「……まず、確認しておこうか。そこなる人の子よ、私が見えているな?」
「勿論だとも。狂人の気まぐれで虚空に向かい戯言を投げかけ、それがいかなる偶然によってか見えざる神の名に等しかったと? それこそ『奇跡』であろうな」
訝し気な神奈子の問いに、大仰な口ぶりで返す。
感情の高ぶりが抑えられない。遥かな時を超えた再会。この星における『最後』の旅路で『最初』の出逢いが再現される。
これが心躍らずに居られるだろうか!
「神を感じられる人間にしては、敬意が足りないと見えるが」
「人間、か……ありがとう。まだ、そう見えるのだな」
「……話が噛み合わないぞ。実は本当に奇跡的な偶然で、やっぱり狂人の類だったりしないだろうな」
気配を封印しているからと言う事情も多分に有るだろうが、神奈子からはまだ俺が人間に見えているらしい。
邪神だと謗られ、事実人間ではない俺を。マミゾウとはまた違う形で、人間と認めてくれたのだ! 他ならぬ、『神』がだ!
「まあ。どちらにしろ、そっちの狸は見えない訳が無いよな」
「……はぁ。じゃから、面倒になると言ったのに。
うーい、儂も見えておるよ。連れと同じくのう。こいつは格好を付けたがるだけじゃ」
神奈子は微妙に失礼な、しかし俺の対応からすれば当然の反応で流す。
そして変人の同行者として注意が向いた事で、マミゾウも何とか化かしきれていた妖としての皮を見透されてしまう。俺の振る舞いには彼女も思う所が有るらしく、俺への揶揄も混じった非常に億劫そうな返答だ。
「妖怪狸に憑かれて気が狂ったのかとな。しかしそうだとすると、わざわざ神社に来る意味が考えにくいか」
「無論よ。儂の様子を見ておれば、血気盛んに社を奪いに来た二人組にも見えんじゃろ?」
「強かに騙し化かそうとする二人『以上』とは疑えるがな。この付近には他の誰の気配も無いし、その部分では信じてやろう」
俺が感じ入っている内にマミゾウと神奈子の間では小規模な牽制と探り合いが始まっていた。
マミゾウにとっては完全に初対面の警戒するべき『神』で、いざとなれば自力で逃げるくらいの算段は立てておきたいのだろう……俺がこんな様子だし。神奈子も、妖怪と狂人の疑いがある人間と言う相手への対処を決めかねているようだ。
このままやり取りを見ていたいような気もするが、現時点でも十分趣味が悪いのにこれ以上は悪ふざけと言う度合いを超えるだろう。
そろそろ、真面目に正体を明かす事にする。
「神奈子。遥か昔の、それもたった数日の出来事だったから、もう覚えていないかもしれないが。
……また会えた事を、嬉しく思う。俺はかつて旅人を名乗って君の社に現れた、田澤昴だよ。あの時の酒は、旨かったな」
「……ちょ、ちょっと待て。お前、今さらっと凄まじい事を言わなかったか? 名前が、何だって?」
「田澤昴、だ」
「いや……遥か昔って、本当に昔も昔、神代の時代じゃないか。確か魔法使いとは言っていたが、お前の気配は魔法使いにすら見えん。……風体も似ても似つかぬし」
成程。気配を限り無く人間に近付けていたせいで、俺が神秘に触れる者と信じきれないのか。
その上、かつての姿とはまるで異なる変装をしている……しかし、田澤昴の存在自体は覚えているのなら、話が早い。戻せば良いだけだ。
生憎、人間の気配偽装に関しては、おいそれと解除する訳にもいかない理由が有る。
しかし変装なら特に問題は無い。オールバックに纏めていた髪を強引に解き、カラーレンズの伊達眼鏡も外す。服についてはこの場で脱いで着替える訳にもいかないので、ほんの少しだけ『扉』を開いて取り出した黒コートを上から羽織る。
「その無造作な黒髪、黒い外套……! そして空間に干渉する魔力! 成程、確かに! 久しい出会いだ、田澤……!」
「覚えていて貰えたようで、嬉しい。先程は悪かったな、まさかここで再び会えるとは思っていなかったからつい興奮してしまった」
「そりゃあ数千年ぶりの出会いだ、私だって今になって実感が湧いてきて、急に落ち着かなくなってきたぞ……」
どうやら、分かってもらえたようだ。しかし、試した俺が言うのもおかしな話だが、本当によく覚えていてくれたな。
同居した事の有る旅の男とは言え、交流したのは十日にも満たない期間、それも確実に二千年以上は前の出来事だ。その上、本当に初対面の際にしか感知されなかったであろう転移魔法の気配まで記憶しているとは。
「……お前さん、本当に顔が広いのう。と言うより、数千年前って所に驚くべきじゃろうか」
「その妖怪狸は連れ合いかい? 揃って前時代の任侠映画に出てきそうな恰好で、確かに偉くお似合いだったが」
「前時代の……いやまあそうじゃが、神様の比喩にしては随分と俗っぽい表現だの。ついでに、行動を共にしてはいるが夫婦って訳ではない」
「田澤に聞いたつもりなんだが……まあ良いか。お前は話が分かりそうな雰囲気をしているしな」
「妖怪の儂が神様にそう評価してもらえるとは、長生きはしてみるもんじゃのう」
マミゾウと神奈子は互いに牽制しあいながらも、一応双方を交渉は可能な相手と見なしたようだ。
マミゾウにとってはわざわざ相手の領域で喧嘩を売る必要性が全く無いし、神奈子にとっても力を無駄には出来ない状態で好戦的ではない妖怪の尾を踏む意味が無いからだろう。……俺の交友関係にある、と言う点が少しでも影響していてくれれば、嬉しい。
「それで……ええと。何から話せば良いんだ? 早苗が呼んだから来てみたが、まさかこんな事になるとは思っていなかったぞ」
「そうだな。俺達も彼女には誤魔化している事が多いし……」
神奈子の、ややぼやきめいた呟きに答える形で俺が口を開くと、都合よく『彼女』の近付いてくる音がした。
「とりあえず、俺の近況について説明する事にするよ」
「お待たせしました! 勝利祈願は……って、え?」
気合の入った東風谷が、胸を張って現れる……も、明らかに俺達『一般人』と会話している体の祭神を見て気の抜けた声を漏らす。
彼女にとってみれば、自らが仕える神様、神奈子は早々人に見える存在ではないと言う認識だろうし……事実、その通りだ。力が有り余っているのならともかく、遠からず消失の危機を迎えていると言う状況で、わざわざ神秘への親和性が薄い者を『見えるようにする』意味が無い。
神の実在を知らしめて新たな信仰を得ようにも、たった二人に対して、それも『幻覚』でも済まされてしまうような小細工は非効率だ。
「え、え? あの……何で、神奈子様、そのお二人に御姿を? と言うか、もしかして、田澤さん……? いえ、そんな訳が」
力を失いつつある筈の神が姿を『見せている』事に疑問を覚え、次いで俺の姿が時代錯誤なヤクザから知り合いの占い屋に変わっている事に混乱し、そこで東風谷は許容量を超えてしまったようだ。
目を回したようにふらふらとしながら頭を抱える東風谷に、神奈子が優しく声をかける。
「早苗や、そう深刻に考え込まないでおくれ。何やら早苗も知っているようだが、この男は私の古い友人さ」
「ふ、古い友人……? そうは言っても神奈子様、少なくとも私が物心付いてから田澤さんと会っていた事は無いと思うのですが……」
「そりゃあ、そうさね。何せ『古い』友人だもの、最後に……と言うか最初に? ともかく、会って交友を育んだのは数千年前の神代の話さ」
俺が口を挟むよりは全て任せた方がスムーズだろう、と思って様子を見ていたが。この話の内容だけを客観的に評価すると、明らかに胡散臭いな……
ヤクザ擬きの姿にしろ、占い師の姿にしろ、東風谷の目には人間としか映っていなかった筈なのだ。……まあ、占い師の方は多少どころではなく神秘に生きる存在と認識していただろうが、それでも数千年を超えて生きるなど想像の埒外であろう。
「とても長生きしている魔法使いと、そう思ってくれれば大体合っている。色々な時代で色々な場所を旅し、今はこの地を彷徨っているという事さ」
神奈子も俺に対して、あれ以降の情報は持っていない。とりあえず本人の口から知己だと言う事を証明してもらえば、後の自己紹介は俺が引き継ぐ方が良いだろう。
そう考え直した俺は、自分の来歴について軽く纏めた。これは神奈子にとっても状況説明の代わりとなるだろう。……本来であれば『人間』と何憚る事無く宣言したい所だったが、ここでそれを言っても余計に混乱させてしまう。
「ま、魔法使い……確かに田澤さんのやった事を考えると納得は出来ますけど。と言うか、田澤さんで良いんですよね……?」
「あ、ああ。ちょっとした事情が有って、『田澤昴』として訪れる事を躊躇していたからこんな格好で誤魔化してきたが……君の知る、占い師田澤で合っているよ」
東風谷の疑念は今の姿その物にも向いているようだ。
仮にも好青年に擬態していた占い師と、いかにも反社会的な雰囲気を漂わす厳つい男とでは、印象のギャップを修正するのにも時間がかかって当然だ。
東風谷はそのまま少し考え込んでいたが……何を思いついたのか表情を楽し気な物に変え、芝居がかった口調で問いかけてきた。
「……雑誌、通好み、クールと言えば?」
唐突に放たれた、単語の羅列。これらから思った通りの答えを出せば、本物か確信が持てると言う事だろう。
とは言え彼女が浮かべている不敵な笑みとその態度から、俺が田澤昴である事はもう殆ど信じているようだが……お約束、と言う物か。
求められている答えその物は、すぐに理解出来る。出来る、のだが。
「しゅ、シュバルティア・ゾラ……」
「正解! いやあ、一度はこんな感じの『山と言えば川』みたいなやり取りしたかったんです! 忍者の合言葉、格好いいですよね!」
……とてもむず痒い。
自分の旅の記録がいつの間にか伝説となっており、オカルトとして好き勝手に語られていると言う時点で中々に来る物が有る。
しかもその上、これまでに誤解や興味本位で妙なアレンジをされてきたであろう『主人公』の名前を、よりによって本人である俺が他人に向けて喋らされているのだ。
「あの時のオカルト会議、覚えていて貰えたんですね! これで完璧に納得できましたよ!」
「会議……以前会ったと言っておったが、そんな大掛かりな場で知り合ってたのか」
「言うほど大それた事ではない、あの東屋で雑談しただけさ……」
「……お前さん、なんでそんなに疲れた顔をしてるんじゃ?」
『カッコいい』名前を言わされたからだよ、と漏れそうになったが何とか耐える。話が脱線する上に、更に自分の伝説を自分で説明する事にはなりたくない。
マミゾウの疑問には曖昧な笑みで返して誤魔化し、改めて東風谷に向き直る。彼女も真面目そうに見えて活力に満ち溢れている少女なので、『オカルト会議』の話に流れる前に本来の目的へ戻らせてもらおう。
「ともかく……俺が田澤昴で、君の知る占い師で、君の仕える神である神奈子とも知り合いであると理解してもらえたかな」
「それは分かりましたが、こちらの新しい女性はどなたでしょう? 妹紅さんでも、メアリーさんでも無いんですね」
「『古い女性』が何人も居るような言い方は止めてくれ……知り合いの一人で」
「二ッ岩マミゾウじゃ。改めて、よろしく」
「あら、古風なお名前ですね……と言うか、今までの話を普通に聞いてたって事はもしかしなくても本当に?」
「ま、古い事は否定できんのう。流石にそこの神様や田澤に比べれば若造じゃが、数百は超えて生きとるよ」
マミゾウは軽く自己紹介を済ませ、妖怪狸である本性までは説明しなかったが、彼女の事情や立場からは仕方ない事だろう。
警戒されるような事をわざわざ伝える必要は無い、との判断に基づくマミゾウの処世術と言った所か。……しかし、東風谷の反応は斜め上の物だった。
「お、お二人とも凄い方なんですね……ん? 二ッ岩……、マミ?」
「ほいほい?」
「二ッ岩から繋がると言ったら、マミの字は狸を当てるべきで……二ッ岩の狸、数百年の長生き……まさか佐渡の妖怪狸、団三郎親分!?」
「おお……なんと博識な。まさか名前だけでそこまで見当を付けられるとは。儂も有名になった物じゃのう」
……まあ、西洋の『シュバルティア・ゾラ』なんて物を知っているくらいだ。日本の民間伝承たる『二ツ岩伝説』を知っていてもおかしくないだろう。
「凄い! 伝説の人物と実際に会えるなんて! わぁ、握手しても良いですか!?」
「む、む? 別に構わんが……狸はともかく、人間にそこまで英雄視されるような事をやったかのう」
……俺も『伝説の人物』らしいが、言わないでおこう。
名乗った覚えの無い名前で好き勝手に語られた伝説、それであのように盛り上がられてもむず痒い。
「……早苗も喜んでくれた所で、今度は私から聞きたいんだが。早苗と田澤は何処で知り合っていたんだい?」
「ああ、すぐそこの商店街ですよ。田澤さんは不定期で占いの店を開いてて、そこで会ったんです!」
「……そう言えば最近、やけにタロットカード占いに詳しくなったと感心してたが、田澤の受け売りか」
「あ、あはは……実は、そうだったんです」
「早苗が一人で彼処まで詳しくなっていたなら、新しい御神籤のビジネスモデルになるかなとも思っていたんだが……まあ、そう上手くもいかないね」
……幾ら少しでも信仰が欲しい状況とは言え、神社でタロットカード占いは流石にミスマッチ過ぎないだろうか。
しかし漫画やアニメとコラボする神社も有るくらいだし、受け入れる土壌が皆無でも無いのか。日本神道は元来、柔軟性が高いしな。
「……まあ、これは置いておこう。話を戻すが、早苗は今の瞬間まで、田澤が『大魔法使い』だと言う事にまでは気付いていなかったんだね?」
「そう、ですね。そりゃあテレポートなんて見せられたんですから、奇跡を扱える人なんだろうとは思ってましたけど。
まさか神代の男性が近所の八百屋で働いてるなんて、普通思いませんよ……神奈子様みたいな特別な雰囲気も無いですし」
「私が初めて会った時も、どちらかと言うと気配を隠蔽している素振りだったしなぁ……あの時点では魔法が使えるだけの旅人だった、って事も無いだろう?」
神奈子と早苗の会話から、再び俺にバトンが渡ってくる。とりあえず、質問には答えられる範囲で答える。
「その通りだ。むしろ能力と言う意味ではあの時点で既に円熟を迎えていて、そこからの進歩が無いとも言える」
「ふーむ、『成長』の感覚が然り気無く私よりも人外だねえ……それにあの時点で円熟とは」
神奈子は一旦言葉を切る。数千年以上前の段階、それも神代において能力が円熟していたと自称する俺の……『何か』に気付いたのだろう。
勿論、これだけでは月に属する天津神どものように『邪神』と看破する事は出来ない筈だ。しかし、それだけの永きを生きた魔法使いが単なる『魔法使い』の位階に収まっている訳が無い事は自明の理である。
「まあ、良いさ。目の前の友人は、人である事こそを望んでいると言うのみよ」
神奈子がどこまで理解したのか厳密には分からないが。
わざわざ『人である事』などと言う辺り、魔法使いなどと言う括りではない、根本的な部分で『外れた存在』である事には気付いたのだろう。間接的な表現とは言え、分かるように言葉を選んだので……ある程度は見当を付けてもらえないとむしろ肩透かしでもある。
……俺と神奈子が、そんな如何にも『分かっている』態度で曖昧に目線を交わしあっていると。どうも、彼女は興奮するようなのである。
「す、すごい。まさか目の前で、こんな意味深なやり取りを実際に見れるとは思いませんでした……現人神でよかったぁ」
「……早苗や、私は時々おまえの感性と根性に頭が下がるよ」
自らの信仰する神と、少なくとも神代から生きている事は確定した男。
その二人が水面下で探り合う光景を、『意味深なやり取り』として能天気に感動するとは……やはり、凄い少女だ。
「それにしてものう。妖怪である事を気付かれていながら、神社でこんな厚遇を受けるとは……」
「ふふ。確かに私も軍神の端くれ、妖怪とは屈伏させるものと言う意識が無いでも無いが……友人が信頼している相手を冷遇するほど、器量が狭い訳でも無くてね」
神の座す神社で野暮ったいカセットコンロを囲み、鍋で煮える肉をつつきながら妖怪と神が軽口を叩き合う。
そんな絶妙に混沌とした状況を眺めて、口元が緩む。もう見る事は無い、懐かしい雰囲気に似ていたからだろうか。
「はーい、追加を持ってきましたよ。今の鍋は避けておきますので、早めに全部食べちゃってくださいね。そうしたら片付けますので」
「済まない東風谷、さっきから色々動いてもらって……君も、ゆっくり食べて良いんだぞ」
「流石に神奈子様や田澤さん、マミゾウさんを差し置いてゆっくりは出来ませんよお。
私も全く食べてない訳じゃないですし、皆さんがお腹いっぱいになってからで大丈夫です! ジュースやお酒も持ってきましたので、是非ご歓談を!」
俺の大雑把な来歴、マミゾウの妖怪狸としての本性、それらを説明し理解してもらえる頃には、既に周囲は暗くなり。
神奈子の側ではこの中途半端な状況で帰すにも都合が悪く、俺達もこれほどのイベントが有りながら直ぐに帰る必要性が薄い。
……何だかんだと言いつつ、俺も神奈子も、数千年ぶりの旧友との再会をたった数時間の談笑で終わらせるのは名残惜しかったのである。『更に互いの腹の内を探る』と言う建前の宴で、時間を引き伸ばしたのは当然の流れだった。
「軍神や、お前の所の風祝は随分と人が良く出来ておるのう……」
「そうだろうそうだろう、佐渡の二ツ岩。かの風祝こそ我らが神社の誇り。……今も尚こうして実体を取れるのは、早苗のおかげだからね」
東風谷の働きぶりを、眩しい物でも見るかのようにしみじみと讃えるマミゾウ。
神奈子も随分と機嫌が良いようで、冗談めかした言葉で返している。……最後は実感の籠った感謝になる辺り、相当に引け目を感じていそうだが。
「……宴の場に湿っぽい話題を持ち込んで済まなかった。ともかく、身内の贔屓目を除いても早苗は凄い、って事さね」
「いやはや、全く。今の御時世で、幾ら生業とは言えこうまで真摯に神と向き合っている若者が居るじゃろうか。そもそも視えない、と言う者も現代には多かろう」
「同意だ……仮にも永きを生きた存在として、その振る舞いは尊い物だと断言する。世が世なら、君も歴史に名を残していただろうに」
神秘の薄れた現代で現人神として在り、真に神を祀る。これは非常に凄まじい偉業だ。
……我の『神に従う神』と言う立場として見ても、褒め称えられるべき信仰の在り方である。付き従う神の存在維持に貢献する、それは従属神として最高の誉れであろう。
「あはは……お三方にべた褒めされるほどですか? それなら嬉しいです! これからも頑張ろうって自信が湧いてきますよ!」
早苗は頬を紅くしつつ、胸を張る。
信仰する神、歴史に名を残す大妖怪、神代からの魔法使い……錚々たる面子からの賛辞は、気恥ずかしさが勝るらしい。それでも萎縮せず、『自信になる』と返せる所が彼女の器だろう。
全く本当に、よく出来た少女だ。やや調子に乗りやすいと言うのも、常に前を向ける事の証左である。最近心がじめじめしている俺としては、多少なりとも見習うべきかもしれない。
……世界に害毒を撒く邪神と、清く正しく在る現人神とでは完全に事情は別であろうが。
「ははは、もう十分頑張っているよ。早苗が無理をしてしまったら、私は悲しい。今のままで良いのさ」
「うむうむ。仮にお主が過労で倒れてしまったりしたらどうする? それこそ、この神がポックリ消えてしまうかもしれんぞぉ」
「面白い冗談を言う奴だ。もしそうなっても、どこぞの狸よりは現世に留まれるだろうなあ」
「ほーう? 強気だのう。それではどちらが長く現世に留まれるか、此処ではっきりと勝負を付けておこうか?」
「吠えたな、妖怪め。軍神に勝負を挑むとは……出した言葉は戻らんぞ」
「け、喧嘩は止めてください!?」
「あー……東風谷。あれはじゃれてるだけさ、心配する事は無い」
瞬く間に不穏な言葉の応酬を重ねたマミゾウと神奈子に、東風谷が戦々恐々とするが……この手のやり取りをあちこちで何度も見てきた俺は冷静に諭す。
確かに言葉だけを取れば今にも戦闘が起こりそうな内容だが、『現世に留まれるかの勝負』と言いつつ盃に手を伸ばしている時点で何をするかは明らかだ。
「……尤も、別の心配はした方が良いだろう」
「あ、お酒。って、まさか」
「そう、飲み比べだ……どちらかが潰れるまで終わらんぞアレは」
つい数時間前まで警戒し合っていたとは思えない連携で茶番劇を進行する、マミゾウと神奈子。
すっかり意気投合したようで何よりである。そんな当て付けめいた皮肉を思い浮かべている間も、彼女達の動きは全く止まらず。
実に惚れ惚れとする手際で酒を手元に用意した二人は、中身をぐいと一気に注ぎ込む。そこまで来ると東風谷も先ほどのやり取りの意味に理解が及んだようで、顔をひきつらせる。
「介抱するの、大変なんだけどなあ……」
「……手伝うよ、その時は」
鍋の下拵えに関しては、勝手に厨房に入るのも迷惑だろうと手を出さなかったが。
酔い潰れた者の介抱についてまで知らぬ存ぜぬで通す気は無い、そこはきっちりとフォローをしておこう。
「大変だったなあ……結局お二人ともダウンしちゃうんですから」
すっかり夜の帳が落ちた神社、寝室と思しき部屋の前に少女が一人。
酔い潰れた神と妖怪を布団に寝かせ、ようやく落ち着いたのだろう。やや疲れたように息を吐くが、その口調はどこか明るい。
「でも、嬉しかったな。神奈子様もあんなに喜んでいて……マミゾウさんも良い御方で。田澤さんも、思った以上に楽しい人で」
普段が面白くない、と言う事は無いのだろう。しかし突然訪れた出会いは、彼女に疲労以上の喜びを与えたようだ。独り言には熱が感じられ、足を何処かへ運んでいく。
「皆さんが、笑っていた。私も、楽しかった。嬉しかった。あんな神奈子様は久し振りだったから。
神奈子様が気兼ねなく、自信たっぷりに笑っている……私は、やっぱりその姿を見ていたいんだ」
少女はゆっくりと歩き、縁側に出る。夜の暗闇の中、満月が朧に照らす少女の顔には、決意の色。
「神奈子様を消させはしない。神様が今生を謳歌できるだけの信仰を、私は絶対に集めてみせる」
瞳は強く輝き、紡ぐ言葉は不退転。覇気と共に、どこか危うい儚さをも感じさせる立ち姿。……その誓いが叶った未来に、彼女は果たして自らを浮かべているのか。
「な、なーんちゃって……お酒の匂いで少し酔っちゃったのかな? 何だか私、今さらだけど凄く恥ずかしい事をしていた気がする……!」
私も汗を流してから寝ましょう、と。彼女は足早にその場を去っていく。
「……さて」
意図して気配を隠蔽し、東風谷の独り言を薄気味悪くも盗み聞いていた俺は、神社の暗がりで目を瞑る。
宴の中で東風谷が浮かべた、複雑な意思を帯びる憂いた横顔。
それを見てしまった俺は、酷く悪趣味である事を自覚しつつ彼女の意識に少しだけ干渉し、僅かながら多弁になるよう誘導した。その結果引き出した彼女の真意は、『神奈子の為に己の利を滅する覚悟』である。
自らの全てを捨てて奇跡を起こす……と言うまでの強迫観念に囚われている訳ではない。しかし自らが人として享受するべき幸せを放棄する事に、強い拒否感が有る訳でもない。
「その結末は、美しい物かもしれない。それこそ歴史に名を残すような、尊い自己犠牲かもしれない。だが」
言葉を区切る。俺が、原初の想いを再び心に刻む為に。『田澤昴』の後悔を、無念を、記録の海から引き上げる為に。
「それは、幸せな大団円ではない」
未来有る若者の、自己犠牲でしか成り立たない『幸福』。そんな物は、俺が『俺』である以上、二度と繰り返させない。
神にも覆せない世界の理が大団円を阻むなら、邪神である俺がその理を押し潰そう。俺は絵空事めいた自動人形として、交友とは名ばかりの独り善がりな劇を演じていただけ……しかし、それで良いのだ。正しく『機械仕掛けの神』として。
麗しき悲劇によって語られる幸福を、陳腐な喜劇によって導かれる大団円に変えてみせよう。
「最早、人である事への願いに呪われはしない。俺は、邪神として思うがままに振る舞い、それでも尚『田澤昴』の名を掲げ、人間の善性を誇る旅人……!」
万能に全能に望みを叶える『かみさま』の如き力は、何時だって己の内に有る。
少しばかり邪悪な力だが……それを制御し、全てに責任を負うのなら、俺ほど『デウス・エクス・マキナ』に相応しい存在も居るまい。
この星に降りて初めて出会った友人と、神秘の薄れた世にて縁を繋いだ少女が悲劇に飲まれようとしているのだ。不条理に、強引に、彼女達が心から笑える展開を導こう。
「これは我欲だ。マミゾウの言葉を受け自らを変革する糸口を掴み、神奈子と東風谷の窮状を媒体に己を再定義しようとする浅ましき試みだ」
決して、勇猛なる賢人の慈悲などではない。邪神が自らに気に入らない未来を剪定する、それだけの事だ。
しかし、それに何の不都合がある? 人間を含めた全ての生命種は、気に入らない未来を改変する為に欲望を持つ。何も、恥じる事ではない。邪神のまま友人を救おうと構わない!
「さあ……短くも永かった、陰鬱な休暇は終わる。神々の凱旋だ、幻想郷には歓迎の準備を要請しなければなるまい」
俺は、もう一度やり直す。ここ暫く忘れていた、神秘の力を振るう万能感にわざと酔い……自らを縛る封印を、解き放った。