歪なる月が浮かぶ永遠の夜。二つの異変の影響は、我が王国から八意の屋敷に戻る頃には既に消えていた。
戦闘の最中は月に照らされていた回廊だが、今は日光が僅かに差し込んでいる。これまで堰き止められていた流れが動き、ごく短時間で時刻を一気に朝まで引っ張ったようだ。
思わず安堵の溜め息が出る。『我等』と『田澤昴』が奥底へと戻っていき、『俺』を再構築出来たと言う事は確かに時間の運行が正常に戻った事の証明なのだが……こうして目に見える結果が有ると、更に心強い。
「これからどうする、八意?」
「まずは姫様を迎えに行かなくてはね。その過程であの地上人二人組にもまた会うでしょうし、事情の説明をしておこうかしら」
八意××……地上に降りてからは八意永琳と名乗っているようだが。
ともかく彼女の中では予定が既に組まれているらしい。俺としても姫様、カグヤには礼を言わなければならないし、『地上人二人組』の確認もしなければならない。確認とは言っても、誰かについてはもう見当は付いているが。
「妥当な所だな、異変についての説明は君から頼む。俺は少し黙っているよ……黙っていられれば、だが」
「田澤さんって時間の云々が関わると結構攻撃的になりますしね」
八意に返答すると、射命丸が隣でぼそっと呟く。事実なので、何も言えない。
「説明くらい構わないわ、それが異変を起こした者としての礼儀でしょうし。
……その下手人が何を、と言う感じではあるけれど。出来ればこれ以上永遠亭で騒ぎは起こしてほしくないわね。妹紅、貴女もよ」
「へ? い、いやあ、何を言っているのか分からないなあ。別に輝夜に会うからって、騒ぎが起こる訳無いよ、うん」
「……貴女にもその類の羞恥心は有るようで安心したわ」
八意はそのまま釘を刺してくる。何故か、妹紅にも。
会話の流れを見るに、どうやら妹紅とカグヤが顔を合わせると騒ぎが起こると言う事らしいが……ううむ。元々妹紅がカグヤに対してかなり苛烈な敵愾心を抱いているのは知っているし、隠す意味も薄い気がするのだが。
俺達は程なくして、カグヤと『地上人二人組』に合流した。……そこに居たのは、予想通り。
「博麗、霊夢……八雲紫。愚かにも時の運行を掻き乱したのは、やはり、貴様ら……君達、か。そして、カグヤ……」
黒髪の化け物、と言う言葉は何とか口の中に留める事に成功する。
薄桃色の和服を纏う、美しい少女。『田澤昴』の記録を追体験する中で姿を見た、妹紅と文字通りの死闘を繰り広げていた少女と瓜二つ……いや、似通っていると言うレベルではない。平行世界云々を除けば、同一人物と考えるべきだろう。
しかも少女のすぐ隣に霊夢と八雲が居て、更に俺の傍らには妹紅が立っている。……二人が、厳密には別人だが。よりにもよって、『田澤昴』の体験した『夢の世界』を彷彿とさせる面々が揃ってしまった。
時間へ大規模な干渉を行った存在を知覚してしまった事による『我等』のざわめき、かつての恐怖を呼び起こされた『田澤昴』の慄き。
幸い『俺』の状態も万全なので、先程までのように侵蝕を防げないと言う事は無かったが。邪神としての瘴気、破壊者としての怨念が僅かに漏れ出てしまう。
「……田澤さん」
「あ、ああ。問題ない、八意……」
八意が声をかける頃には、既にそれらの気配は奥底へと押し戻せていた。
……カグヤについても、落ち着いて考えればある種の納得が行く。あの『夢の世界』の竹林はそもそもこの『迷いの竹林』で、そこで妹紅とカグヤが物騒な決闘をしていた、とすると両者の行動範囲や関係性からもそこまで不思議な事ではない。
何故『田澤昴』がそれを見たのか、あれはどの時間軸の出来事なのかと言う根本的な謎は残るが、これを探るには彼の記録を拾っていく方が余程効率的だろう。今は、無視しておく。
「……何よ、今の。勘違いだなんて言わせない、その気配は間違いなく最上級の厄神に匹敵するものよ」
「時の、厄神? それは概念が離れすぎている……いえ、厄ではなく穢れと見るならば、年神の一形態と言えるのか」
……こちらの対応が先だしな。霊夢も八雲も、流石に見逃してはくれないようだ。
「二人とも、確認したい事は色々有るだろう。後で必ず説明する。しかし先に、この異変の顛末についての情報を交換しようじゃないか」
この二人にも、『俺』の事を説明しなくてはならないだろう。隠し通せない。しかし、まずは異変の方が先だ。
別に今すぐ話しても良いのだが、俺の身の上話を先に行うと順番的に面倒な事になる。異変の経緯を理解してもらう事で説明が省ける部分も多いし、そもそも今まさに終息したばかりの異変の方が内容的に重要だろう。
「それでは、『私達が起こした方の』異変について説明させてもらおうかしら。立ち話もなんだし、腰を落ち着けるところまで案内するわ……ウドンゲ、先に行って広間で茶を用意していなさい」
「わ、分かりました」
八意が先頭に立ち、皆を先導しながら先程俺達がしたものとほぼ同じ内容の説明をする。
霊夢はあまり興味なさげに、八雲は何かを考え込むようにしながら、殆ど黙ったままで説明を聞き終わる二人。同時に八意が言う所の広間に到着し、座卓を囲むように思い思いの位置に座って、用意された茶を飲む。
「私達の側からは、以上よ。次は貴女達の番ね」
一息ついた所で、八意が切り出す。月を弄った事への説明するべき部分は十分に明かされており、後は八雲達の行動の経緯を残すのみ。
八雲は既に凡その対応を決めていたのか、何時ものような駆け引きを行わず。八意の言葉を受け、彼女にしては珍しいと言えるほど素直に語り始めた。
「ほぼ、貴女方が認識している通りだと思いますけれど。改めて説明させてもらうわ。
大体の経緯としては非常に単純です。月の異常を幻想郷における第一級の脅威と認識し、霊夢と共に結界術の応用で月と夜を捕えた。それが時の停滞した夜……『永夜』の起こりです」
「後は分かるでしょ? 有象無象を蹴散らしながら進んで、最終的にこのお姫さまに辿り着いた訳よ」
「結末は逆転したものであったけれど『永夜』の異変は解決された。あの歪な月も浮かべる意義は無くなった……そうよね、月人?」
「あの術が無くても問題ないと分かったからね。警戒せずとも結構よ、妖怪」
……八意と八雲の牽制はともかく、話自体はシンプルだな。
それぞれの目的と思惑が微妙にずれた状態で交差して複合、今回の『終わらない夜に浮かぶ歪な月』と言う異変になってしまったのか。しかし。
「何故わざわざ『時刻の進行を止める』必要が有った? その異変を起こした者を打倒すれば終わる話だろうに、月を留める必要は有ったのか」
「『月が欠ける』と言う非常事態が有った以上、沈むのを見過ごして、再び昇る事が無いとなると手の打ちようが無くなるからです。
何としてでも現状維持に留め、その内に黒幕を打倒して月を元の形へ戻させる必要が有った。最悪でも此方で『月の欠片』を集めて再構築が出来るよう、手を打たなければならなかった」
「……ふん。そのおかげで俺はこんなザマを晒した訳か」
……いかんな。これは『我等』や『田澤昴』の影響による物ではない、『俺』自身の言葉だ。
自分が思っている以上に、俺は相当気が立っているらしい。死や崩壊を覚悟させられた、その上『邪神』としての性質を明かさなければならなくなった。まあ、笑って受け流すには大き過ぎる程、この二人には諸諸の不利益を被らされているか。
「それよ。あんたのあの気配、と言うか、あんたは何? まだ人間なんて適当な事言うなら、問答無用で行くわよ」
「……さっき、君達以外の皆にも話したが。我が本性は、時間と空間を支配する神。その在り方から、意思ある者を遍く狂わす邪神としての側面も持つ」
無言で語弊と御札を構え、座卓を飛び越え即座に攻撃に移る霊夢。本当にここまで問答無用とは流石に思っていなかったので、やや反応が遅れるも。
「せめて、最後まで話を聞いてもらいたい」
「なっ……!?」
俺のすぐ前まで迫った霊夢、そして眉間と喉元に紙一重まで迫っていた攻撃は前触れなく消失。霊夢の姿は、俺の話を聞いていた時の位置に現れていた。
……神としての自らの性質を明かしてしまったし、その上で警戒されてもいる。半ば以上当て付け、自棄になりながら時間操作能力をこれ見よがしに使う。
「俺に対する敵対行動を、行動前の時間軸で上書きした。意味が無いと言う事を理解してもらえるように、意思や記憶に関しては干渉しないようにしたが」
「……時間を戻したって言う事?」
「到達した結果はそうだが、過程は単に時間の矢を逆転させた物ではない。……別にこの講義を聞きたい訳ではないだろう?
話を戻そう。俺が時空を支配すると言うのは今ので片鱗だけでも感じてもらえたと思うし、邪神としての気配に関しては君達が警戒した通りだ。
しかし『俺』は今まで頑なに名乗ってきた通り、人間として生きたいと思っている。君達へ害を与える事が無いよう、最大限に自らを封印しているんだ。……厳密に言えば、そもそも『俺』は邪神が作り出した『人間としての化身』なんだがな」
長々と、威圧的に、それでいて懇願するように語る。すると、俺達の小競り合いから考え込むように黙り込んでいた八雲が急に核心を突く問いを投げかけてきた。
「貴方の言葉が全て真実として、それでは何故今になってそれを明かしたのです?
先程からの口振りでは望んでいなかった事柄のように思えますが、この異変の……いえ、私達が時を止めた事の何がそうさせたのかしら?」
「いきなり本題に入る、その姿勢は好ましいな。普段の無駄な修飾の多い、煙に巻く話術よりも余程好印象だ」
「……その言葉、反転して今の貴方に返すわ」
「失礼。大規模かつ、複雑な形式による時刻停止の術が『邪神』としての我が側面の興味を引いた。
その結果『俺』と言う化身は消滅の危機に瀕し、遂には不運な行き違いの果てに『邪神』降臨の寸前まで到達した……これで納得してもらえたか?」
霊夢に攻撃されたと言うのが無意識の内に、そして『田澤昴』に響いているのかもしれない。どこか投げやりな、空虚な調子の軽さを伴って言葉が出る。
「今回の件については、大まかにね。むしろ理解が及ばないのは貴方の『正体』についての方だけど」
「端から無理な事だから諦めたまえ。『我等』を完全に理解して尚正気を保てるのならば、それは既に銀河宇宙の尺度を遥かに超える存在である事の証明だ」
「これは大変失礼をば致しましたわ、自らは『そのような』存在だと仰るのね?」
「勿論、そう言ったつもりだが」
八雲の疑念の視線には皮肉で返し、それに対する更なる皮肉には厭味でもって返す。
……ああ、ダメだ。蓮子、メリーを彷彿とさせる相手への対立から自己破滅的な衝動が止まらない。俺の中の『田澤昴』が悲鳴を上げている。
「……済まない、こんな事を言いたい訳ではないんだ。……不快な物言い、本当に申し訳ない」
「……貴方の方も、混乱していると言う訳ね。まあ良いわ、『何が起こったか』については知れたのだし」
「全然良くないわよ、邪神としての処遇はどうすんのよ」
「それは近い内に、必ず私が処置を取ります。貴女の管轄は妖怪退治、そうでしょう?」
「神だって巫女の管轄だし、邪神なんて尚更妖怪みたいなもんでしょ」
八雲も含む物が有る事を隠そうとはしない態度だが、霊夢は更に露骨だ。
先の時間操作を体験しているからか行動こそ起こさないが、その敵意……殺気は、物理的な痛みさえ錯覚させるほど。陳腐な表現だが、正に『人を殺せるような視線』と言う物か。
……いや、これも違うな。俺を人間としては見ていない。そんな眼だ。
「彼には、これまで幻想郷の秩序構築の為に力を貸してもらった経緯も有ります。
危険極まりない狂気をその身に押し隠していたとしても、人間を名乗る魔法使いとしての確かな貢献が有る事も事実なのです。敵対の意思をも一貫して否定し、曲がりなりにも私達の問いへ答える姿勢を見せている。一方的に処断するのは早計よ」
「……なんか納得いかないけどねえ。そこまで言うなら、この場は退くわ。夜も明けちゃったし、帰って寝たいし」
八雲の、心情的な物ではない、あくまで事務的な反対意見。これに説得された……と言うより単に面倒になっただけのようにも見えるが、あっさりと殺気を引っ込めて立ち上がり去っていく霊夢。
俺に対しての対処が後回しになれば、異変は解決した以上ここに用は無いと言う事だろうか。普段の振る舞いから予想はしていた行動でも有るが、その余りにも執着と言う物を感じさせない態度に悲しさをも覚える。
「月人の方々には、博麗神社での宴へご参加願いたいと考えております。日時が決まりましたら使いを送るので、その時はよしなに。
そして、田澤昴。数日後に藍を貴方の家へ向かわせます。貴方の思う、相応しい対応をお願いしますわ。後は天狗……『分かっている』わよね?」
俺達それぞれへの言葉を投げた八雲もまた隙間へと消え、あっと言う間に広間から二人が居なくなった。
最初から最後まで緊張しきりに見えたレイセン改め鈴仙、そして最後の最後に笑顔の脅迫を向けられた射命丸は息を吐き、ようやく人心地が付いたとばかりに姿勢を崩す。
「うう。戦った時もそうだったけど、私の事全然眼中に無いって感じだったなあ……それなのに妙な威圧だけはしてくるんだもの」
「いや、まったく。あの方々を敵に回したくは無いとつくづく思わされますねえ」
八雲と霊夢の恐怖を共にしたことで仲間意識でも芽生えたのか、頻りに頷きあいながら愚痴を吐き出し始める二人。……そして、困惑した顔で八意に問いを投げかけるカグヤ。
「ねえ永琳。これってそもそもどういう状況なの? 今のやりとり何? この妖怪と人っぽい男性はどなた?」
「……そうよね。姫だけは完全に今の話題で蚊帳の外だったのよね……
このお二人は別口で異変解決に来た方々よ。私とウドンゲで迎撃した結果、この男性、田澤さんの邪神としての力が知られる事となった。それはあの地上人二人組に取っては、私達以上に警戒する対象だったという所」
状況が掴めないまま話を聞く事となっていたカグヤに対し、それを失念していたと頭を振った八意がこれまでの経緯を短く纏める。
手早く最低限の状況理解をしてもらうため色々と詳細が省かれた説明だが、これまでのやり取りを含めれば丁度良い塩梅で納得の助けになるだろう。
「はー。うん、ありがとう永琳。今ので、だいぶ事情が分かってきたわ。……私って言うより、私達全員が何だか蚊帳の外じゃない、これって?」
「言えている、わね。一応騒ぎの原因を作ったのは私達なんだけど、巡り巡って最終的に対立したのは」
「この邪神の方とあの二人でしょ? あの二人、何だか私への興味がすっかり薄れちゃったみたいだし……何だか癪ね」
当然の反応とは俺も思うが、素性の告白等に関する俺の葛藤への関心は良い意味でも悪い意味でも薄いらしい。
知人である八雲と霊夢、顔見知りでは有った八意や鈴仙とは違い、本当に今が初対面の間柄なので俺個人への感情など抱きようが無い。
……ともかく、タイミングは生まれた。『邪神の方』と言う認識は止めて欲しいと言う思いも有り、自己紹介を兼ねて礼を言う事にした。
「肩書は人間の、田澤昴だ。自覚していないかとも思うが、実は君には先程命をも救ってもらっている。心から、感謝する」
「あら、丁寧にどうも。私は蓬莱山輝夜、肩書は……姫? 蓬莱人の方が良いのかしら。それで、命を救ったって何の話?」
今更になってまだ俺が人間と名乗る事に疑問を持ったらしく、カグヤの表情にはそれがはっきりと表れている。深くは踏み込んでこないのがせめてもの救いか。
俺としても、一度自分で邪神と宣言しておきながらのこれには……我ながら失笑さえ浮かぶ。厚顔無恥と言うか意固地と言うか、その類の振る舞いだよなと客観的に分析しつつも言葉でかけられた方の疑問に答える。
「鈴仙が推察していたが、『永夜』を覆したのは君だろう?
異常な時の運行を正常に戻す、その行為が『邪神』としての我が側面を奥へ引き戻す切っ掛けとなった。……『俺』は人間に留まれたのだ」
「分かったような分からないような……まあ、時間を戻してくれてありがとうって事かしら? あれはね、私の誇りにもかかる辺りだったから気にしなくていいわよ」
「それでも、だ。俺は本当に、君が居なかったら『消えて』いた」
鈴仙の攻撃で物理的に死ねていたらまだマシ、と言うのは先程も思い浮かべていた仮定だ。
そもそもあの時間干渉が行われなければ、八意を異空へと追放した後程なくして侵蝕が完了してしまっていた。勿論その状態で鈴仙に負けることなどないし、『我等』と『田澤昴』が幻想郷を蹂躙していただろう。それは、死ぬことよりも恐ろしい。
何だか押しつけがましいようにも感じるが、俺としてもこれ以上なく感謝しているのだ。そうして頭を下げると、今度は隣の妹紅が何とも言えない表情で俺を揺さぶる。
「……もう、いいんじゃない? こいつ、じゃなくて輝夜さんだって気にするなって言ってるしさ、頭なんか下げなくていいんだよ」
「ぷっ…… 輝夜、『さん』!? あーら妹紅さん、そのご丁寧な口調はどこからいらっしゃったのかしら!
普段の貴女の粗暴なお言葉遣いとまるで違って驚きよ、そんな気遣いが出来るなんて私まったく知らなかったわ!」
「なあっ……! この、ちょっと下手に出ればぺちゃくちゃと! 今すぐまた燃えてみるか、ああ!?」
「やれるものならやってあそばせ? ……その、お隣の方の前で、どうぞご自由に」
……カグヤと実に活き活きしたやり合いをしていた妹紅が、非常にぎこちない動きで此方に顔を向ける。
激情から赤く染まっていた顔は、青くなったり、かと思えばまた赤に戻ったり、目線があちらこちらに移ったりと忙しい。
「ふーん? まさかと思って鎌をかけてみたけど、どうやら本当に『そういうこと』みたいねえ?」
「あ、え、あう……その、田澤? あのね、別に私はだれかれ構わずこんな口調で喋ってる訳じゃなくて、当然輝夜を燃やすなんてしてない訳で、その」
あたふたする妹紅を横目で見た八意が、やはりこうなるかと言わんばかりに溜息を吐く。そして、どこに向かうか分からなくなりそうだった話の方向を無理矢理元の位置に戻した。
「……収拾がつかなくなるから、お二人の事は後にしてちょうだい。姫様も、あまり騒ぎを大きくしないで」
「ふふ、面白かったからつい。これ以上はしないわよ、もう十分な成果が有ったしね」
八意に窘められたカグヤは悪戯気に軽く舌を出す。……うん、何となくカグヤの性格、そして妹紅との関係性が掴めてきた。
「で、何の話だったっけ……ああ、礼についてね。まあ敢えて突っぱねる理由も無いし、貸し一つと言う事で今はお終いにしましょう。永琳じゃないけど、これ引っ張ってるとキリが無いしね」
「ああ。八意共々、後で必ず力を貸すよ」
「……本当に妹紅との関係を知りたいわねえ。邪神がどうとか関係なく、どんな馴れ初めが有ったのかしら」
「あ、それ私も気になります! ……いや冗談ですよ。そんなやつれた目で見ないでください、私らしくも無く罪悪感が込み上げてきました」
カグヤは話を切り上げてくれたが。彼女の呟いた言葉に反応し、何やら鈴仙と小声で愚痴っぽい会話をしていた射命丸が急に声を張り上げてくる。……張り上げて、それだけで終わった。
俺は普通に視線を向けたつもりだったが、他者から見るとそうでもなかったらしい。射命丸の表情は急に引きつるが、果たして本当にそこまで酷い目をしているのか?
「田澤さんもお疲れのようですし……そろそろこの場を締めてはどうかしら。
優先して周知しなければならない情報は共有したと見て良いでしょうし、まだ詰めるべき事柄が有れば後で幾らでも会談の機会は持てるでしょう。個人レベルでの交友は、そこそこ深いようだしね」
俺と射命丸のやり取りを見た八意は、そろそろ頃合だと判断したのか。これ以上の情報交換……と言う名目の雑談に突入し始めた会話を打ち切る事を提案する。
俺も特に異存はない。疲労云々を抜きにしても、八雲や霊夢が居なくなってしまったので『異変の発生場所』に残る意味合いはかなり薄れてしまった。八意と鈴仙を通して、彼女達の事情はもう殆ど知ってしまったし。
「そうですねえ……単なる世間話だろうと取材だろうと、流石にこのまま続けるには少し辛いものが有ると言うか。
結果的に異変は終わったのですし、私達の当初の目的は達成されています。色々聞いて出直してくるとしますかな、妹紅さんは何だかこのお屋敷の当主と関わりが深いようですしね!」
「……」
射命丸が興味津々と言った様子で妹紅に笑みを向ける。八雲に釘を刺されたと言うのに、何というか不屈だ。
対して話題を振られた妹紅は射命丸に顔を近づけ、小声で何事か呟く。……射命丸の表情が笑みのまま固まった。何を言ったのかは気になるが、内容については大体予想できるな。
「まあ、そういうことね。妹紅は既に私達と関わりが有り、かなりの間が空いたとは言え私もウドンゲも田澤さんとは会った事がある。
互いに知らない仲では無く、今更になって竹林に閉じこもるつもりも無い……鴉天狗、射命丸文もある程度の信用はおける性格みたいだし。礼節を持って訪れる分には、歓迎するわ」
「田澤さんも射命丸さんも、いつでも来てくれて良いわよ。永遠亭は月の因縁を除いて歴史が止まっていたからね、新しいお話相手は幾らでも欲しいわ」
「文、またあの地上人達について教えてね。田澤が来ると騒ぎに巻き込まれるのはもう諦めたから、せめて知識だけでも得たい……」
妹紅、射命丸と共に屋敷を出て、鬱蒼とした竹林の中を歩む。
もう何も悪影響は無いので、別に『扉』や転移魔法を使っても問題ないのだが……『あの』余韻が残っている。
「……田澤さん、これからどうするのです?」
「時が来るまで、家で粛々としているしか有るまいよ。八雲は最後、数日後とだけ言って明確に日時を示さなかったからな」
「それではまるで執行待ちの囚人……ああ。彼女、わざと時期をぼかしたんですね」
「ご丁寧にも『相応しい対応』をしろ、なんてまで言い残してな。あれだけで俺は、半ば軟禁されたようなものだ」
「流石にそこまで捻くれてはいないと思いますが、田澤さんが家を離れた瞬間に藍さんを向かわせるなんて事も出来てしまいますしね」
射命丸の問いに、欝々と、投げやりに答える。八雲は、去る間際の僅かな言葉だけで俺を縛る状況を作り上げたのだ。
期間中に何か粗相をすれば、それを幻想郷の賢者に対する俺の『相応しい対応』として。家に留まるのであれば、必然的に俺が持つであろう罪悪感と精神的圧迫を高めるものとして。
数日後、なのだから一日程度の猶予はどう悪意的に解釈しても残されているが。それ以降は……
「……酷いじゃないか。田澤が何か悪いことをした訳じゃないのに。ただ邪神だって言うだけで、友人でもある奴にこんな仕打ちをするのか」
「はは。邪神って『だけ』では済まされないんだよ。小賢しく人間なんて名乗りつつ、全てを冒涜し得る災厄だったのだ。友人だと言うなら、危険極まる本性を隠していたことこそが既に裏切りだろう」
「だからって……! 親友にだって言いたくない、秘密の一つや二つなんて誰でも有ることじゃないのか!
それとも八雲も霊夢も、そんな後ろめたさなんて何ひとつ持たない高尚な奴なのか!? 秘密を明かさせる原因の一つさえ作っておきながら、いざその秘密を知ればお前は悪者でしかないみたいな……あんな態度なんて、酷い!」
妹紅の叫びは確かに、幾人かを納得させ得る程度の正当性を持った意見だろう。しかし、それは俺に極めて近いからこそ出てくる、主観的な意見である事も間違いないのだ。
「……とある町に、いつの間にか一人の男が紛れていたとしよう。そいつは中々な便利屋で、そこそこ重宝されていた。
しかしその正体が、町どころか国でさえ滅ぼすほどの凶悪犯と噂が立った。その噂の真偽は分からずも、それが実行できる力を有していることは確認された。……その町の長が男を捕えるのは、実に正しい行いだと思わないかね」
「それは……っ! だって、その男にも、そんな力を持っちゃった理由が有るかもしれないじゃないか!」
「有るかもしれないが、無いかもしれない。そして理由はともかく、噂が真実であればそれだけで危険だろう?」
「噂が本当でも今はそんな気は全くない、更生した奴かもしれない!」
妹紅は俺のネガティブな『例え話』を、必死に否定してくれる。
正直に言うと、それは心の底から嬉しい。俺は人間なのだと、邪神として振る舞う気なんて無いのだと、今すぐにでも叫びたい。……俺は何も悪くないのだと、慰めて欲しい。
だが、それでは駄目なのだ。今ここで妹紅の優しさに縋ってしまえば、俺はもう二度と『立ち直れない』だろう。そして妹紅の心も、優しさから這い寄ってきた俺によって曇ってしまう。
「……これは少し極端に過ぎるし、実在の人物を出す嫌な例えなんだがな。
妹紅。カグヤが『過去の行いについては全て反省した、もう二度とあのような事はしないからそっちも見逃してくれ』なんて言ったとして……受け入れられるか?」
「……っ」
受け入れられないだろう。これまで勢いよく続いてきた妹紅の否定が、ようやく止まる。
見逃さなかったからこそ続いているのであろうカグヤとの確執を持っている妹紅には、どうやってもこれを跳ね除けることは出来ない。
俺への優しさから言葉だけで否定をしたとしても、本人が心でそれに納得してしまったなら……何の意味も無い。
「……あまり、気の良くなる話題ではありませんね。
私もそろそろ家に戻ります。一応あの異空間で休む事は休みましたけど、その後また疲労が溜まってしまったので……また、必ず会いましょう」
射命丸も居た堪れなくなってきたのであろう。軽く首を振って呟くと、一息に遥かな高空まで飛び上がり竹林を離脱していった。最後に、感情の強く込められた言葉を残して。
「……俺も帰ろう。何だか、酷く体が重いんだ」
『扉』を開く。会話をする気力も無くなってきたし、歩くことさえ億劫。精神的な要因から、この身を眠気と倦怠感が襲う。
魔力切れから起こるものでなければ、俺の睡眠欲など所詮は錯覚である。しかし、今は。意識を失うことによって、少しでもこの苦痛から逃れたい……
「田澤っ、待って!」
逃避の欲求に突き動かされる俺を、妹紅は全身で腕を引っ張って止める。その声には、動きには、引っ張られた俺が硬直してしまうほどの必死さが表れていた。
「今の田澤を放ってなんかおけない! 一緒に行く、帰るなら私もだ!」
「……駄目だ。今、妹紅が来れば、その方が、良くない」
「どうして!? そんなにも、私は頼りないのか!?」
妹紅の叫びに、その内容に、思わず声が込み上げる。常の振る舞い、ここまでも何とか維持してきた『賢人』としての仮面が外れる……!
「そんな訳ないだろ! 妹紅は頼れるさ、頼りたい! 何時までだって、その優しさに縋りついていたい!
でも、それでは駄目なんだ……! 妹紅を巻き込んで甘い泥沼に沈んでいくだけ、それは俺こそが許せない!」
そして、俺は。遂に、弱さを隠せなくなった。
「妹紅、君の事が好きだからこそ! 愛しいと思うからこそ、君を不幸にすると分かり切っている、そんな選択肢を選びたくない!」
「なっ……」
俺の言葉に衝撃を受けたのか、妹紅の体から力が抜ける。
離れた温もりを惜しいとさえ感じてしまう自らに鞭打ち、開かれた『扉』の中、更にはそこから繋がる家へと飛び込む。妹紅もすぐに体勢を立て直し、まだ閉じ切っていない『扉』へ体を潜り込ませようとするが。
「弱い姿を、これ以上、見せたくない…… 自信に満ち溢れた賢人、その仮面をもう一度被らせてくれ。でないと、俺は……」
本当に、妹紅と共に堕ちてしまう。
『扉』ごしに魔力による突風を打ち込み、妹紅を弾く。稼いだ時間はほんの僅かだが、それで十分。その間に『扉』は締まり、他者の介入を拒む絶対の異空が戻った。
「……どうして、こうなってしまったんだ。畜生。俺、は」
ふと気付くと、涙が溢れてくる。それは悲しさも悔しさも全てが綯交ぜになった、感情の発露だった。
漏れ出る声は言葉にならず、ただ頭の中だけで言語の断片が駆け巡る。複雑な思考は意識に浮かぶ前に掻き消され、行動を要求する命令は痙攣によって上書きされる。泣き疲れて眠るまで、俺はそうしてひたすら震えていた。
更新が遅れて申し訳ありません。
これにて永夜抄編は完結となります。