習作みたいな話
幻想郷には、危険な人間もいれば、無害な人間もいる。
そして時々――どちらにもならない人間が現れる。
力はある。
だが振り回さない。
使いどころも、越えていい一線も、きちんと理解している。
放っておけば、何も起きない。
異変にもならず、英雄にもならず、ただ人里に溶け込んで終わるだろう。
それはそれで、悪くはない。
悪くはないのだけれど――
ほんの少しだけ、惜しい。
だから境界は、ほんの少しだけ開いた。
意味も使命も与えず、ただ“場所”だけを用意する。
太陽の畑。
花の妖怪。
あとは、人間次第。
どう使うのか。
力をか、立場をか、それとも――何も使わないのか。
その答えを見るくらいの余裕は、幻想郷にはあるはずだった。
人里では、彼はただの男だった。
朝は起きて、働いて、夕方には帰る。妖怪を見かけても騒がないし、異変の噂にも首を突っ込まない。力はあったが、使いどころを弁えていた。それだけだ。
だからこそ、隙間が開いた。
視界が反転し、次の瞬間、空があった。
真下には、陽光を浴びて咲き誇る無数の花――太陽の畑。
反射的に力を使う。
花弁一枚も踏まぬよう軌道をずらし、地面へ――
顔から突っ込んだ。
鈍い衝撃。視界が白く弾け、鼻血が勢いよく流れ落ちる。
「あら」
頭上から、楽しげな声がした。
「空から降ってくるなんて、変な人間ね」
「ごんにぢわ」
鼻血だらだらのまま、男は言った。
花の妖怪は、くすりと笑う。
「いいわ。治療してあげる。ついてらっしゃい」
小さな東屋。湯気の立つ紅茶。
男の鼻には、丁寧に詰め物がされていた。
「幽香さんって、やさしいんですね」
そう言うと、彼女は首を傾げた。
「そうかしら」
次の瞬間。
ゴキッ。
指先ひとつで、折れた鼻骨が正しい位置に戻される。
「――華が折れるんじゃなくて、鼻を折った貴方への誠意、かしらね」
「……ありがとうございます」
男は礼を言い、紅茶を飲み干すと、何事もなかったように帰っていった。
花は一本も折れていない。
*
「……貴方の実験に、私を巻き込もうとしたツケ」
太陽の畑に、傘の先が向けられる。
「払ってもらおうかしら」
向かい合うのは、境界の妖怪。
「あら、ばれちゃったの」
彼女は肩をすくめ、こちらも傘を構えた。
「いやあ……想定外もあったものだわ」
くすりと笑い、独り言のように呟く。
「これだから、人間は面白い」
――次の瞬間。
幻想郷の、まったく関係ない場所で、
妖怪の頂上決戦が始まった。
もっとも。
幻想郷では、割といつもの事である。
精々、博麗の巫女に見つからないよう、
勝手にやれ、というだけの話だ。
その夜、八雲紫の食卓から、
夕飯が七色の光に包まれ消えた。