
「それじゃあ、一緒にお店まで歩きません? 私もちょうど野菜とかを買いたかったの」
「な、なんだかメアリーさんと並んで歩くのは緊張しますね……でも、しっかり案内しますよ!
田澤さん、また今度相談に乗ってください! 妹紅ちゃんも、時間が有ったらまた来てね! その時、いっぱいお話しましょう!」
八雲も俺の意思を察したのか、それとも察するまでも無く同じ考えに至っていたのか。絶妙なフォローで分断する形を作り、東風谷に先導させて俺達から離れていった。……後で礼を言っておこう。
「……この短時間に、半日くらい過ぎたような気がするよ。八雲も、あの早苗って子も、突然現れてあっという間に居なくなったなあ」
「八雲はある程度意識してやっているのだろうが、東風谷に関しては多分あれが素なのだろう。……まあ、うむ、元気な少女だな」
僅か数十分の間の出来事だったのだが、過ぎ去ってから振り返ると実に濃い時間だった。
俺も妹紅も、暫く無言でぼうっと過ごす。なまじ二人旅のペースだったので、いきなり予想外の騒動が起きると気疲れに近い感情が浮かぶ。
「……そうだ、今更言うのも間抜けだけどさ。あの子、なんか神様っぽかったよね」
「どうやら、現人神らしいな。話を聞く機会が有ったが、神に仕える立場のようだ」
「幻想郷の外で、まだ幻想としての力を残す神? あの子、思った以上に随分な存在なのか」
かなり衝撃的な事を話し合っている筈なのだが、先程の気疲れを互いに引きずっているせいかどうもキレが無い。まるで世間話でもしているかのような調子で、話は続く。
「八雲が東風谷と二人になったのは、そこを見る為だったのかもしれんな。幻想郷の外の幻想となれば、俺達よりも優先して見る必要が有る物だろうし」
「どうも一気に離れていったと思ったけど、そう言う事だったのか。あの子も変な事吹き込まれなければいいけどねえ」
「変な事、と言うのがどの範囲になるかは分からんが……不利益になると彼女の仕える神が判断したなら、大事になるだろう。それは八雲も重々承知しているのだから、実際に問題は起こるまい」
さりげなく妹紅に対して誤魔化しを入れつつ、東風谷について知っている事、八雲の行動の理由についての推測を語る。
俺の居ない所でも八雲がこの近辺を訪れていたのなら、東風谷の存在、ひいては彼女の後ろに居る神の存在も既に知っていた筈だ。今回は分断する意図に加えて、怪しまれずに直接の接触が出来る良い機会だとも思ったのかもしれん。
「で、あの子が客の一人なんだね。何か、相談とか言ってたけど」
「占いだけだとあっさり終わる事も多いから、占いの解説も含めてお悩み相談をやっているのだ。最近は、占いに興味は無いが悩みを聞いてくれと言う人もちらほら出て来たな」
「ふーん。まあ、それなら深く聞かないでおくよ。悪趣味だしね」
占い師の俺が東風谷に相談を持ち掛けられている事に疑問を持ったようだが、事情を説明するとあっさりと引いてくれる。占いと言う仕事上はある意味当然に付随する物でも有るし、内容が内容なので深入りするのが憚られると言う事だろう。
「……あー、これからどうしようかな。何だか気分が変わっちゃった」
「ははは、今この商店街に居ると落ち着けないと言うのは少し分かるよ。それじゃあ、これまでとは趣向を変えて……外界ならではの遊びが出来る場所にでも行ってみるか」
「外界の……へえ。面白そうだ、連れてってほしいな」
妹紅は一連の遭遇で、この近辺をゆっくり巡ると言う気分では無くなってしまったようだ。
ある意味丁度良いタイミングでも有るので、俺は外界だからこそ存在する場所も案内していく事にした。せっかくだし、色々な所を楽しんでもらいたい。
「どんな事をして遊ぶの?」
「妹紅の趣味にもよるかな。一定のルールに沿って体を動かし競い合う形式の物も有れば、どちらかと言えば反射神経を主に使って、手先の器用さや反応速度を試す遊びも有る」
「どうせなら全部やって行きたいかも。体力なら自信が有るし、時間さえ許せばね」
「ふむ。ルートと時間配分を考えれば、今からでも目一杯楽しめるかもしれないな……よし、早速移動しようか」
ボウリングやバッティングセンターと言った物なら、ルールも直感的に理解出来るし妹紅も簡単に馴染んでくれる筈だ。ゲームセンターの各種アーケードゲームも、幻想郷には存在しない物なので目新しさに喜んでくれると思う。
俺は妹紅がどのように喜んでくれるかを想像して顔を綻ばせつつ、残り半日近くとなった外界旅行を楽しむのだった。
酷く時間がかかってしまいましたが、これにて萃夢想編から続く日常話は終わりです。
次回からは断章を挟んで、永夜抄編へと移行します。……そろそろ更新速度も戻ってくる、予定です……