ウマ娘競バ史   作:geko

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第53話:閃光の証明 ※NHKマイルカップ

 5月2週、日曜日。

 エプソムカップでのローリンの勝利から一夜明け、東京レース場の空気は一変していた。

 GⅠ・NHKマイルカップ。

 パドックに姿を現したグリーンに向けられたのは、歓声よりも遥かに大きく、鋭い野次だった。

 

「なんでオークスから逃げたんだ!」

「伝統を舐めるな!」

「俺たちの夢を返せ、この腰抜け!」

 

 1970年代の競バファンにとって、ティアラ路線のウマ娘が適性を理由にその路線を降りることは、許しがたい背信行為だった。

 容赦のない言葉の礫。鉄火場の殺気。

 だが、当のグリーンはシューズのソールをトントンと地面に打ち付け、不敵な笑みを浮かべていた。

 

「……ねえ、あすかさん。外野、すっごくうるさいね」

 

「ああ。……怖いか?」

 

「ううん。ワクワクする」

 

 彼女はパドックの柵越しに、殺気立つスタンドを見回し、挑発するように鼻で笑った。

 

「今からアタシの走りで、ぜーんぶ黙らせてくるね!」

 

◆NHKマイルカップ(GⅠ・東京芝1600m)

 

 ファンファーレが鳴り響き、一瞬の静寂の後、ゲートが開かれた。

 6番枠のグリーンは好スタートを切り、迷うことなく先頭を奪った。

 

 セシルグラスやアグネスクロウといったライバルたちは、グリーンのスピードを警戒して無理に競りかけず、少し離れた位置で様子をうかがう構えだ。

 ――それが、致命的な油断だった。

 

(……おいおい。グリーン相手に、そんなに楽に先頭を走らせていいのか?)

 

 スタンドで見守る俺は、ライバルたちの判断ミスに戦慄した。

 グリーンは無理に飛ばしているのではない。自分のリズムで、極めてリラックスして走っている。

 彼女の巡航速度は、他の子にとっての全力に近い。

 だから、ライバルたちは錯覚する。ペースが速いと。

 誰も彼女を突っつけない。誰も彼女の聖域に入れない。

 グリーンはたっぷりと息を入れたまま、脚を温存して魔の第4コーナーへと入ってくる。

 

 直線の入り口。

 後続のウマ娘たちが「そろそろ捕まえよう」と動き出した瞬間、グリーンは既にその先へ行っていた。

 

「――置いてくよ」

 

 短く呟き、溜めに溜めたエネルギーが爆発する。

 逃げていた相手が、直線の坂下から一番鋭い脚を使うという理不尽。

 綺麗な加速を見せた彼女は、一完歩ごとに後続を突き放していく。

 

「嘘だろ……!?」

「止まらない! キョウエイグリーン、止まらない!」

 

 野次は消え失せ、悲鳴のような実況だけが響く。

 追いすがる2着のアグネスリアルトに影すら踏ませない。

 彼女は誰よりも速く、誰よりも自由に、マイルのターフを駆け抜けた。

 

 タイムは1分35秒0。

 2着に4バ身差をつける圧勝だった。

 

 一瞬、東京レース場から音が消えた。

 さっきまで彼女を罵っていた何万人もの観衆が、目の前の圧倒的な現実を処理しきれずに口を開けている。

 その凍りついた空気こそが、彼女への最大の降伏宣言だった。

 

 ゴール板を過ぎ、スピードを緩めたグリーンが、静まり返ったスタンドを見上げてニカッと笑った。

 そして、あえて観客席の方へ耳を傾けるポーズを取る。

 『どうしたの? 文句があるなら言ってみなよ』と言わんばかりに。

 

 わっ、と遅れた歓声が爆発する。それは畏敬の念を含んだ、完全な白旗だった。

 

◆三つ目の勲章

 

 検量室前。

 戻ってきた彼女は、額に汗を浮かべながらも、どこか涼しい顔で――俺に向かって、指を3本立ててみせた。

 

「……これで三つ目、だね」

 

 阪神JF、桜花賞に続く、三つ目のGⅠタイトル。

 俺は彼女の頭を、くしゃくしゃになるまで撫で回した。

 

「ああ。お前が正しかった。……日本一のマイラーだ、お前は」

 

「えへへ。でしょ? だから言ったじゃん、アタシの選んだ道が正解だって!」

 

 オークスに行かなかったことを責めていた者たちも、この走りを見せられては、もう何も言えないだろう。

 俺の胸の奥に刺さっていた棘みたいな雑音が、今、やっと抜けていくのが分かった。

 

「さあ、あすかさん! アタシ頑張ったから、ご褒美に美味しいもの食べに行こ!」

 

 重圧から解放された彼女は、いつもの無邪気な末っ子に戻っていた。

 

 激闘の春が終わる。

 次なる目標は、秋の紫苑ステークス。そして最後の一冠、秋華賞へ。

 夏の間、彼女は8週間の休養に入り、心と体を癒やすこととなる。

 

 こうして、チーム・ルミナスの激動の東京遠征は、二つの勝利と共に幕を下ろした。

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