10月5週、日曜日。
秋の京都レース場は、昨日の歓声がまだ残っているみたいだった。
平日には大井でタイフウが砂の頂点に立ち、昨日はグリーンが女王への階段を上った。
そして今日、チーム・ルミナスの「一週間全勝」を現実にするために、オペラローリンがターフに立つ。
曇天の京都レース場、第10レース。
カシオペアステークス。
管理室で出走表を広げた俺は、そこに刻まれた数字を見て、天を仰いだ。
「……18番。大外枠か」
ため息が漏れる。
今年、彼女が挑んだ大舞台――皐月賞、そして前走のポートアイランドS。ことごとく、彼女は試練のような外枠を引き当ててきた。
1800メートルの大外。最初のコーナーまでが短いこのコースでは、致命傷になりかねない。
パドックへ向かう通路。
俺は声をかけようとして――彼女の顔を見て、言葉を飲み込んだ。
「どうする?」なんて聞く必要はなかった。
「……いい顔だ。もう、枠順なんて気にしていないな?」
俺の問いに、ローリンは真珠色の髪を揺らし、いたずらっぽく微笑んだ。
「はい。あすかさん、私……今日は『誰の後ろ』も走りたくない気分なんです」
その瞳には、かつて外枠に怯えていた少女の面影は微塵もなかった。
あるのは、プリマドンナの静かな覇気だけだった。
◆カシオペアステークス(L・京都芝1800m)
ファンファーレが鳴り響き、18枚のゲートが跳ね上がった。
大外枠、18番のオペラローリンは、驚くほど鋭い出足を見せた。
「……ローリン!?」
俺の予想を裏切り、彼女は迷いなく先頭を伺う。
メンバーを見渡せば、強力な逃げウマ娘は不在。
ならば、誰かのペースに合わせる必要はない。自分が一番前で、一番美しいラインを描けばいい。
彼女が選んだのは、これまで見せてこなかった「逃げ」――いや、「独唱」のスタイルだった。
第1コーナーの出口で、彼女はもう一人になっていた。
そこからは、まさに「真珠」の独壇場だった。
俺の目には、彼女が京都の平坦な芝を愛でるように、完璧なリズムを刻んでいるのが見えた。
追随する後続を、背中でコントロールするような優雅な走り。
第4コーナー。
後続が差を詰めようと動き出すが、先頭のローリンはまだ余力を残している。
「行け、ローリン! お前だけの軌跡を描け!」
直線に入った瞬間、彼女の指揮棒が振り下ろされた。
再加速。
最初から最後まで、誰にも影を踏ませない。1800メートルという彼女の「絶対領域」で、真珠色の閃光が、他を圧倒するスピードで駆け抜けていく。
2着のシュンサクリュウを4バ身という決定的な差で突き放し、彼女は悠々とゴール板を駆け抜けた。
◆約束、そして伝説の完結
1分47秒3。
大外枠からの逃げ切り。それは、不利な枠さえも「誰にも邪魔されない特等席」に変えてしまう、圧倒的な実力の証明だった。
検量室前。
戻ってきたローリンは、息を切らしながらも、最高に誇らしげな顔で俺を見た。
「あすかさん……! 私、誰もいない景色を……一番前で見てきました!」
「……ああ。最高の『正解』だったよ。世界で一番綺麗な独走を見せてもらった」
俺たちは、自然に手が届く距離にいた。タ
イフウ、グリーン、そしてローリン。三者三様の勝利。この一週間、チーム・ルミナスは負け知らずのまま、伝説を完成させた。
「……あすかさん。私、勝ちましたよ」
ローリンが、海辺での約束を慈しむように、そっと右手を差し出してきた。
周囲には関係者もいる。派手なことはできない。
俺は、握手を交わすふりをして――熱を持った彼女の小さな手を、両手で包み込むように、力強く握り締めた。
「……おめでとう、ローリン。約束通りだ」
一瞬だけ力を込める。それだけで、言葉以上の熱が伝わる。
ローリンは頬を桜色に染め、繋がった手を愛おしそうに見つめてから、深く頷いた。
「……はい!」
繋いだ手から伝わってくる、彼女の心地よい体温。
秋の京都の夕暮れ。
俺たちのルミナスは、今、最高潮の輝きを放っていた。
そして物語は――すべてのウマ娘が憧れる、年末のGⅠ戦線へと加速していく。