ウマ娘競バ史   作:geko

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第18話:祝杯の味、三人の休日

 6月、初夏の風がトレセン学園栗東校を吹き抜けていく。

 白百合ステークスでローリンが勝ち、松風月ステークスでタイフウが勝った。

 二週連続の勝利という快挙に、それまでは遠慮がちに“言葉を選ばれていた”空気も、少しずつ祝福の熱に変わり始めていた。

 

 二つの勝利。それは、バラバラだった俺たちのチームが、初めて同じ熱量を分かち合った瞬間だった。

 トレーナー室、真珠色の髪を揺らして手入れをしていたオペラローリンと、不機嫌そうに窓辺で空を眺めていたオーナーズタイフウ。

 

 その静寂を破ったのは、タイフウだった。

 

「……なあ、あすかさん」

 

 タイフウが、窓枠に肘をついたまま俺を振り返る。その瞳には、かつてのような尖った敵意ではなく、不遜な甘えが混じっていた。

 

「あたしとお嬢様、二週続けて勝ったんだぜ。……なんか『ご褒美』、くれてもいいんじゃねえの?」

「ご褒美?」

 

 俺が聞き返すと、トレーナー室の奥でブラシを動かしていたローリンの手が止まった。

 彼女はブラシを置いて、パタパタと小走りで俺たちの元へ駆け寄ってくる。

 

「……あ、あの! タイフウさんが何か貰うなら……私、も」

 

 ローリンが、そっと自分の胸に手を当てて、こちらを見た。

 勝負服のボタンはない。けれど、彼女は自分の中にある“芯”を確かめるように、ジャージの胸元をギュッと握りしめた。

 

「私も、あすかさんと……その、一緒の時間がいいです」

 

 物をねだるんじゃない。ただ、置いていかれるのが寂しい子供のような瞳。

 俺は二人の顔を見比べ、苦笑した。

 泥を啜り、山道を歩き、自分たちの殻を破って掴んだ二つの勝利だ。これくらいの我がままは、トレーナーとして受け入れるべきだろう。

 

「……分かった。今日は練習も上がりだ。三人で外へ食べに行こう」

 

◆1971年、街の洋食屋にて

 

 俺が二人を連れて向かったのは、街外れにある煉瓦造りの老舗洋食屋だった。

 カラン、とドアベルが鳴る。

 飴色に磨かれた木の床と、白いテーブルクロス。この店は洋食屋でありながら、昼下がりには喫茶の顔も持っているらしい。

 どこか懐かしくも格式張った店内で、私服に着替えた二人は、少しだけ落ち着かない様子で椅子に座った。

 

 メニューを開くと、タイフウは肉料理の頁で指を止め、ローリンは喫茶の欄に視線を滑らせた。

 注文を済ませ、運ばれてきた冷たい水をひと口。カトラリーの触れ合う音だけが、店内に静かに落ちていく。

 

「……へっ、気取った店。あたしは大井の屋台の煮込みの方が性に合ってるんだけどな」

 

 そう言いながらも、タイフウは運ばれてきた分厚いステーキの、ジュウジュウと脂が跳ねる音に喉を鳴らしている。

 口では悪態をついているくせに、目だけが正直だった。

 一方で、ローリンの前にはオムライスと、鮮やかな緑色のソーダ水に丸いアイスクリームが浮かんだクリームソーダが運ばれてきた。

 

「……綺麗。これ、飲んでしまうのがもったいないです」

 

 グラスの中でシュワシュワと弾ける無数の泡。

 照明を受けて輝くその粒は、彼女の真珠色の髪と重なって見えた。

 彼女は宝石箱でも見るような瞳でそれを見つめ、ふと顔を上げて、はにかむように呟いた。

 

「……私、あすかさんとこうしてご飯を食べるの……夢みたいです」

「夢じゃないよ。これは、二人が自分で掴み取った現実だ。……さあ、冷めないうちに食べよう」

 

 俺がそう言うと、二人は同時にフォークを動かし始めた。

 

◆混じり合う呼吸

 

 タイフウの食べ方は豪快だった。

 ナイフで肉を切り裂き、競り合いに勝ったあとみたいに、遠慮なく頬張る。大井のハングリー精神が、そのまま食欲になったような食べっぷりだ。

 対するローリンは、大切そうにオムライスを一口ずつ口に運ぶ。

 正反対の二人。けれど、俺の目には、二人の身体に溜まっていた強張りが、美味しい料理と柔らかな時間の中で、ゆっくりと解けていくのが見えた。

 

「……アンタ、さ。白百合の時、いい根性してたじゃん」

 

 タイフウが、口の周りにソースをつけたまま、不意にローリンを見た。

 

「……え?」

「あたしの足音にビビってた奴が、最後の一歩で差し返すなんてさ。……まあ、あたしの足音(ロック)に比べりゃ、まだまだ小せえけどな」

 

 ぶっきらぼうな賞賛。

 けれど、その口元はソースで汚れている。ローリンはクスリと笑うと、自分のハンカチを取り出した。

 

「……ふふ。タイフウさん、お口、ついてますよ」

 

 自分でも驚いたみたいに一瞬だけ指が止まって、それから――自然に手が伸びた。

 彼女はためらいなく、タイフウの口元のソースを拭った。

 

「あ? ……っ!?」

 

 タイフウがのけぞる。

 かつて他人の接触を何より恐れていたローリンが、自分から触れた。その事実に、タイフウの方が虚を突かれている。

 

「……じ、自分でやるよ!」

 

 タイフウは顔を背け、乱暴に自分のナプキンで口を拭ったが、その耳は僅かに赤らんでいた。

 ローリンは嬉しそうに目を細める。

 

「……ありがとうございます、タイフウさん。私……タイフウさんと歩いた山道があったから、最後まで頑張れたんです」

 

 幸せそうな二人を眺めながら、俺は冷めたコーヒーを口にした。

 一人は、エリートの期待を背負い、一度は挫折した真珠。

 一人は、地方で「厄介者」と疎まれ、中央へ流れてきた嵐。

 境遇は違えど、二人は今、俺という新米トレーナーの元で、確かに自分の居場所を見つけ始めている。

 

「……あ、あの、あすかさん! 次のレースも、私、頑張りますから……!」

「ああ。あたしもだ。次はもっと派手に、アンタの目を驚かせてやるよ」

 

 夕暮れの洋食屋。窓の外には、これから訪れる熱い夏を予感させるような、濃い藍色の空が広がっていた。

 静かで熱い夏が――“勝つための音”を積み上げる季節になる。

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