2月4週、東京レース場。
小雨が混じる重い冬空の下、中央ダートの頂上決戦――フェブラリーステークスの幕が上がろうとしていた。
府中の長い直線。雨で砂が締まり、蹴り上げられた泥が視界を奪う不良バ場。
過酷な条件が揃う中、一番人気に支持されたのは、淀の重賞を力でねじ伏せてきたオーナーズタイフウだった。
パドックに向かう直前の控室。
最終チェックを終えた俺は、真紅のマフラーを整えるタイフウの肩に手を置き、まっすぐにその瞳を見つめた。
「タイフウ。……今年最初のGⅠだ。一番前で――一番乗りで掴んでこい」
俺の言葉に、タイフウは一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに獰猛なまでの笑みを浮かべて俺の胸元を軽く小突いた。
「……ハッ。あたしの乗せ方、分かってきたね、あすかさん」
「お前の『正解』は、常に最前列にあるんだろ? なら、迷う必要なんてない」
俺の目には、彼女の身体から溢れ出す蒼いエネルギーが、周囲の熱気を食らい尽くしながら巨大な渦へと成長していくのが見えていた。
◆フェブラリーステークス(GⅠ・東京ダ1600m)
ファンファーレが鳴り響き、16人の少女が戦場に解き放たれる。
芝を蹴る軽快な音が響いたのも束の間、すぐに重く、低い唸りへと変わる。
東京名物、芝スタートからのダート進入。
タイフウはその一瞬の変わり目すらも推進力に変え、抜群のスタートから迷うことなく先頭を奪った。
淀の時と同様、彼女にハナを譲るつもりなど微塵もない。俺の指示した積極策を、彼女は己の魂で体現していた。
東京の長い向こう正面。マイネルメドウやオオトリグランディといった強豪たちが虎視眈々と背中を狙うが、タイフウは一歩も退かない。
いや、近づけないのだ。
彼女が強烈に蹴り上げる泥が、後続の視界を奪う「蒼い弾幕」となって襲いかかる。
前を行く者だけの特権。彼女はそれを最大限に行使し、レースを支配していた。
「行け、タイフウ! 誰にも触らせるな!」
運命の第4コーナーを回り、500メートルを超える直線の攻防。
大外からマイネルメドウが泥まみれになりながら追いすがってくる。
一瞬、背中の気配が詰まる。
――だが、タイフウは笑った。
「……あたしが、一番だッ!」
彼女の咆哮が、府中のスタンドを震わせる。
2着のマイネルメドウを1バ身と4分の1引き離し、オーナーズタイフウは中央ダートの頂点へと辿り着いた。
◆旋風、府中を裂く
検量室前。
雨に濡れ、泥まみれになったタイフウは、不思議と神々しいまでの輝きを放って戻ってきた。
「……ハァ、ハァ……。ね、あすかさん。一番乗り……してきたよ」
満足げに、けれどどこか誇らしげに俺の腕を掴む彼女。
俺は迷わず、泥だらけの身体を引き寄せ、抱きしめた。
俺のジャケットに泥が移る。だが、今の俺にはその汚れさえも勲章に見えた。
「ああ、最高だったぞ、タイフウ。お前が――今日いちばん格好いいウマ娘だ」
「……当たり前だろ。あたしは旋風なんだからさ」
由衣さんも涙を浮かべながら、新しいタオルを手に駆け寄ってくる。
タイフウがもたらした、チーム・ルミナスにとって今年初のGⅠタイトル。
それは、春のティアラを目指すグリーンや、大阪杯を狙うローリンにとって、これ以上ない強力な追い風となるはずだ。
1972年、2月。
東京の空を切り裂いた蒼き旋風は、さらなる栄光の季節へと、俺たちを運んでいく。