ライブハウスのリハーサル。
巨大なスピーカーから吐き出される重低音が、ステージの床を細かく震わせている。
センターで踊るヨシノの動きは、指の先まで完璧な曲線を描いていた。
その隣で、ヒカルは「王子様」の笑みを絶やさない。
髪を振り乱し、汗を飛ばしながらも、意識の端では常に隣の横顔を捉えていた。
曲が終わる。
肺の奥が焼けるような熱。
「休憩にするぞー」
スタッフの声で、張り詰めていた空気がふっと弛緩した。
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楽屋。
二人掛けのソファにミウが陣取り、ヨシノの肩に当然のように頭を預けていた。
「ヨシノさま、疲れた〜♡」
「まあ。お疲れ様ですわ、ミウさん」
ヨシノは穏やかに微笑み、その重みを受け入れている。
いつもの「ビジネス百合」の延長線。
ヒカルは少し離れた場所から、その光景を眺めていた。
タオルで首元の汗を拭う。鏡に映る自分を見る。
短く整えられた髪。
凛とした眉。
四年前。
この仮面を纏うと決めた、あの冬のことを思い出す。
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中学二年生の冬。
実家の小さな工場は、常に油の匂いと機械の重い音に包まれていた。
「……はあ」
居間で家計簿を見つめる母の溜め息。
ヒカルは、その背中越しに自分が6年間使い古した赤いランドセルを見つめていた。
来春、弟が小学校に上がる。
けれど、家には新しいランドセルを買う余裕はない。
弟がヒカルのお下がりの赤いランドセルを使ったとしても、その翌年には妹が入学する。
年子の二人が同時に小学校に通う以上、ランドセルは絶対に「二つ」同時に必要になるのだ。
一個しかないボロボロの赤いランドセルを、二人で奪い合わせるわけにはいかない。
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ヒカルは、自分の持ち物のほとんどを弟妹に譲ってきた。
けれど、学習机の一番奥の引き出しに、たった一冊だけ、大切にしまっているものがある。
まだ弟妹が生まれる前、幼かった自分が買ってもらった絵本。
ボロボロになったそのページの中で、美しいお姫様と勇敢な王子様が結ばれるハッピーエンド。
(……かっこいいな。お姫様を、守ってあげられる王子様)
放課後は急いで帰り、両親に代わって弟妹の面倒を見る毎日。
テレビのチャンネル権はいつも下の子たちに譲り、友達との恋バナにも縁がない。
ヒカルにとっての「恋愛」は、その古い絵本の中にしかなかった。
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商店街の入り口。
寒風に揺れる一枚の張り紙が、ヒカルの足を止めた。
『新人アイドル募集。未経験歓迎。
※賞金は出ませんが、研修生期間も月額三万円以上の手当てを支給します。
売上に応じて歩合あり。一発逆転、夢を掴もう!』
三万円。
弟に黒いランドセルを買って、そのすぐ翌年、妹にも新品を買ってあげられる数字。
「……やるしかない」
ヒカルは、震える拳をポケットの中で強く握り締めた。
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オーディション会場。
緊張で空気が凍りついたような待機室。
「次、黛 芳乃(マユズミ・ヨシノ)さん」
名前を呼ばれ、一人の少女が立ち上がった。
黒髪をなびかせ、そこにいるだけで周囲を圧倒するような気品。
(……お姫様だ)
ヒカルは、呼吸を忘れて見惚れていた。
絵本の中から飛び出してきたような、本物のプリンセス。
人生観が一瞬で変わる。
一目惚れだった。
――でも、同時に絶望した。
今のままの「私」では、隣に並ぶ資格なんてどこにもない。
(私は、お姫様にはなれない。……だったら)
名前を呼ばれた瞬間。
ヒカルは、前髪を指で乱暴に払い、背筋を伸ばした。
おどおどした女の子を殺し、自信に満ちた笑みを貼り付ける。
「立花 陽です。――ボクを、選んでくれないか?」
あの日見た、絵本の王子様になりきって。
そうすれば、眩しすぎる彼女の隣に、自分の居場所をこじ開けられるかもしれないから。
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結果。
めっちゃウケた。
……ウケ狙いではなかったが、結果オーライではあった。
合格者は3人。
黛 芳乃(マユズミ・ヨシノ)
立花 陽(タチバナ・ヒカル)
柚木 由惟(ユズキ・ユイ)
ここに、先に社長直々にスカウトされていた2人、
戌井 レオナ(イヌイ・レオナ)
栄霧 深羽(サカギリ・ミウ)
合計5名でFlor de Leónの結成となった。
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活動は四年目。
弟にも、そして妹にも、新品のランドセルを贈ることができた。
家族の笑顔は守り抜いた。
けれど、王子様を演じ続けた代償は大きかった。
(……ボク、ヨシノと……その、チューとかしたいな。……あ、っダメダメ! 何を考えているんだボクは!)
恥ずかしくて「キス」なんて言葉は浮かばない。
「チュー」の先なんて、想像するだけで顔が火を噴きそうになる。
四年経っても、ヒカルの心はあの頃の絵本のまま、純白のまま止まっていた。
ヒカルは無理やり笑いを作り、ソファのわずかな隙間に体を割り込ませた。
「ちょっとヒカルくん、狭いんだけど〜」
ミウが頬を膨らませる。
「いいじゃないか――ボクだって、ヨシノの隣に座りたい」
頬を染めながらも、言い切る。
今の精一杯。
「まあまあ。仲良しですわね」
ヨシノは、ぎゅうぎゅうのソファの真ん中で、相変わらず穏やかに微笑んでいた。
――そこへ、勢いよくドアが開いた。
「おまえら! 新しいテレビの企画だぞ!」
社長が、サングラスを光らせてニヤリと笑った。
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夕暮れの住宅街。
レオナは隣家の階段を駆け上がり、襖を勢いよく開けた。
――バァンッ!!
「わあっ!?」
床でだらけていた咲姫が、飛び上がって振り返る。
レオナは、そのまま咲姫の背中にのしかかるように抱きつき、言った。
「しばらく、会えなくなる」
「えっ……? レオちゃん、急に何……?」
咲姫の顔から、みるみる血の気が引いていく。
レオナは、咲姫の項(うなじ)に顔を埋めたまま、続けた。
「遠くに行く」
「えっ!? ちょっと、引っ越し!? それとも、何か悪いことしたの!?」
いつかやると思ってました――一生使いたくはないが、詰まらず言えそうな台詞が脳裏を過ぎる。
「……無人島でサバイバル。四泊五日」
「…………」
咲姫の動きが、ぴたりと止まった。
「……仕事?」
「うん。テレビ」
レオナは満足げに、咲姫の匂いを深く吸い込んだ。
「だから、しばらく充電」
咲姫は、大きなため息をついて、レオナの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「もう……心臓に悪いよ……」
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次回、無人島サバイバル。