ウマ娘競バ史   作:geko

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第86話:熱狂のその先へ ※ヴィクトリアマイル

 1973年、5月3週日曜日。

 ハイセイコーの皐月賞制覇が巻き起こした「第一次レースブーム」は、留まるところを知らなかった。

 この日のレース場も、GⅠとはいえ、例年では考えられないほどの観客で埋め尽くされていた。その多くが、最近競バを知ったばかりの新しいファンたちだ。

 

 春のマイル女王決定戦。パドックで周回するキョウエイグリーンは、熱気に満ちたスタンドを見上げてニヤリと笑った。

 

「すっごい人! ねえあすかさん、あの中の何割が『ウマ娘=ハイセイコー』だと思ってるのかな?」

 

「さあな。半分以上はそうかもしれない」

 

 俺が答えると、彼女はビシッと新緑色をベースにした勝負服の襟を正した。

 

「じゃあ、教えてあげなきゃね。この世界には怪物チャンだけじゃなくて、『新緑の女王様』もいるんだぞーって!」

 

 モチベーションは最高潮。だが、相手も揃っている。

 出走表を見ると、逃げ・先行を得意とする実力派のウマ娘たちがひしめいていた。

 

「グリーン。今回は強力な逃げウマ娘が多い。生半可な策じゃ、巻き込まれて潰されるぞ」

 

 俺が懸念を伝えると、彼女はアハハと笑い飛ばした。

 

「えー? じゃあ控える? つまんないなぁ」

 

「いや」

 

 俺は彼女の真っ直ぐな瞳を見つめ返した。

 

「お前、高松宮記念のあとに言ったよな。『今年のスプリントとマイルは独占する』って」

 

「うん、言った!」

 

「だったら、小細工はなしだ。逃げたい奴らには逃げさせてやれ。その上で、全部置き去りにして主役を取ってこい。……正面から受けて立って、勝ってこい」

 

 それは、絶対的な自信がなければできない指示だった。

 グリーンは一瞬きょとんとして、次の瞬間、最高に嬉しそうな笑顔を弾けさせた。

 

「りょーかい! やっぱあすかさんは話が分かるね! 行ってくる!」

 

◆ヴィクトリアマイル(GⅠ・東京 芝 1600m 左 晴 良)

 

 ファンファーレが鳴り響く。

 いつもよりも大きな歓声の中、ゲートが開いた。

 

 予想通り、スタート直後から激しいハナ争いが繰り広げられる。

 だが、グリーンは一歩も引かない。

 逃げ集団の一番前を無理矢理奪う。

 

 第3コーナーから第4コーナー。

 激流のようなペースに、先行していたウマ娘たちの脚色が鈍り始める。

 苦悶の表情を浮かべるライバルたちを尻目に、グリーンだけが涼しい顔で、ターフを蹴っていた。

 

 直線。

 逃げ集団の中で生き残ったのは、グリーンただ一人だった。

 先頭のまま、彼女はギアを一段階上げた。

 

 後方で脚を溜めていたウマ娘たちが猛追してくる。

 だが、届かない。

 グリーンは、追いすがる影すらも音速の彼方へ置き去りにしていく。

 

 終わってみれば、誰も寄せ付けない9バ身。

 ブームに沸く新参のファンたちに、本物の強さをまざまざと見せつけるレースだった。

 

◆おあずけのステージ

 

 ウイニングランを終え、大歓声の中で戻ってきたグリーン。

 彼女は息を弾ませながら、期待に満ちたキラキラした瞳で周囲を見回した。

 

「ねえねえ、あすかさん! ステージは!? ウイニングライブはどこ!?」

 

 彼女の頭の中は、あの皐月賞の熱狂的な光景でいっぱいだった。

 俺は申し訳なさそうに、彼女の肩に手を置いた。

 

「……悪い、グリーン。今日はライブはないんだ」

 

「えっ!? なんで!? アタシ勝ったのに! すごいタイムで圧勝したのに!」

 

「あれはまだ、ハイセイコー人気に便乗した試験的な試みなんだ。全レースで導入されるかどうかは、まだ決まってない」

 

 俺の説明を聞いて、グリーンは頬を膨らませてブー垂れた。

 

「えーっ! ずるい! アタシだって歌って踊りたい! みんなにチヤホヤされたい!」

 

「ははは。まあ、そう腐るな。今日のお前の走りを見れば、ファンもURAも放っておかないさ。……ブームの主役は、一人だけじゃないってな」

 

 俺がなだめると、彼女は「むー」と唸りながらも、すぐにニシシと笑った。

 

「ま、いっか! アタシの強さは見せつけられたし! ……次は絶対、ステージ用意させてよね!」

 

 強欲で天真爛漫な女王様は、次の目標を見据えて、再びファンの歓声に応えに向かった。

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