2月3週。
京都でタイフウが砂塵を巻き上げた熱狂から3週間、俺は再び、淀の地にいた。
伝統の重賞、京都記念。
休養明けの始動戦として選んだこの芝2200メートルの舞台は、オペラローリンの大目標、大阪杯制覇への重要な試金石だった。
「……ローリン、体調はどうだ?」
パドック前の控室。
最終チェックを終えた俺が尋ねると、彼女は穏やかに、けれど意志の強い瞳で俺を見つめ返した。
「ふふ、バッチリですよ。身体の奥から力が湧いてきて……早く走りたくて仕方ないんです。……今日は、どう走ればいいですか?」
「ああ。今日は真っ向勝負だ。大阪杯の前に、今のローリンの力がシニア級相手にどこまで通じるか――現在地を見よう」
俺の目には、彼女から溢れる真珠のような光が、冬の冷たい空気の中で一層透明度を増し、静かに凪いでいるのが見えていた。
◆京都記念(GⅡ・京都芝2200m)
ファンファーレが鳴り、18のゲートが開いた。
好スタート。だが、外枠のメジロウィンザーが猛然と切り込んでハナを奪いに行く。
玉突き事故のようにバ群が凝縮し、ローリンは外から被せられ、一列後ろへ下がらざるを得なかった。
「あすかさん、ローリンちゃんが……また囲まれて……!」
由衣さんが不安げに声を上げる。あの鳴尾記念の悪夢――シニア級の厚い壁が脳裏をよぎる。
だが、双眼鏡を覗く俺の手は震えていなかった。
バ群の中で、ローリンは慌てていない。
以前ならイライラしていた場面だが、今日の彼女は小さく息を吐き、前のウマ娘のリズムに合わせて力を溜めている。
「……大丈夫だ。今の彼女は、もうあの頃の『お嬢様』じゃない」
彼女は淀の坂を前に、じっと息を潜め――爆発の瞬間だけを待っていた。
第4コーナーを回り、淀の長い直線。
早めに抜け出した3番人気のミスアリシドンが、ベテランらしい二の脚で独走態勢に入る。
「今だ、ローリン! その壁を突き破れ!」
俺の叫びに応えるように、ローリンが外へ持ち出した。
溜めていたエネルギーが一気に開放される。
一完歩ごとに前の子たちを飲み込んでいく猛追。
俺の目には、彼女が踏み出すたび、淀の芝が銀色の火花を散らす幻想が見えていた。
逃げる粘り腰のミスアリシドン。
追う真珠の閃光、オペラローリン。
ゴール板の直前、二人の影が重なりかけたが――
「……あと、少し……!」
1バ身。
最後の一伸びで見事に1番人気のドージングテリオスをかわし、2着を確保したものの、先頭の背中を捉え切る前に――ゴールの瞬間は訪れた。
◆敗北の先の「正解」
検量室前。
白い吐息をこぼしながら戻ってきたローリンは、悔しそうに一度唇を噛んだ。だが、俺の姿を見つけると穏やかな笑みを浮かべた。
「……あすかさん。届きませんでした。……でも」
「ああ、分かっている。以前なら崩れていた展開だ。それを我慢して、最後にあの脚を使えた。……ローリン、君は確実に強くなっている」
俺の言葉に、彼女は真珠のような瞳を潤ませて頷いた。
2200メートルは彼女には少し長い。あと200メートル短ければ――つまり、次走の舞台なら、間違いなく捕らえていた。
この「2着」は、敗北ではない。勝利へのカウントダウンだ。
「はい。……次は、負けません。私の舞台で――必ず最高の結果を捧げます」
2着という結果の中に、俺たちは揺るぎない確信を得た。
真珠の輝きは、春の暖かな日差しの中で、よりいっそう眩いものになろうとしていた。
次はいよいよ3月。
桜の女王を目指す、キョウエイグリーンの始動戦が迫っている。