ウマ娘競バ史   作:geko

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第65話:海を渡るオークス、逃亡者の落とし前

 1972年10月4週。

 木枯らしが吹き始めたトレセン学園のトレーナー室で、俺と由衣さんは頭を抱えていた。

 議題は、秋華賞を制し、ティアラ二冠(桜花賞・秋華賞)+NHKマイルCという輝かしい実績を手にしたキョウエイグリーンの次走についてだ。

 

「……悩みどころですね。実績だけで言えば、エリザベス女王杯でティアラウマ娘最強決定戦に挑むのが王道ですが」

 

 由衣さんが淹れてくれたコーヒーの香りが漂う中、俺は渋い顔で唸った。

 

「ああ。だが2200mは、グリーンの適性距離ギリギリ……いや、少し長い。秋華賞の2000mですら、展開と京都の坂に助けられた部分は大きいからな」

 

 かといって、適性距離であるマイル路線――マイルチャンピオンシップへ向かえば、そこには復活を遂げたチームメイト、オペラローリンが待ち構えている。

 同門対決も盛り上がるが、ローリンにとってのマイルCSは悲願だ。そこにグリーンをぶつけてチーム内で潰し合うのは、戦略として得策ではない。

 

 帯に短し襷に長し。

 最適解が見つからず、部屋に沈黙が落ちたその時だった。

 

「――あすかさん! ちょっとこれ見てよ!」

 

 バンッ!

 とドアが開き、キョウエイグリーンがドカドカと入ってきた。

 彼女は手にした週刊誌を、テーブルの上に乱暴に叩きつけた。

 

◆消えないレッテル

 

 そこには、三冠ウマ娘になれなかった世代の有力株たちを揶揄するゴシップ記事が載っていた。

 グリーンの写真の横には、こんな見出しが踊っている。

『幻の三冠ウマ娘? 2400mから逃げ出した短距離女王』

 

「……ひどい書かれようだな」

 

「でしょ!? アタシ、阪神JFに桜花賞とNHKマイル、それに秋華賞まで勝ったんだよ? GⅠ・4勝だよ!?」

 

 グリーンは悔しそうに唇を尖らせた。

 

「なのに、世間じゃまだ『オークスから逃げた』『本当の強さじゃない』なんて言われてる……。なんか、納得いかないじゃん!」

 

「気にするな。お前の強さは俺たちが一番知っているし、ファンの多くも評価してくれてる」

 

 俺はなだめようとしたが、彼女の瞳の奥にある炎は消えていなかった。

 

「ううん。アタシが納得できないの。……だからさ、あすかさん」

 

 彼女は制服のポケットから、くしゃくしゃになった一枚の紙を取り出し、俺の目の前に広げた。

 それは、海外――アメリカのレース番組表だった。

 

「アタシ、これに出たい」

 

 彼女の指が差していたのは、12月4週にアメリカ・西海岸で行われるGⅠレース。

『アメリカンオークス』

 

「距離は2000m。秋華賞と同じだよ。これならアタシでも走れる。……それに名前に『オークス』ってついてる」

 

 彼女はニッと笑って、その文字を指で弾いた。

 

「これを獲ればさ、『逃げた』じゃなくて、『次のオークスを獲りに行った』って言えるでしょ?」

 

 俺はその提案に唸った。  単純だが、彼女らしい豪快な理屈だ。

 距離適性と「オークス」の名誉挽回、その両方を満たす完璧な回答。

 

「……グリーン。気持ちは分かるが、海外遠征がどれだけ過酷か、分かってるか?」

 

 俺は壁の世界地図を指差した。

 

「アメリカへ行くには、一度北回りでアラスカのアンカレッジを経由して給油しなきゃいけない。フライトだけで20時間近くかかるんだぞ」

 

 狭い座席に長時間縛り付けられることは、脚が命のウマ娘にとって致命的な負担になりかねない。血の巡りが滞り、筋肉が石のように固まるリスクがある。

 

「それに検疫やビザの手続き、現地の食事や環境への適応……。ただ行って走るだけじゃない。これは『冒険』だ。……そして俺は、ここでお前を壊したくない」

 

 俺の言葉に、彼女は少しだけ真面目な顔になり、それから不敵に笑った。

 

「上等じゃん!」

 

 グリーンは怯むどころか、さらに目を輝かせた。

 

「冒険、いい響きだね! アタシの脚は世界仕様なんだって証明してあげるよ!」

 

◆ケンタッキー経由、カリフォルニア行き

 

 彼女の覚悟を見て、俺は腹を括った。

 やるからには、勝算のあるスケジュールを組まなければならない。

 俺は手元の資料をめくり、一つのプランを提示した。

 

「いいだろう。……ただし、いきなり本番のアメリカンオークスには向かわない。ワンクッション置くぞ」

 

「えっ? 他にも走るの?」

 

「ああ。12月1週、ケンタッキー州のチャーチルダウンズレース場で行われる『ミセスリヴァステークス』だ」

 

 俺は地図上のケンタッキー州を丸で囲んだ。

 

「長時間の移動で鈍った体を、まずはこのレースで叩き起こす。距離も1700mとお前に合っている。……何より、アメリカの芝は日本より重くてタフだ。本番前に一度、その感触を掴んでおきたい」

 

 アメリカ大陸を横断する強行軍。

 だが、ぶっつけ本番で挑むより、一度実戦を挟んでコンディションを整える方が、勝率は確実に上がる。

 

「うへぇ、忙しくなりそうだねぇ! ……でも、望むところだよ!」

 

「由衣さん、大至急パスポートと渡航手続きの手配を! チケットは迷わず『ファーストクラス』を取ってください! 賞金はあるんだ、グリーンの脚を守るためなら安いもんです!」

 

「ふふ、承知しました。……お弁当は、冷凍して持っていけるものを用意しますね。向こうの食事が合わなくても大丈夫なように」

 

「さすが由衣さん! 愛してる!」

 

 こうして、キョウエイグリーンの次走はアメリカ遠征に決定した。

 極寒のアンカレッジを経由し、ケンタッキーのミセスリヴァSを叩いて、カリフォルニアのアメリカンオークスへ。

 

 グリーンは拳を握り、地図の向こう側を睨みつけた。

 

「逃げたって言うなら――取り立てに行くよ。オークスの名でね」

 

 海を渡る逃亡者の、壮大な落とし前の旅が始まる。

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