1972年、年末。
帰国早々、俺とグリーンは、羽田空港の到着口を抜けた瞬間から、俺たちは全力で走っていた。
アメリカからの帰国便が、悪天候で遅れたのだ。
「あすかさん、急いで! 由衣さんがきっと鬼の形相で待ってるよ!」
「分かってる! でもこの荷物の量はなんだ!」
「お土産だよ! 全部大事なやつ!」
息を切らせて空港の外へ飛び出すと、そこには既に濃紺のステーションワゴンが待機していた。
運転席のドアが開き、ドレスアップした由衣さんが涼しい顔で手招きする。
「お帰りなさいませ。……感傷に浸る時間はございません。会場まで飛ばしますので、車内で最低限身なりを整えてください」
有無を言わさぬその指示に、俺たちは「はい!」と声を揃えて車に飛び乗った。
◆
都内のホテルで行われている年末恒例の「URA賞授賞式」。
会場の控え室に滑り込んだ俺たちを待っていたのは、着飾ったチーム・ルミナスの面々だった。
「おっそいよ、大将。……ま、主役は遅れて来るもんだけどな」
真紅のドレスを着こなしたオーナーズタイフウが、ニヤリと笑ってグラスを掲げる。
その隣には、純白のドレスに真珠をあしらったオペラローリンと、シックな濃紺のドレスに身を包んだナスノチグサ。
久しぶりに全員が揃った。
「みんな、久しぶりだな、って再会を喜んでる場合でもないな」
俺は慌ててタキシードの襟を正し、グリーンも由衣さんに髪を直されながら、ステージ袖へと急いだ。
司会者の声が、会場に響き渡る。
「それでは、各部門の受賞ウマ娘を発表いたします」
スポットライトがステージを照らす。
最初に名前を呼ばれたのは、我らがチームの末っ子にして、世界を制したスピードスターだ。
「――最優秀クラシック級ティアラウマ娘、キョウエイグリーン!」
割れんばかりの拍手の中、グリーンが弾むような足取りで登壇する。
今年の戦績は7戦7勝。
桜花賞、NHKマイルC、秋華賞、そしてアメリカンオークス。
文句なしの満票選出だ。彼女はトロフィーを受け取ると、カメラに向かってピースサインを決めた。
まるで『当然でしょ?』とでも言うように、彼女は笑った。
続いて、ダート部門。
「――最優秀ダートウマ娘、オーナーズタイフウ!」
名前を呼ばれたタイフウが、ふてぶてしく、しかし優雅に手を振って歩き出す。
6戦4勝、2着2回。
フェブラリーSを制し、ダート界を席巻した暴君。年末のチャンピオンズCでの惜敗すら、彼女のダート王としての格を損なうものではなかった。
彼女はトロフィーを片手で軽く持ち上げ、不敵な笑みを浮かべる。
そして――。
「――最優秀マイラー、オペラローリン!」
その名前が呼ばれた瞬間、拍手が、遅れてじわりと広がった。
春の挫折を乗り越え、夏からマイル戦線を走り続け、ついにマイルCSで頂点に立った不屈のお嬢様。
ローリンは登壇し、トロフィーを受け取った瞬間、こらえきれずに瞳を潤ませた。
ハンカチで目元を抑える彼女の姿に、会場からは温かい拍手が送られる。
三者三様の輝き。
チーム・ルミナスが、この年の競バ界の中心にいたことの証明だった。
その光景を、ステージの下から見つめる一人の少女がいた。
ナスノチグサだ。
「……壮観ですね」
彼女の視線の先には、スポットライトを浴びるチームメイトたちの姿。
そして、もう一人。
ステージの反対側には、最優秀シニア級ティアラウマ娘を受賞した、姉・ナスノカオリの姿があった。
安田記念を制した姉。その姿は完璧で、美しく、遠い。
「……悔しいですか、チグサさん」
隣に立った由衣さんが、そっと問いかける。
チグサは眼鏡のブリッジを押し上げ、静かに頷いた。
「ええ。……ですが、視界は良好です」
彼女は、姉と同じティアラ路線で頂点に立ったグリーンの姿をじっと見据えた。
「姉様は当然の目標。ですが、まずは目の前の『世界』を越えなくては」
グリーンが獲ったその最優秀クラシック級の称号。「来年はわたくしが頂きます」と言わんばかりに彼女の瞳の奥で、冷たくも熱い計算式が高速で回転し始めていた。
◆
表彰式が終わり、ようやく一息ついた俺たちは、ホテルのラウンジで祝杯を挙げていた。
「ねえ、あすかさん、久しぶりにお茶漬け食べたい!」
「ここでは出ないぞ。帰ってから由衣さんに頼め」
「えーっ!」
文句を言うグリーンを、由衣さんがにこにこと見守っている。
タイフウは上機嫌でローリンをからかい、ローリンは「泣いてなどいません!」と赤面して反論している。
平和で、騒がしい、いつものチーム・ルミナス。
だが、会場のテレビモニターから流れてきたニュースが、ふと俺たちの耳を引いた。
『――地方・大井競馬場にて、怪物・ハイセイコーが連勝記録を更新! 中央移籍への期待が高まっています――』
ハイセイコー。
その名前に、俺はグラスを止めた。
1972年、7月に大井レース場でデビューし、11月までに破竹の6連勝。
地方の怪物として、大きな話題となっている。
「……面白くなりそうだな」
俺が呟くと、タイフウがニヤリと笑った。
「怪物? 上等だな。大井の先輩としてでっかい背中を見せつけてやるよ」
新たなライバル、新たな熱狂。
黄金のトロフィーを並べたテーブルを囲み、チーム・ルミナスの1973年が幕を開ける。