ウマ娘競バ史   作:geko

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第64話:淀の坂、怪我の功名 ※秋華賞

 10月3週、日曜日。

 秋晴れの京都レース場は、今年一番の熱気に包まれていた。

 ティアラ路線のウマ娘によるクラシック最終戦、秋華賞。

 

 最大の注目は、春の桜花賞ウマ娘・キョウエイグリーンと、オークスウマ娘・タケフブキの直接対決だ。

 マイルで無敵のスピードを誇るグリーンか、2400mを制したスタミナのタケフブキか。  オッズは拮抗し、観客の視線はその二人に注がれていた。

 

「……グリーン。紫苑ステークスの経験を信じろ。自分のペースで逃げれば、2000mでも捕まらない」

 

「りょーかい! あすかさんこそ、緊張しすぎだって。……チャチャッと二冠目、獲ってくるよ!」

 

 彼女はいつものピースサインを残し、軽い足取りでゲートへと向かった。

 だが、勝負には常に魔物が潜んでいる。

 

◆秋華賞(GⅠ・京都芝2000m)

 

 ファンファーレが鳴り終わり、一瞬の静寂。

 ゲートが開いた。

 

 ――ガシャン!

 

「あっ……!?」

 

 俺の声が裏返った。

 抜群のスタートセンスを誇るはずのグリーンが、タイミングを合わせ損ね、一瞬遅れたのだ。

 致命的な出遅れ。

 その隙に、外からタカイホーマなどが殺到し、彼女の目の前を塞いでいく。

 

「まずい……! グリーンが包まれるぞ!」

 

 逃げてこその彼女が、バ群の中に閉じ込められる。最悪の展開だ。

 スタンドがどよめく中、グリーンは無理に押し上げていくことはせず、内ラチ沿いのポケット、五番手という位置に収まった。

 

 見たことのない光景だ。

 前に集団がいる。跳ね上げられた芝の塊が頬を打つ。自分のペースではない。

 俺は手すりを握りしめ、祈るように彼女を見つめた。掛かって自滅するか、それとも……。

 

 だが、俺の不安をよそに、グリーンは不気味なほど落ち着いていた。

 

(……あれ? なんか、楽かも?)

 

 いつもなら全身に叩きつけられる風圧がない。

 前のウマ娘が壁になり、彼女はぽっかりと空いた無風地帯に守られていたのだ。

 風の音が消えて、自分の呼吸音だけがクリアに聞こえる。

 出遅れたことで、逆に「逃げなきゃ」という焦りが消え、冷静に周りが見えていた。

 これなら、脚が残る。

 彼女は内ラチ沿いで息を潜め、じっとその時を待つ。

 

 第3コーナー、淀の坂。

 上って、下る。

 各ウマ娘がスパートをかけ始め、バ群がばらけた瞬間。彼女は下り坂の重力を味方につけた。

 

「――ここだね! 楽させてもらったお礼だよっ!」

 

 グリーンがコースの切れ目を鋭く突いた。

 自力で加速するのではない。坂の勢いで滑り落ちるように、スタミナを使わずトップスピードへ乗せる。

 溜めに溜めた脚が、研ぎ澄まされた刃となって解き放たれる。

 逃げのスピードと、差しの切れ味。その両方を融合させた彼女は、一瞬で先頭のタカイホーマをかわし去った。

 

「グリーン! そのままぁっ!!」

 

 直線を向き、完全に抜け出したグリーン。

 後方からアチーブスターなどが追い込んでくるが、余力を残した彼女の脚は止まらない。

 ライバルのタケフブキは、グリーンとは対照的に大外を回らされ、坂を越える前に脚を使い果たして沈んでいる。

 

 彼女は独走状態で、歓声の渦巻くゴール板へと飛び込んだ。

 タイムは2分00秒1。

 2着に2バ身半差をつける完勝だった。

 

◆天才のひらめき

 

 レース後。

 今年三個目のGⅠタイトルを手にした彼女は、ケロッとした顔で戻ってきた。

 

「……寿命が縮んだぞ、バカ野郎」

 

 俺はその場にへたり込み、手すりに額を押し付けた。

 安堵で膝に力が入らない。

 

 そんな俺を見て、彼女は悪戯っぽく舌を出した。

 

「あはは! ごめんごめん。……でもさ、結果オーライでしょ?」

 

 彼女は自身の脚をポンと叩いた。

 

「うーん、まあ逆に出遅れたのが良かったんじゃない? ずっと他の娘の後ろ走ってたから全然疲れなかったし、最後すごく伸びたし!」

 

「……お前なぁ。それを出遅れて即興でやる度胸が信じられんよ」

 

 呆れつつも、俺は彼女の底知れない才能に戦慄していた。

 もし普通に逃げていたら、紫苑Sのように坂で捕まっていたかもしれない。

 アクシデントすら味方につけ、脚質自在の強さを見せつけたキョウエイグリーン。

 彼女はもう、ただの「逃げウマ娘」ではない。運さえも実力に変える、真の女王へと進化したのだ。

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