ウマ娘競バ史   作:geko

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第83話:教科書通りの独走 ※大阪杯

 1973年、4月1週日曜日。阪神レース場。

 川崎での「夜の暴走」から数日後。俺は春の陽光が降り注ぐ阪神のパドックにいた。

 

 目の前には、落ち着き払った様子のオペラローリンの姿がある。

 先日、燃えるような走りで勝利をもぎ取ったタイフウとは対照的に、彼女の表情は一点の曇りもなく、真珠色の勝負服が陽光を浴びて輝いていた。

 それは、王者の風格そのものだった。

 

「……あすかさん。顔色が優れませんね」

 

 近寄ってきたローリンが、心配そうに俺を覗き込む。

 

「ああ、まあな。……数日前に、寿命が縮むようなレースを見せられたもんでな」

 

 俺が苦笑すると、彼女は察したようにふふっと笑った。

 

「タイフウさんのレースですね。……あのような野性味溢れる走りは、私には真似できません」

 

 彼女はスッと背筋を伸ばし、ターフの方角を見据えた。

 

「私は私のやり方で、貴方の心労を癒やしましょう。……『王道』とはどうあるべきか、皆さんへの手本となるようなレースをお見せします」

 

「手本?」

 

「ええ。美しく、無駄なく、完璧な勝利を」

 

 彼女は優雅に一礼し、歓声の中へと向かっていった。

 

◆大阪杯(GⅠ・阪神 芝 2000m 右 晴 良)

 

 ファンファーレが鳴り、空気が張り詰める。

 

 ――ガシャン!

 

 スタートは完璧だった。

 ローリンは無理にハナを主張することなく、かといって下がりすぎることもない。

 逃げるトーヨーアサヒやハクホオショウを行かせ、自分はスッと4番手の好位に収まる。

 

(……上手い)

 

 俺は双眼鏡越しに唸った。

 折り合いは完璧。コース取りにも無駄がない。

 前走の中山記念では逃げという奇策に出たが、本来の彼女はこうして好位で脚を溜め、直線の爆発力に繋げるのが真骨頂だ。

 

 第3コーナーから第4コーナーへ。

 ペースが上がっても、彼女のリズムは乱れない。

 前のウマ娘たちが苦しくなり始めたタイミングで、外へ持ち出し、視界をクリアにする。

 まるでレースの教科書を見ているかのような、理想的な運び。

 

 直線を向く。

 ここからが彼女の独壇場だった。

 

「――参ります」

 

 彼女が静かにスパートをかけると、溜め込まれていたエネルギーが解放される。

 爆発的だが、荒々しさはない。

 滑らかに加速し、あっという間に先頭を捉え、抜き去る。

 

 後続からシンシティやヒロシゲが追いすがろうとするが、その差は縮まるどころか、絶望的に開いていく。

 危なげない。怖いくらいに。

 

 そのまま彼女は、誰も寄せ付けることなくゴール板を駆け抜けた。

 タイムは2分01秒9。

 2着につけた差は、盤石の5バ身。

 

◆正しき王の姿

 

 ウイニングランから戻ってきたローリンは、乱れのない呼吸で俺に微笑みかけた。

 

「……いかがでしたか? あすかさん」

 

「参ったな。……ぐうの音も出ない完勝だ」

 

 俺は賛辞と共にタオルを渡す。

 タイフウのレースが「熱狂と混沌」なら、ローリンのレースは「洗練と秩序」だ。

 

「ふふ。これで少しは、胃の痛みも治まったのではありませんか?」

 

「ああ、おかげさまでな。……最高の薬だったよ」

 

 彼女は満足げに頷くと、東の空――川崎の方角へ視線を流した。

 

「力でねじ伏せるのも強さですが……品格を持って制するのもまた、王者の務めです。……いつか、タイフウさんが自分で気付けばいいのですが」

 

 そう言って笑う彼女は、どこまでも頼もしいチームの長女だった。

 ダートの暴君と、芝の王者。

 対照的な二人が、春の輪郭を塗り替えていく。

 

 

(幕間)

◆桜の下の秘密

 

 大阪杯の激闘から数日後。

 俺とオペラローリンは、トレセン学園の裏山にある、人目に付かない桜の古木の下にいた。

 今日は久しぶりの完全オフ。そして、彼女からの「請求書」を支払う日でもある。

 

 頭上には満開の桜。

 地面にはレジャーシート。

 そして、俺の膝の上には――。

 

「……ふふ。いい眺めです」

 

 オペラローリンが、俺の膝を枕にして横たわっていた。

 いわゆる、膝枕だ。

 彼女は上機嫌で、俺の顔と桜の花を交互に見上げている。

 

「……おい、ローリン。こんなところを誰かに見られたらどうするんだ。一応、お前は今をときめくGⅠウマ娘なんだぞ」

 

「構いませんよ。ここは誰も来ない秘密の場所ですし……それに」

 

 彼女は少しだけ体を起こし、悪戯っぽく俺の頬をつついた。

 

「約束したはずです。『勝って戻ってきたら、思いっきり甘やかしてください』って。まさか、忘れた、なんて言いませんよね?」

 

「……はいはい。分かってますよ、姫さま」

 

 中山記念の前、そしてチューリップ賞の後の電話。

 彼女はずっと、この時を楽しみにしていたのだ。

 俺は観念して、彼女のサラサラとした真珠色の髪をそっと撫でた。

 

「……ん……」

 

 ローリンが気持ちよさそうに目を細める。

 レース中の、あの勝つか負けるかのアスリートとしての顔はどこにもない。

 ここにあるのは、パートナーに身を委ねる、年相応の少女の顔だけだ。

 

「……あすかさん。私、頑張りましたよ」

 

「ああ、知ってる。中山記念の逃げ切りも、大阪杯も。……見惚れるほど綺麗だった」

 

「ええ。……貴方に褒めていただきたくて、必死に走りました」

 

 彼女は俺の手を自分の頬に押し当て、愛おしそうに呟く。

 

「だから……今はもう少しだけ、このままでいさせてください。次の戦いが始まるまで、貴方の隣だけは、私が独占させていただきますから」

 

 舞い散る薄紅色の花びらが、彼女の髪や肩に降り注ぐ。

 俺は何も言わず、ただ彼女の髪を梳き続けた。

 柔らかな春風と、甘い沈黙。

 それは、最強を目指して走り続ける彼女にとって、何よりのご褒美だったのかもしれない。

 

 しばらくして。

 彼女はお重に入った手作り弁当(由衣さん監修・ローリン作)を広げながら、ふわりと笑った。

 

「さあ、お腹も空きましたし……今度は『あーん』をして差し上げましょうか?」

 

「……それは俺へのご褒美か?」

 

「ふふ、両方です」

 

 桜の木の下、二人だけの穏やかな午後は、もう少しだけ続きそうだった。

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