旅人の見た幻想郷   作:千思万考

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閑話・神秘の幻想と人間の旅人

 『神秘の存在が過ごす、幻想的な日常の日』

 

 

 

 空を覆い隠す程に鬱蒼とした、奥深い竹林。

傾斜の付いた地形と単調な風景が訪れた者を惑わす『迷いの竹林』を、二人の少女が歩いていた。

 

 

 「いやはや、感謝します。これ、私一人だったら途方に暮れてましたね」

 

 「人間だろうと妖怪だろうと、もっと言えば力が弱かろうと強かろうと関係なく迷う場所だよ。

  私みたいにこの竹林に『顔が利く』のでなければ、後は迷わないよう自分の運を信じるしかないな」

 

 

 黒髪の鴉天狗、射命丸文と、銀髪の蓬莱人、藤原妹紅である。

妹紅を先頭に薄暗い竹林をすいすいと進む彼女達は、やがて大きな屋敷に辿り着く。

 

 

 「前回は息つく間もなく突入したので、落ち着いて外観を見るのは初めてですね。一応写真を撮っておきますかな」

 

 「存在の証拠を作ると永琳が何か言うかも……って、最近はあんまり気にしなくなったんだっけ」

 

 

 二人が目的としていたのは、竹林の中に佇む屋敷『永遠亭』。

変化を、干渉を拒絶するようなその威容も、良くも悪くも関係者である彼女達の障害とはならない。勝手知ったる、とばかりに二人は永遠亭の中へ足を踏み入れる。

 

 

 「連絡は、伝わっているんですよね」

 

 「ああ、しっかり永琳とウドンゲにな。射命丸の取材と、その付き添いで私が向かうってね」

 

 「……輝夜さんは?」

 

 「あれに伝えたって意味ない。むしろ面白がってウドンゲあたりにホラを吹き込むだろうから、無視だよ」

 

 

 永遠亭を訪れた理由は、文の取材にあった。

これまで幻想郷の名所とまで言える場所に住みながらも身を潜め続けていた月人。それを特集出来れば文字通り幻想郷最速、しかも性質上ほぼ独占取材である。文が見逃す筈も無かった。

 

 

 「所で、ウドンゲと言うのは? いえ、鈴仙さんの事なのは分かるのですが」

 

 「ああ……何か複雑なんだよな。元々は『レイセン』ってだけの名前だったらしいんだけど。

  地上に降りてきて永琳に会った時に優曇華院って名前をもらって、その上更に愛称としてウドンゲって呼ばれるようになったとか。しかも輝夜の奴は兎全般をイナバって呼ぶから、余計に紛らわしい」

 

 「……鈴仙・優曇華院・イナバ? よくよく考えると凄い大変ですね……本人も呼ばれる時戸惑ったりしないんでしょうか」

 

 「もう慣れたって言ってたよ」

 

 

 雑談をしつつ、妹紅は文を先導して広々とした屋敷の中を悠々と進んでいく。やや複雑な経路にも関わらず少しも迷わずに、広間へと到着した。

 

 

 「ほぼ、時刻通りね。此方の準備は出来ているから、早速始めても構わないわよ」

 

 「お茶も保温してあるので、いつでも適温をお出しできます」

 

 「お、おお……何だか私の方が緊張しますね。お邪魔した時に相手方の準備がここまで完璧に整っているのは、殆ど有りませんでしたから」

 

 「そりゃあ、射命丸の取材って基本的に文字通りの『突撃』だからなあ」

 

 

 広間で二人を迎えたのは、既に諸々の用意を終えている永琳と、その斜め後ろに控える鈴仙。

そのあまりの用意の良さに文は面食らい、それに対して妹紅は苦笑しながら茶々を入れる。田澤が絡まない場合での相性は悪くないようだ。

 

 相手の準備が出来ているなら、文の側には開始を遅らせる理由は一つも無い。

文も永琳も前振りで時間を潰す事を好まなかったため、実にスムーズに取材へと移行した。

 

 

 「……ふむ。妖怪にも人間にも対応できる医者、と言うのは中々良いですね。それでは、これを中心に据えて記事を書いていきますかな」

 

 「これからは医療や製薬技術で幻想郷の方達と交流していくつもりだから、その旨をそれとなく広めてくれるとなお有り難いわね」

 

 

 文は特集の独占、永琳は自分達の広告として。両者の利害が一致しているため取材は滞りなく進み、実に平和的に終了する。

 

 

 「人・妖不問の薬師、竹林に現る……ちょっと、地味かしら? もう少し読者を引き付ける文言を考えないといけませんね」

 

 「引き付ける、ね。幻想郷の医療レベルを考えれば……これでも十分かしら。

  その新聞に、私が『患部を無痛で切り落とせる』『機能不全の臓器を正常な物と取り換えられる』とでも書き加えると良いわ」

 

 「……そんなこと出来るんですか? 月の技術と言うのは恐ろしいですな」

 

 「この程度、地上でも幻想郷の外ならやっていると思うけどね。月の最先端技術なんて言ったら、脳だけ無事なら数分で全身を『直せる』くらいよ」

 

 「う。あんまり見ない、と言うか見たくない光景ですね……」

 

 

 永琳の語る『最先端医療』を思い浮かべ、表情を歪める文。

人間は言うに及ばず、妖怪でもそれ程の急速再生能力を素で持つのは一部の特殊な存在のみである。それを純粋な技術のみで誰にでも提供できると言うのは、色々と凄絶だと文は溜め息をもらした。

 

 

 「あの邪神……じゃなかった、田澤はそう言う技術を広めていないの? あいつも、確実にこの類の知識は有る筈だけど」

 

 

 途中で妹紅に睨まれながらも、鈴仙が文の言葉に疑問を呈する。田澤の月での所業や、その分析結果を知っている鈴仙には、不思議でならない事だったのだ。

 

 

 「そうなの? いえ、聞いた事は無いわね……彼はとんでもない負傷をしても、魔法で治しちゃってますし」

 

 「……八雲に気を遣って、幻想郷に急な変化を起こさないようにしてたんだと思うよ? 八雲にとっては、その気遣いなんてされて当然程度だったみたいだけどさ」

 

 

 文は首を傾げるが、妹紅は共に外界へ行った時の経験などを踏まえた推論を出す。

この場に田澤が居ない以上どれだけ考えても真実は不明なのだが、かなり確からしいその意見に場の雰囲気が重くなる。……それを振り払うように、文は声を上げた。

 

 

 「所で! 何故、田澤さんがその知識を持つと確信を抱いているのです?」

 

 

 話題転換を図るものでは有るが、文にとっては新たな情報収集活動でもある。何かきっかけが有ればすぐに踏み込んで次回以降のネタを集める、この姿勢こそ記者として欠かせないものと言った所だろうか。

 

 

 「一応機密だったんだけど……今ではどうせ私も御尋ね者だしね。いい機会だし、あいつの化け物っぷりを語ってあげましょうか」

 

 

 これまでは永琳の後ろで言葉少なに控えていた鈴仙だったが、実は自分も喋りたくてうずうずしていたらしい。

我が意を得たとばかりに口元を緩め、勿体ぶった素振りで構える。……妹紅は田澤に対する語り口に眉を潜めつつも、今度はそれ以上の反応を見せない。何だかんだで話が気になるらしい。

 

 

 「知識を持っていると何で言えるか、についてなんだけど。

  まず、あいつの基礎知識レベルは明らかに地上人を超えている。もしかしたら月人に匹敵、最悪の事態を考えればそれよりも上、ってくらいね」

 

 「ふん。田澤は頭が良いからね」

 

 「それは否定しない。……月人の場合は、それに『異常なくらい』って枕詞を付けるけどね。

  妹紅さん、いくら頭が良い人でも……例えばあの寺子屋の教師、慧音。あの人でも、全く知らなかった新しい言語を数日で覚えられる? それも付きっ切りで懇切丁寧に教えてもらった訳じゃ無く、博物館の案内板に書いてた物を教えられた、ってくらいで」

 

 「……不可能ではないと思うわよ? 言語の構文方式、頻出する語句の選別、それらが行えれば理解は早まるでしょう。

  特に博物館の案内なんて、語とそれが示す対象が分かりやすく関連しているし語彙も豊富だし。むしろ下手に文字の成り立ちから教えられるよりも実践的ではないかしら」

 

 「し、師匠は別格なんですよ! 普通はそんな事出来ないんです!」

 

 

 鈴仙は田澤がごく僅かな期間で月人文字を修得した事を例に挙げるが、永琳が本気とも冗談とも付かない突っ込みを入れた事でややこしくなる。

 

 

 「ま、まあ……分かるでしょ? 凄まじいって事が」

 

 「確かに異国の言葉を数日で物にすると言うのは只事では有りませんな。ですが、それは医療知識と直接関係しないのでは」

 

 「これだけなら、ね。あいつは他にも、初めて触った筈の月の武器や道具を当然のように使いこなしたりしているのよ」

 

 「妹紅さんではありませんが、それこそ頭が良いから、理解力が高いから、と言う事で済みませんか?

  いやまあ、正直ここまで色々していたと聞くと、医療知識を持っていたって別に不思議でない気もしてきましたが」

 

 「結局は、そういうことなのよね。月でも確実に医療技術を持っているって証拠を見つけた訳じゃないんだけど……見せた知識の片鱗から、『それくらい』は知っているだろうって感じで。

  ライフルとか粒子波動兵器を並の警備兵以上に扱ったとか、挙句の果てに宇宙船を一人で操縦していたとか。豊姫様と何か量子論の話で盛り上がっていたとか、形而学と物理学の融和について新たな知見を出したとか」

 

 

 鈴仙の語る内容の後半部分は、文と妹紅には俄かには想像の及ばない物だった。

何やら仰々しい名前の兵器を扱いながら大船でも漕いでいたのだろうと、理解できる範囲まで落とし込もうとする二人。そんな二人を後目に、永琳は深く頷きながら呟く。

 

 

 「やはり、興味深いわね。田澤さんとは互いに腰を据えて話し合いたいわ」

 

 「……師匠の頭脳とあいつの知識が合わさったらと思うと、何だか恐ろしさしか感じないんですけど」

 

 

 只でさえ万能の天才と思える永琳が、底知れない叡智を有する田澤と情報交換を行う……そんな光景を想像しかけた鈴仙は、すぐにそれ以上考えることを止めた。心労の原因にしかならないからである。

 

 

 「……田澤、大丈夫かな」

 

 「何ですか急に……って、そう言えば」

 

 

 妹紅が俯いて呟いた言葉に、文は何故そんな深刻な顔をするのかと笑うが……すぐにその意味に気付く。

 

 

 「結局、あいつってどうなったの? あの恐ろしい二人組が散々脅かしていったのは見たけど」

 

 「……田澤さんの家には、まだ何も動きは有りませんな。今の所は、膠着しているようです」

 

 「私、心配して何回か尋ねて行ったんだけど……家の中から『大丈夫だ』の一点張りで。顔を出してもくれないんだ」

 

 「あいつ、そんなにショック受けたのかしら。まあ、確かに傍目に見てても怖かったけど」

 

 

 妹紅の懸念は、紫に事実上の軟禁状態を作られている田澤の精神状況。

文は妹紅と共に竹林で自暴自棄気味な田澤の嘆きを聞いているし、鈴仙も『恐ろしい二人組』に絡まれた事についてのみは多少同情しているようだ。

 

 

 「……私は、楽観視は決して出来ないと考えているわ」

 

 「永琳……?」

 

 「彼のアイデンティティは『人間である』ことよ。そしてこれこそが、彼が自らの邪神部分を制御する方法でもある。

  でも、今回の件で彼は邪神としての自らを意図しない形で知らしめてしまった。その上、幻想郷の管理者達には人間扱いをされない始末。これは、不味い状況だと思うわよ」

 

 

 永琳は不穏な推論を語る。田澤の置かれた状況は不味いと。永琳の優れた頭脳を認識している三人は、彼女の言葉に危機感を覚える。

 

 

 「で、でも、それって本当に不味いんですか? あの力を振るってたら、どうせこれまでも人間扱いはされてなかったと思うんですけど」

 

 「彼が自分をどう認識、定義していたかが問題なの。他者からの認識として、田澤さんは魔法使い、仙人、その辺りなら許容していた筈」

 

 「正に、その通りですね。田澤さんは人間と呼ばれる事を譲りませんけど、魔法使いとか仙人とかなら『称号のようなものだ』って笑ってました」

 

 「やはりね。彼はそれくらいなら、自らを人間と定義出来たのでしょう。

  ……邪神としての一面を明かされ、目前に突きつけられれば、田澤さんはアイデンティティの崩壊を起こす。それは彼が自らの邪神部分を制御出来なくなることと同義よ」

 

 「そんな……っ!」

 

 

 妹紅は思わず叫ぶ。居ても立っても居られないと言った様子で立ち上がった妹紅は、そのまま外へ向けて走り出そうとするが。

 

 

 「止めておきなさい。そうやって助けに入る事こそ、彼の立場を悪くするわよ」

 

 「何でだよっ!?」

 

 「……あの妖怪、八雲紫の言葉を聞いていなかったの?

  あれは田澤さんの行動を制限するものであるけど、同時に私達への牽制よ。誰かが下手に干渉すれば、それを田澤さんへの非難材料にするための」

 

 「どういう事だよ……田澤を間接的に軟禁する言い方ってのは理解してたけど、何でそう解釈出来るんだ」

 

 「幻想郷の管理者が、狂気をばら撒く邪神を問いただす。これは秩序の側から見て、そして秩序に守られる者にとって『正義』よ。

  そんな中、相応しい対応をしろとまで言い含めていたのに、邪神が『仲間を呼んだ』らどうなると思う? 『正義』の執行者としての大義名分と、管理者としての絶対権力。それを振るう機会を与えるだけよ」

 

 「うわ、えげつない……」

 

 

 決して田澤に良い印象を持っていない鈴仙ですら思わず眉を顰めるほどの、紫の策略。

田澤を家に閉じ込め、重圧を与え、そして外部からの助け船も禁じる。これだけの状況を、自らの話術と権力のみで作り上げたその手腕に、鈴仙と文は怖気さえ感じる。

 

 

 「恐ろしいのは、別にこれに気付かれても気付かれなくても特に問題ないと言う事ね。

  気付けば下手に手助けは出来なくなるし、気付かず助けに行けば良い交渉材料になる。どう転んでも八雲紫が有利になるように仕向けてあるのよ」

 

 「じゃ、じゃあ、私が家の前まで行ったのは……っ」

 

 「割とギリギリだったんじゃないかしら。流石に声をかけるくらいで反応していては過剰だと判断したんでしょうけど、他人と干渉させないのは田澤さんの孤立感をどこまでも高めるのが目的な筈だから」

 

 「もし妹紅さんが、そこで諦めなかったら……ぞっとしますね」

 

 

 妹紅も文も、その顔を蒼白な物にする。そこまで幾重にも幾重にも、蜘蛛の巣を張り巡らせるように包囲していたとは思わなかったからだ。

 

 

 「田澤さんの、人間としての自己同一性は揺らいでいる。そして邪神としての彼は狂気に満ちた存在……」

 

 

 永琳はそこで一旦言葉を切り、彼女にしては珍しく言い淀むように続けた。

 

 

 「人間としての自分を取り戻すように、強烈な揺り戻しが起こっている筈よ。邪神の狂気を伴って」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『人間の旅人が過ごす、人間的な人間の日』

 

 

 

 夜の帳が降り、往来を行き交う者の姿が人間から妖怪に変わり始めた人里。

昼間とはまた違う活気に溢れたその中で、どこか場違いにも見える神妙な表情を浮かべながら歩く金髪の美女がひとり。

 

 

 「……嫌な再会になったものだ」

 

 

 八雲紫の式神にして九尾、大妖怪である八雲藍は目的地……田澤昴の家を前にして呟いた。

彼女に下された命は、邪神としての正体を明かした田澤を見定めること。紫からは今回の指令に関して、傾国の九尾らしい懐柔策や、そこから派生する『排除』の方策など、様々な式を補足強化されてもいる。

……つまり、それが必要になる可能性をも紫は考慮しているのだ。主であり偉大な賢者である紫の命令に逆らう気など藍には毛頭無いが、それを浅からぬ付き合いのある知己に振るう自らを想像すると、愉快にはなれない。

 

 

 「互いに、何事も無ければそれが一番だが……」

 

 

 最後に弱音のような言葉を吐き、扉を叩く。そうして家の中に居るであろう田澤に声をかける頃には、先程までの物憂げな藍の姿はどこにもなかった。

 

 

 「田澤昴、私だ。紫様の遣いでやってきた、扉を開けてもらおうか」

 

 

 今、この瞬間より既に藍の交渉は始まっている。やや威圧的に声をかけ、駄目押し的な更なる精神的圧迫。

やり過ぎて爆発されては文字通りの大惨事になる諸刃の剣だが、そのリスクを取ってまで踏み込む必要を主従二人は感じていた。

 

 

 「ああ、今開けるよ」

 

 

 対して、田澤の返答は何ら負の感情を感じさせない物だった。

早過ぎる訳では無く、しかし決して遅くも無い、至って普通のタイミングで扉が開く。まさかこれまでの策は効果を発揮していなかったのか、それであれば策を変える必要が有るか、と藍は焦るも。

 

 

 「久しぶり、でもないか? いや、最後に面と向かって会話したのは地底の事を聞いた時になるな」

 

 「……無駄話をしている暇は無いのだが」

 

 

 気負いの無い素振りで語りかけてくる田澤に再び冷ややかな言葉で返しながら、藍は内心で表情を曇らせる。

田澤が普段通りに見えるのは、口調や身振りと言った表面的な振る舞いのごく一部のみ。元々威厳や威圧感とは縁の薄い雰囲気の持ち主では有ったが、今に至っては存在感その物が空虚。仮にも大魔法使いとしての自負は誇っていた、その覇気が無い。

しかし、それにしては纏う気配その物が暗い訳ではなく。むしろ瞳に宿る光は爛々と輝いており、それが藍にちぐはぐな違和感を与える。とは言え、精神的に平常ではないと言う事ははっきりと分かる。

 

 

 「そうだな、一刻も早く本題を済ませなければ。上がってくれ」

 

 

 時折突拍子も無く妙な振る舞いを見せることは有っても、基本的には聡明で謙虚な賢人。それが、藍が田澤に抱いている印象である。

田澤の魔法使いとしての技量と自信に溢れる態度に、藍は術師として系統こそ違えど僅かな尊敬さえ覚えていたのだ。そんな田澤の見る影もない有様に藍は逡巡してしまうが、主の命を果たすべく冷徹に役割を実行することを改めて決意する。

 

 田澤の案内を受けて応接間代わりの居間に入った藍は、いち早く机に向かい迷いなく上座に位置する席に座る。

礼儀作法、立ち振る舞い、言葉の選び方、それら全てで自らが上位に有るのだと意識させる圧迫交渉。最初は可能な限り威圧し、その後で急に軟化して見せることで隙を作る、典型的な戦略だ。

 

 

 「田澤昴、幻想郷に残るつもりか?」

 

 「……出来れば、そうしたいと考えているが」

 

 

 田澤の返答を聞き、表向きの態度と裏腹に藍は胸を撫で下ろす。

藍、ひいては紫にとって、ここで開き直られ『月の側に付く』などと宣言される事こそが大きな痛手だからだ。尤も、穢れを嫌う月人達が田澤を掌返しで迎え入れる可能性はほぼ皆無だろうが。

 

 

 「邪神と言うだけならば、別にこの幻想郷、幾らでも受け入れる余地は有るのだがな。

  人を……いや、意思ある者を遍く狂わす、だったか? そして時を弄び博麗の巫女すら無力化する権能、この二つが揃えば流石に看過は出来ん」

 

 「……」

 

 

 藍の言葉に、今度は無言の田澤。藍は言葉を紡ぐ度に心の痛みを感じる物の、内容その物は言い掛かりでも何でもなく、ただひたすらに正論を述べているだけだ。

いくら『全てを受け入れる』幻想郷であっても、受け入れた全てを犯し尽し得る災厄を放置など出来はしない。幻想郷の秩序を司る博麗の巫女、その明確な敵対行動をも捕えた時間操作能力は……紫にとって、幻想郷にとって、決して見過ごすことは出来ない。

 

 

 「幻想郷のパワーバランスに関しては、今更貴様に言う必要も無いだろう?

  各勢力の相互の牽制、そして紫様や博麗の巫女と言う絶対の抑止力、それらによりひとまずの均衡を作っているのに。その力は争いを煽る。端的に言って、迷惑なんだよ」

 

 

 幻想郷に決闘法が制定されているのは何も道楽による物ではない。

どこかで線を引かなければ、誰も抑える者が居なければ。この狭い世界を滅ぼすに足る力を持つ大妖怪は、片手では数えきれないほどに存在しているのだ。

 

 

 「……『俺』の真実を知った者が何も語らなければ。争いの種は蒔かれず、何も起こらない」

 

 「話を逸らすなよ。この場合、貴様が幻想郷の秩序を乱す力を持ち、それは博麗の巫女にも止められないと言う事が問題なのだ。

  繰り返しになるが、理解していないようだから言おう。貴様の存在その物が迷惑なんだ。……その上で、もう一度、聞こうか。田澤昴、幻想郷に残るつもりか?」

 

 

 田澤の苦し紛れの弁明を、藍は苛烈に断じた。

そのままこれまでのやり取りで直接は言及しなかった『最大の問題点』を掲げ、曖昧に避ける事の許されない言葉の矛を突きつける。……しかしこれは藍にとっても最大の賭け、分水嶺となる問いだった。

 

 

 「……離れたくは、無い」

 

 

 田澤が低く重い声でもらした言葉を聞き、藍は何とか山場を乗り切ったと判断する。

ここまでで、田澤は自らが『幻想郷に害なす存在である事を否定せず』、その上で再三の高圧的な問いかけに対しても『幻想郷に留まりたい』との意思表示を続けたのだ。

……藍にとっては、これこそが全ての前提とも言える仕込みである。『本来であれば存在を許されない邪神が、下手に出て管理者に赦しを乞う』と言う形式を作り上げる為の、ある種茶番のようなやり取り。上位下位を明確に分け、上位者としての立場で恩を売ると言う策略。

 

 

 「ふん。願望を喚き散らすのは結構だがな。我儘は無条件で聞き入れてもらえるなんて、そんな腑抜けた考えが通ると思うのか? どうやら賢人と言う肩書も騙りのようだな」

 

 「勿論、誠意として対価は払うが。何を見せれば、何をすれば君達は俺を受け入れてくれる?」

 

 「甘えるな。私達は貴様の上申を受け、それを承認するか否かを判断するのみ。わざわざ下知を受けられると思うなよ」

 

 

 内心の安堵は微塵も見せずに圧迫を続けながらも、そろそろ刺激し過ぎるのも不味いか、と藍は見繕う。

何事においても交渉の基本はギブアンドテイクであり、同時に飴と鞭である。元々本気で激昂されれば取返しのつかない相手で有り、更に目的としていた前提は既に作れているのだ。飴を与える頃合だな、と藍は意識して纏う気配を変える。

 

 

 「……と、『賢者の遣い』である式神としては言っておこうかな。ここまで散々に酷い事を言ってきておいて、なんだが。

  私個人としては、まあ、正直な所田澤殿をここまで否定するつもりは無い。幻想郷に留まると言うのも、問題視はしていない」

 

 「何?」

 

 「当然、紫様や巫女の懸念は秩序の管理者として正しい物だとは思うよ。

  しかし数年の付き合いすらない巫女はともかく、数百年来の友人であられる紫様までもあの対応を取る程、田澤殿は信頼のおけない男性だろうか、とね」

 

 

 藍は湧き上がる自己嫌悪の念を抑え込みつつ、『懐柔策』の実行に入る。

絶対の上位者として見せていた自らの威圧を主と博麗の巫女へ挿げ替えつつ、それら『上位者』に対する疑念の形を取って田澤へ同情の素振りを見せるのだ。

 

 

 「私は今でも忘れていないよ。月面戦争で月人に追い詰められていた私達を、勇猛果敢に、自らを犠牲にしてまで助けてくれた貴方の姿を」

 

 

 外界での接触も含めた紫の所見。周囲の者達の把握できる性格とそれに対する反応。そして最も好ましい対象として見ているであろう妹紅の性格。

それらの情報を総合的に勘案、自らの経験も加味し、寄り添う者として田澤昴が最も望むであろう理想的な振る舞いを再現。藍は机を挟んで向かい合った状態から身を乗り出し、ほんの少し上目遣いの状態を作って囁く。

 

 

 「今度は、私が貴方を助ける番だ」

 

 

 あくまで『真摯に』語りかけるだけで、慰めには踏み込まない。

女として訴える手法は効果が薄い事を何度か確認している藍は、睦言を騙るよりもこの方が取り入りやすいと判断した。

 

 

 「……君の主は、八雲だろう。八雲の意向を無視する事は式神のシステム的に無理、実行出来ても大幅な能力低下が起こる物だ」

 

 「逆に言えば紫様の意向に沿う形で、田澤殿の望みを解釈していく分には問題ない。それに」

 

 

 一旦言葉を切った藍は、自らの手を胸の上に当て、田澤の眼を正面から見つめ返して。

 

 

 「貴方の契約は、その血と魔力は、残滓で有るが今でも私に流れているのだから。どういう事か、分かってくれるだろう?」

 

 「……まさか、あの時の影響が未だに残っていると言うのか?」

 

 

 藍は、ここまで温存してきた切札の一つを切る。

これは完全に嘘と言う訳でもない。初めての遭遇、そして戦闘。その際に田澤が敢行した、敢えて自らの血を含ませる事で式神を侵蝕支配した魔法。その影響力は、完全に掻き消えた訳ではない。

……魔法の術式が消えた訳ではないだけで、対策自体は既に成されている。精神干渉や支配の力に関する攻性防壁、それをも突破されれば危機を主に伝えた上で自滅すると言うプログラム。本当に田澤が藍を支配しようとすれば、その事実は問答無用で明るみに出る。

 

 

 「……いや、滅多な事を言う物じゃない。君の主は八雲紫、その献身と頭脳、優しさは彼女に与えられるべきものだ。

  それに、そんな事をして彼女を騙したら、俺はもうエゴイストの危険人物だと誰にも否定出来んよ。そうなったらもう、誰からも」

 

 「ふふ。やはり、貴方は私の思う通りの方だよ。真摯で、高潔だ。だからこそ、力を貸したいと思えるのだ」

 

 

 田澤の言葉は心底からの思いの現れだったのか、それとも裏を警戒した故の計算だったのか。藍には真実を見切る事が出来ないが、少なくとも二つの結果を得る。

まず一つは、田澤の精神状況、現状での自己分析を確認出来たこと。今の言葉が計算ずくであれば少し話は変わるが、それでも『エゴイストの危険人物』と言う評価が客観的に下した自己評価であることには変わりない。……追い詰められている、と言う事は確定した。

そしてそうなれば、二つ目の成果も活きてくる。これは田澤が藍を評した言葉から派生するもの。田澤は藍を『献身的で優しい』と認識、もしくは表面的に評価している。そこへ『力を貸したい』と駄目押しをする事で、自分への認識を『危険人物へ手を差し伸べる献身的な存在』と言う物へ落とし込む。

 

 精神的に疲弊させられ続けた上で更には人格否定もされてからの、心に這い寄る甘言。受け入れてくれる存在。

落ちに堕ちた奈落の底で、光と共に糸が垂らされたような物だろう。……落としたのは自分達で、恩を売ってまで引き上げるのも元々居た位置にだが、と藍は自嘲する。

 

 

 「……心遣い、有り難う。本当に、救われる」

 

 

 やがて、田澤は絞り出すように呟いた。その内容から助力を『頼み込んで』くる事を確信した藍は、嬉し気な表情を作って口を開くも。

 

 

 「それでは……」

 

 「だが、いや、だからこそ、と言うべきか。やはり、君の助けを借りる訳にはいかなくなった。君を利用するようなことが、有ってはならない」

 

 「本当に、真面目な方だな。そのように一人で背負い込まないでくれ。

  貴方は『利用』と表現したが、私自身が手を貸したいと思っているのだ。……それに突き詰めて言えば、どんな関係も最終的には『互いを利用する』ものになると思うのだけれど」

 

 

 少し想定と違った反応が返ってきた事に、藍は一瞬だけ演技と素の感情が一致した。

とは言え彼女達の予想の中に全く無かった事柄でもなく、この状況に対しても策は用意してある。

 

 

 「とは言え、貴方がそう考えるのなら……私がこれ以上迫るのも恩の押し売りになってしまうな。

  分かったよ、紫様に対して特別に便宜を図ると言う事はしないでおく。しかし、今回の会談で田澤殿は非常に真摯に対応した……それくらいは、伝えても良いだろう?」

 

 「まあ、な。それで彼女が俺に何か良い印象を持つ、と言う事も無いだろうがな……」

 

 

 ひとまず妥当な所に落ち着いたか、と藍は一息つく。

最も理想的な展開である『屈した田澤を救い上げる』とまでは行かなかったものの、田澤の精神が相当に疲弊している事の確認、そして自分へ恩を感じさせる事には成功した。

今後も紫様の差し金による外圧と他者との交流の遮断、そして自分と言う唯一の『理解者』の接触とを繰り返していけば更に強く誘導する事も可能だろうと今後の計画を思い浮かべて……その計画を寸分の迷いもなく瞬時に構築した自分に、藍は苛立ちさえ覚えた。

 

 

 「……さて。思ったより早く予定が終わってしまったな」

 

 

 友人をも策の中で無意識に貶める自分への怒り、そして何を捨ててでも主にこそ尽くすのだと言う忠誠心、それらが綯交ぜになった感情の氾濫を、唐突な話題転換で無理矢理抑えこむ藍。

当初の予定より早いと言うのは嘘でも無いし、どちらにせよこの感情を田澤の前で発露させる訳にはいかない。それでは全てが水の泡だ。

 

 

 「それでは、順番が逆転するようだが……軽く何かつまんでいくかい? 豪勢な物ではないが、もてなす分くらいは出せる」

 

 「ん、それは有り難いね。では、少し時間をかけていくとしよう。……紫様には、内緒にしてくれよ?」

 

 

 田澤の提案を、藍は渡りに船と二つ返事で受ける。

共に同じ物を食べる、秘密を共有する……それ自体が親近感を強める行為であり、田澤から依存される事が究極的な目標である藍には正に願ったり叶ったりの展開だった。

 

 田澤がキッチンの方に引っ込み、少しして戻ってきた時、その手に抱えた盆には藍の大好物である油揚げ。思わず藍は歓声を上げる。

 

 

 「わあ、何て美味しそうな! 早速頂きま……頂こう」

 

 「そう取り繕わなくとも、それこそ他の誰にも知られる事は有るまい」

 

 「……恥ずかしいことには変わりないので」

 

 

 演技も普段の振る舞いも全て放り投げた素の反応が出てしまい、慌てて体裁を整えるも今更誤魔化しが効く筈もなく。

藍は頬が熱くなった感覚を覚えるが、かと言って油揚げを食べないと言う選択肢は最初から無い。油揚げに口を付け、そのまま無言で食べきった藍は、冷静さを極力意識しつつ田澤に問いかける。

 

 

 「ええ、実に美味しいものです。どこで入手した、調理されたものでしょうか?」

 

 「何故急に敬語……豆腐は、『外』で購入した物だな。まあ、揚げたのは一応俺だ」

 

 「それは、凄い。そう言えば、どこかで料理が出来ると聞いた覚えが有りますね」

 

 「料理、と言うと少し違うな。これは割と常に主張しているんだが、酒の肴やその類の細々とした物しか作れない。後は、自分の好物もか」

 

 「例の、大根おろしですか。……本当にポン酢も有るわ」

 

 

 藍は、田澤の前に置かれた皿を見る。目が引き付けられた為に藍は気付けなかったが、盆に乗せられていたのは油揚げだけではなかったのだ。

 

 

 「油揚げは、日本酒に合うかと思ってレパートリーに入れていたんだ。狐は油揚げを好むと言われるからチョイスしてみたんだが、その様子だと気に入ってもらえたようだな」

 

 「それはもう、これ以上なく。これ程の油揚げを作れるのにその腕を在野で終わらせるのは損失だ。

  ほとぼりが冷めたら、油揚げと大根おろしの提供店……は、偏り過ぎるかな。居酒屋でも開いてみたらどうです」

 

 「本職にするのは、少しな。あくまで趣味として気楽に作るのが性に合っている」

 

 

 そのまま雑談で、少しの時間を共に過ごす二人。柔らかい雰囲気が流れるが……藍は、途中で何かに違和感を覚える。

 

 

 「所で……田澤殿。先程から見ていると、その皿の大根おろしが何時までも空にならないようだが」

 

 「ああ、作り置きしておいた物を転移させているんだ。大本が空にならない限り、この皿からも無くならない」

 

 「それは何となく分かっていたのだけれど……」

 

 

 これまでの会話中、田澤は大根おろしを食べ続けていた。藍が自分の油揚げを数切れ食べ終わり、それから十数分にはなろうかと言う間、休まずである。

 

 

 「好物と言うのだから、多少の満腹感は苦にならないのだとしても……限度を超えていないか? 何事も無理は良くないぞ」

 

 「いや、問題ない。食べる必要が有るしな」

 

 

 続けて問うも、どこか返答が噛み合わない。その会話中も消費され続ける大根おろし、そして自分の意図を理解していない風に見える田澤に、藍は背筋に冷たい物を感じる。

 

 

 「……転移の接続先は、すぐ近くのようだな。見せてもらう事は、可能か」

 

 「うん? 別に構わないが、特別な物は無いと思うぞ」

 

 

 許可を得た藍は、何か得体の知れない戦慄を感じながら田澤の後に付いて『接続先』へ向かう。

藍の見立て通り、そこは居間を出て数歩も歩かない範囲にある一室。調理場だろうと判断しつつ、踏み込んだ藍の眼に飛び込んできたのは。

 

 

 「なっ……」

 

 

 大根、おろし金、大根おろし、そしてその保管容器。それらは決して、台所に有って違和感を覚えるものではないだろう。

しかし、それらが二つや三つでは数え切れず、二十や三十も有るとなればどうか。ましてや、台所の上には収まり切らず、追加の机まで引っ張り出してきているともなればどうか。

 

 とは言え、まだそれだけであればシュールギャグの一形態と見ることも出来ただろう。表現のしようがない不安定さと気味の悪さは有るが、逆に言えば『それだけ』とも言える。しかし。

 

 

 「……これは、一体?」

 

 「大根おろしを作ってる理由か? 好物だから、と言うのも有るが……」

 

 

 田澤は少し恥ずかし気に苦笑しながら言う。

 

 

 「人間になれるかと思って」

 

 

 田澤の眼は目の前に居る藍を映しておらず、眩い希望と憧憬に塗りつぶされていた。

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