ウマ娘競バ史   作:geko

63 / 89
第63話:支配者のリズム ※スワンステークス

 盛岡でタイフウが勝利の雄叫びを上げた翌日――西の京都レース場は冷たい小雨に煙っていた。

 10月4週、日曜日。

 マイルチャンピオンシップへの最重要ステップ、スワンステークス。

 

 パドックを周回するオペラローリンは、2番人気に支持されていた。

 1番人気は短距離実績のあるエリモシルバー。

 本来、2000m前後が主戦場のローリンにとって、1400mという距離は短く、忙しすぎる。

 スピード勝負になれば分が悪いというのが大方の見方だ。

 

「……短いですね、1400メートル」

 

 雨粒を払いながら、ローリンが呟く。

 だが、その表情に不安はない。俺たちは既に答えを用意していた。

 

「ああ。まともにスプリンターたちのペースに付き合う必要はない」

 

 俺は彼女の耳元で、今日のプランを囁いた。

 

「ハナを奪え。お前が先頭に立って、レース全体の時間を支配してしまえばいい」

 

「ふふ。……指揮者は私、ということですね。承知しました」

 

 彼女は優雅に微笑み、雨に濡れたターフへと向かった。

 

◆スワンステークス(GⅡ・京都芝1400m)

 

 ゲートが開いた。

 スタートと同時に、ローリンがスッと前へ出る。

 周囲のウマ娘たちが「おや?」と顔を見合わせる隙に、彼女は無理なく先頭を確保した。

 

(速く……いいえ、このくらいが私の「適正」ですね)

 

 ローリンが刻むラップは、彼女にとっては心地よいワルツのリズム。

 だが、ストライドの雄大な彼女が涼しい顔で走ると、周囲には「ゆったりとしたスローペース」に見えてしまう。

 彼女が楽をしているように見えるほど、周りの呼吸だけが早くなる。

 錯覚していた。

 実際には、後続のスプリンターたちの脚が、早くも小刻みに跳ね始めていたのだ。

 

 雨音だけが響く京都レース場。

 レースは完全に、オペラローリンという指揮者のタクトによってコントロールされていた。

 

 第3コーナー、京都名物「淀の坂」。

 上って、下る。その下り坂を利用し、彼女は重力に身を任せるように自然と加速した。

 後続が「そろそろ仕掛けようか」と思った時には、もう遅い。

 

「――ここです」

 

 ローリンが、誰よりも早くアクセルを踏み込んだ。

 温存していた余裕を、いま一息で燃やし切る。

 直線入り口での出し抜け。

 一気にトップスピードに乗った彼女は、後続を置き去りにしていく。

 

「――嘘っ!? あのフォームで、あんなに速いの!?」

 

 エリモシルバーが必死に追いすがるが、先にセーフティリードを取ったローリンの背中は遠ざかるばかりだ。

 優雅に見えていた白鳥は、翼を広げた瞬間、刃物みたいに風を裂いた。

 

 誰も寄せ付けないまま、ローリンは独走でゴール板を駆け抜けた。

 結果は、追い込んできたエリモシルバーに3バ身差をつける完勝。

 

 そして、電光掲示板に表示されたタイムを見て、観客がどよめいた。

 

『R 1:21.2』

 

 レコードタイムだ。

 涼しい顔で「スローに見せた」レース運びだったが、叩き出した数字は、本来なら“追い比べの激流”でしか出ないはずの領域だった。

 それは彼女の基礎能力が、このクラスでは桁違いであることを示していた。

 

◆マイルへの布石

 

 ウイニングランを終え、戻ってきたローリンは、雨に濡れた髪をかき上げながら艶やかに笑った。

 

「あすかさん。……私の指揮、いかがでしたか?」

 

「完璧だ。短距離のスペシャリストたちを、完全に手のひらで転がしたな。……まさかレコードのおまけ付きとは恐れ入ったよ」

 

 俺がタオルを渡すと、彼女は満足げに頷いた。

 

「1400でもこれだけ走れるのなら、本番のマイルはもっと楽しみです」

 

 彼女は秋の京都の空を見上げ、確信に満ちた声で告げた。

 

「1400でも支配できた。なら1600は――“私の庭”になりますね」

 

 夏を越え、苦手だったスピード勝負すら克服したオペラローリン。

 もはや彼女に、「距離が短い」という言い訳は通用しない。

 11月、秋のマイル王決定戦へ向け、視界は良好だ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。