4月1週、阪神レース場。
桜の花びらが舞う中、チーム・ルミナスにとって春のGⅠ連戦の初陣となる大阪杯の幕が上がった。
先週の金鯱賞で見せた執念の逆転劇。15戦目にしてようやく重賞の扉をこじ開けたオペラローリンは、4番人気という期待を背負い、落ち着いた足取りでパドックを回っていた。
「ローリン、調子はどうだ?」
パドック前の控室。俺が声をかけると、彼女は真珠のような瞳を真っ直ぐに俺へと向けた。
「はい、あすかさん。金鯱賞の疲れもありません。……ただ、この12番という枠だけが、少し気になりますね」
「ああ。阪神2000の内回りは、スタートから第1コーナーまでが短い。外枠だとどうしても外へ振られる」
俺はコース図を頭に描きながら、彼女の不安を肯定し、対策を授ける。
「だが、今の君のスタミナならカバーできるはずだ。多少のロスは覚悟で、長くいい脚を使おう」
俺の目には、彼女から溢れる光が、強豪ひしめくGⅠの重圧に飲まれまいと、懸命に輝きを維持しているのが見えていた。
◆大阪杯(GⅠ・阪神芝2000m)
ファンファーレが鳴り響き、一瞬の静寂。
ゲートが開く。16人の鼓動が、阪神の芝を叩いた。
作戦は好位に立っての積極策。だが、やはり12番という外枠、そしてコーナーまでの短さが彼女の足を引っ張った。
「……っ、ローリン! 入れないか!」
好スタートを切ったものの、内側の強豪たちが壁を作り、潜り込む隙間がない。
GⅠの流れは緩まない。待てば待つほど、遠心力で外へ外へと振られていく。
進路を確保しようともがくうちに、位置取りは想定よりも後ろへ。
第3、第4コーナーと大きく外を回らされ、他の子よりも数メートル分、余計な体力を削られていく。
「あすかさん、ローリンちゃんが……!」
隣で由衣さんが声を上げる。俺は奥歯を噛み締めた。
シニア級のGⅠともなれば、一瞬の判断の遅れや枠順の不利が、そのまま致命傷になる。
最後の直線。
内から力強く抜け出した2番人気のベルワイドが、一気に独走態勢を築く。
ローリンも外から必死に脚を伸ばした。
不利な展開でも、泥にまみれた金鯱賞の時と同じ執念で――ただ前だけを追う。
だが、差は詰まらない。――むしろ、遠ざかる。
(……強い……ッ!)
優雅さなど欠片もない。まるで重戦車のようなベルワイドの走りが、坂を力任せに踏み潰していく。
これが、シニア級の頂点に立つ者の領域。
「……届かない……のか」
ゴール板を駆け抜けた。
5着。
掲示板は確保した。
だが、初の重賞制覇の勢いそのままに挑んだこの舞台で、彼女は初めて“格”の違いに正面から跳ね返されたのだ。
◆
検量室前。
白い吐息をこぼしながら戻ってきたローリンは、悔しさに唇を噛んでいた。だが、俺の姿を見つけると静かに頭を下げる。
「……申し訳ありません、あすかさん。狙った形に……できませんでした」
「いや、あの展開で5着まで持ってきたのは立派だ。……枠順の不利をカバーしきれなかったのは、俺の責任だよ」
俺が謝ると、彼女は首を横に振った。その視線は、ウイニングランを行うベルワイドの背中に注がれている。
「……あすかさん。私、分かりました。今の自分に足りないものが」
「足りないもの?」
「はい。……GⅠという舞台で勝ち切るための、絶対的な武器。今のままでは、あの背中には届きません」
真珠色の瞳は、敗北に曇ることがない。
むしろ――熱を増して、次なる可能性を見据えていた。
「ああ。……一度、立て直そう。お前の適性、そして輝ける場所。もう一度作戦を練り直して、必ずリベンジするぞ」
「はい。……次は、負けません」
1972年、春。
届かなかった大阪の頂。
けれど、チーム・ルミナスの真珠は、その痛みを糧に――まだ見ぬ「正解」を求めて、再び歩き出すことを誓った。