ウマ娘競バ史   作:geko

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第29話:二択の先にある光 ※ポートアイランドステークス

 9月4週、阪神レース場。

 秋の爽やかな陽光がターフを照らす中、チーム・ルミナスの看板娘、オペラローリンは運命の一戦を迎えていた。

 オープン特別、ポートアイランドステークス。

 

「……また、大外か」

 

 モニターに映し出された枠順を見つめ、俺は思わず声を詰まらせた。

 8枠15番。

 あの雨の皐月賞。彼女が揉まれて沈んだのと、同じ大外の枠。

 

「神楽坂トレーナー……」

 

 隣に立つ由衣さんも、俺の脳裏をよぎった懸念を察したのだろう。

 選択肢は二つ。

 最短距離を求めてバ群の激流に飛び込み、また揉まれるリスクを負うか。

 それとも、外を回って、自分の走りを守るか。

 マイルという息つく暇もない展開の中で、その判断の遅れは致命傷になる。

 

 パドックの入り口。俺の強張る視線に気づいたのか、ローリンがふっと足を止め、こちらを振り返った。

 

「大丈夫ですよ、あすかさん。……『二択』ですよね?」

 

 かつて迷い、立ち止まった彼女の顔に、曇りはなかった。選ぶことを、もう怖がっていない目。

 俺は大きく頷き、彼女の背中を力強く押し出した。

 

「ああ。……信じてるぞ、ローリン」

 

◆ポートアイランドステークス(L・阪神芝1600m)

 

 ゲートが跳ね上がった。

 マイル特有の激しいポジション争いが始まる。ローリンは中団につけようと内を伺うが、場数のあるウマ娘たちが作る分厚い壁が立ち塞がる。

 皐月賞なら、ここで焦って突っ込み、弾き飛ばされていただろう。

 

(……入れない。なら、いいです)

 

 第4コーナー。バ群は密集したまま直線を迎える。

 ローリンが選んだのは、若葉ステークスで掴んだ進路と同じ、大外を回る道だった。

 

 だが、あの時とは決定的に違うものがあった。

 

「……落ち着いている。遠回りすら、自分のリズムにしている」

 

 俺の目には、彼女が大きな弧を描いて、流れるように速度を乗せていく姿が見えていた。

 内側の泥臭い喧騒を嫌い、誰もいない大外を、自分だけの「舞台」に変えている。

 

 直線。内側で粘り込みを図る5番人気のコーヨーが、独走態勢に入ろうとする。

 万事休すか――そう思った瞬間、大外から真珠色の閃光が弾けた。

 

「行け、ローリン――ッ!!」

 

 俺の叫びと同時に、ローリンの末脚が爆発した。

 大外を回って蓄えたエネルギーが、ソプラノの歌声のように高く、強く響き渡る。

 一歩、また一歩。

 粘るコーヨーを残り100メートルで捉えると、そのまま力強く突き放し、1バ身の差をつけてゴール板を駆け抜けた。

 

 1分36秒0。

 それは、彼女が“選んだ道”で勝てることの証明だった。

 

「……やりましたね、神楽坂トレーナー! ローリンちゃん、勝ちました!」

 

 由衣さんと手を取り合って喜ぶ俺の元に、肩で息をしながらローリンが戻ってくる。

 その顔には、誇らしげな、そしてどこか晴れやかな笑みが浮かんでいた。

 

「……あすかさん。私、外側からでも……ちゃんと景色が見えました」

 

「ああ。最高の走りだったよ。……お前の『真珠』は、どこにいても輝けるんだな」

 

 俺が彼女の肩にタオルをかけると、ローリンは小さく、けれど確かな手応えを噛みしめるように頷いた。

 これでチームの秋が、揃った。

 

 真珠の再起、新緑の進化。

 そして――。

 

 俺はポケットの中で、次週に控えた大井行きの切符を握りしめた。

 次は、あの荒ぶる旋風を、2000メートルの荒野へ解き放つ番だ。

 

◆真珠のわがまま

 

 10月1週、大井での決戦を数日後に控えた栗東のトレーナー室。

 窓の外では、少しずつ色づき始めた木々が秋の深まりを告げていた。

 

 俺はローリンを一人、トレーナー室に呼び出していた。

 手元にあるのは、10月の大舞台、菊花賞の要綱。

 彼女がいちばん輝く距離が、そこじゃないのは分かっている。

 だが、先日タイフウが叫んだ「一生に一度のクラシック」という言葉が、どうしても俺の胸に棘のように刺さっていた。

 

(俺が彼女の可能性を、勝手に決めつけてはいないか……?)

 

 そんな迷いが顔に出ていたのかもしれない。

 部屋に入るなり、俺の顔をじっと見つめたローリンは、俺が口を開くより先に、鈴を転がすような声で静かに告げた。

 

「……出ませんよ。私、あそこは行きません」

 

「え……?」

 

 不意を突かれ、言葉に詰まる。ローリンは俺のデスクの向こう側にそっと座り、真珠色の髪を揺らして微笑んだ。

 

「分かってます。あすかさんが、私のために少しでも有利な、私が一番輝けるレースを選ぼうと、ずっと苦労してくださっていること。……あすかさんが夜遅くまでページを捲る音、私、聞いてますから」

 

 彼女の瞳には、迷いも、タイフウのような焦燥もなかった。そこにあるのは、澄み渡った湖のような、俺への深い信頼だけだった。

 それに、と彼女は小さく舌を出した。

 

「3000メートルなんて走ったら、疲れでお肌が荒れちゃいます。私には、あすかさんが選んでくれる『輝ける距離』がちょうどいいです」

 

「ローリン……」

 

 俺の目には、彼女が誇らしげに光を纏っているのが見えた。それは、自分を理解してくれる理解者を得た、一人の女の子としての確かな輝きだった。

 

「……さて。そう決まれば、お話は終わりですね?」

 

 ローリンがいたずらっぽく小首を傾げた。時計の針は、予定していた打ち合わせ時間を大幅に残している。

 

「あの、あすかさん。お話し合い、早く終わっちゃいましたから……少し、お時間が余っていませんか?」

 

「ああ、まあ、そうだな」

 

「私、勝ちましたよ。ポートアイランドステークス、頑張りました。……だから、ご褒美……ください」

 

 少しだけ頬を赤らめ、上目遣いで俺を見る彼女。

 いつもは控えめな「真珠」が見せた、勝利した者だけの、可愛らしい特権の行使。

 

「……そうだな。今日くらいは、お前のわがままを聞こうか」

 

 俺がそう答えると、ローリンは嬉しそうに目を細めた。

 嵐の前の静けさの中、真珠のような優しい時間が、そこには流れていた。

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