ウマ娘競バ史   作:geko

60 / 89
第60話:外を回る王道 ※京成杯オータムH

 9月1週、土曜日。

 厳しい残暑が続く中、俺たちは再び東の地――中山レース場へと足を踏み入れていた。

 今回の遠征メンバーは、キョウエイグリーンと、サマーマイルシリーズ逆転優勝をわずかな可能性に賭けるオペラローリン。

 グリーンは明日の紫苑ステークスに出走予定で、今日は先輩の応援団長として帯同している。

 

 レース前のコース開放。

 俺たちは実際に芝コースの上に立ち、その感触を確かめていた。

 

「うっひょー! 下から見上げると、やっぱ中山の坂って壁だね~! これを駆け上がるのかぁ」

 

 ゴール手前の急坂の真下で、グリーンが無邪気に、けれど少し顔を引きつらせて声を上げる。

 その隣で、ローリンは静かに芝を何度も踏みしめていた。

 中山は、去年の皐月賞で泥にまみれ、心が折れかけた因縁の地だ。だが、今の彼女の横顔に、かつての怯えはなかった。

 

「……怖くはありません。あの時とは、見えている景色が違いますから」

 

 彼女は力強く、俺に向かって微笑んだ。その瞳には、夏の連戦で培った自信が宿っていた。

 

◆非常識な正攻法

 

 控室での作戦会議。

 今回の京成杯オータムハンデ、ローリンの枠順は8枠15番。大外だ。

 トリッキーな中山マイルにおいて、スタート直後にカーブがあるため、外枠は致命的に不利とされる。

 しかも、今回は「逃げ・先行」を主張したいウマ娘が多く、内側は激しいポジション争いで渋滞することが予想された。

 

「関屋記念の二の舞いは御免だ。……だからローリン、今回は外を回せ」

 

「外、ですか? かなりの距離ロスになりますが……」

 

「構わない。2200mの宝塚記念を走りきり、夏の猛暑を耐え抜いた今のお前のスタミナなら、マイルで多少外を回っても脚は残る」

 

 俺はコース図の外側をペンで太くなぞった。

 

「中山マイルはコーナーが入り組んでいて、減速と再加速の回数が多い。ここで詰まって踏むブレーキの方が、距離ロスよりもよほど致命傷になる。……ここは脚よりリズムを奪われた方が終わるんだ。内で詰まるくらいなら、外で呼吸を守れ」

 

「呼吸を守る、ですか」

 

「ああ。お前の成長を信じた、横綱相撲だ」

 

 俺の言葉に、彼女は真剣な眼差しで頷き、ふわりと微笑んだ。

 

「……ふふ。私の体力を信じてくださるんですね。分かりました。では――外から、私が優雅に抜けてきます」

 

◆京成杯オータムハンデキャップ(GⅢ・中山芝1600m)

 

 本バ場入場。

 前走の関屋記念は5着に敗れ、今回は不利な大外枠。それでもローリンは1番人気に推されていた。

 不利を受けてなお掲示板を死守した前走の内容を、ファンは「負けて強し」と評価したのだ。

 

 ゲートが開いた。

 予想通り、内枠のウマ娘たちが一斉に前を主張し、1コーナーまでの短い直線で激しく体をぶつけ合う。

 その喧騒を他所に、ローリンは大外枠から表情ひとつ変えずにスタート。無理に内へ切れ込むことはせず、バ群の外側を悠々と追走する。

 

(……ええ、お先にどうぞ。私はここで結構です)

 

 コーナーを回るたびに、内側のウマ娘たちは減速と加速を繰り返し、スタミナを削られていく。

 対してローリンは、外を回る距離ロスこそあるものの、一切のストレスなく自分のリズムでラップを刻んでいた。

 

 第3コーナーから第4コーナー。

 先行集団の足色が鈍り始める。

 その時を待っていたかのように、ローリンがギアを上げた。

 

「――さあ、行きますよ」

 

 彼女はバ群の大外を、まるで平地を走るような軽やかさで捲っていく。

 障害物はなにもない。遠回りのはずの外が、いちばん真っ直ぐなビクトリーロードだった。

 

 直線を向き、中山名物の急坂が立ちはだかる。

 かつて彼女の心を折った壁。だが今の彼女にとって、それはただの通過点だった。

 他のウマ娘たちが苦悶の表情で脚を止める中、ローリンの末脚は爆発した。

 

「……嘘、でしょ。あの坂を、平地みたいに――」

 

 スタンドで見守るグリーンの表情から、笑みが消えていた。

 翌日、自分が走る坂。それをいとも容易く踏破する先輩の姿に、戦慄すら覚えている。

 ローリンは坂を駆け上がり、さらに加速する。

 後ろから懸命に追う2番人気・ジョセツを突き放し、独走状態でゴール板を駆け抜けた。

 

 結果は5バ身差の圧勝。

 タイムは1分34秒4。

 大外を回るロスがありながらこの時計。まともに内を突いていればレコードすら狙えたかもしれないパフォーマンスだった。

 

◆実りの秋へ

 

「……お疲れ様、ローリン。完璧なレースだった」

 

 戻ってきた彼女を迎えると、彼女は少し息を弾ませながらも、誇らしげに胸を張った。

 

「はい。……外の風、とても気持ちよかったです。これなら、どんな相手が来ても怖くありません」

 

 関屋記念の雪辱を果たし、サマーマイルシリーズでも堂々の総合2位に食い込んだ。

 シリーズ優勝のタイトルこそ逃したが、この夏に得たものはポイントや称号以上に大きい。

 苦手意識のあった中山で、不利な外枠を跳ね返し、GⅢでは格が違うことを証明したのだから。

 

 オペラローリンは、もう戻っている。

 その走りが、完全復活という言葉を不要にしていた。

 

 目指すは本当の頂点。

 秋の大一番、マイルチャンピオンシップへ向け、彼女はこれ以上ない形で夏を締めくくった。

 

「……すごいや、ローリン先輩」

 

 その背中を見つめるキョウエイグリーンの瞳に、憧れと、そして武者震いのような熱い火が灯る。

 

「次は、アタシの番だね」

 

 バトンは渡された。

 先輩が壁ではなく通過点だと証明してくれたこの坂で。

 明日の紫苑ステークス。新緑の閃光が、秋のGⅠ戦線へ向けて走り出す。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。