5月1週。
世間は、オークスを捨ててNHKマイルカップへ向かうキョウエイグリーンの「反逆」の話題で持ちきりだ。
けれど同じころ、もう一人の「女王」が、東京湾の潮風が抜ける船橋の砂を踏んでいた。
ダートのマイル王決定戦、かしわ記念。
フェブラリーステークス覇者――オーナーズタイフウは、堂々の1番人気としてパドックを周回していた。
船橋のコーナーは厄介だ。
入りは緩く、出口だけが急にきつくなる「スパイラルカーブ」。
スピードに乗ったまま突っ込めば、出口で遠心力が牙を剥き、外へ叩き出される。
「タイフウ、今日は同型(逃げ)が多い。特にマイネルメドウはまた何か仕掛けてくるぞ。巻き込まれるなよ」
俺の忠告に、彼女は鼻で笑った。
「分かってるよ。小細工なんて効かねえよ。誰が来ようと――あたしの風で吹き飛ばすだけさ」
◆かしわ記念(JpnⅠ・船橋ダ1600m)
ゲートが開いた瞬間、船橋のスタンドがどよめいた。
先頭争いが激化するかと思われた矢先、ジャパンダートクラシックで激闘を演じたマイネルメドウが、狂気とも言える大逃げを再び打ったのだ。
「……ッ、またかよ! あいつ、懲りねえな!」
舌打ちが混じる。
放置すれば逃げ切られる。だが追えば共倒れになる「自殺ペース」。
タイフウは一瞬で判断した。――叩き潰す、と。
レースは狂ったようなハイペース。マイネルメドウの一人旅に引っ張られ、バ群は縦に裂けていく。
前にいる者から順にスタミナを削られていく消耗戦。
後ろで「死んだふり」をして脚を溜めた者だけが、最後に笑う展開だった。
第4コーナー、スパイラルカーブの出口。
無謀な逃げのツケが回り、マイネルメドウの脚色が鈍った。
その背中が沈んだ刹那、タイフウが動く。
遠心力に逆らい、強引にねじ込むようにして先頭を奪い取る。
「もらったァ!」
直線、先頭。
タイフウの風が勝利を確信して吠えた、その瞬間。
大外から、砂塵を裂いて一条の影が飛んでくる。
道中、最後方で息を潜め、前が潰れるのを待っていたリュウトキツだ。
「……なっ!?」
ハイペースの反動で足色が鈍ったタイフウを、温存された鬼脚が襲う。
タイフウも必死に粘る。魂を削るようなデッドヒート。
二つの影が重なり、ゴール板を駆け抜けた。
――結果は、ハナ差。
写真判定の末、勝利の女神は、漁夫の利を得たリュウトキツに微笑んだ。
◆旋風のボヤキ
検量室前。
ハナ差でGⅠ連勝を逃したタイフウは、悔しさというよりは、やり場のない怒りを抱えて戻ってきた。
彼女の視線の先には、大逃げを打ってバ群に沈み、へたり込んでいるマイネルメドウがいる。
「……ったくよぉ!」
タイフウはバンテージを解きながら、荒々しく吐き捨てた。
「おい、そこの特攻野郎! あんだけ派手に逃げるなら、最後まで責任もって逃げ切りやがれってんだ! かき回すだけかき回して勝手に沈みやがって……おかげで、後ろで寝てた奴らにとっちゃ最高の花道になっちまったじゃねえか」
正論すぎるボヤキに、俺は苦笑しながらタオルを渡した。
「まあ、そう言うな。あの展開で自ら動いて前を潰し、ハナ差の2着に残したのはお前の地力だよ。負けて強しの内容だ」
俺が顔についた砂を拭ってやると、彼女はふん、と不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「……慰めはいらねえよ。次はどいつもこいつも、小細工なんかできないくらい引きちぎってやるからな」
敗れてなお、その闘志は衰えず。
砂の女王は、次なる戦場へ向けて再び瞳を燃え上がらせた。
一方その頃。
東京・府中では、もう一人の女王が、常識を覆すためのゲートへ向かおうとしていた。