ウマ娘競バ史   作:geko

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第76話:暴君の回答 ※フェブラリーステークス

 1973年、2月4週。

 東京レース場は、乾いた砂埃と熱狂に包まれていた。

 今年最初のURA・GⅠ、フェブラリーステークス。

 

 パドックには、堂々たる姿で周回するオーナーズタイフウの姿があった。

 圧倒的1番人気。

 だが、その表情はいつもの不敵な笑みではなく、獲物を狙う獣のように鋭かった。

 

「……あすかさん」

 

 側に戻ってきた彼女が、低い声で俺を呼んだ。

 

「チャンピオンズカップじゃ、とんだ醜態さらしちまったな。……あすかさんがいないとダメだなんて、らしくねえ弱音も吐いた」

 

「気にするな。あれは俺の責任でもある」

 

「いいや、違うね」

 

 彼女はバシッと自分の腕を叩いた。

 

「あたしが弱かっただけだ。……だから今日は、きっちり落とし前をつけさせてもらう。見てなよ、あすかさん」

 

 ゲートへ向かう彼女の背中には、鬼気迫る闘志が炎のように揺らめいていた。

 

◆フェブラリーステークス(GⅠ・東京 ダ 左 1600m 晴 良)

 

 ファンファーレが鳴り響き、ゲートが開く。

 

 今回は出遅れなし。完璧なスタートを切ったタイフウは、迷わず先頭を奪いに行く。

 だが、ライバルたちも引かない。

 ダノンディバインやカーチスといった内枠の先行勢が、激しくハナを主張してくる。

 

(……速いっ!)

 

 俺はストップウォッチを見て眉をひそめた。

 1000m通過が早すぎる。完全なハイペース。

 互いに脚を削り合う、泥沼の消耗戦だ。

 

「おいおい、ペースを落とせ! これじゃ最後まで持たないぞ!」

 

 俺の焦りなど知らぬげに、タイフウは第3コーナーで強引に先頭に立った。

 後ろからは2番人気のオオトリグランディが虎視眈々とマークしている。

 このペースで飛ばして、直線の長い東京コースを粘りきれるのか?

 チャンピオンズカップの悪夢――最後の最後で差された記憶が、脳裏をよぎる。

 

 第4コーナーを回り、最後の直線へ。

 俺の不安は、次の瞬間に粉砕された。

 

「――っらぁああ!!」

 

 タイフウが咆哮と共に、再加速したのだ。

 消耗しているはずの脚が、まるでロケットエンジンのように火を噴く。

 追走していたオオトリグランディが、一瞬で豆粒のように小さくなる。

 

 粘る? 違う。

 彼女は、後ろを千切り捨てていた。

 

 残り200m。

 5バ身、7バ身、8バ身……。

 独走なんて生易しいものではない。砂嵐がすべてを吹き飛ばしていくような、理不尽な暴力。

 

 ゴール板を駆け抜けた瞬間、タイムは1分37秒9。

 2着のオオトリグランディにつけた着差は、決定的な9バ身だった。

 

◆最強の証明

 

 静まり返るスタンドの前で、ウイニングランを終えたタイフウが戻ってくる。

 息は上がっていたが、その顔には晴れやかな笑みがあった。

 

「……へへっ。見てたか、あすかさん?」

 

 彼女はフェンス越しに、親指で大きく後ろを指差した。

 

「これだけ差をつけりゃ、今度また出遅れたって関係ねえだろ?」

 

「……お前なぁ」

 

 俺は呆れて、それから吹き出した。

 スタートのミスをなくすのではなく、ミスしてもお釣りが来るほど千切ればいい。

 あまりに乱暴で、しかし彼女らしい最強の解答だ。

 

「ああ、参ったよ。……これなら10秒出遅れても勝てるかもな」

 

「ハッ! 違いねえ!」

 

 彼女はニカッと笑い、俺の差し出した拳に、力強く自分の拳を合わせた。

 フェブラリーステークス、連覇達成。

 ダートの女王・オーナーズタイフウ。その玉座は、1ミリも揺らいでいなかった。

 

◆暴君の進路変更、王道への挑戦

 

 フェブラリーステークスから一夜明けた、2月某日。

 チーム・ルミナスのトレーナー室には、昨日の圧勝劇を報じるスポーツ新聞が積まれていた。

 

『オーナーズタイフウ、9バ身差の衝撃』

『ダートの王、連覇達成』

 

 踊る見出しを横目に、当の本人であるタイフウは、珍しく真剣な表情で俺に向き合っていた。

 

「……あすかさん。昨日のレースで、はっきり分かったことがある」

 

「ん? なんだ? 『あたしは最強だ』ってことか?」

 

 俺が冗談めかして言うと、彼女は「ま、それもあるけどな」とニヤリと笑い、すぐに真顔に戻った。

 

「マイルまでは、もう十分だ。……スピードだけで押し切れる距離じゃ、昨日のアレみたいになっちまう」

 

 彼女は自身の拳をじっと見つめた。

 圧倒的な強さ。だが、それは彼女が求める「ヒリつくような戦い」からは遠ざかっている証拠でもあった。

 

「だから、あすかさん。……今年は2000mを中心に走らせてくれ」

 

「2000m……中距離路線か」

 

 俺は少し驚いた。

 これまで彼女は、持ち前の爆発的なスピードを活かせる短距離~マイルを主戦場にしてきた。

 ダートの2000mとなれば、スピードだけでなく、タフなスタミナと、駆け引きをする精神力が必要になる。いわゆる王道の距離だ。

 

「ああ。本当に強い奴らは、やっぱり中距離に集まるだろ? スピードだけの勝負じゃなくて、底力が試される距離にな」

 

 タイフウの瞳には、野心的な光が宿っていた。

 去年のサドのような、あるいはそれ以上の強者たちと、真っ向から殴り合いたい。

 短距離の暴君ではなく、ダート界すべての頂点に立つ王になりたいのだ。

 

「……分かった。お前のスタミナなら、2000mも十分こなせるはずだ。だが、今までのような『逃げて突き放す』だけの競馬じゃ通用しなくなるぞ」

 

「望むところだ。……楽な勝ち方なんて、もう飽き飽きだからな」

 

 彼女は不敵に笑い、立ち上がった。

 

「で、次走なんだが……手頃な舞台がある」

 

 俺は手元のスケジュール帳を開き、ある地方交流重賞を指差した。

 

「4月の川崎レース場。川崎記念」

 

 地方・川崎が誇る、伝統の長距離戦。

 距離は2100m。2000mへの転向を宣言した彼女にとって、これ以上ない試金石だ。

 

「川崎か……。面白え、地方の砂も久々に味わってやるか」

 

「ああ。ここで勝てば、名実ともに中距離の主役だ」

 

「おうよ! 距離が伸びようが何だろうが、やることは一つ。……全員ねじ伏せるだけだ」

 

 オーナーズタイフウは、積まれたスポーツ新聞をバサリとゴミ箱へ放り込んだ。

 過去の栄光はいらない。

 彼女の視線は既に、4月の川崎、その先の王道へと向けられていた。

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