「言峰、綺礼……だと? お前が?」
「ああ、そうだとも」
信じがたい事実を確認するように神父の言葉を復唱する切嗣。何が愉快なのか、含み笑いを隠さないまま言峰を名乗る神父は両手を広げて繰り返される言葉を肯定する。
「私の名は言峰綺礼。第四次聖杯戦争においてアサシンのマスターとして戦いに参じ、憐れにも道半ばで朽ち果てた……衛宮切嗣が最も警戒し、しかし終ぞ出会うこと無く死んだ男だ」
「……そんな戯言を信じるわけが、ない。貴様は──」
「さて、それは問い質すほど重要なことかね? 今お前が考えるべきは目の前の立つ相手が、お前が警戒するに足る敵の名を騙る者であり、己が願いのため、斃さねばならぬ障害であるということだけ……違うかね? 正義の味方」
「────」
切嗣の目の色がより強い警戒の色に変わる──そう、眼前の闖入者の詳細など些細な事柄だ。大事なのはこの状況で切嗣の陣営に攻め入ってきたことであり、相手が何者であれ、この先聖杯を手に入れるためには排除しなければならない敵という事実のみ。
……そして切嗣のそんな冷徹な心をも見抜いてきた“敵”を前に切嗣は内心の動揺を取り繕うために歯噛みするしかない。
“
「令呪を使ってセイバーを呼び寄せるかね? それとも何処かにいるだろう君の助手に狙撃させて見せるかね? ああ、或いは……自らの“起源”で私を撃ち抜いて見せるか。ふふふ、お前がどのような選択を取るか、見ものだな」
「…………!」
嘲笑うかのように“敵”は切嗣の手札を謳う。
──やはり切嗣の情報は漏洩している。
それを前提として行動するしかないようだ。
腰を低く落とし、銃器の引き金に指を当て、体中の魔力回路を励起させる。悠然と構える敵は徒手空拳。初撃のロケットランチャーは撃ち尽くしたのか、地面に放棄されている。敵との間合いは目算で約三十メートル。この間合いならば敵の踏み込みよりも先に切嗣の
あくまで“
否、楽観的な見方はよろしくない。
敵は代行者。その身のこなしは超人の領域に在り、英霊とは言わずとも銃弾ぐらい肉眼で見て躱すやもしれない。
……敵は切嗣の武器の正体を知っている。であれば確実に何らかの手段で以て直撃を避けるだろう。
手品が割れていると機能しにくいのは切嗣の持つ切り札の欠点だ。しかし同時に警戒がそれだけ集中しているという敵の状態は利用可能だろう。切嗣の切り札に意識を集中させた上で、これを囮に策に嵌める──殺し合いに意識を切り替えた切嗣の頭は冷徹に計算を重ねる。
冷えていく情の色。無機質な機械のように凍っていく表情。
その姿を何処か懐かしむように眺めながら、神父は踏み出した。
「っ……」
──切嗣は動かない。
元来、生粋の暗殺者である切嗣にとって、敵と真っ向から事構えるのは得意とするところではない。事前の準備と入念な計画、この二つの段取りを立てた上で切嗣は今まで多くのターゲットを斃してきた。
聖杯戦争に挑むにあたっては、当然全ての陣営の情報を事前に頭に叩き込み、打倒するための戦術の構築も済ませてきている。
故に言峰綺礼という男のプロファイリングも既に終わっている。
聖堂教会に属する優れた戦闘能力を有する一線級の代行者。聖杯戦争に参ずるにあたり、遠坂時臣の教えを受けたという推定アサシンのマスター。
そして──そんな相手と一対一。
それも暗殺者が戦士に真っ向から挑まざるを得ないというこの状況。
離脱、撤退──冷徹な切嗣の頭脳はその選択を真っ先に提示した。
「────」
神父がさらに二歩、三歩と進む。
それでも切嗣は動けない。選べない。
征くか引くか、挑むか逃げるか。
何れの選択にしても──予感する。
この神父はどの選択肢を取ったとしても切嗣を確実に殺すだろう──と。
“馬鹿な……”
理性は直感を否定する。
言峰綺礼──あの戯言が真であれ、嘘であれ、あくまで敵は同じ人間の筈だ。或いはサーヴァントほど隔絶した相手ならばその所感も頷けよう。だが目の前の相手は何処からどう見ても人間のそれだ。
衣服の上からでも分かる巌のような肉体を持った生身の戦士だ。
ならば殺せる、攻略できる。
その筈なのに……銃を構える、身を翻す。どの行動を取ったとしてもそれよりも速く、あの拳が切嗣を撃ち抜くという確信がある。
暗殺者として死に敏感である直感が、数瞬後の死の予感に怯えている。
“そもそもコイツは……一体何なんだ……?”
──冷静に考えれば、目の前の男は徹底して正体不明だ。
言峰綺礼を名乗る神父服の何者か。
身形からして聖堂教会に属する相手なのは間違いないのだろうが、目的が意味不明だ。なぜ表向き公正中立を抱える聖堂教会の監督役が、このタイミングで聖杯戦争の参加者を……衛宮切嗣の命を狙うのか。
相手の名乗りが正しいとして、今現在における情勢はキャスターのマスターの一強状態。同盟を結ぶために姿を現したというのならば理解できるが、わざわざ最大の優勝候補を残したまま、他の潰し合うメリットが切嗣には全く思いつかない。
ましてや名前が真実ならば、他ならぬキャスターのマスターによって殺害されかけた立場である。当然、真っ先に考えるべきは報復であったり、対策であったりであるべきだろう。
弱い駒から狩っていくという選択をしたにしても、このように自らを明かす様にして振舞うのは理解に苦しむ。切嗣は彼を完全に亡き者と判断していたのだ。
相手の油断と情報的なアドバンテージ。本気で殺しに行くならば、この二つの優位を捨てる理由など皆無のはず。分からない、理解に苦しむ、意味が分からない。
切嗣は改めて、喉を鳴らしながら目前に迫る敵の姿を見て──ようやく直感が齎す違和感に気づく。
「影が……ない?」
「────フッ」
思わず洩れた切嗣の言葉に、神父が口元を釣りあげる。
──歩み寄る神父の足下。
そこには、二対の蛇がトグロを巻くようにして渦巻いている。
ゾッ、と背筋に悪寒が奔る。
大前提が天地を返す。
眼前の男は──そもそも、人間などではない。
魔力の流動、霊圧──間違いなく
「ほう、気づいたか。尤も、お前にしては随分と察しの悪い様子だが。流石のお前もこの状況には動揺していたようだな」
理解と同時に、切嗣は選択していた。
「
切嗣がその場から身を翻して飛び退く。その一連の動作は超人的なほどに速い。
固有時制御──それは魔術師としての衛宮が持つ時間操作の魔術式。
心象風景を具現化することで現実にあり得ない世界観を構築する大魔術、『固有結界』の基礎理念を応用し、自らの体内を極小規模の世界とし結界を展開、その“世界”を加速させることによって、自らの体内時間を加減速する切嗣が持つ魔術師としての力。
世界時間の摂理に反したこの詐術は世界からの修正力によって、術式終了後に切嗣の肉体に多大な反動を与えるが──代償に、発動中は人間の動体視力を上回る速度で行動可能だ。
「ッ!」
敵の虚を突いた魔術の挙動。会話の呼気、侵攻の停止、刹那に生じる間に対して差し込んだ熟練の手腕。それこそは敵の隙を的確に嗅ぎ分ける『魔術師殺し』の技。
例え相手がサーヴァントであれ、反応するのは一歩遅れる。
そして、その一歩こそが切嗣にとっての千載一遇。逃亡の動作を見せながら、自身のコートの下に手を差し込む。そこにあるのは対霊仕様の霊障手榴弾。爆裂すれば煙幕と同時、チャフのようにして大気中の魔力を乱反射して魔力に対する反応を鈍らせる対英霊用の目くらましだ。
セイバーと別行動する都合、単独で英霊に遭遇することを想定し切嗣が持ち込んだ装備の一つ。
──まずはこの場を離れる。
敵は余りにも想定外かつ予想外の相手であるが、幸いはことに戦場たる此処はアインツベルンの城であり、即ち魔術工房である。
厳密には切嗣の拠点ではない故、何もかもが優位に運べるわけではないが、当然敵への備えとして内部には迎撃のための様々な用意が存在する。
敵の術中で戦うなど愚の骨頂。何をするにしてもまずは主導権を取り戻す。
「令呪を以て命ずる──」
さらに切嗣は一連の行動を起こしながらも、手の甲に意識を集中させる。
──令呪による英霊の召喚。
霧中にこちらの英霊を召喚することで戦場の情報量を増やす。霧中に出現する英霊特有の気配はさらに切嗣の気配を撹乱することだろう。もちろん、不意打ち気味に召喚されるセイバーもいきなりの状況では対応に惑う可能性があるが、それは相手も同じ条件のハズ。
要は離脱が叶えば良いのだ。それさえ叶えば対応は幾らでも叶う。
だからこそ──。
「経験が勝ったな。お前は私を知らないが、私はお前を知っている。故にお前が考えてることは読みやすい」
「なっ……!」
虚を突かれたはずの相手が、切嗣の後手に回ったはずの相手が、後の先を取る。
一歩の遅れを踏み潰す、刹那の御業。
『活歩』──地面を滑空するように一足よりも早く距離を詰める八極拳の技法。生前においては秘門の領域にまで練り上げた技が切嗣の想定を無慈悲に帰す。
もはや神父は肉薄するほどの距離。切嗣の手にはまだ手榴弾があり、令呪は起動間近。
即ち──全てが遅きに失した。
「フッ」
敵が勝ち誇るような薄ら笑みを浮かべた──そう認識すると同時に、切嗣の胸板に炸裂する神父の拳。繰り出された縦拳が切嗣のあばら骨をへし折り、衝撃がその身を壁際にまで吹き飛ばす。
「ガッ…………は……ぁ……」
あまりの攻撃威力に息が詰まり、一瞬の呼吸困難に陥る。
内臓を砕かれなかった幸いなど何の意味もない。
胸元に炸裂した衝撃は、切嗣から立ち上がる自由を奪い取り、痛みは戦闘不能を強制する。壁に激突した痛みなどこれに比べれば些細なもの。英霊の攻撃に比べればまだ慣性の法則の方が優しかった。
一方、神父の方は何故か追撃もせずに、切嗣の様子をつぶさに眺めている。
倒れ伏す切嗣など如何様にも出来るだろうに、残心する神父の出で立ちには隙が無い。まるで端から反撃があることを前提にした振る舞いである。
だが一秒、二秒と待てど立ち上がらない様子の切嗣を観察しながら、ふと。
「──ふむ? 回復しないのか?」
何か、肩透かしを受けたようにして、ようやく構えを解いた。
「……私としたことは少々、先走り過ぎたようだな。自分ではいつも通りのつもりだが、やはりお前との再会は些か私の情動を揺さぶっていたらしい」
「な……にを……」
「こちらの話だ、気にするな。さて──これでようやく本題に入ることができるな」
切嗣が逃げも隠れも出来ないことを確信したらしい神父は、そのまま両手を後ろ腰に回し、不気味な笑みを切嗣に向けた。追撃を加える様子もなければ、身動きの取れない切嗣に何かする様子もない。
まるで地に伏す貧者に施す聖者のように、神父はただ言葉を紡いだ。
「最初に誤解を解いておこう。私は別にお前を殺すためにこの場に現れたわけではない」
「…………そんな言葉を……ッ!」
「信じるか信じないかは貴様の自由だが、ただの事実だ。他意はない」
朦朧とする意識を敵意で繋ぎとめるように、切嗣は神父を睨む。
追い詰められたこの状況でも切嗣には令呪という手が残っているが、それでは先の状況を繰り返すだけだろう。切嗣が行動を起こすよりも神父が全てを上回るというならば、切嗣にできるのは目的不明の相手と会話を行うことだけ。敵の手中で踊るなど最悪極まるが、それ以外に出来ないのだからそうするしかない。
そんな切嗣の苦悩を弄ぶように、神父は薄ら笑いのまま言葉を続ける。
「私は聖杯の自身の呼びかけに応じて召喚されたエクストラクラスの存在。その目的は聖杯戦争を恙なく続行することにある。故に聖杯戦争の正当な参加者を害する意味など存在しない」
「聖杯自身が、呼び出した……だと? お前を……?」
「その通り。アインツベルンに雇われたお前が聖杯の機能を果たして何処まで知っているかは知らぬが、聖杯には自身の存在を保証するための機能が幾つかあってね。うちの一つ、ルーラー召喚……それを応用したようだな」
尤も、私はルーラーではないが──などと、嘯く神父の言葉に切嗣は必死で頭を回す。ルーラー、それは確か聖杯に呼ばれる第八クラスの存在だったか。何でも聖杯戦争に異常が生じた場合に呼び出され、異常を正すべく活動する主無きサーヴァントのクラス。
他の英霊と違い、特権なども与えられるらしいが……何分、特異事例に過ぎるため、アインツベルンに通じる切嗣でも多くを知るところではない。
だが状況は大まかに理解できた。
此処に来て顕れた未知のサーヴァント。
それは七つのクラスに属さない完全な独立した存在。
「アルターエゴ、言峰綺礼──などと言っても理解できないだろうが、呼び方に困るのならば単に神父とでも呼びたまえ。お前が聞いたことのある人間の死体を被る英霊、そんなものとでも思えばいい」
「…………」
切嗣は納得できずとも一先ず、神父を『そういうもの』だと理解を置いて、思考を回す。
結局のところ、目の前の怪人物が何者であれ切嗣には関係ない。
切嗣の目的は聖杯戦争に勝利し、願いをこの手に掴むこと。
ならば考えるべきはその道筋だけでいい。
状況は絶体絶命だが、相手が手を緩めるならば、そうさせていればいい。どだい切嗣自身にこの状況を打破する手段は存在せず、ならば時間稼ぎに徹するのみ。
此処は依然、切嗣の勢力下。少なくとも時間は切嗣に味方する。
……手は、まだ残されている。
故に切嗣は言葉を紡ぐ。会話したいらしい敵に乗りながら、一秒でも時間を稼ぎ、意識をこちらに向けさせるために。
「それで、その進行役とやらが……何の用で此処に来たと」
「無論、聖杯戦争を恙なく進行させるために。君も、そのために迎撃の用意を整えていたのだろう?」
「なに……それはどういう?」
「キャスターのマスター」
「!」
「──私が召喚されたのは彼が理由でね。どうやら聖杯は……厳密にいえばその中に渦巻く者は奴のことを脅威と捉えたらしい」
その時、遠間で轟音が鳴り響く。天に響き渡るような雷霆の起こり。
城の窓を震わせ、内部にまで気配を迸らせる気配。
交戦中のセイバーやランサーらによって発せられたものではない。
戦場に、新たな乱入者が加わったことを感じ取る。
そしてそれは一つではない。
「この気配、ライダーか……?」
「ふむ。向こうにそちらが行ったか、だとすれば来るのは──」
神父の予想を肯定するように、コツコツと足音が響く。
逃げることも隠れることも一切考えていない威風堂々とした気配。
それは一直線に迷いなく、ただ前と進撃する。
神父によって壊されたアインツベルン城の門前。誰憚ることなく真正面から堂々と侵入した男は、まるで我こそが城の主と言わんばかりに戦場を睥睨する。
「成程──殺したはずの男によく似た面貌のサーヴァントが活動している。つまり──」
神父を視界に収めながら、翼を広げるように構えられる二対の軍刀。
もはや確かめるだけ馬鹿馬鹿しい。
神父は振り向きながら、舞台に上がって来る新たな演者に言葉を掛ける。
「正に宴もたけなわ、というわけだ。そう思わないか、救世主の名を持つマスターよ」
「貴様が事の黒幕か」
切嗣が抱いたような神父に対する動揺も困惑も疑問も一切皆無。
ただ敵を見据えて、進み続ける姿に迷いはない。
キャスターのマスター、カルキ・H・ピースマン。
聖杯戦争をただ一人独走する男は、闇を背負う神父に煌めく刃を掲げていた。