ウマ娘競バ史   作:geko

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第54話:夢の招待状、あるいは挑戦権

 5月5週。

 東京遠征の興奮も冷めやらぬ中、トレーナー室のデスクには、夏のグランプリ・宝塚記念のファン投票最終結果が届いていた。

 

 そのリストを見ながら、俺は複雑な笑みを浮かべた。

 

「……すごいな、グリーンは。休養中だってのに3位か」

 

3位:キョウエイグリーン(173,900票)

 

 NHKマイルカップでの鮮烈な逃走劇、そして古い常識を覆したカリスマ性は、ファンの心に強烈なインパクトを残したようだ。

 まだクラシック級の少女が、歴戦のシニア級を抑えてのベスト3入り。これはもう、社会現象と言っていい。

 そして、ダートの女王であるタイフウも8位(108,473票)にランクインしている。

 

「へっ、物好きな連中だねえ。あたしが芝なんて走るわけないのにさ」

 

 ソファで寛ぐタイフウが、嬉しさを隠すようにぶっきらぼうに言う。

 グリーンは既に秋に向けて休養に入っており、タイフウもダートに専念するため回避だ。

 

 問題は――このリストの15位にある名前だ。

 

15位:オペラローリン(79,522票)

 

 俺は給湯室で紅茶を淹れているローリンに声をかけた。

 

「ローリン。……ちょっといいか」

 

 俺が示した投票結果を見て、ローリンは目を見開いた。

 

「私が……15位、ですか?」

 

「ああ。金鯱賞の執念、エプソムカップの鮮やかさ。その走りが評価されたんだろう。『79,522票』という声が、お前が夢の舞台で走る姿を見たいと言ってくれている。……それに、これを見てくれ」

 

 俺はデスクの引き出しから、一通の封筒を取り出した。

 拙い字で『ローリンちゃんへ』と書かれた、ファンレターだ。

 

「投票用紙の備考欄に書いてあったそうだ。『金鯱賞の走りを見て勇気をもらいました。夢の舞台で走る姿が見たいです』……とな」

 

 ローリンはその手紙を大切そうに受け取ると、愛おしそうに胸に抱いた。

 泥にまみれてもがいていた日々を思えば、これは光栄なんて言葉じゃ足りないほどの勲章だ。

 

「それで、相談だ。……ローリンはこの宝塚記念、出たいか?」

 

 俺はあえて、選択肢を彼女に委ねることにした。

 そして、トレーナーとしての「本音」と「計画」も包み隠さず伝える。

 

「正直に言うぞ。俺の中での、今年後半のお前の最大目標は……11月のマイルチャンピオンシップだ」

 

「マイルチャンピオンシップ、ですか」

 

「ああ。エプソムカップで見せた通り、お前の適正距離は1600から2000だ。特にマイルでの切れ味はGⅠ級だと確信している。……だから、無理に2200メートルの宝塚記念を使う必要はない」

 

 俺はそこで言葉を切り、リストの最上段を指差した。

 

1位:ベルワイド(412,752票)

 

「それに、ここには『彼女』がいる。大阪杯でお前に土をつけ、その後、天皇賞(春)をも制した春の絶対王者だ。……消耗戦になればなるほど伸びるタイプだ。正直、勝率は低い」

 

 ローリンは、湯気の立つ紅茶のカップを見つめながら沈黙した。

 俺のプランに従うなら、秋のマイル戦線へ向けて力を付けるのが正解だ。

 勝てる確率の高い道を選ぶこと。それが彼女を傷つけないための最善策でもある。

 

 だが、彼女は顔を上げ、俺を真っ直ぐに見つめた。

 

「あすかさん。……私、出たいです」

 

 その瞳には、かつてのような迷いはなかった。

 

「マイルCSという目標をくださって、ありがとうございます。あすかさんが私の未来を真剣に考えてくださっていること、とても嬉しいです」

 

 彼女は凛とした声で続ける。

 

「でも、79,522人もの方が、私に夢を託してくれました。……だから、私は――応えたいんです」

 

 一呼吸置いて、彼女は静かに告げた。

 

「この宝塚記念は、選ばれた者だけが立てる夢の劇場(オペラハウス)です。観客が呼んでくださっているのに、主役が逃げるわけにはいきません」

 

「ローリン……」

 

「それに、ベルワイドさんに背を向けたままで、秋に胸を張って『私が勝者です』なんて言えませんから」

 

 大阪杯での完敗。あの背中の遠さを、彼女は誰よりも知っている。

 知っているからこそ、挑みたいのだ。

 

「勝ちたいです。……いいえ、勝てなくても、今の私がどこまで通用するのか。あすかさんと一緒に、確かめたいんです」

 

 その言葉を聞いて、俺は思わず笑みをこぼした。

 本当に、強くなった。

 エプソムカップでの勝利が、そして何よりファンの声が、彼女に「挑む勇気」を与えたのだ。

 

「……分かった。予定変更だ」

 

 俺は手元のスケジュール帳を書き換える。

 

「マイルCSへのローテーションは、俺が責任を持って修正する。……だからローリン、お前は遠慮なく挑んでこい。夢のグランプリへ」

 

「はい! ……よろしくお願いします、あすかさん!」

 

 6月、仁川。

 泥んこの真珠は、自らの意思で「最強」へのリベンジマッチを選び取った。

 例年、宝塚記念の時期は雨が多い。

 だが、泥にまみれる覚悟は、もうとっくにできている。

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