ウマ娘競バ史   作:geko

68 / 89
第68話:翼を広げて、旅立ちの空

 11月4週。

 羽田空港の国際線ロビーは、独特の喧騒に包まれていた。

 大きなトランクを引く俺と、珍しく少し緊張した面持ちのキョウエイグリーンの元へ、見送りのメンバーが集まってくれた。

 

「……あすかさん、グリーン。気をつけて行ってきなよ」

 

 腕組みをしてニヤッと笑ったのは、オーナーズタイフウだ。

 来週には彼女自身もGⅠ・チャンピオンズカップを控えている。一番ピリピリしている時期のはずなのに、彼女はわざわざ空港まで駆けつけてくれた。

 

「タイフウ、すまないな。大事な時期に俺がいなくて」

 

「ハッ! 何言ってんだか。あたしのことは気にすんなって」

 

 彼女は俺の胸をドンと拳で叩いた。

 

「由衣から聞いたぜ。『砂もろとも吹き飛ばせ』ってな。……あたしのレースなんて、どうせ逃げて勝つだけだ。あすかさんがいようがいまいが、結果は変わらねえよ。……それより、そっちのチビの面倒、しっかり見てやってくれ」

 

「だーれがチビよ! アタシの方がGⅠいっぱい勝ってるんだからね!」

 

 グリーンが噛みつくと、タイフウは「はいはい」と笑って流す。

 その横で、上品なコートを纏ったオペラローリンが、穏やかに口を開いた。

 

「ふふ、相変わらず賑やかですね。……グリーンさん、貴女のスピードが世界でどこまで通用するか、楽しみにしていますよ」

 

「ローリン先輩……」

 

「私のマイルCSの勝利祝い、まだ貰っていませんからね。……アメリカの金メダル、お土産に期待していますよ?」

 

 彼女らしい、穏やかだが芯のあるエール。

 マイル王とダート女王、二人の頼もしい先輩に背中を押され、グリーンの表情から緊張が消え、いつもの勝気な色が戻ってきた。

 

「りょーかい! 二人とも、日本で大人しく待っててよね! アタシが『世界のグリーン様』になって帰ってくるまでさ!」

 

◆北回りの長い旅

 

 飛行機が離陸し、日本列島が小さくなっていく。

 目指すはアメリカだが、今の時代の空の旅は甘くない。

 まずは給油のため、アラスカのアンカレッジへと向かう北回りルートだ。

 

「うへぇ……まだ着かないの? もう退屈で死んじゃう!」

 

 離陸から数時間。

 グリーンが早くも音を上げていた。

 座席は奮発して取ったファーストクラス。足元は十分に広く、食事も豪華だ。

 だが、生粋のスピードスターである彼女にとって、何時間も「動けない」という状況は、狭さとは別の意味で拷問に近いらしい。

 

「少し通路を歩いてくる! ダッシュ一本くらいなら……」

 

「やめろ、つまみ出されるぞ。……ほら、マッサージしてやるから大人しくしてろ」

 

 俺は彼女のふくらはぎを揉みほぐしながら、機内サービスのジュースを渡す。

 窓の外には、見渡す限りの雲海と、北極圏の冷たい海が広がっている。

 

 アンカレッジでの給油休憩。

 降り立った空港は、日本のそれとは違う、突き刺すような寒さと白い雪山に囲まれていた。

 ロビーへ出た瞬間、冷気と共に漂ってきたのは、懐かしいかつお出汁の匂いだった。

 

「……なにこれ、うどん? 急に日本じゃん」

 

 匂いの先、赤い提灯のような灯りがちらりと見えて、列の半分からは日本語が聞こえてくる。

 その光景に、張り詰めていた俺の肩の力も少しだけ抜けた。

 

 そして再び機上の人となり、数時間。

 時差ボケと疲労で会話も少なくなってきた頃、ようやく機内アナウンスが響いた。

 眼下に広がるのは、広大なアメリカの大地だ。

 

◆ブルーグラスの風

 

 乗り継ぎを経て、ようやく辿り着いたのはケンタッキー州・ルイビル。

 アメリカ競バの聖地、チャーチルダウンズレース場がある街だ。

 空港を出た瞬間、乾いた冷たい風が頬を撫でた。

 

「……ここが、アメリカ」

 

 グリーンが大きく伸びをして、深呼吸をする。

 長旅の疲れはあるはずなのに、その瞳はキラキラと輝いていた。

 

「なんかさ、空が広いね! それに、匂いも違う気がする!」

 

「ああ。ここが『ブルーグラス』と呼ばれる、数多の名ウマ娘を輩出してきた聖地だ……どうだ、走れそうか?」

 

 俺が問いかけると、彼女はニヤリと笑って地面をタンッと踏み鳴らした。

 

「もちろん! 時差ボケなんて走って吹き飛ばしてあげるよ!」

 

 12月1週、ミセスリヴァステークス。

 本番のアメリカンオークスへ向けた前哨戦。

 異国の地で、キョウエイグリーンの冒険がいよいよ幕を開ける。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。