旅人の見た幻想郷   作:千思万考

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旅人、虚無なる放浪に懐かしきを見る

 真実に屈し、責任と幻想郷から逃避したあの日から一週間が経った。愛用の刀も黒コートも外し、魔力も極限まで封印して、『普通の人間』を装う日々。

昼は何を目的とする訳でもなくただ足が向くままに歩き回り、夜が訪れれば適宜周辺の宿泊・休憩施設を使用すると言う放浪生活が板についてきた頃のこと。

 

 

 「……そろそろ金が尽きるな」

 

 

 魔力だとか邪神だとか、そんなものとは関係の無い実に現実的な問題が発生する。手持ちの路銀が心許なくなったのだ。

どれほど人間を装った所で、結局は生命維持の為の飲食や睡眠を必要としないと言う肉体の構造上の問題は消えない。つまり逆に考えればここから一円も金を使わずに数年生活する事も容易なのだが……やはり、『人間のフリ』をする上では不自然極まりない。

よって、何らかの手段で賃金を得る必要がある。一番手っ取り早い上に確実なのは、占い師稼業をやっているあの商店街に何とか戻る事だろう。しかし、それには少し問題がある。

 

 

 「あの付近は確実に八雲が網を張っているだろうし、見つかるのも不味いな」

 

 

 現状で俺は、自らを可能な限り人間として偽装している。

流石の八雲も外界全てを対象に『ただの人間』一人を探すのは困難極まる筈で、とりあえず今の所は発見された風ではない。だが八雲はあの場所を知り、そして自ら訪れてさえいるのだ。

 

 何故見つかる事を恐れているんだろう、と我ながら思わないでも無い。

幻想郷から逃げた事が後ろめたいからか、あるいはもっと単純に排斥された事を恨んでいるからか。……両方だろうな、どちらにしても自分勝手な理由だが。

 

 

 「……自分勝手と言えば」

 

 

 八雲だってそうじゃないか。

確かに俺は最終的には自らの意思で幻想郷に留まる事を決めたが、最初は君に乞われて足を踏み入れたんだぞ?

それをなんだ、都合が悪くなったからと捨てるのか。幻想郷は全てを受け入れるんじゃなかったのか。俺は何も懇切丁寧に世話を焼けと喚いた訳でもない、ただ普通に過ごせればよかったのだ。

藍だって言っていただろう、俺は月で君を助けているんだぞ、その恩を仇で返すのか!

 

 

 「……駄目だ、駄目だ。前提が違う。『俺』は、尋常なる生命への絶対的な脅威だ。この評価こそが、本来正しいものなのだ」

 

 

 邪神が自らを人間と偽り、そして一度は自らの不都合な真実を、時間を改竄してまで皆の記憶から抹消している。

そんなどこまでも自分本位の嘘に塗れた存在が、自分を受け入れろとどの口で言えるのか。……皮肉なことに、あの『ベリアル』の嘲笑はどこまでも正しかったのだ。

 

 ……まあ、これで八雲から離れなければいけない理由も明確になった。

向こうも見つければ俺を放置する訳にはいかないだろうし、彼女に対面してしまえば、俺は自らの醜い心を吐き出してしまうだろう。

そもそも八雲に俺を探す気など無かったり、見つけても捨て置かれるのであれば、それはそれで良いのだが。……いや、良くない、な。恐らく『田澤昴』の嘆きだが、俺はどこかで彼女に『見捨てられる』事を悲しんでいる。

 

 

 「……矛盾もここまで極まるか」

 

 

 自分本位な傲慢による身勝手な怒りと、拒絶されることに対する慄きと慟哭が同時に並び立つ。

八雲への相反する感情の流れが、俺の壊れた自己同一性を更に蹂躙していく。今の俺は『俺』なのか『田澤昴』なのか……結局の所、どちらでもないのだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 矛盾を矛盾として放置、問題の先送りを図った俺は、現在直面している当面の問題に改めて目を向けた。

結局、あの商店街に戻る勇気は出ない。しかしそうなると、すぐに金を稼げる手段にはアテが無い事になる。

 

 

 「……まあ、一日くらい飯を抜く人間だって普通に居るだろうし」

 

 

 流石に本当に何も買えないくらい金欠な訳ではないが、万が一の保険の為に一定の額は確保した方が良い。

一週間ともなると異常だろうが、一日や二日くらいなら普通の人間でも食事をしないと言うのはそこまで奇異な訳でも無いだろう。そう自分を誤魔化した俺は、今日は飲まず食わず眠らずで過ごそうと決める。

 

 さしあたり、コンビニでも巡りながら最終的に路地裏に紛れて時間を潰そうか、などと考えていると。

 

 

 「おっと、失礼」

 

 「おお済まぬ。ちょいと目が遠いもので……ん?」

 

 

 歩いていると、曲がり角から現れた女性とぶつかりかける。

互いに軽く頭を下げるが、相手方が何やら訝しげに首をかしげた。丸メガネの奥で目を細め、俺の顔を覗き込んでくる。

 

 

 「どこかで見たことが有るような……?」

 

 「はい?」

 

 

 思わず間抜けな声を上げてしまったが、どうやら俺の姿に何かしら思い至る節が有るらしい。

外界での知り合いなど、それこそあの商店街の近辺で無ければそう居ない。記憶を探ってみても、眼前の茶髪の女性に会った事は無いように思える。もしかしたら何処かの往来ですれ違ったくらいは有るのかもしれないが、少なくとも意識して会話した事は無い筈。

 

 

 「まあ、この通り特徴の薄い顔立ちをしていますからね。どなたかと勘違いされているのでは?」

 

 「ふうむ……勘違い、なのかのう」

 

 

 ……しかし、この人も珍しい感じだな。見た感じかなり若いのに、口調が妙に古風と言うか、年寄りっぽいと言うか……って、失礼過ぎるか。

 

 

 「それでは勘違いついでに、おせっかいをひとつ。……おぬし、何か思い詰めておらぬか? 顔が酷く強張っておるぞ」

 

 

 恐らく初対面の相手に踏み込まれるほど、俺の素振りはおかしいのだろうか。

自分では意識していないが……言われれば納得する程度には、理由にも心当たりが有る。しかしあまり言及されるのも困るな。

 

 

 「人付き合いが苦手なので、この会話で気疲れしているだけですよ」

 

 「……本当に苦手な奴は、そう簡単に切り返してこれないと思うがのう」

 

 

 やや失礼なくらい、つっけんどんに返す。しかしこの女性も胆が据わっていて、ほぼ動じていないようだ。

遠回しに会話を続けたくないと言っているように受け取られそうな、慇懃無礼な言葉をわざと選んだのだが……理解していない訳でも無いようだし。本人が言う通り、おせっかい焼きな人だ。

 

 

 「まあまあ、そう邪険に扱うことも有るまいて。

  若い身空で何をそう悩んでいるのかは分からんが、人生と言う物は案外気楽に出来ているものよ。ちょいと長生きした儂からの『あどばいす』じゃ」

 

 「……言う程には貴女も年長者では無いでしょう? その程度であれば自分も、長生きなら十分にしていますよ」

 

 

 励ましで有るとは分かるのだが、今の俺には癪に障る言葉だ。思わず更に拒絶的な返答をしてしまう。

言った後で流石に初対面の相手に対して攻撃的過ぎたか、しかし向こうの態度も中々に馴れ馴れしい……等と悩んでいると。

 

 

 「……ほう。『長生きなら十分にしている』……そうか。それは、それは」

 

 「はい?」

 

 「うむ、決めた。ここでこうして会ったのも何かの縁と言う物。儂が奢る、酒を飲んでいっちょ悩みを吐きだせい」

 

 

 一体俺の言葉のどこに心惹かれる要素が有ったのか、一瞬目を見開いた後に得心が行ったと言わんばかりに笑みを浮かべて頷いた女性は、俺の背中を押すようにして誘導していく。

いきなり過ぎる展開で驚く。知らぬ街の往来で偶然行き会っただけの他人が、それも男女が、どうして二、三会話しただけで飲みに行くと言う話になるのか。……もしかして、あれか。詐欺か?

 

 

 「自分は手持ちも少ないですし、クレジットカードもローンも有りません。ぼったくろうとしても無駄ですよ。物理的に払えませんから」

 

 「……儂を美人局か何かと思っておるのか? と言うかおぬし、そんな強く主張が出来て人付き合いが苦手なんてこと有るかい」

 

 「ええ、強く主張するので周りから煙たがられるんです」

 

 

 適当に言葉を返しつつ、何とか会話を打ち切って離れようと画策する。

今更他人からの評価を気に出来るほど高尚な身分では無いので、このまま走って逃げても良いのだが。不自然では有るけれども、別に警察沙汰になるような程でも無いし。

 

 

 「……ええい。儂は壺も絵も売らんし、色仕掛けもせんわ! いかがわしい盛り場に連れて行く訳でもなし、金を出させることは一切無い!」

 

 「『金を』出させることは無い? 証文や契約か何かは別だと?」

 

 「揚げ足を取るのう……何と口達者な。おぬしに不利益は与えんと言っているのだ」

 

 

 まあ、自分でも重箱の隅を突くような指摘をしているとは思う。会話しながら相手の顔色や素振りを見ていたが、一応俺の悩みを聞きたいと言うのは事実のようではあるし。

おせっかいな人だと言うのは既に分かっている事で、そこに矛盾も無い。どうせこの後に差し迫った予定が有る訳でもないし、ひとまず様子を見ても良いだろう。……本当にただで飲み食いが出来るなら、願ったり叶ったりだし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「洒落た店ではないが、許せよ。どうにも儂はこう言う成りの酒場が好きでな」

 

 「奢ってもらう立場でケチなんて付けられませんよ。雰囲気も、別に嫌な物では有りませんし」

 

 

 女性に連れていかれたのは、随分と年季の入ったように見える小さな居酒屋だった。

恐らく個人営業なのではないかと思われるこの店舗は、十人も掛けられないだろうカウンター席と、四人掛けのテーブル席が三つ。奥に座敷のようなスペースも有るが広いとは言えない。まばらに人が居る事も相まって、ややもすると狭苦しいとさえ表現出来る。

とは言え、社交辞令ではなくこのような雰囲気は嫌いではない。どこかノスタルジックな情緒を感じさせる内装、電灯の光量が足りず微妙に薄暗い店内、火の熱と共に漂う食欲を誘う匂いと音。高級料亭とはまた違った意味合いで、日本の古き良き居酒屋と言えるだろう。

 

 女性は勝手知ったるとばかりにカウンター席に腰かけた。俺もそれに続いて隣に腰かける。

 

 

 「品書きはこれじゃ。遠慮はいらぬ、好きな物を頼むとよい」

 

 「実に気前が良いですね。ビールと枝豆を頂きます」

 

 「……その上背にしては、随分と小食だの。疑うのも分かるが、本当に遠慮はいらんのじゃが」

 

 

 女性は焼酎のお湯割りともつ鍋を頼み、少ししてビールと枝豆、焼酎がカウンターに置かれる。

 

 

 「ま、鍋を待っていては遅れる。乾杯と行こう」

 

 「ありがとうございます。頂きます」

 

 「……堅い奴じゃのう。おぬし、無理して敬語を使っておらぬか?」

 

 

 無理して、と言われても一般人に成りすます際の儀式のような物なのだ。

確かに本来の素の口調とは異なるが、この喋り口調でさえ千年単位の年季が入っているので今更どうと言う事もない。

 

 

 「別に無理をしているつもりは有りませんが。他所他所しいから嫌だ、と言う事ですか? それなら崩しますけど」

 

 「そう言う事を言っているのではなく……ああ、確かにおぬしは中々じゃのう。周りから煙たがられると言うのも分かる気がしてしまうよ」

 

 

 ……まあ、いつもの『好青年モード』と似て非なる対応を意図的に取ってはいる。

表面的なやり取りだけであれば丁寧な、しかし少し踏み込めば面倒臭いパーソナリティ。この、他者の干渉を遠ざける慇懃無礼な態度は……自分の素性を決して明かさず周囲に埋没する為の、一種の防衛線だ。端的に言えば、『知り合えば分かる嫌な奴』として振る舞っている訳である。

それでも、この女性は接触してきた訳だが。深く関わりたくない性格と言うのは他ならぬ俺が分かり切っているので、どうしても裏を感じてしまう。

 

 女性が逡巡しているのは分かるが、敢えて空気を読まずジョッキを掲げる。女性はそれを見て溜め息を吐きながら、自身のグラスを重ねた。

 

 

 「乾杯」

 

 「乾杯。……お節介を重ねるようだが、それでは生きずらかろう。口は回る方のようだし、もう少し寛容にしてみたらどうじゃ」

 

 「人と関わりたくないので、これが丁度良いんですよ」

 

 「そうはっきり言い切られると、何ともなあ。しかし年を重ねると分かる事じゃが、孤独と言うのは決して良いものではないのだぞ」

 

 

 そんな事は知っている。訳知り顔で、賢しらに語るな。

……と、口に出して言う訳にもいかず。先ほど言ったような言葉で、やはり攻撃的に返す。

 

 

 「年を重ねると言っても、貴女だってどう悪意的に見ても三十は超えないでしょう。何を根拠にそんな事を言うのです?」

 

 「んむ。ま、まあ確かに儂も年若いが、それでもおぬしよりは長く生きておるでな。言える事はあるよ」

 

 

 俺より長く生きているとは驚きだ。無知なる生命種如きが吠えよるわ。

 

 

 「……まあ、疑うのも警戒するのも当然ではあろうな。理由も、言ってしまえば儂の酷く個人的な物じゃ」

 

 「是非聞きたいですね」

 

 「昔の友人……知り合い、いや、顔見知り? ともかく、おぬしは『彼』に似ている。そんな男がこの世の終わりのような顔をしていたから、どうにも放っとけなかったのじゃよ」

 

 

 俺に……『田澤昴』に似ているとは、その彼とやらは何とも。背だけ高くて冴えない顔をした奴だったんだろう。

 

 

 「……時におぬし。名を、何と言う?」

 

 「シュバルティア・ゾラです。シュバルティアとお呼びください」

 

 「しれっと大嘘を吐くな! どう見てもおぬしは『いんぐりっしゅ』な名前の顔では無かろう!」

 

 「親が外国かぶれだったもので。適当にそれっぽい名前を付けられたんです」

 

 

 と言うかこの『シュバルティア・ゾラ』とは英語なのかドイツ語なのかフランス語なのか、はたまた別の語圏の物なのか俺にも分からぬ。

元々当て字のような物だろうから、気にする必要は薄いのかもしれないが。何となく口から出ただけで、本気でこれを名乗るつもりも無いし。

 

 明らかに偽名と分かる物を持ち出してくるくらいには、『田澤昴』と名乗るつもりは無かった。

密かに誇らしかったこの『人間としての名前』が、今では虚しい響きしか齎さない。これは所詮借り物であり、『我等』の名も、『俺』を示す物としてはやや不適だ。……その中途半端さが、俺には相応しいのだろうけど。

 

 

 「ほら、鍋も来ましたよ。俺の名前なんていい、そちらを食べたらどうです」

 

 「……冗談を言えるほど口は回り、度胸も有る。決して人付き合いに係る技能が欠けている訳ではないのに、全力で他者から遠ざかろうとするのか」

 

 「さっきも言ったでしょう、人と関わりたくないと」

 

 

 言っている当人の俺自身が自分の態度に苛々してきたが、この女性は何とも根気強い。

話す内容を整理したいのか女性は暫くもつ鍋に集中するようなので、俺もビールをちびりちびりと飲みつつ枝豆を貪る。……黙々と消費しているとすぐに尽きてしまったので、微妙に心苦しいが勝手に追加を頼む。

 

 

 「俺にも、もつ鍋を」

 

 

 店員を呼ぶと、女性が手を止めて話しかけてくる。かなり気を使ってくれているようだ。

 

 

 「うむうむ。もっと食べるがよい、腹が膨れれば気分も良くなるじゃろうて。酒も、そろそろ次が欲しいんじゃないかの?」

 

 「……それでは、日本酒を」

 

 「では儂も、同じ物を頂くかの。ふふ、おそろいと言う事だ」

 

 

 まあ、結果的にもつ鍋と日本酒が被る事になるのか。しかしこの女性も、短時間で焼酎を飲み干しているあたり、中々に酒豪の気配が見えている。

その上日本酒を間髪入れずに追加するとは、まるで幻想郷の面々を見ているようだ。……よくよく思い返してみると、幻想郷に限らず俺が関わった女性達は皆酒に強かった気もするが。

 

 もつ鍋の熱が体に染み渡り、日本酒による酩酊が心地よく感じられる。鼻から抜ける風味が更に快さを齎し、ここ最近の張り詰めた精神が癒されていく。

 

 

 「……中々良い顔をするじゃないか。あの能面のような無表情よりも、よっぽどな」

 

 「……それはどうも。まあ、酒を飲んで仏頂面と言うのも申し訳ないですし」

 

 「ふふふ、強がるな。今のはどう見ても、自然に出た表情じゃったぞ」

 

 

 ……酒を飲んで、その酩酊に浸っている瞬間だけは、真実から目を背ける事が出来るからな。

所詮はまやかしに過ぎないが、苦痛を誤魔化し、自らが人間であると錯覚出来るのなら……笑顔にもなるさ。

 

 

 「自棄酒だからこそ、笑いくらい出てきてくれないと困りますから」

 

 「……ようやっと口に出してくれたな。自棄になるような悩みを抱えていると言う訳じゃな? それも恐らくは、人との関わりを敬遠する要因となった物を」

 

 

 ……口が滑ったな、酔いで少し自制が解けたか。

この女性も薄々分かってはいたのだろうが、俺から言質を取るまでは敢えて深く踏み込まないようにしていたのだろう。若く見えて中々に老獪だ。

 

 

 「……やはり詐欺師の類では無いですか? 弁舌、話術に長けると言ってもここまで洞察力が有るのは凄まじい」

 

 「褒め言葉と受け取っておこうかの? そしておぬしも理解しておるのじゃろうが、その言い方では儂の問いを認める事になるぞ」

 

 「今更ですね。貴女の睨んだ通りですよ」

 

 

 向こうも元々予想を付けていて、そして俺が不注意にも隙を作ってしまった。

取り繕おうと思って出来ないことはないが、そこまでして隠し通す気力も最早無い。どうにでもなれ、とそれこそ自棄な判断で口を動かす。

 

 

 「生まれも育ちも憚られる身の上でしてね。流浪の果てに漸く安住できる地を見つけたと思ったら、そこでも問題を起こしてしまいまして。

  自業自得ではありますが、受け入れられたと思ってからの拒絶が堪えられず。結局どこに居ても忌避されるのだなと納得して、誰も居ない遠くへ行こうと思っていた所です」

 

 「……」

 

 

 ……余計に不味い事を言ったか? これではまるで自殺志願者のような……まあ、この世界から永遠に離れたいと言う願いは結果的に自死とあまり変わらないのか。

 

 

 「……悲しい事を言うでない。おぬしの苦痛を完全に理解することは出来んが、その年で『遠くへ行こう』等と」

 

 「何も悲しい事など在りませんよ。居てはならない存在が醜く世界に執着した、それだけでしかないのですから」

 

 

 無性に喉が渇き、日本酒を流し込む。そこはかとない空腹感が募り、もつ鍋の残りを一気に掻き込んだ。

 

 

 「人の世に、何故そこまで絶望した? ……人ならざる力を持つからかの?」

 

 「……」

 

 

 鍋を置き、正面から女性を見つめる。その問いかけは、明らかに『おかしい』。

幾ら酒の場とは言え、人ならざる力、なんて言葉は早々出てくる物では無い。夢見がちな女性なのか、それとも正に『人ならざる』存在か……

 

 

 「……場所を変えようかの。大将、お勘定」

 

 

 俺が口を開こうとした瞬間、女性は店員を呼んで金を支払った。

行動を起こすタイミングを逸したまま、俺達は居酒屋を出て人工的な光が氾濫する夜の街に再び足を踏み出す。

 

 

 「少し、歩こう。……なあに、儂らの会話を聞く者なんてもう居るまいて」

 

 「……」

 

 

 どこに向かおうとしているのか分からないが、元々目的なんて有ってないような放浪である。興味をそれなり以上に引かれている事もあって、黙って大人しく付いていく。

 

 

 「違っていたら申し訳ないが。おぬしの名字、田澤と言うのではないか?」

 

 「……正解です」

 

 「やはりな。……よくもまあここまで生き写しになったものじゃ」

 

 

 ……俺も、今の問いで女性の素性に見当が付いた。尤も、向こうは少しだけ勘違いしているようだが。

 

 

 「何と言うかな。儂は、おぬしの生まれについて知っていると言うか……」

 

 「自分からも、一つ質問させてもらって良いですか?」

 

 「う、うむ? 構わんよ、なんでも聞くがよい」

 

 

 ほんの僅かに瞳に魔力を込めて、女性を『視る』。

 

 

 「君の名は、二ツ岩マミゾウだろう?」

 

 「……ッ!?」

 

 「驚く必要は無い。かつては互いに名乗り合ったじゃあないか。……自称妖怪退治屋の、田澤昴を名乗った人間モドキさ」

 

 「田澤、昴……! まさか、あの時の本人か!?」

 

 「森で化かし合った事を言っているなら、そうだな」

 

 

 少し前までは常時最低限は発動していた探査の力も封印している。

マミゾウの方もかなり精巧に人間に化けていた事も有り、ついさっきまで『彼女』が妖怪である事に気付けなかった。……まさかこんな所で再会するとは夢にも思っていなかったし。

 

 

 「……やはり、仙人の類じゃったか。いや、それにしては気配が俗な人間にしか見えんが」

 

 「そう、見えるか! ありがとう!」

 

 「ど、どう、いたしまして……?」

 

 

 マミゾウの漏らした言葉は俺の心を揺さぶる物だった……が、すぐに平静に戻る。

結局の所、見かけを取り繕う事しか出来ていない。むしろ、これは大前提であり出来ていない方が問題なのだ。

 

 

 「……一体どうしたのじゃ。長年を生きるのに疲れた、と言う事か?」

 

 「そうであれば実に人間らしい悩みで良かったのだがね。生憎、数十億を超える年月を過ごしながらも精神が錆びつく事は無いのだよ」

 

 「……数十億?」

 

 

 そう……不老長寿の存在が時と共に心を枯れ果てさせると言うのは。

久遠の時間と言う深淵に呑み込まれるのは、その者が究極的には尋常なる摂理で『生きる』存在であるから。『我等』を含む真の永遠存在には、宇宙根源的怪異に根差す邪神にとっては、永劫ですら泡沫の夢でしかない。

無論、数十億年と言うのもただの単位だ。分かりやすく『長い時間』と言う概念を示す為に引き合いに出しただけで、『我等』にとっては特に意識するまでもなく過ぎ去る程度。

 

 

 「おぬしは何なのだ? 人間では有り得ないし、仙人とも考えにくい。かと言って妖怪と言う訳でも無さそうだが……もしや」

 

 「……いや、俺は人間だよ。ただの、人間さ」

 

 

 名乗るくらいは許されるだろう。例え超越存在と言う事に気付かれているとしても、どんなに滑稽な振る舞いであるとしても、これは俺の最後の砦だ。

 

 

 「……そうか。昴がそう言うのなら、そうなのであろうな」

 

 「人間と。そう呼んでくれ。田澤昴と言う名は、今の俺には少し重荷でね」

 

 「……難儀な事じゃ」

 

 

 マミゾウは溜め息を吐くように呟く。少なくとも、俺がかなりややこしい捻くれ方をしているのは理解してくれたようだ。

 

 

 「まあ、『人間』殿の辿った境遇についてはこれ以上踏み込まんよ。

  その上で、聞くのじゃが……おぬし、ここ最近どんな生活をしておった? あまり健康そうには見えんぞ」

 

 

 ここ最近、と言われてもな。ただ空虚に過ごして、その日を意識する事などなかった。

 

 

 「日が昇ったら動き始め、街を彷徨って時間を潰し、深夜になったら安宿に体をねじ込む。この繰り返しだ」

 

 「……なんと嘆かわしい。かつて儂をも下した凄腕の妖怪退治屋が、今では浮浪者同然とは。この世は儂らのような妖怪だけでなく幻想を保持する人間にも世知辛いとはのう」

 

 

 ……浮浪者か。何だかそれも懐かしい響きだ。幻想郷でも、家を建てる前まではあちこちでそう言われたな。

本当に、本当に、そう揶揄われていた頃が懐かしい。もう、あのような軽口を叩き合えなどしないのだ。全ては終わってしまったのだから。

 

 

 「全く、見ておれぬよ。……今、何か日銭を稼ぐ手段は有るのか?」

 

 「無い」

 

 「堂々と言い切れる事ではなかろう……」

 

 

 それはそうなのだが、どう言い繕った所で結局は仕事にアテが無いと言う事実に変わりはない。無駄に修飾するよりも潔く示した方が効率的だろう。

 

 

 「しかし、それではどうやってここまで食いつないできたのじゃ。……盗みを働くまで落ちぶれてはおらんじゃろうな」

 

 「真っ当に生きる人達に迷惑をかけられるかよ。かつて働いた時に手に入れた金をどうにかこうにか運用してきたのだ」

 

 

 安寧たる人の世を、光輝く繁栄の世界を、狂気を撒く邪神が犯してなどならない。

人が人を傷付けるのは仕方が無い。人が怪異を退けるのも摂理だ。しかし逆は有ってはならない。怪異が人を犯そうなど、邪神が世に蔓延ろうなど、許されるものか!

 

 

 「わ、分かった分かった。そんなに怒らなくとも良いじゃろうに……」

 

 「……」

 

 

 意識していても、やはり感情の制御は上手くいかないようだ。ふとしたことで『田澤昴』や『我等』の思考回路が強く表出してしまう。

俺自身が『俺』と言う存在の歪さを強く認識してしまった為に、すがる縁として確立した人間である『田澤昴』の再現に傾き、加えて演技ではない素の振る舞いとして『我等』の箍が外れている。

……『我等』が優位性を持った上で『俺』の記憶や人格を保持している、と言うのが救いか。『我等』は狂気を撒く邪神ではあるが、狂える救世主たる『田澤昴』のような見境の無い狂人でもない。上っ面だけならば『人間的な目線での』理性的な姿は幾らでも取り繕える。

尤も『俺』の失敗を見る限り、やはり何処かで綻びを隠せないようだが。

 

 

 「……それでは質問を変えよう。これからに、アテは有るのか?

  このまま滅びたいと言うのならそれでも構わん。とにかく、今何かしたい事は有るのか聞いておきたいのじゃ」

 

 

 したい事か。それならば、一つしかない。

 

 

 「最後にもう少しだけ、人間のフリがしたい。それだけを考えていた」

 

 「……そうか。それなら儂も、少しは手助けしてやれるかもしれんな」

 

 「どう言う意味だ?」

 

 「おぬしとは込められた感情の重みが比べ物にならないじゃろうが、人間のフリをしておるのは儂も同じと言う事よ」

 

 

 確かに、そうなるか。妖怪でありながら人間の世界に身を寄せて過ごしているその姿は、重なる部分も有る。

 

 

 「儂は『化けさせる』力には自信があっての。単純に術で外面を取り繕うだけでなく、話術や身振りで印象を大きく変える、と言う事もお手の物じゃ。

  おぬしの容貌に関しては今更儂が手を出す必要も無かろうが……人間を装う、振る舞い方、と言うものについては、心構えなどで助言できるかもしれん」

 

 

 成程。これまでの『俺』は、あくまで異界の邪神から見た人間の再現でしかない。それこそ『宙に漂う細菌』の振る舞いを観察だけで再現しようと言う前提から無理が有る存在なのだ。

そこを、……言葉は悪いが、細菌から直接的に情報を抽出する事で、何とか実像に近付ける事が出来るかもしれない。どうせ時間は有るのだから、有り難く頼らせてもらおう。無意味だった所で、今までと何も変わらないのだし。

 

 

 「かつて一度しか顔を合わせた事の無い俺が頼むのには、図々しいものだと理解しているが。……力を貸して欲しい、二ツ岩マミゾウ殿」

 

 「マミゾウで良い、そこまで改まる必要はないよ。それに儂らは一度とは言えど、その一度で随分と濃密な時間を過ごしたじゃろうに。まあ、タダとはいかんがのう」

 

 

 そう言って、二ツ……マミゾウはにんまりと笑う。

 

 

 「……悪いが、本当に今の持ち合わせは少ないぞ」

 

 「即物的に、対価を払えと言っている訳ではないのじゃ。

  今日までの退廃的な生活を止めて、かつてのような男前を見せてくれればよい。その為の場は儂が用意しよう」

 

 「……『一日作さざれば一日食らわず』か」

 

 「よく分かっておるじゃないか」

 

 

 タダとはいかない、と言うのは授業料の催促ではなく。虚無的な放浪を無責任に続ける事への非難か。

理屈は、最初から全て分かってしまう。『俺』として人間を目指したいのなら腐っている時間など無く、悩み傷付きながらも進むしかないと言う事だ。変わろうと進もうと努力もしない者の望みが容易に叶う程、世界は甘くない。そう、分かってはいる。

……邪神としての俺はその無意味さを悟っている。努力をしても絶対に、俺は『人間にはなれない』。これは確定事項だ。しかし、俺はそれを知りながらも尚諦めきれない。この人間的な愚かさこそが、今は唯一縋れる希望となっている。

 

 

 「……ともかく、宜しく頼む」

 

 「うむ。昔は妖怪と退治屋と言う関係じゃったが、今は人の世で四苦八苦する同胞よ。助け合わねばなるまいて」

 

 

 マミゾウは愉快そうに笑う。

打算も有ろうが、彼女の明朗快活な態度、優しさ……人間らしさ。俺の中の人間の仮面は、憧れと共に溢れ出る嫉妬の念を隠しきれなかった。

 

 そして俺は、その情動すらも客観的な情報として認識する自分自身に、虚ろな笑みが浮かんだ。

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