ウマ娘競バ史   作:geko

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第38話:新緑の頂点 ※阪神JF

 12月2週、日曜日。阪神レース場。

 冷たく澄んだ冬の空気の中に、ジュニア級女王決定戦ならではの、どこか幼くも鋭い緊張感が満ちていた。

 チーム・ルミナスにとって、五度目のGⅠ級競走という最高峰の舞台。

 その主役は、新緑の閃光・キョウエイグリーンだ。

 

 阪神第11レース、阪神ジュベナイルフィリーズ。

 管理室で最終的な出走表を広げた俺は、そこに並ぶ名前を見て、思わず顔をしかめた。

 

「……結局、またお前か。セシルビーチ」

 

 3番枠には、前走のファンタジーSでも激突した宿敵・セシルビーチ。今回も彼女はハナを譲る気配はない。

 出走18人中、逃げを宣言しているのは、グリーンとセシルビーチ、そしてマルブツフラワーの3人。

 しかも、グリーンは外枠――15番枠を引き当てていた。

 

 外から押していけば、1コーナーまでに脚を削る。

 かといって内に潜れば、今度はバ群の壁が待つ。

 「逃げ」には絶望的な枠順だった。

 

「あすかさん、見て見て! アタシ専用のこれ、格好いいでしょ!」

 

 パドックに向かう直前、グリーンが俺の前で軽やかにステップを踏んだ。

 これまでは体操服だったが、今日は違う。女王の座を賭けた大舞台のために新調された、彼女だけの勝負服。

 

 鮮やかな新緑(ライムグリーン)をベースに、肩から脇にかけて吹き抜ける風のようなホワイトの流線。胸元にはチーム・ルミナスの象徴である黄金の星が一つ、誇らしげに輝いている。

 冬の枯れた芝生を鮮やかに塗り替えるような、生命力に溢れた装いだった。

 

「ああ。……世界で一番、緑が似合ってるぞ」

「えへへ! 似合いすぎて、風もアタシに味方しちゃうかもね」

「それで……グリーン。作戦だが……」

 

 俺は言葉を濁した。

 この枠順でどう戦うか。不安が、俺の思考を鈍らせる。

 すると、俺の心の揺れを察したのか、グリーンが軽く肩をすくめて笑った。

 

「大丈夫だって。外枠なら、誰にも邪魔されずに『風』が読めるでしょ? ……まあ、見ててよ。アタシが一番、この風と仲良くなってみせるから」

 

 不安を吹き飛ばすような、彼女らしい潔い言葉。

 俺は、彼女の背中にチーム全員の想い――そしてローリンが届かなかった夢を託し、その肩を強く叩いた。

 

◆阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ・阪神芝1600m)

 

 ファンファーレが鳴り響き、ゲートが跳ね上がった。

 凄まじい歓声の中、予想通りセシルビーチとマルブツフラワーが猛然とハナを奪い合う。

 グリーンはその激流には付き合わない。

 外枠の利点を活かし、揉まれない位置で風を受け流しながら、虎視眈々と前を伺う。

 

「……信じて待つしかないか」

 

 俺は双眼鏡を握りしめた。

 風向きが一瞬変わる。グリーンの前髪がはね、耳がぴくりと動く。

 ――その変化だけで、彼女は前の二人の息遣いを読んだ。

 

 第4コーナー、阪神の長い直線と、名物の急坂が目の前に現れる。

 逃げた2人の足色が、坂を前にして鈍る。

 その瞬間、グリーンが外側から鮮やかに踊り出た。

 

「今だ、グリーン! 突き抜けろ!」

 

 先頭に立ち、女王の座を確信した――その時だった。

 大外から、凄まじい脚色で伏兵・アラバクマルガルラが強襲してくる。

 

「……来てる!? 耐えろ、グリーン! 踏ん張れ!」

 

 相手の勢いが勝っている。並ばれる。かわされる――!

 誰もがそう思った。

 だが、その瞬間。グリーンの表情から「遊び」が消えた。

 

(――渡さないッ!)

 

 笑って走る天才が、勝つための顔をした。

 その目は、春の色じゃない。

 

 俺の「目」には、彼女の心臓が限界まで鼓動し、天才の奥底に眠っていた「泥臭い執念」が火を噴くのが見えた。

 アラバクマルガルラの影が、完全に横に並ぶ。

 けれど、グリーンは一歩も譲らなかった。

 首の上げ下げ。10センチ単位の死闘。

 彼女は最後の最後、風に乗るのではなく、自ら風を切り裂いて頭を突き出した。

 

◆「女王」が繋ぐ絆

 

 1分36秒8。

 電光掲示板の一番上に「キョウエイグリーン」の文字が灯った瞬間、俺は拳を突き上げた。

 ハナ差。薄氷の勝利。

 

 検量室前。戻ってきたグリーンは、かつてないほど激しく肩を揺らし、泥の跳ね返った勝負服を纏ったまま、俺の元へ歩み寄ってきた。

 

「……ハァ、ハァ……っ。……トレーナー、さん……。……ね、……なんとかなった、でしょ……?」

 

 いつもなら涼しい顔の彼女が、立っているのもやっとの状態だ。

 力なく、けれど満面の笑みを浮かべる彼女。俺は一歩歩み寄り、彼女の冷えた身体を支え、温かいタオルで包み込んだ。

 

「……ああ。お前が、最後は意地でなんとかしてくれたんだ。……最高に強かったぞ、グリーン」

「えへへ……よかったあ……」

 

 俺の腕に体重を預ける小さな女王。

 これでチーム・ルミナスに、待望のJRA・GⅠタイトルがもたらされた。

 タイフウの砂の栄光、グリーンの女王戴冠。

 俺は、泥だらけで眠りそうな「新緑」の背中を支えながら、次にこの肩が支えるべきものの重さを、噛みしめていた。

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