第41話:淀の独走劇 ※プロキオンステークス
1972年、1月4週。
雪を頂いた比叡山から吹き下ろす冷気が、淀の空気をきしませていた。息を吐けば白くほどけ、パドックの熱だけが湯気となって妙に浮いて見える。
中央ダート重賞、プロキオンステークス。
出走表に視線を落とした俺は、思わず溜息を漏らした。
「……まいったな。どいつもこいつも、ハナを主張したがる奴ばかりだ」
3番のメイショウアルデル、5番のダイナクリッパー、13番のマイネルメドウ。
前に行かなければ持ち味を出せない快速自慢が揃っている。パドックでは、すでに先頭への執着が火花みたいに散っていた。
パドックに向かう前の控室。タイフウの脚の状態を確かめながら、俺は慎重に言葉を選ぶ。
「タイフウ、今日の展開はかなり厳しくなる。無理にハナ争いに付き合う必要はないぞ。休み明けだし、本番は次のフェブラリーステークスだ。ここで消耗する必要は――」
「冗談だろ、あすかさん。あたしは砂の女王だぜ? あたしが最初から最後までトップだ」
「……タイフウ」
「ハナを譲るなんてのは、自分に自信がない奴のすることさ。あたしの後ろで、たっぷり砂を喰わせてやるよ」
彼女の吐く息は、まるでエンジンの排気ガスのように太く、熱い。
瞳に宿る蒼い光が、冬の冷たさを焼き払うように燃えている。
由衣さんが“信じてあげましょう”と言いたげに俺を見た。俺は観念して、苦笑いで立ち上がった。
「分かった。……お前の『正解』を、叩きつけてこい」
◆プロキオンステークス(GⅡ・京都ダ1800m)
ファンファーレが鳴り終わり、ゲートが開いた瞬間、淀のスタンドが揺れた。
予想通り、マイネルメドウが猛然とダッシュを仕掛ける。
――だが、それ以上に凄まじい脚で、強引に前を奪ったのは、1番人気を背負ったオーナーズタイフウだった。
向正面から3コーナーへ。
4コーナーが近づくにつれて、無理をして競りかけた先行勢の呼吸が荒くなる。
だが、タイフウだけがリズムを崩さない。
体力を削り合う消耗戦。彼女は自らの心臓を高性能エンジンに変え、ただ前へ、前へと突き進む。
マイネルメドウが、ダイナクリッパーが、彼女の作り出す激流に飲み込まれ、脱落していく。
俺の目には、彼女が砂塵を切り裂き、道を“作りながら”走っているように見えていた。
蒼い奔流の後ろで、隊列が脆く崩れ去っていく。
第4コーナーを回り、最後の直線。
後方からオオトリグランディが死に物狂いで追いすがってくる。
――だが、届かない。
タイフウの脚色は衰えるどころか、もう一段、ギアが上がる。
「突き放せ、タイフウ!」
ゴール板を駆け抜けた時、2着との差は決定的な2バ身。
1分52秒4。
1972年の幕開けを告げる、完璧な独走劇だった。
◆女王の帰還
レースを終えたタイフウが引き揚げてくる。
呼吸は乱れているのに、表情は不敵な笑みを張り付けたままだった。
「ハァ、ハァ……。な、言っただろ、あすかさん」
俺の前に立つと、彼女は少しだけ乱れたポニーテールを整え直し、満足げに目を細めた。
「……ああ。参ったよ。お前の言う通り、お前こそが砂の絶対女王だ」
「ハッ、当然さ。……これでフェブラリーステークスへの道は開いた。次はもっと、デカい冠を獲りに行く。準備はいいかい、あすかさん?」
俺は力強く頷いた。
1972年。
チーム・ルミナスの『旋風』は、誰にも前を譲るつもりがない。
次なる頂点、冬のダート王決定戦――フェブラリーステークスへと、その視線を据えた。