ウマ娘競バ史   作:geko

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第27話:一生に一度の冠、譲れない夢

 トレーナー室のデスク。

 俺の前には、10月1週・大井の二つの要綱が並んでいた。

 『ジャパンダートクラシック(2000m)』と、『東京杯(1200m)』。

 たった二枚の紙が、一人の少女の“秋”を左右する。

 

「タイフウ。お前の次走についてだが……俺は東京杯を強く推したい」

 

 俺が静かに切り出すと、タイフウが不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 予想通りの反応だ。だが、俺には――トレーナーとして彼女をいちばん輝かせる道を示す責任がある。

 

「……あすかさん、さっきからそればっかりじゃねえか。なんでだよ。あたしはエニフSを勝って三連勝中だぜ? 勢いなら誰にも負けねえ」

 

「その三連勝の“勝ち方”が問題なんだ」

 

 俺は手元の記録を指で叩いた。

 1200。1400。1400。

 

「問題は数字じゃない。――その距離で、お前がいちばん“らしく”勝っていることだ」

 

 俺の目には、短い距離で彼女が叩きつける“熱”が見えていた。

 呼吸の立ち上がり、踏み込みの鋭さ、足音の密度。

 一瞬に全部を賭ける、研ぎ澄まされた刃の光だ。

 

「お前は短距離しか走れない、なんて言わない。2000だって、走り切るだけならできる」

 

 タイフウが眉を上げる。俺は続けた。

 

「でもな。お前が笑うのは、短い距離で全部をねじ伏せた時だ。あの“壊し方”が、お前の武器だ。東京杯は、その武器が一番まっすぐ刺さる」

 

 隣で聞いていた由衣さんも、深く頷く。

 

「ジャパンダートクラシックの2000は、強い子たちが集まるだけじゃない。勝ち方が違うんです。ペースを読んで、我慢して、削り合って……最後に残った者が獲る冠なんです」

 

「ああ。今のお前の刃は、鋭すぎる。2000の消耗戦でそのまま振るえば、刃こぼれする。……だから俺は、お前の武器がいちばん活きる形で勝たせたい。せっかく笑える勝ち方があるんだ」

 

 しかし、タイフウは折れなかった。彼女は椅子を蹴るようにして立ち上がると、俺を射抜くような視線で睨みつけた。

 

「……『勝てる形』? あたしがいつ、そんなお利口な道を求めたよ」

 

「タイフウ」

 

「なあ。東京杯なら来年だって、再来年だって出られるさ。シニアになればいくらでもチャンスはある。……でもな」

 

 彼女は、デスクの上の『ジャパンダートクラシック』の文字を、指先で強く叩いた。

 

「『クラシック』の名前がつく三冠の舞台は、あたしたちの世代にとって今年、今この時しかないんだよ!」

 

 その言葉に、俺は息を呑んだ。

 ウマ娘にとって、同世代の頂点を決める「クラシック」という響きがどれほど重いものか。それは、どれだけ長く現役を続けても、二度と戻らない「青春」そのものだ。

 

「……春の羽田盃、あたしは無様に負けた。あんたの忠告を無視して暴走して、最後にガス欠になって沈んだ」

 

 彼女の声が、悔しさを滲ませて震える。

 

「だから、続く東京ダービーは指をくわえて見てたんだよ。負けた自分が情けなくて、自分の距離じゃねえって言い聞かせてな。……けど、これで最後なんだ。三冠目のこれが、同世代の頂点に挑めるラストチャンスなんだよ!」

 

 理屈じゃ測れない。“今年の一回きり”にしか宿らない渇望が、そこにあった。

 一度は「泥にまみれた」旋風が、最後の最後でリベンジを選ぼうとしている。

 

「一番強い連中が集まる場所で、一番重い冠を獲りに行く。……それに挑戦もせず、得意なところで勝ち数稼ぎなんて、あたしのプライドが許さねえんだよ!」

 

 彼女の瞳の奥で、猛烈な「旋風」が吹き荒れていた。

 俺の目には、嫌な想像が浮かぶ。残りの直線で、彼女の刃が手元からこぼれる絵だ。

 羽田盃の再現。いや、距離が伸びる分、もっと残酷な結末かもしれない。

 体力が足りないんじゃない。勝ち方が噛み合わない。

 我慢のレースは、彼女の“鋭さ”を鈍らせる。

 そして、我慢した末に負けた時――彼女は一番、自分を許せないだろう。

 

 ……それでも。

 ここで「安全な勝ち方」を押しつければ、彼女は勝っても笑わない。

 

「……分かった。お前の覚悟、受け取ったよ」

 

 俺は東京杯の要綱を裏返し、ジャパンダートクラシックの登録書類を手に取った。

 

「ジャパンダートクラシック、2000メートル。……お前の『一生に一度』、俺に預けてくれ」

 

 俺の言葉に、タイフウの表情が緩む。

 

「その代わり、覚悟しろよ。お前の身体を、2000メートル仕様に作り変える時間はない。……だから、今の身体のままで、走り方の『意識』だけを叩き直す。地獄を見るぞ」

 

「ハッ……最初からそう言えよ。やってやろうじゃねえか、あすかさん」

 

 タイフウは満足げに笑い、トレーナー室を後にした。

 その背中を見送りながら、俺は登録書類にペンを走らせた。

 合理性を捨て、情熱を選んだ。

 

 10月1週、大井。

 俺たちは一冠のために、選んで踏み込む。

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