ウマ娘競バ史   作:geko

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第88話:神話の終わりと始まり

 1973年、5月5週日曜日。東京レース場。

 日本ダービー。

 その熱狂の渦中に、俺たちチーム・ルミナスの姿があった。

 

「あー! やっぱ生は違うね! この空気、最高!」

 

 関係者席の最前列で、キョウエイグリーンがはしゃいでいる。

 実はこれ、彼女がヴィクトリアマイルの勝利後に突きつけてきた「ご褒美の権利」を行使したものだ。

 この異常な混雑の中、全員分の関係者席を確保するのは至難の業だったが……。

 

「……叔父様に感謝ですね。無理を言って申し訳なかったのですが、『あのおてんば娘が、またわがままを言ったのか』と、呆れながらも手配してくれました」

 

 由衣さんが苦笑しながら言った。

 彼女の叔父――黒田剛志トレーナー。

 かつて自身のチーム方針とグリーンの相性の悪さを案じ、頭を下げてグリーンと由衣さんを俺に託してくれた恩人だ。

 厳格な彼だが、手放した後もこうしてグリーンのことを気にかけてくれているのだと思うと、胸が熱くなる。

 

 グリーンが身を乗り出して尋ねる。

 

「ねえねえ、今日もやるんだよね? ウイニングライブ!」

 

 彼女の目当ては、完全にそっちだった。だが、由衣さんは申し訳なさそうに資料を取り出した。

 

「それなんですが……昨日、運営から告知がありました。『勝者がハイセイコーさん以外の場合、ライブは行われない』そうです」

 

「ええーっ!? なんでよ! ケチ!」

 

「あのアポなしライブは、アイドルだったハイセイコーさんだからこそ成立したパフォーマンスです。歌やダンスの訓練を受けていない他のウマ娘さんには、物理的に不可能……という判断ですね」

 

 由衣さんの説明に、グリーンは頬を膨らませてブー垂れた。

 だが、俺はふと思ったことを口にした。

 

「……逆に言えば、これからは『それ』も求められる時代になるってことか」

 

「あすかさん?」

 

「ハイセイコーが新しい可能性を示したんだ。ファンがそれを望むなら、今後は学園のトレーニングに『ダンス』や『歌』が導入されるかもしれないな」

 

 その言葉に、グリーンの表情がパッと明るくなった。

 

「マジ!? じゃあアタシ、最先端行ってるじゃん! ダンスの練習しとこ!」

 

「けっ。あたしは走れりゃそれでいいけどな」

 

 タイフウが呆れたように鼻を鳴らす。

 

「ふふ。応援してくださった方のために何かお返しができるのであれば、私はそれでも良いと思います」

 

「……ダンスの練習は、空間把握能力の向上には役立つかもしれませんね」

 

 ローリンとチグサは、満更でもなさそうだ。

 

◆日本ダービー(GⅠ・東京 芝 2400m 左 晴 良)

 

 そんな会話をしているうちに、ファンファーレが鳴り響いた。

 

 圧倒的1番人気はハイセイコー。

 だが、枠順は不運な8枠17番。

 スタート直後から、その影響がモロに出た。

 

「……内に入れないですね」

 

 ローリンが呟く。

 外枠のハイセイコーは、内のウマ娘たちに壁を作られ、コースの最外周を回らされ続けている。距離ロスが激しい。

 そして、その背後には。

 

「……マークされています。あの赤と黄の勝負服……タケホープさんですね」

 

 チグサが目を細めた。

 皐月賞で9バ身ちぎられたはずのタケホープが、今日は不気味なほど冷静に、ハイセイコーの直後、死角に張り付いている。

 

 第4コーナーから直線へ。

 距離ロスを承知で、ハイセイコーが早めにスパートをかける。

 

「いけぇっ! 怪物チャン!」

 

 グリーンの声援が飛ぶ。

 ハイセイコーが先頭に立つ。観客のボルテージが最高潮に達した、その瞬間だった。

 

 影の中から、刃物が抜かれたような切れ味。

 ハイセイコーを風除けにしていたタケホープが、外から一気に襲いかかったのだ。

 

 ハイセイコーが粘ろうとする。

 だが、ずっと外を回らされた疲労と、完璧なマーク屋の末脚の差は歴然だった。

 かわされた。

 

 ゴール板を駆け抜けた瞬間、タイムは2分27秒3。

 勝ったのはタケホープ。

 ハイセイコーは必死に粘ったものの、3バ身差をつけられての2着に敗れた。

 

◆ライブなき午後

 

 レースが決着した瞬間、東京レース場を包んだのは、歓声ではなく「悲鳴」と「静寂」だった。

 怪物が負けた。

 その事実を飲み込めない観衆は、勝者であるタケホープに拍手を送ることさえ忘れていた。

 タケホープが掲げた手に応える声は、あまりにまばらだ。

 

「……ひどい空気だ」

 

 俺はスタンドを見渡して呟いた。

 勝ったのに、まるで悪役のような扱い。

 それどころか、あちこちから露骨な不満の声が漏れ聞こえてきた。

 

「あーあ、負けちまったよ」

「ライブなしかよ、しらけるなあ」

「なんだよタケホープって……空気読めよな。帰ろうぜ」

 

 勝者を称えるのではなく、「ショーが見られなかったこと」への不満。

 その身勝手な熱狂の冷め方を目の当たりにして、グリーンからさっきまでの笑顔が消えた。

 

「……残酷だね。勝った子が報われないなんて、ズルいよ」

 

 彼女はポツリと呟いた。その瞳には、真剣な色が宿っていた。

 

「お客さんは『強いウマ娘』が見たかったんじゃない。『勝って歌うアイドル』が見たかっただけなんだ……。勝った子が、あんなに無視されるなんて」

 

「……悔しいか、グリーン」

 

「うん。なんか……すごく嫌だ」

 

 彼女は唇を噛み締め、静まり返るスタンドを睨みつけた。

 勝者が称えられない世界なんて、間違っている。

 そんな彼女の純粋な怒りを受け止め、俺は彼女の肩に手を置いた。

 

「なら、お前が変えてやれ。勝つだけの強さと、誰も無視できない輝き。その両方を持ったウマ娘に……お前がなるんだ」

 

「あすかさん……」

 

「実力でねじ伏せて、その上で全員を熱狂させる。……これからの時代を作るのは、きっとそういうウマ娘だ」

 

 喝采なき勝者と、去っていく観客の背中を見下ろしながら。

 チーム・ルミナスは、来たるべき新しい時代に向けて、静かに闘志を燃やしていた。

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