ウマ娘競バ史   作:geko

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第34話:女王への舞踏 ※ファンタジーステークス

 大井でタイフウの勝利を見届け、その余韻がまだ耳に残るまま、俺は新幹線で西へ向かった。

 日付が変わる前に、何とか京都へ滑り込む。

 

 10月5週、土曜日。秋晴れの京都レース場。

 重賞・ファンタジーステークスのゲートが開く数時間前、俺は管理室で一人、出走表を睨みつけていた。

 

 静かだ。

 いつもなら「お疲れ様です」と由衣さんがお茶を出してくれるタイミングだが、今日は誰もいない。

 手元の缶コーヒーだけが冷たい。今日の判断は、全部俺の手の中にあった。

 

 由衣さんはタイフウのケアのため大井に残っている。

 戦略の最終確認も、グリーンのメンタルケアも、すべて俺一人の肩にかかっている。

 

「……逃げが三人。しかも、セシルビーチも譲らないか」

 

 1400メートルでこれだけ揃えば、間違いなく消耗戦になる。

 俺の「目」には、ライバルたちの闘志が火花みたいに弾けていた。

 

「うーん。まあ、いけるんじゃない? ……たぶんね」

 

 ひょいと俺の肩越しに、グリーンが出走表を覗き込んできた。

 

「グリーン、お前……」

「タイフウ先輩のJBC、凄かったね! あんな泥だらけになっても勝つなんて、アタシも負けてられないよ。……トレーナーさん、そんなに怖い顔しなくても大丈夫だって」

 

 彼女は踵で床を二度鳴らし、遊びに行くみたいに肩を回した。

 

「アタシ、もう『ただ走るだけ』じゃないからさ。今日は風と上手に踊ってくるよ!」

 

◆ファンタジーステークス(GⅢ・京都芝1400m)

 

 ゲートが跳ね上がると同時に、予想通りの激流が生まれた。

 セシルビーチとヒシイレーンが、一歩も譲らぬ勢いで飛び出し、激しい先頭争いを始める。

 

「行け、グリーン――……いや、待て」

 

 喉の奥で、声が引っかかった。

 グリーンはスタートこそ完璧だったが、前を行く2人が絶対に譲らないと判断するや否や、スッとその直後へ――風の影へ滑り込んだのだ。

 

「……よし。あいつ、完全に理解してやがる」

 

 激しい向かい風を前の二人に受けさせ、自分はその風除けを利用して、最短距離で脚を溜める。

 前の二人が必死の形相で風を切り裂く中、その真後ろにいるグリーンだけは、音の薄い場所にいた。

 彼女の表情には、焦りなど微塵もない。むしろ、風の音をBGMにして楽しんでいるようですらあった。

 

 第4コーナーを回り、最後の直線。

 前の二人の足取りが鈍り、わずかな隙間が開いた。

 俺が指示を飛ばすまでもない。

 

 ――開いた。

 

 グリーンは、自動ドアを抜けるみたいな気軽さで、その隙間へ飛び込んだ。

 瞬間、塞き止められていた向かい風が、まともに彼女へぶつかる。

 だが、それは抵抗ではなく、彼女を空へ押し上げるための翼になった。

 

「今だ、グリーン! 突き抜けろ!」

 

 二人の間から踊り出た瞬間、彼女の才能が爆発した。

 瞬く間にセシルビーチを置き去りにすると、そこからは独走態勢。

 彼女は脚色を変えないまま、地面だけが後ろへ流れていった。

 

 4バ身――。

 彼女はそのまま、ゴールへ飛び込んだ。

 

◆「なんとかなった」結末

 

 1分23秒4。

 完勝だった。管理室に戻ってきたグリーンは、乱れた前髪だけを指で直し、涼しい顔で俺にピースサインを向けてきた。

 

「ね、なんとかなったでしょ?」

「……ああ。なんとかなったどころか、完璧すぎて鳥肌が立ったよ。……お前、あんな一瞬の隙間、よく躊躇なく突っ込めたな」

「えへへ! トレーナーさんがずっと『周りをよく見ろ』って言ってくれたから、自然に道がキラキラして見えたんだよ」

 

 俺が彼女の頭をくしゃりと撫でると、グリーンは満足げに目を細めた。

 これで重賞タイトルを手中に収めた。年末の阪神JFへ向けて、彼女の視界にはもう、女王の冠しか映っていない。

 

「……さあ、いよいよ明日が最後だ。ローリン。お前がこの一週間を、最高の形で締めくくれ」

 

 グリーンの快勝に沸く京都レース場。

 俺は明日のカシオペアS、そして真珠の再起を誓うローリンの姿を思い浮かべ、勝利の余韻を、胸の奥へ沈めた。

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