ミセスリヴァSの勝利から数日後。
俺たちはケンタッキーの寒空を後にし、国内線を乗り継いで決戦の地、カリフォルニア州・ロサンゼルスへと降り立った。
12月の西海岸は、日本人の感覚からすれば、陽射しだけなら常夏だ。
突き抜けるような青空。道路脇に並ぶパームツリー。
「……あすかさん、ちょっと眩しいんだけど!」
助手席のグリーンが、顔の半分ほどもある大きなサングラスをかけて文句を言う。
俺たちが借りたレンタカーは、この時代のアメリカを象徴するような、真っ赤なオープンのキャデラックだ。
ラジオからは、今年デビューしたばかりのイーグルスの『Take It Easy』が軽快に流れている。
「我慢しろ。こっちのレンタカーはこれしかなかったんだ」
「ふーん。……ま、風は気持ちいいけどさ」
彼女は窓枠に肘をつき、隣を並走する巨大なトレーラーを見上げた。
何もかもがデカイ。車も、道路も、看板も。
小柄な彼女にとって、ここは巨人の国に迷い込んだようなものだろう。
◆ダイナーの洗礼
練習の合間のランチタイム。 俺たちは近くのダイナー(大衆食堂)に入った。
ガムを噛んだ派手なウェイトレスに、俺はハンバーガーとコーラを注文した。
数分後。
「……ねえ。これ、何人前?」
グリーンの目の前に、彼女の顔よりも巨大なハンバーガーと、バケツのようなコーラがドンと置かれた。
ケチャップとマスタードの香りが強烈に鼻を突く。
「こっちの『レギュラーサイズ』だそうだ」
「嘘でしょ……。日本ならパーティサイズだってば」
彼女は呆れつつも、ナイフとフォークを使って格闘を始めた。
最初は文句を言っていたが、一口食べると「……ん、意外と悪くないかも」と目を丸くする。肉の味が濃いのが気に入ったらしい。
「でもさ、こんなのばっかり食べてるから、あんな怪獣みたいに育つわけだよね」
彼女は窓の外、街を歩く大柄な人々を見て呟いた。
その言葉の端に、ほんの一瞬だけ弱さが混じった。
◆「ニンジャ・ガール」の噂
午後、ハリウッドパークレース場での練習。
前哨戦での圧勝劇は、既に西海岸の記者や関係者にも知れ渡っていた。
俺たちがコースに姿を現すと、ラチ沿いに黒山の人だかりができている。
容赦ないフラッシュの嵐。カメラの光量が強く、煙たい。
「Hey! Are you "Ninja"?」
「その小さな身体のどこにエンジンがあるんだ?」
記者たちが無遠慮にマイクを突きつけてくる。
現地のウマ娘たちも、遠巻きにこちらを睨んでいた。
彼女たちの身体は筋肉の鎧のようだ。それに比べると、グリーンはあまりに華奢に見える。
「……なんか、動物園のパンダ扱いじゃない?」
グリーンは不機嫌そうに鼻を鳴らすと、コースに入った。
「あすかさん、軽く流すよ。……ちょっと目にもの見せてあげる」
彼女が走り出した瞬間、周囲のざわめきが消えた。
芝の上を滑るようなフットワーク。
アメリカのパワー重視の走りとは根本的に違う、無駄を削ぎ落とした技術の結晶のようなフォーム。
足音がしない。
軽く流しているはずなのに、ストップウォッチを持った現地のトラックマンたちが、信じられないという顔で時計を二度見している。
「……速い」
「足音が聞こえないぞ……」
好奇の視線が、畏敬の念へと変わっていく。
グリーンはコースを一周して戻ってくると、呆然とする記者たちに向かって、サングラス越しにニヤリと笑った。
「No. Just "Green".」
彼女は人差し指を立てて、唇に「シーッ」と当ててみせた。
俺が教えたばかりの拙い英語。
けれど、その堂々たる態度は、既に女王のそれだった。
◆異国の星空、友の敗北
夜。モーテルの駐車場。
空には、日本とは違う配置の星が輝いている。
明日はクリスマスイブ。そして、その次は決戦のアメリカンオークスだ。
「……ねえ、あすかさん」
自販機で買ったドクターペッパー(彼女は「薬みたいな味!」と言いつつハマっていた)を飲みながら、グリーンが空を見上げる。
「日本のみんな、今頃何してるかな。……チャンピオンズカップ、どうだったの?」
その問いに、俺は少し言い淀んでから、正直に答えた。
「……負けたよ。タイフウは2着だった」
「え!? あのタイフウ先輩が?」
グリーンが目を見開く。彼女の中で、タイフウが負けるイメージなど無かったのだろう。
「出遅れが響いた。……勝ったのは、アメリカから来た招待ウマ娘、サドだ。ハナ差で逃げ切られたらしい」
その言葉を聞いた瞬間、グリーンの手の中で空き缶がベコッと音を立てて潰れた。
「……ふーん。アメリカのウマ娘に、負けちゃったんだ」
彼女の声のトーンが、スッと低くなる。
ホームシックの寂しさなど、一瞬で消し飛んでいた。そこにあるのは、純粋な怒りと、静かに燃える闘志だ。
「ふーん……。わざわざ日本まで行って、タイフウ先輩に土つけたんだ。……向こうの連中、それでいい気になっちゃってる感じ?」
「ああ。向こうのダート馬はタフだ。……明日の相手も、同じように手強いぞ」
「……あーあ。なんか、ムカついてきちゃった」
彼女は潰れた空き缶をゴミ箱に投げ捨てると、ギラついた目で俺を見た。
「あすかさん。予定変更!」
「変更?」
「うん。ただ勝つだけじゃ足りない。……これは『教育』が必要だね」
彼女は夜空に向かって、見えない敵を睨みつけた。
「日本の借りは、このアタシが倍にして返してあげる。チーム・ルミナスの看板、そんな安くないってね」
「……頼もしいな。倍返しといこうか」
「当たり前じゃん! ウチのチームに泥塗ったこと、世界中の前で後悔させてやるんだから!」
西海岸の乾いた風が吹く。
異国での生活と、戦友の敗北が、彼女をまた一つ強くしていた。
準備は整った。
これは単なる遠征ではない。誇り高き小悪魔による、痛烈なリベンジ・マッチだ。