ウマ娘競バ史   作:geko

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第79話:計算ずくの春一番 ※チューリップ賞

 1973年、3月1週日曜日。阪神レース場。

 中山記念と同じ時刻、ここ阪神でもチューリップ賞のファンファーレが鳴り響こうとしていた。

 

 パドックには、静かな闘志を燃やすナスノチグサの姿があった。

 中山の結果は、まだ届かない。だが、チグサは迷っていなかった。

 

「……あすかさん。先輩なら、きっと勝ちます。あの人はそういう人です」

 

「ああ、違いない。だから俺たちも勝って、胸を張って『おかえり』を言ってやろう」

 

 言葉は少なくても、通じ合うものがある。

 俺たちは目前のレースに集中するため、コース図を広げた。

 

「今回のメンバーだが、外枠に逃げ・先行のウマ娘が固まってる。スタート直後、ポジション争いでごちゃつくぞ」

 

 俺の指摘に、チグサも頷く。

 彼女の枠は11人立ての10番。外枠の8枠だ。無理に内へ切り込めば、先行争いの煽りを受けて消耗する。

 

「だから位置は後ろ。無理に内へ入れるな。……外で、気持ちよく踏め」

 

 それは、距離のロスを覚悟した作戦だった。

 コースの内側を走るより、外を回れば数メートル余分に走ることになる。僅差の勝負では命取りになりかねない。

 だが、チグサは即座に同意した。

 

「了解しました。……今の私の末脚なら、距離ロスによるタイムラグよりも、集団に包まれるリスクを排除する方が、最も合理的です」

 

「その通りだ。……お前の脚を信じるぞ」

 

「お任せください。計算通りの『春一番』を、巻き起こしてみせます」

 

◆チューリップ賞(GⅡ・阪神 芝 1600m 右 晴 良)

 

 ゲートが開く。

 同時に、予想通りケイリュウシンゲキやキシュウローレルといった先行勢が内へ殺到した。

 激しいポジション争い。芝草が舞う中、チグサは涼しい顔でスッと後ろへ下がった。

 

 後方待機。

 前のウマ娘たちがインコースに密集し、押し合いへし合いしているのを尻目に、彼女は悠々と外へ持ち出した。

 

(……距離ロスは想定内。ここまでは計算通り)

 

 第3コーナーから第4コーナーへ。

 彼女の視界には、遮るものは何もない。外ラチ沿いに、一直線だ。

 

 直線。残り400m。

 彼女はため込んでいたエネルギーを一気に開放した。

 

 大外から、彼女の末脚が弾ける。

 一完歩ごとに加速するその姿は、優雅な令嬢というより、獲物を狩る猛獣のようだった。

 先行して粘っていたケイリュウシンゲキを一瞬でかわし、先頭を奪う。

 そこからは独壇場だった。

 追いすがるアフリカンアイズを寄せ付けない。

 

 終わってみれば、4バ身差の圧勝。

 タイムは1分35秒7。

 

◆東西の祝電

 

「……完璧でしたね」

 

 レース後、戻ってきた彼女は、乱れのない呼吸で言った。

 勝利の喜びよりも、計算が正しかったことへの安堵が強いようだ。

 

「お疲れ、チグサ。……内容まで完璧だったよ」

 

「ええ。大外を回ってもこれだけの差がつきました。……これで姉様の背中も見えてきました」

 

 彼女は汗を拭いながら、東の空――中山の方角へ視線を向けた。

 

「さあ、由衣さんたちに報告しましょう。……公衆電話はどこでしたっけ?」

 

 俺たちは検量室近くの赤電話へと急いだ。

 10円玉を投入し、中山レース場の関係者控室へ繋ぐ。ジリリリ……とアナログな呼び出し音が鳴り、すぐに受話器が取られた。

 

『――はい、こちら中山です。……あすかさんですか?』

 

 由衣さんの弾んだ声。

 そのトーンだけで、俺は全てを察した。

 

「その声……勝ったな?」

 

『ええ! ハイペースを逃げ切っての完勝です! ……そちらは?』

 

「こちらもだ。チグサの計算通り、4バ身差の圧勝だよ」

 

 受話器の向こうから、歓声のような息遣いが聞こえた。

 東西でのダブル勝利。

 チーム・ルミナスの春は、最高の形で幕を開けたのだ。

 

『……あすかさん』

 

 由衣さんに代わって、受話器の向こうからローリンの少し甘えたような声が聞こえた。

 

『今から帰りますね。……ちゃんと待っていてくださいね?』

 

 俺は苦笑しつつ、「ああ、首を長くして待ってるよ」と答えて受話器を置いた。

 ガチャン、と硬貨の落ちる音が、勝利の余韻のように響く。

 

 隣で聞いていたチグサが、眼鏡の奥で悪戯っぽく笑った。

 

「ふふ。……あの言い方、先輩は『ご褒美』を逃がす気は、なさそうですわね」

 

 だが、これはまだ前哨戦。

 次はいよいよ、自分だけの勝負服を纏って挑む本番。

 桜花賞のゲートが開くまで、あと一ヶ月。

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