ウマ娘競バ史   作:geko

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第61話:新緑の挑戦権 ※紫苑ステークス

 9月1週、日曜日。

 昨日のローリンの快勝の余韻が残る中山レース場で、チーム・ルミナスは次なる戦いに挑もうとしていた。

 秋華賞トライアル、紫苑ステークス。

 

 パドックに現れたキョウエイグリーンは、いつも通り観客に手を振っていたが、その横顔には珍しく真剣な色が混じっていた。

 今回のレースは、彼女にとって二つの意味を持つ。

 一つは、秋華賞へ向けた、距離適性の最終テスト。

 もう一つは――

 

「……居るね。オークスウマ娘」

 

 グリーンの視線の先には、2番人気のタケフブキが静かに闘志を燃やしていた。

 グリーンが距離不安で回避したオークスを制した、世代の頂点に立つ一人だ。

 これは、春に「逃げた」と言われ続けたことへの、彼女なりの答え合わせでもある。

 

「2000メートル……正直、お前にとってはギリギリの距離だ。だからグリーン、約束してくれ」

 

 俺は彼女の目を見て、静かに告げた。

 

「もしここで脚が止まるようなら、本番は無理に行かせない。お前を守るために、マイルへ戻す選択も用意している」

 

 俺の言葉に、彼女は一瞬驚いた顔をし、それからニッと笑って俺の背中を叩いた。

 

「大丈夫だって! 2400のオークスから逃げたんだからさ、せめて2000くらいは走ってみせないと、『桜の女王』としてカッコつかないでしょ?」

 

「……そうだな。お前の意地、見せてもらうぞ」

 

「任せて! あのオークスウマ娘に、マイルの女王のスピードってやつを教えてあげる!」

 

◆紫苑ステークス(GⅡ・中山芝2000m)

 

 ファンファーレが鳴り響き、一瞬の静寂の後ゲートが開いた。

 宣言通り、好スタートを切ったグリーンが迷わず先頭へ飛び出す。

 競りかけてくる相手はいない。単独の逃げ。

 だが、それは自分の体内時計だけを頼りに、未知の距離を走り切らなければならない孤独な旅でもあった。

 

 1000m通過、60秒フラット。

 決して暴走ではない。これまでのマイル戦でも経験してきたペースだ。

 だが、ゴールが遥か先にある2000メートル戦での“60秒”は、意味が違う。

 あと1000メートル保たせるために、無意識にブレーキを踏み続けなければならない。

 その我慢が、奔放なスピードスターである彼女の精神を、やすりのように削っていく。

 

 第3コーナー、第4コーナー。

 後続との差はまだある。セーフティリードに見えた。

 ――しかし。

 

 最後の直線を向いた瞬間、グリーンの足色が鈍った。

 中山名物の急坂。それが、限界を迎えた彼女の脚に鉛のように絡みつく。

 

 見ていれば分かる。今の彼女にとって、この坂は壁だ。

 昨日、ローリンは異常なほど軽くここを越えていったが、あれはあくまで例外だったのだ。

 マイルまでなら弾むように回るグリーンの脚が、今は泥の中を走っているように重く見える。

 あと200メートルが、彼女には永遠のように長く感じられているはずだ。

 

 その隙を見逃すはずがない。

 外から猛然と追い込んできたのは、タケフブキだ。

 オークスを制した豊富なスタミナ。2400を走りきった脚が、最後の200メートルでまだ伸びる。

 足音が、背中の真後ろまで来る。

 3バ身、2バ身、1バ身――。

 

「グリーン! 踏ん張れぇぇぇッ!!」

 

 俺の叫びが届いたのか、グリーンが最後の力を振り絞って顔を上げる。

 負けない。逃げたなんて言わせない。

 彼女は悲鳴を上げる体をねじ伏せ、ゴールラインへと飛び込んだ。

 

 ゴール板。

 先に切ったのは、新緑の髪の先端――その一瞬だけだった。

 

 結果は1着。

 2着のタケフブキにクビ差まで詰め寄られたが、なんとか逃げ切った。

 

 ウイニングランを終えて戻ってきたグリーンは、フェンスに寄りかかり、肩で息をしていた。

 いつもの余裕のピースサインはない。

 

「はぁ……はぁ……! な、なんとか勝ったよ、あすかさん……!」

 

 滝のような汗。震える脚。

 それが、この2000メートルという距離の過酷さを物語っていた。

 

「……やっぱ2000、キツい! 最後の坂、マジで死ぬかと思った……」

 

「ああ。……よく耐えたな。あのタケフブキを振り切るとは」

 

 俺がタオルを渡すと、彼女はそれを頭から被り、その下から強気な瞳を覗かせた。

 

「でも、これで証明できたでしょ? ……アタシは、秋華賞でも戦えるって」

 

「……ああ。合格だ」

 

 距離の壁にぶつかりながらも、才能と根性でねじ伏せた勝利。

 だが、俺たちの目には焼き付いている。ゴール前、猛然と迫ってきたタケフブキの末脚を。

 あと10メートル距離が長ければ、かわされていたかもしれない。

 本番は、ここよりさらにタフな戦いになる。

 

 それでも、俺は彼女に告げた。

 

「秋華賞への挑戦権、ここで掴んだな」

 

 10月、京都レース場。

 マイルの女王が、伝説をかけて最後のティアラに挑む。




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